Fate/white seed   作:華鈴糖

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落とされた種。








prologue/白の落胤

 咽せるような鉄の匂いが充満している。空気は生温く、べたべたと肌に触れ不快にさせられる。この独特の空間を衛宮士郎は味わったことがなかった。

 白い壁、白い天井。部屋の中央を陣取る聖台を前にして士郎はなんとなくこの部屋に『分娩室』という名前を当てた。それが適当に思えたのは、目前の聖台の上に大量の血液とともに生まれたばかりの赤子が寝息をたてていたからである。

 

 赤子は不思議な容姿をしていた。まだしわくちゃの顔や手足は、見る者を不安にさせるほど病的に白く、また、うすらと生える髪の毛も血に汚れてはいるものの同じく白いことが分かった。

 世間でようやく定着しつつあるアルビノであるが、未だその存在は奇異の目で見られている。しかし士郎は赤子の姿に驚きはせず、冷静にこれがアルビノと呼ばれるそれでないことを悟った。そして静かに絶望をしたのである。

 

 ふと佇む士郎の背中に声をぶつける者がいた。

 

 

 

 「どうするの?」

 

 

 

 聞き覚えがあり、士郎は思わず振り向いた。

 しかしそこには何も無い。空白ばかりが士郎を見つめ返す。困惑し眉を潜める彼の耳に、再び同じ声が現れた。それは小鳥の囀りのような微かで可愛らしい音色を奏でながら、士郎の背後や隣、はたまた真下を跳ねる。

 

 

 

 「幻聴、か」

 

 「シロウがそう思うならそうなのかも」

 

 「イリヤは死んだんだ」

 

 「イリヤは死なないよ、だってもともと聖杯に生かされていたんだから。イリヤはただ戻されただけなんだから、シロウは知っているよね?セイバーとお別れしたのと同じだよ」

 

 「…………」

 

 

 

 姿なき声は楽しそうに笑い声をあげた。

 

 

 

 「シロウの幻聴なら、口で勝てるわけないんだよ?だってイリヤが口喧嘩が強いのシロウが一番分かってる」

 

 「そうだったな」

 

 

 

 士郎は静かに頷いた。少女との僅かな時間を思い出す。無垢すぎるが故に波乱ばかり起こしていた彼女の笑顔が、いますぐにでも思い浮かぶ。手を伸ばせばそこに彼女がいるようなほどに喪失感はなかった。それほどまでに急に失ったのである。

 だが寂しいことに士郎の鍛えられた直感は、少女との未来を想像出来ずにいた。再会をイメージできなかった。それを察したように幻の声は士郎の背中に寄り添う。

 

 

 

 「その子はイリヤだよ」

 

 

 

 少女と同じ色をした赤子。

 人目見たときから、士郎はそれが分かっていた。

 

 

 

 「無理矢理取り出された、イリヤの一部」

 

 「小聖杯なのか?」

 

 「まだちがう、でも可能性はある」

 

 「アインツベルン……!」

 

 

 

 怒りを込め、聖台に拳を叩きつけた。

 台が揺れ、僅かに赤子が反応をする。

 

 

 

 「殺しちゃう?」

 

 

 

 幻の声がやけに冷静に聞いた。

 士郎はびくりと強張る。生前の少女は、善悪の基準のつかない残酷な一面を持っていた。士郎とてその一面に殺されかけたことが何度もある。だがこれば幻聴だ。言うなれば彼女の言葉は士郎の深層心理の言葉である。

 それを振り払うように首を振った。だめだ、という言葉は喉につかえて出てこなかった。

 

 

 

 「どうして?」

 

 「そんなこと出来ない」

 

 「この子はアインツベルンの操作を受けているんだよ?それに、聖杯の汚染はまだ完全に消えたわけじゃない」

 

 「それでもだめだ!」

 

 「それが世界のためだとしても?」

 

 「イリヤを殺すなんて出来ない……」

 

 

 

 しばらく、互いに間があく。

 

 

 

 「シロウのばか」

 

 

 

 それはよく少女に言われていた台詞だった。

 姿がなくとも、幻聴であろうとも、もう一度同じ台詞が聴くことができ士郎は少し微笑んだ。

 聖台の赤子はむにゃむにゃと眠る。

 

 

 

 「その子はシロウにとって毒だよ」

 

 「……大歓迎さ」

 

 「それにその子は永く生きることは出来ない」

 

 「大丈夫、死なせない」

 

 「…………そう」

 

 

 

 士郎は静かに赤子を抱き上げた。起こさないようにそっと。何も知らない赤子は気持ちよさげに士郎の腕に収まった。意外に温かなその身体は生命と力に溢れている。鈍感な士郎でさえ、赤子があらゆる善悪の元凶たる可能性を秘めていることに気付くほどに。そしてだからこそ、他人の思惑で生まれ落とされたこの赤子を、見捨ててはいけないと思った。

 士郎は幻の声に対して深い罪悪感を抱く。

 

 

 

 「ごめんな、イリヤ」

 

 「イリヤは大丈夫」

 

 

 

 優しい声。

 泣き出しそうだ。

 

 

 

 「だって士郎はイリヤを忘れない」

 

 「ああ」

 

 「イリヤも士郎のこと忘れないよ」

 

 「ああ」

 

 「今まで守ってくれてありがとう。そばにいてくれてありがとう。今度はその子のこと守ってあげてね、いじめたらだめだよ」

 

 「…………いりや」

 

 「シロウのことまだ心配だけど大丈夫」

 

 「イリヤ!」

 

 「その子がいれば大丈夫……」

 

 

 

 何故だろう。

 もう少女とは会えない気がした。もうその声を聴くことが出来ない気がした。彼女の存在が消えていく気がした……。

 

 

 

 「オレの方こそ、ありがとう」

 

 

 

 精一杯の台詞だった。早くに家族を失い、養父を失い、あらゆる悲しみを受け止めてきた彼の、小さな少女への感謝の気持ち。

 

 寂しかったのは自分だったのだ──。

 






クオン・フォン・アインツベルン

アハト老の予備体により攫われたイリヤから、無理矢理取り出された彼女のほんの一部。その一部が子宮部分だったために赤子の姿を象り、またアインツベルンの操作を受けたため小聖杯たる可能性を秘めている。クオンはイリヤ救出のためにアインツベルン城へと訪れた士郎により、新たな人生を歩み始めた。




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