今回は少し、ドイツでの織斑教官の活躍を掘り下げる話です。
ISの訓練や軍事的な活用法などには作者なりの解釈が多分に含まれているので、もしかしたら何か変な感じになっているかもしれません。ご容赦ください。
その日から毎日、週末の日曜を除いて連日、IS特殊部隊を目指す彼女たちのための特別訓練が続いた。
教官役としての織斑千冬の指導方針は、軍隊のそれよりもスポーツコーチに近いものだった。
基本的に軍隊の訓練というものは全員に同じ内容の訓練を課し、全隊員の能力を一定の水準以上にまで引き上げることを目的としている。工業製品のように一律の規格に収めた方が組織として機能しやすく、また上に立つ者にとっても個々の能力差を考慮せずに部隊の指揮が出来るため戦術の幅が広がる。能力的に突出した人物は同じように優れた者と合わせてより高い水準の部隊を作る。個人ではなく隊を一つの単位とすることで軍隊は高いパフォーマンスを発揮するのだ。
対して千冬教官の指導は、訓練兵一人一人の得意・不得意にしっかりと目を着け、それを伸ばす、或いは無くすことを大事にしていた。スポーツトレーニングのコーチが基本としてとる手法である。
ここは軍隊であるが、数に限りのあるIS操縦者の質を高めるという意味では千冬の指導方針は非常に理に適っていた。
例え彼女がIS操縦者として極めて優れていることを除いても、軍の教官たちではこれほど上手に指導することはできなかっただろう。少なくともターニャはそう考えている。
訓練の内容は量よりも質を重視していたが、それでも通常の軍人に向けた訓練と比べ遜色のない過酷さ。加えてラウラには他の訓練生と同様の訓練を行った直後に《越界の瞳》暴走克服のための特訓が課されていた。
今日の特訓は一昨年に造られたIS用トレーニングフィールドに、教官役の千冬とラウラだけが残って行われていた。ISを使用するわけではなく二人とも生身。この場所を利用するのは単純にスペースとして空いていたからだ。
ターニャは特訓の様子を観覧エリアから見下ろす。ラウラの特訓を見学することは特殊部隊としての訓練内容には含まれていない。しかし暴走ナノマシンを制御する方法を知ることこそが彼女が訓練に参加した主目的であるため、ターニャは全ての特訓を常に一人で観戦していた。
だが今日に限っては、観覧席にいるのは一人ではなかった。ターニャが強化ガラス越しに特訓の様子を観察していると、一人の女性が後ろから近付いてくる。
ターニャは振り返った。
「これはハルフォーフ中尉殿。こんなところでお目に掛かるとは珍しい……。いえ、"こんな時間に"と言うべきですかね」
席を立ち敬礼しようとするターニャをクラリッサは手で制する。そしてターニャの隣に座った。
「珍しいのは君の行動の方だろう。この居残りはナノマシンの適合に失敗した奴のためのものだ。君が気にかける必要はない」
「そうですか? 意外と興味深いものですよ」
「ふむ。確かに君の時間をどう使おうとそれは自由だが……。教官たちはいったい何をしているのだ?」
千冬とラウラはISを使わず生身で対峙していた。千冬の手には木刀が、ラウラの両手にはトンファーが握られている。千冬がラウラに打ち込みを仕掛け、ラウラがそれを防ごうとするという流れが繰り返されていた。ただその防御は全くと言っていいほど成功していない。既にラウラの肉体は遠目からも分かるほど痛めつけられている。
その様子は傍から見ればただの白兵戦訓練であり、ナノマシンと何か関係があるようには見えない。
「教官曰く『肉体ではなく感覚を鍛えている』そうです」
「分からんな。それがどうしてナノマシンの制御に繋がる」
「…… 中尉殿はヴォーダン・オージェの制御をどのように行っていますか?」
「説明は難しいが……。物を注視する感覚の延長線上だな。視覚に意識を向けることで、もともと自分には無かったナノマシンの恩恵や機微を感じ取る。それを繰り返していくうちに、よりシンプルに感覚的に制御できるようになる。ざっとそんな感じだな」
