世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第50手 プロ1年目 その10

 ヒカルが初めて高段者と打つ日。ヒカルの相手は、以前詐欺をしていた御器曽プロ。高段者とはいえ、黙って負けるわけにはいかない相手だ。棋院に到着した後も、ヒカルに応援を飛ばす。

 

「ヒカル、絶対勝ってよ。あんな人、偉そうにさせちゃ駄目だよ」

「おう。でもお前、えらく怒ってるよな」

 

 ネットで評判も見たからね。あそこまで嫌われてる人も珍しい。実力面でもこれまでリーグ戦入りしていないし、三次予選にもここ何年も上がってない。

 それに何より、私とヒカルの初デートに水を差した人だし。今も許してないもん。

 

「相手が誰だろうと、負ける気で打つ碁なんかねえよ」

「佐為でも?」

「うっ。毎日打ってるのは勉強のためだろ。本番で打つ時があれば、佐為にだってだなぁ……」

 

 軽くからかうと、むきになって反論してくる。ふふ、こわばっていた顔が、ようやく緩んだ。

 そんな雑談をしているうちに対局時間が近づく。

 

「じゃあ、私は下にいるから。がんばってね」

「任せとけ」

 

 ふふ、頼もしい。あの様子だと大丈夫そうだ。さて、ヒカルは対局場に向かったし、私も時間を潰さないと。

 

 

 売店で碁の月刊誌を買って読んでいると、天野さんから声がかかった。

 

「天野さん。どうしたんですか」

「ちょうど良かった。藤崎さん、来週二次予選あったよね」

「はい」

「終わったらインタビューさせてもらえるかな」

「いいですけど……。単なる二次予選ですよ」

 

 女流の方で挑戦者になったわけでもない、ただの新人なのにわざわざインタビュー?

 不思議に思って首を傾げると、言い訳のように付け加えた。

 

「私は、キミと進藤くんに注目していてね。塔矢名人や一柳棋聖、桑原本因坊といったタイトルホルダーが気にしているからというのもあるけど、私自身も、キミたちには期待してるんだよ」

 

 そんなわけで、インタビュー記事を書きたいとのこと。話題性は低いかもしれないけど、紙面の片隅に新人にしては珍しい一次予選突破の記事があってもおかしくはないだろうし、そもそも断る理由もないし。

 了承すると、ほっと安心したように笑顔で去っていった。なんだろう、普段と少し雰囲気が違った気がしたけど。

 

 

 そしてヒカルの対局が終わったようで、対局相手の御器曽プロが不機嫌そうに出て行った。ヒカルもすぐに来るだろうと思っていると、なかなか出てこない。

 どうしたのかな、と対局場に行くと、出口のところで天野さんと話していた。

 

「あかり。なんかインタビューしたいって言われてさ」

「急で申し訳ないけどね」

 

 私だけじゃなくて、ヒカルにもインタビューしたかったのね。

 横で聞いていて構わないって言われたので、一緒に話を聞く。ヒカルが余計なことを言わないか心配だったけど、初めての高段者との対局の感想も含めて、無難な受け答えに終始していた。

 

「じゃあ、最後に。今のプロ棋士で、一番対局したい相手は?」

「ええと。あかりとも公式戦で打ちたいし、塔矢とも当然打ちたいけど。今、一番対局したい相手は塔矢名人です」

 

 うん。打ちたいよね。他の棋戦に出なくなったせいで、世間では名人戦で負けると引退だろうと言われているけど、そんなのは関係なく、塔矢先生と打ちたい。

 でも、それはちょっとまずい。

 

「あの」

「あかり、何かあんのか?」

「塔矢先生と打ちたいのは分かるんだけど。……森下先生が怒らない?」

「……あ」

 

 忘れてた、と顔に書いている。天野さんも苦笑しているから、言いたいことは分かったんだろう。森下先生は、塔矢先生をライバル視してるから。

 

「えーと、じゃあどうしようかな」

「無難に行くなら、森下さんか、桑原本因坊あたりかな?」

 

 天野さんの助け船に、ヒカルが乗る。

 

「うーん、それもなぁ。塔矢なら大丈夫かな?」

「どうかな。塔矢先生よりいいと思うけど」

「あはは。うん、じゃあそういうことにしておくね」

 

 森下先生も、ヒカルとお互いにライバル視している塔矢くんなら文句も出にくいだろう。そこで森下先生と言わないのは、多分研究室でも対局したことあるからかな。

 なんとかインタビューが終わり、家路につく。

 

「ヒカル、お疲れ様。対局はどうだった?」

「相手もある程度警戒してたみたいでさ。しっかり打ってきたけど、地を守って勝てると思ってたみたいだから、それほど苦労しなかったよ」

「そう。後でどんな碁だったか教えてね」

「おう。佐為も色々と言いたいことあるみたいだから、一緒に感想戦やろうぜ」

 

