「――のう、東雲? 実になっとらんと思わんか? 鬼瓦に亀鶴城、納村にすっかり骨抜かれておるわ」
「……わざわざ私を呼び出して言うことがそれ、というのは中々に考察が深まるな」
翌日、紫雨はあろうことに花酒蕨によって、屋上に呼び出されていた。昨日の今日で、一体何が彼女の琴線に触れたのか。ひたすらに分からない。
おかげさまで、昨日までは何とか保てていた敬語が完全に失せてしまった。
そして、何より彼女の隣にいるキョーボーが何やら可愛らしく見えているのはきっと気のせいだと信じたい。
「そう嫌うな東雲の。わらわはお主のことをだいぶ気に入ったのじゃがなぁ」
「そう言って頂けるのは恐悦至極だが、それでも私はいまだ花酒殿の真髄を知らぬ。故に、警戒させてもらう」
「ひょひょ! へりくだらぬのう東雲! 最上級生たるわらわがこれだけ寵愛を与えておるというのだ。普通は有難がろうて」
本気で言っているのかいないのか、全く読めない時点で言葉を覆す気の無い紫雨であった。
この身修めている流派は理不尽に突き立てる牙なり。そんな自分が、権力に身を任せることは、あってはならない。
「そうのたまうのならば、せめて花酒殿がやろうとしていることの大義を教えて頂きたい。何故、ワラビンピックなる催しを開催するに至るのか」
「ほう、やはり気になるか」
「花酒殿ほどの人間ならば、享楽によっての暴走はしないと思っている。だからこそ、知りたいのだ」
「何を?」
「大義は何処に?」
ここまで聞いておいてなんだが、紫雨は端から予想がついていた。これはそう、あえて言うのなら、“答え合わせ”。
(これで私の思う答えでなかったのなら、首を差し出そう)
対する花酒、想定外のことを聞かれ、思わず目を丸くする。しかしてそれは悪い方向ではなく、むしろ逆。
愉快。この二文字に尽きた。
「のう東雲。大義とは一体何を示しておるのじゃ?」
「天道様へ顔向けできること。これ以外にあるまいて」
「ひょひょ! 少しは逡巡する所ぞよ!」
「回りくどいことは良い。本題を」
シン、と静寂が支配する。
それを見守っていたキョーボーが全く動けなかった。何せ、殺気と殺気が鍔迫り合いどころか打ち合っているのだ。戦力はまるで軍勢。
思わず紫雨はいまだ折れたままの竹刀を抜き、竹刀袋を捨てそうになった。合戦の心得へ自然と移らんばかりには、紫雨の戦心は鈍ってはいない。
「わらわも最初から言うておろう。わらわの為すことの全ては、この学園の天下泰平よ。それこそが大義。分からぬお主かや?」
しばし視線を交わし、やがて折れたのは紫雨である。
「……今回の役回りを引き受ける上で一つだけ、要求したいことがある」
この場で取引事。花酒は少しばかり警戒の方面へ頭が動いた、が。紫雨の次の言葉でそれが全くの杞憂であることを思い知らされる。
そも、東雲紫雨があえて舌戦に移行するなぞあり得ないと思えたからだ。
「武器が欲しい。見ての通り、私の今持っている竹刀はへし折れているのでな。出来れば無償で、良い物が、欲しい」
何てことはない。こういうことなのだ。むしろ花酒はもっとドぎついことでも要求されるのかと腹を据えたほうである。
「意外ぞよ東雲。そこまで大胆な事も言えるのかや」
「高い確率で命を懸けることになるのだ。腰に提げる物はそれなりに拘りたい」
「よかろう。ならばこれを持って行くが良い」
投げ渡された物を掴んだ紫雨はすぐそれに気づいた。何とも見事な造りの竹光である。
刀身をなぞり、すぐに紫雨はその竹光の“質”を肌で感じとる。
「これは……」
「おお、流石、見る目はあると言ったところかのう?」
「本赤樫の竹光……それなりに拘るとは言ったが、まさか最上をもらえるとは思ってもいなかった」
「見くびるでない東雲の。三流には三流を、一流には一流を渡せずして何が花酒蕨よ。それは、わらわなりの激励じゃ」
そこまで高く買われていては情けない事は出来ない、と再び紫雨は気を引き締める。背負っていた竹刀袋へと丁寧に納めるのを見届けた花酒が一声。
「駄賃は渡した。なれば、ワラビンピックの解説に移ろうぞ!」
どこからか持ってきたホワイトボード。ボードマーカー赤、青、緑、黄、黒。クリーナー二つ。そして傍らで嬉々としている彼女を見て、実に懇切丁寧な解説になるのだろうと紫雨はざっと一時間辺りを覚悟した。
