とある青年ハンターと『 』少女のお話   作:Senritsu

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第15話 転:『  』

 

 

 天地をひっくり返すかのような揺れが、ある程度収まるまでには数分近くがかかった。

 大地に反響していた地響きが遠ざかり、氷の破片が崩れ落ちた斜面をぱらぱらと落ちていく程度に落ち着いたのを見届けて、少女は迅速に動き始める。

 

 冷水河に削られ、ただでさえ急峻だった氷山の斜面は、今や断崖絶壁となってしまっている。

 その崖に向けて、彼女は迷いなくその身を躍らせた。

 

 途端に自由落下を始める身体。その加速を止めることは敵わず──ささくれのように崖から突き出た氷柱に、勢いよく着地する。

 高所からの落下衝撃を抑えながらの着地方法は、彼から教わっていたことだった。狭い足場でその手順を忠実にこなし、着地から素早く立ち直った少女は、間を置くことなく再びその身を投げ出す。

 

 見晴らしのよくなった崖の斜面に、彼の姿は見当たらなかった。そもそも、あの規模の崩落に巻き込まれて、こんな高所に留まれる可能性は限りなく低い。

 ならば下って探す。崩落地の縁沿いから迂回しながら捜索するという堅実な選択肢もあったが、崩落に巻き込まれる前の彼の状態を鑑みたとき、その選択肢は即座に棄却された。

 彼のような怪我を負った人間が、その場にいるだけで体温を奪い尽くすようなこの地にいる時点で自殺行為だ。一刻も早く彼と合流し、適切な処置を行わなければ、彼の命が危うい。

 

 

 

 崖に僅かにできた氷棚を伝って着地と跳躍を繰り返し、斜面では一気に滑り降りて、風のように氷山を下っていく。

 足元の地面が少しでも崩れたら。跳ぶときに少しでも力が足りなかったら、この絶壁を真っ逆さまに落ちていくこととなるだろう。そうすれば自身も持たない。

 

 何度目かの跳躍、そして着地のタイミングで、少女の身体が大きくふらついた。慌てて壁に手を突き、座り込む。滑落だけは避けなくてはならない。

 ぐらりと視界が揺らぐ。前後感覚が一瞬分からなくなり、続いて頭が鈍く重く痛みを発した。

 

 ──脳震盪、と彼は言っていたか。それがこの身にここまで影響を及ぼすとは。

 

 目を閉じ、深く息を吸い込み、吐く。揺れる身体を鎮めるように、じっとその場に留まる。

 これも彼から教えてもらったやり方だ。同時に、()()()()()()()ということも知覚し、()()()()()()()()()()()

 今の流れは、少女が初めて経験したことであったが──目を開けた彼女は、もう一度深呼吸を重ねて、さらに下へと向かうために地を蹴った。

 

 

 

 

 

 崩れ去った山の中腹辺りまで来て、ようやく傾斜がやや緩やかになり始めた。未だ氷の破片がばらばらと落ちてくる斜面を、少女は駆ける。

 彼が冷水河に落ちずに崩落から逃れているとすれば、ここからだ。落下によって砕けた氷塊は、ここで集い、やや速度を落とす。それは脱出の機会となり得る。

 

 崩落した氷塊の通り道は、ここにきて横幅数百メートルに達しようとしていた。空は明るくなり始めたが、起伏も多く、視角からの捜索は行いにくい。

 しかし、少女はもとより視覚に頼ってはいなかった。消耗した極龍の能力をできる限り展開し、ある物を探している。

 

 それはあのとき、彼が翳した手に握られていたもの。磁力ではなく糊で固めた砂鉄の剣だ。

 

 もとよりここは、砂鉄の集めにくい地だった。本来の大地がおおよそ永久凍土や雪に覆われ、感知と収集のどちらをも難しくしていたためだ。

 だからこそ、彼が持っているだろう砂鉄の剣は捜索に適していた。この地で採集できる鉱石は血石やクリスタル、氷結晶など磁気を持たないものが多く、火山のようにあちこちに反応があって困るようなことも少ない。

 

 ──あのとき彼が一本しかあれを投げなかったのは、いや、一本で十分のはずが二本要求してきたのはこのためだった。そのときから既に、彼の頭の中にはこの作戦があったのだ。

 

 何故、彼はそのような選択をしたのか。彼女には分からない。

 ただ今は、それが唯一の彼の手がかりになっていることだけを意識する。

 

 

 

 ──『もし凍土か雪山なんかで雪崩に遭ったときは、正直言って大抵生きて帰れない。だが、最初から諦めるわけにもいかないからな』

 

 崩れる前の永久凍土の底に流れていた流水、冷水河に流れ込まずに残った氷塊、崩壊の振動で新たにできたのだろう巨大なクレバスに何度も足止めを食らいながら、それでも止まることなく駆け続ける。

 

『一応人間の対処としてはな、こんな感じで、こう、ぬのでもなんでもくちにくわえて、それをくいしばるんだ。舌を噛み切らないようにだな』

 

 時折頭上から降ってくる氷石を避け、それが谷間にある冷水河に落ちていくのを見届けることなく。

 足元のユクモノ足袋は、所々破れて血が滲んでいる。一足ごとに血痕を残しながら、隅々まで気配を探る。

 

『それで、巻き込まれたらとにかく上の方を目指して足掻く。そのままでいると雪とか土砂に押し潰されるからだ。そうなるとその後に這い出るのも助け出されるのも難しくなる』

 

 谷の底を流れる冷水河は、流れ落ちてきた大量の氷塊と雪に堰き止められ、そしてそれらを呑み込み押し流そうと力を蓄えている。

 そこにいるのであろう風翔けの龍も諸共に。

 