「私も似たようなものです。各々イメージこそ違えど、このナノマシンはその人の意識、感覚によって制御できるようになっています。ですがボーデヴィッヒ中尉の場合、ナノマシンが暴走しているため常人と同様の感覚ではナノマシンの手綱を握ることはできません」
例えるなら騎手を振り落とした暴れ馬のような状態にある。この場合、一瞬でも追いついて手綱を取らないことにはどうしようもない。だが当然、人の脚力では馬に追いつくはずもない。
「だからこそ、五感を鍛えることがナノマシンの制御に繋がるという訳か」
「一度だけでいいのです。一度だけでも制御する感覚を掴むことが出来れば、通常のそれよりスペック的に優れている《超界の瞳》はボーデヴィッヒ中尉の力になります。そのためにこの特訓の間、ボーデヴィッヒ中尉には感覚を鋭敏にする薬剤が処方され、その状態で教官による目にも留まらぬ攻撃を捌くことで、常人離れした五感とそれを制御する体験を経るのです」
二人の眼下では、今まさにラウラの後ろに回り込んだ千冬がラウラの肩を打ち据えていた。俯瞰する位置にいるターニャとクラリッサからも、その瞬間千冬の姿が霞んで見えたのだ。対峙するラウラにとっては千冬の姿が一瞬で消えたようにしか見えなかっただろう。
「…… 相変わらず教官殿は化物染みた強さだな」
「加えて攻撃の瞬間、尋常ならざる殺気を込めています。なんでも生存本能を刺激することで特訓の効果を引き上げるとか」
「恐ろしいな。だが、それに逃げ出さずにいるボーデヴィッヒ中尉も大したものだ。……しかし気になるのは、暴走状態のナノマシンに正常なナノマシンと同じ理屈が当てはまるものなのか?」
「暴走はプログラムミスや自己増殖時のバグではなく、あくまでも生体との乖離が原因なので、制御自体は可能だそうです。ただ変色した瞳の回復は望み薄でしょうね」
ターニャはクラリッサに説明しながら、そろそろ彼女が今日ここに来た理由を聞きたいと感じていた。クラリッサを始めとして、IS特殊部隊編成用に集められた訓練兵の中でも特に成績が優秀な数名には、既にラウラと同じナノマシン処理が施されている。もしかしたらターニャと同じように、万が一自分のナノマシンが暴走することに備えるために見学に来たのかもしれない。しかしそうでなかった場合はターニャがここに来ている理由は誤魔化さなければならないだろう。ターニャがナノマシンの暴走を憂慮していることが暴かれれば、軍部への疑心アリと受け取られかねないからだ。
しかしターニャが質問を投げかけるより先に、クラリッサが口を開いた。
「デグレチャフはボーデヴィッヒ中尉のことをだいぶ気に掛けているようだな」
「は?」
「誤魔化すな。でなければ毎度ボーデヴィッヒ中尉の特訓に付き合おうなどとするまい」
「それは誤解です中尉殿。私の興味はあくまでもブリュンヒルデの指導、それだけです」
「しかしそれでは中尉の体調まで把握する理由には……。いや、もはや何も言うまい。…… これも姉妹愛というやつか」
「……?」
クラリッサの最後の言葉は小声で、ターニャにはほとんど聞き取れなかった。
「さて。それでは私はこれで失礼しよう」
「よろしいのですか? ボーデヴィッヒ中尉の本領が発揮されるのはこれからですよ。ぜひご覧になってはいかがでしょうか」
「出世争いのライバルが気にならないという訳ではないが、兵隊長とは多忙なものでね。用事も済ませたし、これでお暇しよう」
「それは…… 御引き留めしてしまい、申し訳ありません。何か私に手伝えることがございましたら――」
「軍人でもない君に頼むことなど無いさ。それではデグレチャフ、また明日の訓練で会おう」
「はっ!」
立ち上がり去るクラリッサを、ターニャは敬礼しながら見送る。クラリッサはなにか諦めた風にしながら、観覧席を後にした。
そうして彼女が扉を閉ざし、足音が遠退いていってからようやく、ターニャは肩に入っていた力を抜いた。
(なんだったのだ今のは……。確か『用事も済ませた』と言っていたな。ラウラの特訓の内容を知ることが目的だったのか? 或いは私か?)