◆ ◆ ◆
「……予想はしていたが、まさか本当に一時間も掛かるとは……」
見事な解説。お陰で良くワラビンピックなる催しの全てを理解出来た。途中、キョーボーの愛らしさを語る場面が多々あったような気がするし、むしろそっちのほうに重きを置いていたような気もしたが、それはもう振り返らないようにする。
時間はいつの間にか昼。紫雨の昼食は常に握り飯二つなので、場所はどこでも良い。
ふらりふらりと歩いて辿り着いたところこそが、食事の場所なのだ。
「結局屋上に来てしまった……何というか、こう、もう少しだけ眺めが良い場所があれば良いのだろうが」
言いながら、歩を進める先は風景が良く見える鉄柵の近く。既に常連と名乗って差し支えないだろうその場所に、今日は“先客”がいた。
「あれぇ~~? もしかしてぇ~~東雲ちゃ~~ん?」
目を合わせなくても分かった。
決して力の入った声ではないというのに、腹の底から掻き回されるような強烈な感覚。
見ている、とすぐに感じた。だが、紫雨はその方向へは顔を向けず、ただ真っすぐに歩くのみ。
――次に会った時は命を懸ける。
それは紫雨にとっては、しかと視線を交わし刃を向けるということ他ならない。
故に、目を合わさない。
黙して握り飯を食すのみ。食事の時くらいは何も考えずにありたいものである。
だが、既に間合いに入っている物の怪相手に、そのようなささやかな願いは聞き入れられるわけがなかった。
「ねえねえ~~東雲ちゃんもここでご飯~~?」
「そうだ。だから構ってくれるな。今は
ぴょこぴょことアホ毛を揺らしながら眠目は紫雨の周りをうろつき出す。だが、絶対に紫雨は目を合わさない。
眠目も、その事には気づいているが口には出さず、ただ紫雨を妖しく伺うだけ。
「ふ~~ん、だったらぁ~~そのおにぎりをもし~~」
「……先に言っておくぞ眠目」
おにぎりを一齧りしたまま、紫雨は宙へと視線を彷徨わす。今日のは自信作なのだ。この塩加減に辿り着くまでにいったいどれほど時間を掛けたか、思い出したくない。
なのに、それだというのに。
「私 は 食 事 の 邪 魔 を さ れ る の が 一 番 嫌 い だ ぞ」
刹那、眠目さとりはつい刀を抜きそうになった。いや、もう抜いていたのかもしれない。そんな曖昧な状態になる程には、東雲紫雨という剣士に魅せられたといってもいいだろう。
だからこそ、最大限“からかいたく”なる。
眠目は紫雨から視線を逸らし、控えていた“一番マシな”近衛である『ミソギ』へ指だけで合図を送る。
軽く手でも狙い撃ちにして落とさせてやるつもりだった。いつもならばこんな子供みたいな嫌がらせなどしない。しないのだが、何故かこの東雲紫雨はそんなことをしたくなってしまうのだ。
「……」
紫雨の背後を位置取るように控えていたミソギは言われるがまま、吹矢を構える。
吹矢術を修めているミソギにとって、目を瞑っても当てられる距離。
気配を、挙動を、その一切読まれることはない。ただ己に課せられた使命を全うすべく、ミソギは吹き口へ唇を寄せていく。
「ッ」
そして、放たれた魔矢。狙いは紫雨の手元。ありとあらゆる要素を瞬時に計算しつくした至高の一射。
空を割き、推進する一撃は無事に紫雨の手元へ直撃する。普通ならば何も考えることはない。ただ、当たる様を確認するだけ。
しかしホッケーマスクの奥から覗くミソギの視線は僅かながら強張っていた。
得も言われぬ不安がミソギの背を撫でる。そして、彼女はこういう時には一体どういう結果になるのかを知っていた。
「言ったはずだぞ」
ゆらりと雲竜が歩き出す。指に挟まれた矢をへし折り、その眼前にはミソギの姿。
臨戦態勢の段階を越えていた紫雨は、既に眠目とミソギの両方へと意識を巡らせていた。眠目はただ笑みを浮かべたまま動じず、ミソギはその戦意を受け武器を構えた。
食事を邪魔されるのが一番嫌いだ――そう言いながら紫雨は竹光を納めていた竹刀袋を左手へ握る。
「ミソギちゃ~~ん、本気で、やってねぇ~~」
眠目の表情に笑みは無かった。這い寄る闘気。ここから読み取れる戦力は眠目には十全以上に感じ取れていた。
手こずる、と素直に眠目はそう思っていた。だからこそミソギで“終わらせる”。その心積もりがあった。
「テン――ソウ――メツ」