『事が収まったあと、意識が残っていたなら、まだするべきことがある。できれば全身、せめて顔の周りだけでいい。雪や氷をかき分けて空間を作るんだ。そうしないとすぐに窒息してしまう』

 

 ──いない。この辺り一帯にたった一つの砂鉄の塊が感知できない。

 それは、つまり。

 

『そこまで準備して助けを待ったとして……数時間くらいか。半日は持たないな。凍死か窒息か──相方がそれに巻き込まれて、それを助けようと思うなら、とにかく急がなくちゃいけないってことだな』

 

 山の頂上から落ちて、あの谷底まで。

 それは到底、生きて帰れるものでは──

 

 

 

 ──だめだ。

 

 それだけは、だめだ。

 眼下の谷底へ向けて、少女は再びその身を投げ出した。

 

 

 

 

 

 谷底に着き、河を堰き止めている氷の土砂の上に立って。白い息を吐きながら。

 それらを一気に押し流さんと体積を増やし続けている水溜まりを傍目に、探し続けて。

 

 

「──ッ!」

 

 

 見つけ出した。

 それは極々弱くも、確かにそこにある。

 自らの操る能力の、元の気配。

 

 ほとんど残っていない砂鉄をかき集めて鋤を創り出し、氷と雪をかき分けて。

 ずっとずっと、進んでいった先に……

 

 

「アトラ!」

 

 

 見つけた。そこにいた。

 彼は、その剣を手放していなかった。

 

 

 声をかけるが返事がない。意識を失っている。

 血は流れ出す前に凍り付いてしまったのか、あまり出血しているようには見えない。しかし、一目見て分かることは、それだけではなかった。

 

 背中に担いでいた弓はそこにはなく。

 防具の越しに見える凍り付いた左足は白く青く変色していて。

 

 そして、その右腕は完全に潰れてしまっている。

 

 しかし、その外傷に気を取られてはいけない。

 半ば氷に埋もれていた彼を引っ張り出し、これからここを決壊させるだろう冷水河の岸から離れたところまで運び出す。

 砕けたリオレイアの胴防具を外して、胸元に耳元の感覚器官を近づけた。

 

 ──鼓動が感じられない。

 

 迷うことなく自らの唇で彼の唇を塞ぐ。そして彼のあごを少し持ち上げて、強く息を吹き込んだ。

 それを二度繰り返し、続いて両手を重ねて彼の胸元に置き、圧迫する。三十回。肋骨への負荷はこの際気にしなくてもいい。

 

 ここまで仕組んでいた彼ならば、崩壊に飲み込まれる寸前に今まで使っていなかった秘薬を飲んでいるはずだと少女は予想していた。

 あの薬は劇物であり、端的に言えば寿命を縮める。しかし、こうやって致命傷を負う前に服用していれば、そこからの蘇生の可能性を大きく引き上げるほどの効果を発する。

 

 だからこそ、落ち着いて。

 彼は戻ってくる。自らの内にいる龍の感性が、彼の胸元に耳を当てたときにそう告げていた。それを頼りに、彼女は黙々と、過去に彼から教えてもらった心肺蘇生を実行し続ける。

 

 

 

 だから、それまで死んだように血の気がなく、何の反応も返さなかった彼が小さく咳き込んだとき。

 

 少女はその身体の何処からか湧き上がってきた何かを、彼の胸に当てていた手に小さく力を込めて、自らの内へとしまい込んだ。

 

 まだ、彼が目を覚ます様子はない。今は息を吹き返しただけ。この後に適切な処置を行わなければ命の灯はまたすぐに消えてしまう。

 ここはとても環境が悪い。応急処置以上のことはできない。少女は彼の身体を背負い、冷水河の下流の方に向けて、息を切らせながら走り出す。

 ここを下って崖を登った先は山の麓にあたり、ベースキャンプを備えた洞窟がある。そこまでの体力は何とか持つ。

 そこで彼を治療に専念して、彼が目を覚ましたならば──

 

 

 

 

 

 

 

「──ぅ、ぁ。あ?」

 

 彼が呻き声を上げながら目を覚ましたのは、それから半日近くが経ってからのことだった。

 彼はしばらくの間ぼうっと宙を見つめていたが、ややあって意識がはっきりしてきたのか、目線だけで辺りを見渡す。

 

 頭上を覆う見慣れたテント。そこに吊り下がっているランプ。ぱちぱちと音を立てる焚火と、それを囲む石を積み重ねただけの簡単な暖炉。その上に置かれた鍋からは蒸気が噴き出している。

 組み立て式の机の上には数々の医療品が置かれていた。蜂蜜入りの回復薬、栄養剤、活力剤、消毒液、包帯など──ポーチに入りきらず、予備としてベースキャンプに置いてきたものだ。

 

 続いて彼は、少女の姿を探す。

 その過程で気付いた。身を起こすことができない。四肢の何れもがまともな反応を返さない。特にひどいのは右腕で、痺れるような痛み以外、何も感じない──

 

「無理に身体を起こしてはいけません。アトラ、あなたは重傷を負っています」

 

 そんな声が聞こえて、その方に目線を向ければ、今テントに入ってきたらしい少女の姿があった。

 

「洞窟の入り口を雪で塞いでいました。……アトラ、本機の声が聞こえますか。そして話すことはできますか」

 

「ぁ……ああ……」

 

 少女の問いかけに応えるために、彼は口の中で言葉を転がす。結局出てきたのは、うわ言のような声だけだった。

 しかし彼はどうしても聞きたいことがあった。明瞭にならない意識の下で、これだけは聞かねばばらないと呻いた。

 そして、それを少女が汲み取った。

 