しかし考えていても答えは出ない。ターニャは諦めてラウラの特訓の観戦に戻った。
また別の日。
その日の訓練内容は、ISの操縦や肉体の鍛錬ではなく、実践的なISの整備。
最新鋭戦闘機と同等の機動性を持ちながら離着陸のための設備を必要とせず、またあらゆる場所への浸透、侵入が可能なISは、ともすれば駐屯地や兵站線から遠く離れた場所で活動することも考えられる。
しかしそんなISにも整備や補給は必要。IS特殊部隊の新編は、部隊一つでISを兵器として最大限活用するために行われる。もちろん整備のための専門要員は別にいるのだが、使用する人自身が道具を手入れ出来るに越したこともなく、またISの出動という前例の無い緊急時に整備員の配置が間に合うとも限らない。故にその隊員を目指す彼女たちにとっては必修の訓練内容なのだ。
普通ISの整備、メンテナンスは基本的には清潔が保たれている整備室の中で行われる。しかし今回の整備は実戦を想定したもの。場所は駐屯地敷地内の山林の中、おまけに最悪の状況を想定するため散水ホースで人工的に霧雨を降らせている。
そんな中、訓練生たちは限られた時間の内にぬかるみ傾いた大地に防水補強シートを敷き、尚且つその上に水が溜まらないように注意する。そして訓練生が乗ったISがその上に着陸するとすぐさまその上にテントが架けられ、訓練生のうち役割を割り振られた者がメンテナンス作業に取り掛かかった。ターニャもその中に参加する。
「はいはい作業スピード遅いですよー。天候や周囲の敵にも気を配ってくださいねー。風向きが急に変わることもありますからー」
整備訓練なので、指南役には専門の整備士が就く。長靴ポンチョという間の抜けた格好だが、彼女の指示は的確だった。訓練兵たちは必死に彼女の指示に従いながら、その技術を習得しようとする。
千冬は今回は補佐役だ。あまり口を挟まず、訓練兵たちが四苦八苦する様子を黙って見ている。
そうして整備が終わると、また急いで機材一式をまとめてジープに積み、別の指定された地点に移動する。そして到着するとまた機材を広げ、整備を済ませ、機材をジープに積む。まるでF1レースのピットストップの様な忙しなさ。この作業を役割を交代しながら、時には搭乗者一人で、また時には大勢で効率よく動くことを意識しつつ何度も繰り返すのだ。
訓練を終えるころには全員普段の訓練以上に疲弊していた。それでも皆、終了の号令まで誰も倒れ込まず耐えきっていた。
「少しいいか? デグレチャフ」
千冬がターニャに声をかけたのは、訓練兵たちが最後の気力を振り絞り更衣室に戻ろうとしているときだった。当然ターニャもすぐに着替えを済ませて休みたいと考える。
ターニャは感情が表に出ないよう気を付けながら答えた。
「はっ! なんでしょうか教官殿」
「そう畏まるな。少し頼みがある。後で私の部屋に来てくれ」
「分かりました。では一八三〇に伺います」
「ああ、そうしてくれ」
そしてその日の夕方、ターニャは約束の時間きっかり五分前に千冬の部屋の前に訪れていた。
「ターニャ・デグレチャフです」
『入れ』
「はっ! 失礼します」
入室するターニャ。
千冬の部屋はターニャやラウラが利用している兵舎のものとほとんど同じだが、唯一ベッドだけが金網の二段ベッドではなく木組みのシングルだった。それと兵舎のような見回りがないせいか、或いは部屋主の性分かは不明だが、少しばかり整理整頓が甘く方々に物が散らかっている。ターニャが来る前に綺麗にしようとしたのか、ベッドの下には皺の付いた衣服のようなものが押し込まれていた。
「よく来てくれた。まあ座れ」
千冬はキャスター付きの椅子をターニャに寄こし、自分はベッドの上に腰掛ける。踵でベッド下の衣類を奥に詰めた。
「前置きは無しにして単刀直入に言おう。お前の姉に面会したい」
「姉、ですか?」
「言い方が悪かったようだな。遺伝子強化試験体、識別番号C-〇〇〇一。
「…… 教官殿は何処までご存じなのでしょうか?」
遺伝子強化試験体、ドイツが製造しているデザインチャイルドに関する情報は国家機密に当たる。千冬も既にある程度は把握しているようだが、彼女の知るそれ以上の情報を不用意に漏らす訳にはいかない。ターニャは線引きを見極めなければならなかった。