必滅の呪言を口ずさみ、ミソギは音もなくにじり寄る。
対する紫雨は一挙手一投足すら見逃さまいとしかと目を見開く。
その間合いは既に互いの必殺、そして必中の距離まで詰めていた。否、少し語弊がある。紫雨が一手譲れば、の話である。
空を切る音。
同時に、紫雨が竹光を翻していた瞬間でもあった。遠くの床に、吹矢が落ちる音が一度。
速度を考えればもはや勘に近い。しかしそれに頼らなければいけないほど、紫雨は“テンパっていた”。
吹矢を使う者との戦いはこれが初めての紫雨。その知識は聞きかじった程度でしかない。
厄介なのは距離を選ばない柔軟な戦術にある。
遠くにいれば吹矢が飛び、そして近くに行けば――。
「疾ッ――」
「テン、ソウ」
装填の隙を与えず、紫雨は大上段の構えから竹光を振り下ろした。得体の知れない相手に対しては常に先手必勝。
いつ握り直したのか、筒でしっかりと防ぎ、返す刀でミソギの魔手が紫雨の得物を落とすべくにじり寄る。
必殺の確信が、ミソギにはあった。ここから一気に関節を絞め、無力化するのが身に沁みついた流れ。
対する紫雨は竹光を振るった直後から、ミソギから伸びる魔手を捕捉していた。
「南無……ッ!」
ミソギは速かった。いくら近場でのやり取りに熟練している紫雨と言えど、この速度の拘束から逃れる術は皆無。
ならば、自棄になるしかない。紫雨はもつれ込むように前のめりに体重移動をかける。
肩からミソギへぶつかり、そのまま上から一気に押し倒す。さしものミソギもこの野蛮な戦術を予測出来ず、背中から地面に接触する羽目となった。
微かに息を吐き出す音が聞こえた。その吐息を聞き、今相対しているミソギが流石に機械の類では無かったことに、紫雨は少しばかり安堵した。
だからこそ、ずっと気になっていたことがある。
「今の吐息を聞き、疑惑は深まった。何故、貴方はそんなに眠目殿と“似ている”のだ? 雰囲気、と言えば良いのだろうか……」
ミソギの仮面へと紫雨は手を伸ばす。仮面に手が触れた時、弾かれたように紫雨は反射的に振り向いた。
「それ以上は~~知り過ぎだよ~~?」
「眠目殿……そこまでしたいかッ!」
いつ紫雨の背後まで近づいてきたのか、眠目は既に凶刃を振り下ろしていた。避けられる、が“避けられない”。
(この仮面の女子諸共だと……!!)
この軌道は間違いなく当たる。避ければミソギに斬撃、避けなくても紫雨に斬撃。二者択一。故に、許されない。
「ふざけるなッ!!」
柄頭でミソギの刀身を殴り、そのまま竹光を振るい、距離を開けた。
武器を構え、眠目に注意を向けつつ、紫雨は倒れたままのミソギへと視線をやる。正確には、牽制ついでに払っておいた仮面の下の“素顔”にだが。
「……随分と顔がそっくりだな。貴方は姉か? 妹か?」
次の瞬間、紫雨は全身が凍り付いたのかと錯覚した。この今、自分が向けられている感情は一体何なのか。喜怒哀楽、そのどれもが近しくない。
「私~~やっぱり東雲ちゃんのこと――嫌いだよ」
「そうか? 私は存外好きになってきた」
斬り掛かってくるか、そう思って構えていると眠目は刀を納めた。先ほどまでの吹き荒れた感情は幻だったとも言わんばかりに。
「退くのか?」
「こんな所で紫雨ちゃんに勝っても~~悔しがらないだろうから~~」
「いつでも腹掻っ捌く覚悟は出来ているのだがな……」
ミソギはいつの間にか消えていた。一体どこに行ったのか、それを探ろうとしても無意味だろう。
眠目も既に屋上の出入り口へと立っていた。既に貼り付けられていた笑顔には、もう感情は込められておらず。
「じゃあね~~どうせ明日でしょ~~アレ。楽しみにしてるよ~~」
「アレ。何のことやら」
「ふ~~ん。ま、良いや~~紫雨ちゃんも、色々大変だよね~~」
眠目はそのまま去り、紫雨はその背中をただ見送った。
「……相変わらず掴みどころのない。だが、それが魅力なのだろうな」
念のため全方位に気を配りつつ、そのまま先ほど昼食を食べていた場所へと静かに戻るや否や、食べかけの握り飯へと手を伸ばした。
「む」
少しの時間、冷たくなっていた握り飯に放心していた紫雨。
このモヤモヤとした気持ちのやり場が分からず、堪らず空を見上げた紫雨はぽつりと呟いた。
「……策は成功しているぞ、眠目殿」
やはり、握り飯は冷たかった。