「……風翔龍クシャルダオラは氷山の崩壊に巻き込まれ、冷水河へと落下しました。それ以降の気配はありません。対して、あなたは命を取り留めました。

 ──あなたの勝利です。アトラ」

 

 それはこの地では異常だった快晴が()()()、雪がちらつき始めた、夕暮れ時のころだった──

 

 

 

 

 

「ありがとう、な。テハ。いまさらに、なってしまったが」

 

 目を覚ましてしばらくすると、意識がある程度はっきりとしてきたのか、片言ながら彼は話せるようになった。

 その最初の言葉がこれだ。しかし、少女は自らにお礼を言う理由を考えて、応える。

 

「はい。ですが、本機は当然のことを行ったまでです」

 

 そう言ってから彼女は気が付いた。自分に限っては、当然のことではなかったかもしれない。

 人ではない竜を討つ兵器としての答えを告げたのに、それに矛盾を感じる。

 

「とうぜんのこと、か。そりゃ、そんなもん、かね。ゴホッ……ああ、痛……」

 

 彼はそう言って少し笑って、言葉を切った。

 彼はこういうところがある。少女にはよく分からないことを呟いては、それを自らの内にしまい込んで言葉にせずに完結させることが。時折それを問うてみるが、的を射た答えを得たことはなかった。

 

「いまの僕のけが、どんなかんじだ? 動けないから、わからなくてな」

 

「……右足の踵より先と、左足全体に凍傷。左足は壊死寸前だったため、しばらく回復が見込めません。身体を起こすことができないのは、首付近の背骨が損傷したからであると考えられます」

 

 彼に問われて、彼女は淡々と彼の怪我の状況を告げた。細かな傷を挙げていけはきりがないため、概要だけを話していく。

 

「左手は人差し指と中指を骨折。右腕は……肩から先が複雑骨折しており、現状での回復が見込めません」

 

 少女とは比較にならないほどの重傷だった。

 彼女がこの一年に学んだ知識では、彼はこの先、狩人という職業を続けていくことはほとんど不可能だ。回復しても、後遺症という名の重い枷が彼には課せられる。

 それを教えたのは彼なのだから、当然彼もそのことは分かっているはず。しかし、彼はそれを聞いて、また笑顔を浮かべる。

 

「それだけですんだか。あいつを倒した、代わりにしては、かるいかるい……。いのちがあっただけでも、もうけばなし、だってのにな。……弓は、なくなっちまったか」

 

「はい。アトラを発見した際に見つけることはできませんでした。」

 

「せなか、まもるのに、使っちまったからな。せめて、こわれても、のこっていればよかったんだが……」

 

 自分のことは早々に片付けて、自らの持っていた弓について心配する。彼自身、それを使って戦うことはもうできないだろうことは分かっているのに。

 彼について分からないことは、とても多い。

 

「……鍋で粥を作りました。喉の怪我に差し支えなければ、回復のために食べることを推奨しますが、如何ですか」

 

「ああ、ありがたい……血をながしすぎてて、ぜんぜんたりなくて、な。すまない。たべさせて、くれるか」

 

「はい」

 

 火にくべていた鍋を取り、粥を匙ですくって、息を吹きかけて冷まし、彼の口に持っていく。顔にも酷い切り傷を負っているが、咀嚼はできるようだった。

 予断を許さない彼の怪我の状態。しかし、そこには穏やかさがあった。それを少女は懐かしいと感じた。数か月前に知った感情だ。何故そういう感情が出てくるかは、やはり分からなかった。

 

 彼を助け出したときに沸き上がった知らない感情は、ずっと体の内で燻っている。もしかすると龍の感性のひとつなのだろうかとも思ったが、それとはどうやら違うようだっだ。

 それらを全てひっくるめて、表に出ないようにして。粥を飲み込むことに苦戦している彼を見て。

 

 彼について分からないことと、自らの内で()()()()()()()()()のひとつ。

 肺にも重い傷を負っている今の彼に、話すことを求めてはいけないのかもしれない。

 しかし、今、彼が少女の言葉を聞くことができて、そして話すことができるなら。

 

 それを避けることは、もうできないから。

 

「アトラ。本機は気付いたことがあります」

 

「うん」

 

 穏やかな時間は過ぎて、長い沈黙を挟み、そう告げた。

 彼は目を閉じていて、しかし眠るつもりはないようで、しっかりとそれに応える。

 

「本機があなたと共に旅をする理由は、本機が自己破壊処理を実行できなくなっている原因を特定するためでした」

 

「ああ。そうだな」

 

「また、あなたは、本機のこの世界における在り方を探るという理由を付け加えました」

 

「それも、そうだな」

 

「……ここに来る前の砂原で、あなたの付け加えた課題に対する答えはほぼ出ていました」

 

「ああ。ちゃんと、覚えてるぜ」

 

 確認と回答が、淡々と繰り返される。

 焚き火の明かりがテントの布に映し出され、ゆらゆらと揺れる。

 

「本機が新たに出した答えは、本機が自らに課した方、自己破壊処理が実行できなくなった理由です」

 

 『自らはこの世界に在ってはならないのではないか』という答えに近い問いが出ているのに、自己破壊処理を実行することはできなかった。その理由を探し続けて、ここまで来た。

 

 その答えを、今なら言葉にして明白に言うことができる。

 

「…………できれば、聞かせてほしい。お前の答えを、僕は知りたい」

 

 すうっと息を吸い込んで、彼はそう告げた。

 

「あなたがそれを求めるならば。──いえ、もし望まなかったとしても、本機はあなたに、この答えを言わなければいけません」

 

 彼と共に、数々の土地を旅した。答えへの手がかりを見つけるために、各地の資料を探し回った。

 少女が死ぬことができない理由は何なのか。何気ない日常の会話にも、何度もそれを織り交ぜた。彼もまた、その答えを追い求めている。

 