 ヒカルが勝って良かった。来週は私も二次予選の1回戦。相手は格段に強くなる。負けないように頑張ろう。

 

 

 そして、私の対局日がやってきた。相手は松永六段。段位こそ六段だけど、先週の御器曽七段より実力はありそう。

 勝てるかどうか分からないけど、つい先日、塔矢くんが王座戦の二次予選で勝っている相手。手応えは掴んでおきたい。

 私が1年目の新米だからか、気楽そうな態度で接してくる。意識して油断させる気はないけど、勝手に油断しちゃってるのは知らないよ。塔矢くんにも負けたはずなのに、懲りていないというか、あれは別格と思っているのか。

 

「よろしくお願いします」

 

 私が後手で対局が始まり、相手はゆったりとした手を打ってきた。後手でコミがあるから、本当なら無理して攻める必要はないんだけど、最近ヒカルや佐為と一緒に研究している手を試してみたかった。単に守るだけだと、不利になってしまうと無理攻めするしかなくなる。事前に攻めておくと、いざ劣勢になった時の足がかりになる。

 とはいえ、攻める必要のない段階で攻めるから、他が薄くなるのは確かだし、失着や緩手が許されない難しい碁になるのは確か。でも、今のままで高段者とまともに勝負するには、経験も足りない。たくさん経験を積むためにも、1つでも多く勝って、対局機会を増やしたい。

 そういう意味では、まだ1年目なのに二次予選まで上がれたのは大きい。駄目で元々、砕ける覚悟で当たっていける。

 

「むぅ」

 

 押しの強い打ち筋に戸惑っているのか、相手の方が時間をかけつつ進んでいく。地に辛い打ち方をされていると勇み足だったかもしれないけれど、相手が広く構えていたので、私の布石が上手く働いてくれた。

 

「そんな、まさか……」

 

 ありえない、といった風につぶやく松永六段。松永六段がどの程度碁の勉強をしているのか分からないけれど、ここ数年に限れば、環境に恵まれたとはいえ、絶対に私の方が勉強している。

 布石の段階で油断していたというのもあって、案外あっさりと勝利を収めた。

 

 

「ヒカル、勝ったよ」

「おう。やったな」

 

 対局していた大部屋を出て、ヒカルと合流する。昼の段階で盤面は見ていたけど、あらためて勝ったと伝えて喜び合う。さて、天野さんはどこかな。

 

「藤崎さん。もう終わったの?」

「はい。天野さんが準備できてたら、今からでいいですか?」

「当然大丈夫だよ。悪いね」

 

 結果を聞かれて、勝ったと伝えて賞賛される。えへへ、ありがとうございます。

 ヒカル同様、無難に受け答えをして、最後に誰と対局したいか、という質問に対して。

 

「私は、ヒカルと対局したいです」

「進藤くんと?」

「はい。他の誰より」

 

 よく練習しているんじゃ? と思われるかもしれないけど、公式戦でヒカルと対局するのは、逆行した5才の頃からの夢なんだ。

 森下先生も、私がヒカルと一番対局したがっているのは知っているし、問題ないはず。

 

 

 そうこうするうちに、10月も下旬に入って秋らしくなってきた頃、プロ試験本戦の全日程が終了した。その頃には、北斗杯の噂も出始めている。私も、天野さんからインタビュー記事の下書きを見せてもらった時に聞いた。

 ともあれ、プロ試験の終了時点で合格が決まったのは2名。1敗を維持した越智くんと、同じく和谷くんや門脇さんに勝った伊角さん。

 和谷くんと門脇さんは2敗で並び、プレーオフになった。

 

「和谷と門脇さんかぁ。あかり、どっちが勝つと思う?」

「門脇さんが、去年からどれくらい強くなってるか分からないけど、和谷くんの成長を考えると棋力では負けてないと思うよ。本戦では門脇さんに負けたけど、1回だけで優劣がつくわけじゃないし。2敗を維持できたのも、実力が上がっているからだし」

「そうだよな。和谷には勝ってもらいてえな。森下先生の機嫌を考えてもさ」

「あはは。ほんとにね」

 

 森下先生、和谷くんが伊角さんに負けた後、凄く機嫌が悪かったもんね。それに、しげ子ちゃんにも喜んでもらいたい。

 そんな話をしながら、プレーオフの当日、ヒカルと一緒に棋院へと足を運んだ。

 プレーオフが行われる小部屋を覗くと、和谷くんが座っていた。ヒカルと顔を見合わせると、頷いたのでヒカルに譲った。

 

「和谷」

「おう、進藤。藤崎も。わざわざ来たのか」

「気になるからな」

「絶対に勝って、追いついてやるからな」

 

 2人で仲良く談笑するのを見ていると、自然と笑みが浮かんじゃう。後から弟子入りしたヒカルが先にプロ入りしても、腐ることなく真面目に囲碁に向かう姿勢は森下先生も褒めていた。