「ドイツが軍事目的のために遺伝子操作を施した子供たちを生み出していることは知っている。お前やラウラがその研究所の出身だということもな。この国に客員教官として招かれたときに聞かされたよ」
「そうでしたか。私たちのことも教官殿はご存じだったのですね」
「ハッ、当たり前だろう。でなければお前たちのような子供を軍人として鍛えようなどとは思わんさ。…… お前やラウラにはそれしか道が無いのだろう?」
「それは、それは違います教官。私たちは自ら考えこの道を選びました」
「自ら考え軍属への道を歩む。そうあるように教育されたからだろうな」
「…………」
表向きそれは事実なのだが当人であるターニャとしては反応に困る。その内心を千冬なりに慮ったのだろう。次の言葉は謝罪から始まった。
「……すまない。今の発言は軽率だったな。確かに私個人としてはこの試みは人道に反すると思う。それに単純に好かん。だが安易に否定すれば、それは産まれた子供たちの存在やこれまでの選択すらも否定することになってしまう。国家が抱える義務や課題の全てが人道を以て解決できると考えるほど、私の脳味噌はお花畑ではないしな。そもそも他所から招かれた客人である私は、それを糾弾する立場にはない」
「でしたら――」
「だが、それによって一人の少女が犠牲となっているのならば話は別だ。私は一人の人間として胸を張れる選択をする。そこだけは譲れない」
「……もしC-〇〇〇一が教官の指すところの『犠牲』であった場合、如何為されるつもりでしょうか」
「曖昧な答えで申し訳ないが、それは見てから考える。これはデリケートな問題だ。仮定の話、もしその少女が非道な人体実験に晒されていたとしても、それを世間に暴くような強硬措置を執るつもりはない。それでどうだろうか。私の頼みは聞いてもらえるか?」
ターニャは考える。
正直C-〇〇〇一のことや千冬の考えはどうでもいい。大切なのは自身の保身だ。
普通に考えれば、千冬にデザインチャイルドのことを明かした軍高官がC-〇〇〇一への面会を拒んでいるのならば、ターニャはその意向を汲み取り千冬の頼みは断るべきだ。もし断ったとしても彼女はターニャを悪いようにはしないだろう。
しかし千冬の頼みを承諾することも、ターニャの不利益につながるとは思えない。織斑千冬は義理堅い性格をしている。頼みを聞き入れてくれたターニャに迷惑が掛かるようなことはしないだろうし、例え軍や政府にターニャが責められるようなことになったとしても身を賭して庇ってくれるだろう。そう考えれば、これはかなりの低リスクでブリュンヒルデに恩を売るチャンスだ。ISチャンプの影響力、社会的な権力は一競技のトップアスリートの枠に止まらない。これはかなり大きい。
(……或いは、織斑教官にばれないよう軍高官に敢えて情報を漏らし、私が責め立てられたところを教官に庇ってもらうという手もある。上手くいけばドイツ軍から世界最強の庇護下に移れる。そうすれば、晴れて自由の身だ! なんと素晴らしい!!)
「……分かりました。それで、私は如何すればよろしいのでしょう? 研究所職員への取り次ぎですか?」
「いや。彼女の居場所が分かればそれでいい。なんならお前が次に見舞いに行くときに一緒に付いていければ、それで十分だ」
「それは、ともすれば不法な侵入にあたりませんか?」
「違うな。私が見舞いに来たデグレチャフの後を勝手について歩き、そのときに面倒な手続きを少し飛ばすだけだ」
「…… 了解しました。では私は来週の日曜、一人でC-〇〇〇一の見舞いに伺うことにします」
「そうか。関係のないことだが、私もその日は偶然予定が空いているな」
話を終え、ターニャは千冬の部屋から退出する。
「…… 失礼しました」
実のところ、ターニャが千冬の頼みを聞いたのはある種の賭けであった。だが決して分の悪い賭けではない。最大の成果が児童労働からの解放なら、保身第一の彼女とて多少のリスクは甘受できる。
(ああ楽しみだ。久しぶりに君の存在に感謝するよ、C-〇〇〇一)
ターニャは心の底からの笑みながら、千冬の部屋を後にした。
ちなみにですが原作だと、ラウラは千冬から『超界の瞳』克服のための特別な訓練は受けていません。普通に訓練を受けていて自然に回復したことになっています。理由は不明。
本作でわざわざそのシーンを書いたのはお話し上の都合です。
ついでに予告。ターニャの企みは失敗します。