 

 

 その二人の旅を、終わらせるために。

 

 少女は静かに言葉を紡ぎ出す。

 

 

 

「あなたの言葉を借ります。

 本機が死ぬことができなかった、その理由は────」

 

 

 

 

 

 

 

「────あなたが、そう願っていたからですね。アトラ」

 

 

 

 

 

 だからこそ、少女は彼に()()()()()()()()()()()()

 

 それは、彼こそが。少女が死ぬことができない理由だったから。

 

 そして、彼がこの後に言うであろう言葉は、なぜか予想ができていて。

 

 

 

 

 

 「『ああ。やっぱりな』」

 

 

 

 

 

 一言一句違うことなく、彼はそう言って。

 苦笑いを浮かべて、言葉を重ねる。

 

「詳しい理由、教えてもらっていいか? なんとなく、そんな気はしてたんだが、その理由が、分からなくてな」

 

「……はい」

 

 驚きもせずに、そう告げる彼に底知れなさを覚える。

 彼の要求を拒む理由もなく、少女は静かに話し始めた。

 

 

 

 彼女は二世代目の竜機兵。人に造られた対龍兵器。

 

 その開発目標は、

 人の命令に従って動く兵器

 自然の理を支配して自らの力とする龍

 自らの意思に基づき自律して行動する人

 それら全ての在り方を、内包した存在であること。

 

 だからこそ、この兵器は人からの命令に加えて、その意志にも従う。

 人の意志を読む役割を担うのは、龍の感性だ。戦場に赴けば、彼女と直結された竜機兵は命令を受けるまでもなく、周囲にいる人々の意志を汲み取り、状況を判断して動くことができる。人対人の戦争の常識が一切通用しない竜や龍との戦いにおいては、この自律性が求められていた。

 

 そして、そこに兵器としての在り方も付与される。

 兵器は人の命令に逆らわない。逆らってはいけない。人の意志に沿わない動作をするモノは、兵器とは呼べない。人にとって初めての、明確な自意識を持つ竜機兵へ、その概念は徹底的に仕込まれた。彼女は本質的に、自らの意志よりも人の意志を優先するように定義されている。

 

 この三つの特性は、開発されてから千年が経った今も、彼女の内に脈々と受け継がれていた。

 

 そして、それらの特性が全て発揮されて、絡み合って。今の彼女はできあがった。

 

 

 

 戦争は終わり、自らを不必要だと判断した自意識。

 彼女と最も身近にいた彼の、彼すらも気づいていなかった心理を読み取った龍の感性。

 そして、自らの判断よりも彼の願いを優先して、自己破壊のシステムを封印した兵器の在り方。

 

 それが、彼女の本質。

 何故自らは生きているのか、という問いに対する答えだった。

 

 

 

「今述べたことを本機が思い出したのは、かの龍と戦い、そしてアトラがかの龍を墜とし、共に崩壊に飲み込まれる過程を見たからです。

 アトラ。あなたが本機に何も伝えずにあの作戦を実行したのは、本機を崩壊に巻き込ませずに、救助に専念してもらうためだったと言うでしょう。

 しかし、それは建前に過ぎない──本機に本機が死ぬことを望まなかったから、が本質であると推測します」

 

 何故なら、あのときの彼は、笑っていたからだ。今まさに自らの命の危険が差し迫っているという状況において笑顔を浮かべていたのも、それなら説明ができる。

 

「……ほとんどお見通し、じゃないか。困った、な」

 

 少女が告げた言葉を、彼は否定しなかった。

 

「なんとなく、そんな気はしてたんだ。気付いたのは、いつだったか──。

 お前の選択に、介入するのは、出会ったあの日が最後って、そう、決めたつもりだったんだ。でも、ぜんぜん、だめだった、みたいだな」

 

 彼が話す度に、その喉元からひゅうひゅうという音が混じる。気管が傷つき、喘息という病気に近い症状が現れているのだ。まともに息をすることさえ、今の彼には難しい。

 そんな状態だ。言葉を発する度に喉と肺に激痛が走っているはず。しかし彼は、話すことを止めない。

 

「お前が、死ねなかった理由、話して、その原因が僕だったなら……僕も、けじめつけないと、いけないよなあ……」

 

 薪が燃える音、鍋に入った水が湯気を立てながら沸騰する音。心臓の鼓動の音。

 少女の命は、彼によって繋がれている。

 

「僕の答えも、この戦いでみつけたんだ。聞いて、くれるか」

 

「はい。それは、本機の答えにも繋がるので」

 

「はは、違いない──」

 

 そう言って彼は笑い、少しの間を置いて、はっきりとした声色で告げた。

 

 

 

「僕は、お前の選択の、その先が見たい」

 

 

 

 少女は一瞬で理解した。

 彼は嘘をついておらず、その答えは確かに、彼女が導いた答えに届く。

 

「解釈が、違ったんだ。お前の選択を、見届けることが、僕の願いだと思ってた。

 でも、違った。全然違った。見届けるんじゃない。その先が、見たいんだ。……お前が、死ねないのは、僕が未来(さき)を願っていたから、なんだろうな」

 

 それが、この旅を経てついに彼が得た、少女に対しての答えだった。

 少女に選択を委ねているようで、実際は彼女から自壊という手段を奪っている。未来を願うということは、そういうことだ。

 

 

 

 この一年間、世界の各地を巡って探し続けていたものは、結局のところ二人の内側で完結していた。

 

 そして、その答えは。

 到底、彼女に受け入れられるものではなかった。

 

 

 

「アトラ、その願いは。本機に未来を願うのは間違っています。本機はやはり自壊するべきであると、そう提唱します」

 