 あまり話し込んで集中力を削いだらまずいので、適度なところで話を切り上げる。

 

 

 対局が始まり、お互いに布石を打つのをじっと見守る。秀策を意識した布石を打つ和谷くんに対して、地を意識した布石を打つ門脇さん。

 門脇さんは、年齢相応に落ち着いた碁を打つ。我慢強いというか、こちらがミスをするまで、決して無茶な打ち方はしない。和谷くんもそれが分かっているからか、序盤のうちから左上スミで激しく打ち合いが始まった。

 

「ヒカル、気付いてる?」

「ああ。ichiryu相手に佐為が打っていた新しい布石だよな」

「一柳先生でしょ」

 

 まったく、ヒカルってば。ネット碁でしょっちゅう佐為と対局するせいか、すっかりネット上の呼び方が定着しちゃってる。

 今はまだいいけど、いずれヒカルが一柳先生と対局するまでには正してもらわないとね。

 門脇さんは知らなかったようで、和谷くんのペースで進んだ。

 

「佐為も、和谷が頑張って自分の碁を勉強しているのが嬉しいみたいだぜ」

 

 うわっ、びっくりした。ヒカルってば、急に耳元でつぶやくんだもん。佐為のことを他の人に聞かれたらまずいからっていうのは分かるけど、ドキドキしちゃった。顔、赤くなってないかな。

 

「負けました」

 

 少し意識が碁盤から離れているうちに、対局が終了した。和谷くんが涙ぐんでいる。門脇さんには悪いけど、勝った和谷くんを見ていると、本当に良かったと安心できる。

 

「来年、必ず合格して、きみにも伊角くんや越智くんにも、リベンジするから」

「……今日は勝ちましたけど、俺の方が上って言えるような差はないですから。負けないように、頑張ります」

 

 毎年、強い人が合格していくんだから、門脇さんほど強ければ来年以降楽になる可能性は高い。もちろん、塔矢くんやヒカルみたいに、凄く強い人が急にプロ試験を受ける可能性もあるけど。

 

 

 そのまま森下先生の家に報告に行った和谷くんと別れて、ヒカルと一緒に帰る。

 

「良かったね、和谷くんが勝って」

「ああ、そうだな。そういや北斗杯って、越智や和谷も権利あんの?」

 

 18才以下のプロ全員が対象だから、権利はあるはず。どうやってメンバーを決めるのかは知らないけど。

 

「誰が選ばれるんだろうね。私も、メンバー入りしたいなぁ」

「うん。でも秀英も出るかもしれないし、俺だって出たいぜ」

 

 5月に行われるから、それまでに予選か何かがあるんだろう。

 

「そういえば、北斗杯予選って、資格のある人が全員でやるんだよね」

「そうだろうな」

「じゃあ、ヒカルや塔矢くんとも打つチャンスだ」

「ああ、そういえばそうだな。あかりとかぁ」

 

 感慨深そうにつぶやくヒカル。嫌がってる感じじゃないけど、何が言いたいんだろう。

 

「お前のおかげで、こうやってプロになった部分もあるからさ。インタビューでは塔矢って言ったけど、お前の名前を出した方が良かったかもな」

 

 嬉しい。まさかの言葉に、どう返事したらいいのか分からない。

 

「先月はあかりの方が勝率良かったけど、今月は俺の方が勝ち越してるからな。今やれば勝てそうだし」

「あー、そういうのずるい。そういえば森下先生の話題でも思ったけど、本番と練習じゃ全然違うじゃない」

「そりゃ分かってるけどさ」

 

 塔矢くんとも打ってるし、練習とは全然違うって分かってるだろうけど、少し甘く考えている気がする。

 こればかりは言っても分からないし、そもそも私も、知識では知っているけれど、理解しているわけじゃない。経験が大事な部分だし、もっと高段者と対局を重ねたい。

 

「早く、プロアマ混合のネット棋戦も始まればいいのにね。佐為との真剣勝負も、いつかやりたいな」

「公式戦じゃなくても真剣勝負はできるだろ、それこそ塔矢名人と佐為の対局みたいに」

「それはそうだけど、いざ打つとなったら、なかなか難しいよ」

 

 佐為も、塔矢先生ならともかく、私が相手だと本気で打つって言っても無意識で手を緩めそうだし。

 

「佐為も、いつか真剣勝負の場で、俺やお前と打ちたいってよ」

「うん。いつか打とうね。ヒカルが佐為と打つ時は、ちょっと難しいけど私が佐為役だね」

「あ、そうなるのか。面倒っていうか、ややこしいけどしょうがねえな」

 

 まだしばらく先だろうし、ノートパソコンを用意して、2台並べて打つのも楽しいだろう。

 そんな話で盛り上がっていくうちに、夜も更けていった。

 




2019.1.20 あかりが初段だった表記を1年目の新米と修正しました。

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