「……やっぱり、相容れないよな。これを、はっきりさせないと、僕も気が済まない。

 話し合おう、テハ。初めて、意見が、対立したんだ。僕は、お前の主張が聞きたい。……コホッコホッ……それまで、しっかり起きとくから」

 

 痛みを耐えるように顔を歪め、時折咳き込みながら、このときだけは目を開けて、彼は少女の方を見た。

 そこには、確りとした意志が宿っている。聞き逃さず、全てを吟味すると、その瞳が告げている。

 

 その瞳を見て、少女はまた、静かに語り始める。

 

「……クシャルダオラと戦ったことで、本機はもう一つ思い出したことがあります」

 

 それは、今から遥か、千年以上前の話。

 第二世代イコール・ドラゴン・ウェポン零一号《テハヌルフ》がその調整を終えて、初めて戦地へと赴いたときの話だ。

 

 

 

 試運転という名目の、戦場から離れて活動していた竜の討伐作戦は全て成功した。

 今こそ第一世代機では成し遂げることができなかった偉業を達成させようと、本機(わたし)を開発した人々は勢いづいていた。

 

 極龍の能力を用いた高い戦闘能力と、人間の言葉を駆使できるというこれまでにない二つの特性を活かし、桁外れに高い開発費に見合う戦果を叩き出し、さらに人と龍との戦争を人の勝利へと導く。

 そのようなシナリオを描かれ、本機(わたし)は戦争の最前線へ投入された。

 

 その結果、何が起こったか。

 竜大戦そのものの事実が秘匿されているという千年後の現状から、想像するのはそう難しくない。

 

 

 

 本機(わたし)の存在は、竜、そして龍の逆鱗に触れた。

 自然の理を受け取って自らの力とする、龍だけしか持ちえないはずの世界の恩恵。

 その恩恵を得た命を、人という種族が創り出してしまった。それも、幾多の同胞の亡骸を継ぎ接ぎにして。

 

 人は禁忌に手をかけた。龍はそれを大いに恐れ、怒った。

 そして龍は、()()()()()()()()()()

 

 種族の違いも、自らの命も、もう構わない。

 今この戦場にいる我らの全てをかけて、恐るべきこの兵器と、それを扱う人々を倒す。

 本機(わたし)の龍の感性が受け取ったのは、まるでひとつの意志と見紛うような、群体としての意志だった。

 

 

 地獄のような戦いが始まった。

 

 自らの命、同胞の犠牲を全く惜しまず、ただひたすらに、殺されるまで人を殺す機構と化した龍。そして、それに感化されて凶暴化し、喰らい合う竜。

 本来は肉食でないはずの草食竜ですら、その戦場に現れ、次々と人を喰らった。

 

 これに対し、人々は撤退を選択せず、徹底的な抗戦を始める。

 今と違い、千年前の人の文明は遥かに進んでいて、それができてしまったから。

 しかし、どんなに当時の文明が発達していたとしても、その戦場全ての竜と龍が徒党を組むという状況では分が悪かった。幾多もの竜、そして龍の屍を積み重ねながらも、少しずつ、その勢いに圧されていく。

 

 

 

 そして、結末。

 

 本機(わたし)は初めての戦地投入から回収が不可能となり、その間延々と竜と龍を屠り続けた末に、人のいなくなった戦場に取り残された。

 そして、龍の感性が人でなく龍の側に支配され、暴走。最終的にその地一帯を更地にして、機能を停止した。

 

 本機(わたし)の記録に残っているのは、その後の人が、本機(わたし)へのこれ以上の干渉を恐れ、後世に託すという名目でその残骸をどことも知れぬ山奥に廃棄したこと。

 

 

 

「──暴走した本機と最後まで渡り合ったのは、風を司る龍、クシャルダオラでした。

 間違いなく、先ほどまで戦っていた風翔龍です。かの龍は、本機に対して明確な殺意を持っていました。千年前のあの出来事を覚えていた可能性が極めて高いです」

 

 彼が少女の身代わりとなってかの龍のブレスを受けたときの、かの龍の咆哮が記憶の中で蘇る。

 

 お前だけは全力で、絶対に殺してみせる。

 お前はこの世界にいてはいけない存在だ。

 お前の存在を許すわけにはいかない。

 

 あの戦いのときと、同じだ。

 

「本機が再び活動しているという現状は、人間にとって危険です。

 今の人々は竜と共に生きていることを、あなたとの旅で学びました。本機はその均衡を崩す異分子になってしまいます。そうでなくては、風翔龍が本機を討伐しに来る理由がありません。

 

 本機が自己破壊処理を実行することで、これは解決します。

 今後、このようなことは起こらず、人にとっての不安要素を排することができます」

 

 口を閉ざす。言うべきことは言った。後は彼の返答を待つ。

 彼は、やや眉間にしわを寄せ、何かを考えているようだった。こういうときには、言葉を選んでいる最中だから、できれば待ってくれるとありがたい、と彼は過去に言っていた。

 僕は器用じゃないから、伝えたいことを言葉にして伝えるのに時間がかかるんだ、と。

 

「思ったことを、先に言うから、あまり気にしないで、ほしいんだが」

 

 ややあって、彼は口を開いた。掠れた声が焚火の音と混じる。

 

「死にたい、と死ぬべき、は違うんだなって実感してな。どちらも、重みはあるが、お前ってやっぱり、死にたがっては、いないから」

 

 その通りだった。

 少女は生き死にに対する感情が最も分からない。人が生きたいと願うのは少しだけだが理解できる。彼との旅を経て、それを学んだ。けれども、それは彼女には当てはまらない。

 存在を願われているか、否か。存在が人に利するか、否か。今の彼女はその論理で動いている。

 しかし、それはこれから彼が言うことに、何か関係するのだろうか。

 

「──先に、謝らせてほしい。

 僕の考えが、甘かった。テハの過去についても、今まで答えを出さなかった、僕についても」

 

 そして、彼は一度言葉を切って。

 

「それでも、僕の答えは、変わらない。

 今、自己破壊っての、できないだろ。たぶんその方が、お前には伝わる」

 

 少女は彼に言われるがまま、自らの胸に手を当てた。

 そして目を閉じて、小さく「自己破壊処理、実行」と呟く。

 

「…………。

 ……説明を要求します。何故ですか、アトラ。あなたが求めていた本機の答えとその過去は、全て明かされたはずです」

 

 そう告げた彼女の声は、それまでに聞いたものとは少しだけ違っていた。

 それを聞いた彼は、自らを律するように、ふうっと息を吐いた。そして今できる限りのはっきりした声音で話し始める。

 

「……だいぶ、抽象的な話になるから、ちゃんとテハに伝わるか、分からないんだけどな──」

 

 

 

 この世界、お前が考えてるよりもずっと無慈悲というか、寛容だと、僕は思う。お前との旅を通して、そう思った。

 

 理屈の話からしようか。そのクシャルダオラは、千年前にお前と戦って、テハのことを覚えていた。だからこそ遠く離れたフォンロンからこんな僻地にまでやってきた。

 でもな、それこそ例外的な話だ。とんでもなく寿命が長い古龍にだって代替わりはある。今生きているのは、ほとんどが竜大戦の直後かそれより後に生まれてきた個体だろう。

 断言できる。そいつらはお前のことを特に気にしてない。いくら龍の数が少ないとはいえ、これだけ旅をしてきたんだ。一回か二回は龍の棲み処にも近づいてるはずだ。それくらいはいないと、古龍観測隊は活動ができないさ。

 でも、結局何も起こらなかった。見逃されたんじゃない、無視されたんだ。だから、お前の感覚器官にも引っかからなかった。

 

 さらに言えばな。竜ならそれこそかなりの数を倒したが、そのほとんど全部がいつも通りの狩りだったぞ。テハの理屈に従えば、本能的にお前に執着したり極度に恐れたりするやつがいてもおかしくない。

 もちろん例外はあるさ。あのジャギィとフロギィの群れを殲滅した一件だな。

 今だから言えるが、あれは少しまずいかもしれないと思った。でも、結局あれはお前が今の僕たちと竜との関係を学ぶことに繋がって、それ以上のことは起こらなかった。

 

 無慈悲な世界は、あのジャギィとフロギィの一件を弱肉強食の摂理に落とし込んだ。そして、竜大戦を生きた人々の思惑通りに、あのときのほとんど全てを忘れている。

 

 だから、お前が自分の命を自分で閉ざす必要は、()()()()

 過去にその必要があったのは、もう認めざるを得ない事実かもしれない。ただ、少なくとも、今のお前は生きる選択を取れる。

 

 

 

「──で、ここからは、感覚的な話になるんだけどな。こっちの方が伝わりにくいが、話しておきたい。

 

 村の依頼を終わらせて、お前が報告に行ったときな、村人たちが、笑って、ありがとうっていうんだ。僕と、お前に。買い物を、お前に任せても、店の主人と、お前が、ちゃんと会話してるんだ。

 狩場に行くとな、それまでは、必要のない殺しをしてたお前が、考えて狩りをしてるんだ。倒した竜の、どの素材を剥ぎ取れば、役立てられるかって、聞いてくるんだ。

 

 理屈抜きで、それだけで、少なくとも存在が許されないなんてことは、ないと思うんだ。人権の話じゃない。この世界で平等であることを、お前は許されてるんだって、そう、思ったんだ。

 

 だから、死ななくてはならないことなんて、ないんだ。テハ」

 

 

 

 強く咳き込む音。血の赤が混じる。酸欠なのか顔色も悪い。滔々と話し続けた、彼の身体が悲鳴を上げている。

 水で薄めた回復薬を少しずつ飲ませて、瓶に入れた水に酸素玉を溶かして管でマスクとつないで簡易的な人工呼吸器とし、彼の口へと当てる。

 

 彼が無理をしていると分かっていても、少女は止まらなかった。

 携帯人工呼吸マスクを彼の口へと当てながら、彼へと訴えかける。

 

「違う。違うのです。アトラ。あなたの理屈は、正しいのかもしれません。反論は可能ですが、その全てを否定することは……本機には不可能です。

 それでも、本機の判断は覆りません。これを譲ることは、まだ、できません。

 

 どうすればいいのですか。アトラ。あなたに本機の自壊を認めさせる手段はないのですか。

 そうでなくては。そうでなくては、本機は……」

 

 その続かなかった言葉には、これまでにない、はっきりとした感情が現れていた。

 少女の顔が、苦しみを湛えて、歪んでいる。焼け付く肺の痛みと高熱に浮かされて霞む視界の中で、彼はそれを捉えた。

 

「……そうまで言う、理由が、あるんだよな。……ゴホ、ゴホッ……それを、言いたくない、ってのも。

 ……酷なことだと、思うんだが、話して、くれないか。テハ。僕も、この考えを譲ることは、まだ、できないから。

 今、知らないと……後悔しそうな気が、するんだ。だから……頼む」

 

 

 

 ──言え。

 ──いや、言うな。

 

 同時に二つの主張が、少女の内で正面から衝突した。

 

 拒否権はない。彼の意見は妥当だ。彼に情報を明け渡し、その答えを聞け。それが自らの義務だ。責任だ。

 何故今更になって。()()()()()()()()()、ずっと言わないでいたことを。これを言う必要はない。拒否しろ。

 

 今、それらの主張を鑑みれば、どちらも非論理的な内容が混じっている。

 義務とはなんだ。なぜ責任という言葉が出てきた。それは兵器としての原則から逸脱したものであり、どうしてその言葉が出てきたのか、自分自身でも分からない。

 逆に、()()()()()()()()()()()()()()()。なぜそこまでして拒否するのか。しかし、その拒絶反応は確かに自らの内に存在し、根拠が見つからない。

 

 全く論理的ではない。何かがおかしい。その何かが分からない。

 一度冷静になるべきだという客観的な主張すら撥ね退けて、少女はたった数秒間の沈黙のうちに何度も何度も主張をぶつかり合わせる。

 

 困惑と、葛藤。

 どちらも、少女が今、初めて経験している感情だった。

 

 

 

 そして、その初めての葛藤の末に──

 

 

 

「…………本機、は……」

 

 声が震える。彼の口に当てているマスクを持つ手が震える。

 これも、少女が初めて知ることになる感情──怖い、と。

 

 これを言えば、本機(わたし)は彼に、()()()()()()()()()()──。

 

「本機は……あなたを。これまでに何度も…………殺そうと、していました」

 

 それでも、少女は言うことを選んだ。

 

 眠っている彼の喉元へナイフを押し当て、崖の端に立つ彼の後ろに立ち。狩猟中の竜の標的が彼へと移ったのを見て。

 何をしようとしていたのか。

 

「……本機が自壊できない理由を、龍の感性は知っていました。だから逆説的に、あなたさえ殺せば、本機はその選択ができる。

 さらに、龍の感性そのものは、本能的にあなたを含めた人々を討伐対象と見ていて、それは今も──」

 

 この首を絞めてしまえ。今の彼なら、そう抵抗もできない。

 

 そう囁く自らの内にいる龍を、もう何度目かも分からないままに、殺して、少女は痛切に訴える。

 

「本機を身近に置けば、他ならないあなたが危ない! いつこの衝動が抑えられなくなるか予想ができない! そうなったら本機は、あなたを……!

 

 ……ですから、アトラ。そうなる前に……本機の自壊を命じてください」

 

 顔を伏せて、告げる。

 どうして言ってしまったのか。しかし、彼に本機(わたし)の主張を押し通すには、こうするしかなかった。

 

 その結果、彼に嫌われて終わってしまったとしても。

 それがこの嘘を重ね続けた自分への報いなのだから。

 

 

 

「──なんかさ」

 

 びく、と少女の身体がはねた。尖らせていた神経が、彼の言葉を聞いて過剰に反応する。

 それだけ、怖がっている。

 

 しかし、彼はいつもよりもややおどけた口調で、続けた。

 

「その言い方だと、僕、一日に一回くらいは、殺されかけてたんじゃないか?

 おかしいな……体感、一週間に一回くらいの感覚、だったんだが……その程度で、よく狩人、続けられたもんだよな」

 

 

 

 ──何を、言っているのか。

 

 

 

「それだけ殺されかけて、まだ生きてるんだから、これはもう、勝ったって言って、いいんじゃないのか……? ……いや、全部に気付いて対応できるくらい、じゃないとな。まだ、全然だ」

 

「気付いて──?」

 

「まあ、そりゃな。勘ってやつだから、どうしてかはなかなか、答えづらいんだが……。

 あ。でも、きっかけはな。出会ったあの日だ。

 お前って、砂鉄の剣、必要なとき以外は、創らないだろ?

 じゃあどうしてあのとき、僕についていこうとしたとき、手に黒いナイフ持ってたんですかねって」

 

 息が詰まる。驚愕する。

 確かにその通りだ。とても稚拙なミスだ。

 

 しかしそれでは……出会ったその日には既に、彼は気付いていたのか。彼に向けられた殺意に。

 ただそれを、言わなかっただけで。

 

「どうして──」

 

「単純に、怖がってたのも、あるな。言ったらそれこそ、どうなるか、分からなかった。

 でもな。何度かそれを経験してたら、思ったんだ。──何で、殺()()()()んだろうなって」

 

 自分を殺そうとする理由も分からなかったが、それよりも彼は、ならばどうして自分は今生きているのかということに注目した。

 自分の寝首を掻く機会は何度だってあっただろうに、と。

 

「そしたら、気付いた。僕を殺そうとするたびに、それをぎりぎりで、押し留めている意志が、あるんじゃないかと。

 そしてそれも、他ならないお前だ」

 

 確かにそれは、その通りで。

 予感とはいえ、彼は少女のその二面性すらも見抜いていたということで。

 

「そんな風に考えたら、見方が変わった。──ゲームみたいな、ものさ。

 旅の途中で、僕がテハに殺されたら、僕の負け。

 旅を続けられていたら、それだけテハが、僕の命を繋いでいてくれているってことで、信頼が上がる。

 ほら、単純だろ? だからこそ──命を賭ける、価値がある」

 

 そう、言い切った。

 

 

 

「……あなたの論理は破綻しています。アトラ

 あなたが言ったそのゲームに、対価として賭けているものが、あなたの命など」

 

 しかし。確かに。

 そうでもしなければ、そのような考えの持ち主でなければ。

 あの規格外の龍相手に、あのような逆転劇を演じられるはずがない。

 

「ああ。だろうな。自分でも、可笑しいって思う。

 でも、最後に、言い訳させてくれ。

 

 僕はお前と、「これから」の話をするのが、楽しかったんだ。

 これからどこへ向かおうか、この村には何日間過ごそうか、どの依頼を請けようか、明日は何を食べようか……とかな、なんてことない、雑談だ。

 結局、お前の言い分は「僕の好きにすればいい」で落ち着くんだけどな。それまでの、これは知ってる、これは知らないだとか、あそこは天気がああだこうだとか、そんなやりとりが、本当に、楽しかったんだよ。

 未だに、信じてなさそうだけどな、これだけ僕が話せるの、お前くらいなんだぞ? それこそ、出会ったときからだ。そうでもなきゃ、ユクモ村でパーティも組まずに、一人で狩人なんて、やってないさ。

 

 だからさ、テハ。旅を続けよう。

 僕は、お前の選択の、その先が見たい。何気ない日々で、選択を重ねるお前を見ていきたい。

 

 ──僕は、お前と共に生きたい」

 

 

 

 いつの間にか、それなりの時間が経ってしまっていたようで。

 瓶に入れられていた酸素玉は既になくなっていて、焚き火の火も弱まっている。

 長い沈黙の後に口を開いたのは、少女の方だった。

 

「アトラの主張は、確かに受け取りました。……本機は状況整理が必要です。すぐに返答することはできません」

 

「それでいいさ。明日でも、一年後でも。待つのは──ッ!」

 

 咳き込み、喀血する。咄嗟に少女は彼の左手を取った。

 

「これ以上話して消耗するのはよくありません。目を閉じて、回復に努めてください」

 

「そうした方が、よさげだな。……流石に無理、しすぎたか」

 

「はい。それで命を落としてしまっては、あなたは自分から仕掛けたゲームに、自分のミスで敗北という結果になってしまいます」

 

「はは、そりゃ、なんとしても、避けなきゃ、な……

 なあテハ。手、握っててくれないか」

 

 少し咳き込むだけで全身から襲い掛かる激痛、呼吸のひとつに灼ける肺。

 その痛みに耐えられるように。

 

「はい。再びあなたが目覚めるまでは、必ず」

 

「……ん。ありがとう、な。

 …………テハ……」

 

「はい」

 

 目を閉じた彼は、静かに少女の名前を呼んだ。

 

「……僕は、お前の……何にも染まらない、空白に……惹かれた」

 

 脈略のない抽象的な話だ。眠りに落ちる前の浅い夢のようなものか。

 しかし少女は、彼に問う。

 

「……それは、何もないからではないのですか」

 

「そうだな……。それは、そうかもしれないが……血を浴びても、曇らなかった、その目が──きっとそれは、お前しか、持っていなくて」

 

「…………」

 

「だから僕は……お前に会えて……本当に、よかった……って……」

 

 最後に呟くようにそう言って、彼は寝息を立て始めた。

 少女はしばらくの間、できる限り優しくその手を握って、眠っている彼の顔をじっと見続けて。

 

 

 

「…………ごめんなさい。アトラ。……本機は嘘を、つきました」

 

 その手を、そっと放した。

 

 

 

 

 

 彼を背負ってベースキャンプに辿り着いたときにはちらつく程度にしか降っていなかった雪は、今や数十メートル先も見えないほどの吹雪と化していた。

 洞窟の外に出た少女は、積もった雪を踏みしめながら、冷水河に沿って一人、歩いていく。

 

 彼が描いたマップから外れた、さらに南の方の雪原まで歩いて、そこで立ち止まる。そして、呟いた。

 

「良かった。間に合いました」

 

 それとほとんど同時に、空に轟くように。金属質で甲高く、しかしどこまでも猛々しい咆哮が響き渡った。

 少女の目の前に、巨大な影が現れる。吹雪に隠されていたその姿は、だんだんと近づいて、分かりきっていたその正体を明かす。

 

 顔に刻まれるようにして生えた角は、削り取られ、砕けてしまっている。

 全身を覆う甲殻はいたるところが剥がれ、または凍り付いて、霜に浸された血の赤がうっすらと見える。

 翼は片方が半ばから折れて、翼膜はぼろぼろに穴が開いている。

 

 しかし、それでも。

 その殺意と気迫だけは、まったく衰えていない。

 

 正真正銘の化け物。一度死してなお蘇ったのかと錯覚するほどの生命力。

 この猛吹雪は、この龍が角を折られて、その力を制御できなくなったからなのだろう。

 

 千年を超え、万年に至ろうかという悠久の時を生きた龍は今、少女の姿を捉えた。

 全ては、この目の前にいる恐るべき兵器と、それを操る人を殺すために。

 

 

 

 勝てない。

 導かれた結論は、とても単純なものだった。

 竜機兵の制御部である本機(わたし)に搭載された全ての戦闘兵装を用いても、少なくないダメージを受けているはずのこの龍を、討伐することはできない。

 単純だからこそ、絶対的な結論。かの龍との戦力差は、それほどまでに大きい。

 

 

 

 だが、それが何だというのか。

 少女──テハヌルフは、龍の瞳を真っすぐに見据えて、言った。

 

「本機の正式名は第二世代イコール・ドラゴン・ウェポン零一号、テハヌルフ」

 

 少女の使命(願い)は、今ここに決まった。

 それは、他の誰でもない。少女が自身で手にしたもの。

 

「アトラの願いを受けて、その想いを繋ぐために、あなたを倒す兵器です」

 

 兵器に生まれて、未来を願われた。

 

 『  』(なにもない)と言った本機(わたし)に、何にも染まらない『  (くうはく)』があると伝えてくれた。

 

「千年間、お待たせしました。制御機のみの本機ですが、ご了承ください。

 ……それでは」

 

 この使命(願い)意志(想い)

 

 ──出会ってから、数えきれないほどに、彼から受け取った大切なもの。

 その全てを。

 

「戦闘を開始します──!」

 

 

 

 この戦いに、賭ける──!!

 


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