世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第40手 中学2年生 その12

 明日美さんと話した翌日の金曜日。

 佐為と塔矢先生の対局後、初めての研究会。何事もなく終わればいいんだけど、どうなることやら。

 

「先週の見た? 凄かったよね!」

 

 今日は厄介なことに、芦原さんがいた。普段は重くなりがちな研究会を明るくしてくれるからありがたいけど、今日ばかりは空気の読めなさが怖い。

 

「芦原。塔矢先生が負けた対局だから、先生の前で嬉しそうに話すんじゃないぞ」

「分かってますよ。俺だってそれくらい配慮しますよ」

「どうだかな」

 

 良かった、緒方先生が抑えてくれそう。緒方先生も色々と聞きたいだろうけど、このあたりが大人だなって思う。

 塔矢くんや明日美さんは、苦笑している。話したいのは2人とも同じなのだろう、塔矢くんが緒方先生に質問する。

 

「で、緒方さんもあの対局見たんですよね。どう思いましたか?」

「そうだな……。塔矢先生とsaiの凄さを、あらためて感じたよ。だが、絶対に辿りつけない場所じゃない」

 

 私は、どうだろう。他人の前で、これだけしっかり辿りつけるとは言えない。

 辿りつきたいという願望はあるけど、それはタイトルを取るより難しい。

 

「saiがいる時間に法則があれば、また対局を申し込むんだが、なかなか合わないからな」

「一柳先生はよく打ってるって言ってますけど、緒方さんは運が悪いですよね。日頃の行いかな?」

「芦原」

「あ、いや。またすぐ打てますよ。先生が来て、許可をもらえたら、また今いるか見てみたらどうですか?」

 

 本当に迂闊というか、さっき嬉しそうに話すなって言われたの、忘れてそう。

 そんな話をしていると、塔矢先生が部屋に入ってきた。

 

「緒方くん。saiと打ちたければ、いつでもパソコンで確認しても構わないよ」

「いえ、結構です。今は塔矢先生と打つ方が大事です」

「そうか。芦原、人が打った碁を研究するのは良いが、身に付けなければ意味がないぞ」

「は、はいっ」

 

 ある程度聞こえていたみたい。和室だし、障子で仕切られていても声は結構通るもんね。

 塔矢先生に叱られた芦原さんは、慌てて返事をする。

 

「話が出たついでに、saiとの碁について、少し触れようか。あの碁を検討するのは勉強になるだろう。緒方くんにとっても」

「……そうですね。先生はよろしいので?」

「うむ。負けたとはいえ、私が手を抜いたわけでもなく、全力を出し切った結果だよ。誰に恥じることもない、塔矢行洋の全力だ。もっとも、負けたままにするつもりはないがね」

 

 塔矢先生の言葉に、重みを感じる。佐為と塔矢先生の碁は、それだけ塔矢先生自身の心にも響いたのだろう。

 佐為には及ばなかったけど、塔矢先生もまだまだ上を見ている。明確に自分より上がいるというのは、目標としても申し分ない。

 

 

 佐為との対局について検討を終えた後、塔矢先生に電話が入り、少し休憩の時間になった。

 各々、お菓子を食べたり、席を外したり。明日美さんとチョコレートのメーカーでの味の違いについて盛り上がっていると、珍しく緒方先生が雑談を振ってきた。

 

「そういえば藤崎は、塔矢先生とsaiの対局を直接見たのか?」

「はい。ヒカルと一緒にネット碁を打とうと思っていたら見つけたので」

「ほう、進藤と」

 

 緒方先生は、顎に手を当てて考え込む。

 

「朝から一緒なほど仲が良いのか」

「はい、まあ。特に予定がなかったから、ヒカルと打つ前にネット碁を打とうと思って」

 

 ぼかしているだけで、嘘ではない。saiの凄さを語るならいくらでも語りたいけど、ヒカルの詮索は避けたい。別の話題を振ろうとすると、明日美さんから横やりが入った。

 

「仲が良いというか、良い仲だよね」

「あ、明日美さん」

 

 別に何も隠していないけど、面と向かって言われると恥ずかしい。大丈夫かな、赤くなってないかな。

 

「へえ、藤崎さんって同年代の子と付き合ってるんだ?」

 

 芦原さんが驚いたように声を上げる。どういう意味かな?

 首を傾げて目を向けると、笑いながら説明してくれた。

 

「いや、藤崎さんってアキラや奈瀬さんに負けず劣らずで大人っぽいから。同年代の奴って子どもっぽいと思うんじゃないかなってさ」

「別にそんなことないですよ。普通の中学生です」

「そうそう。オシャレだってしたいし、美味しいもの食べたいし。ねー」

 

 明日美さんが同意して、うんうんと頷く。すると、芦原さんをいじれる好機とみたのか、緒方先生も乗ってきた。

 

「お前は逆に、もうちょっと年相応の落ち着きを持った方がいいな。精神年齢は1番低いだろう」

「緒方さん、ひどいなぁ。そこまで子どもなわけないじゃないですか」

 

 口を開くたびにうかつな発言が増えていく気がする。けれど、そういうのも芦原さんの魅力かもしれないね。

 

「sai。進藤は、saiじゃない……けど……」

 

 ビックリした。油断していたら、塔矢くんがつぶやいた。思わず振り向いちゃったけど、どうしようかな。

 

「saiが進藤? どういう話だ?」

 

 当然、緒方先生は話を広げる。芦原さんは進藤? と首を傾げているけど、明日美さんは黙って話を聞いている。

 

「いえ、何でも。若獅子戦や研究会でも打ってますけど、彼はsaiじゃない。分かっているんですが」

「そうだね。ヒカルは佐為じゃないよ。佐為については分からないけど、ヒカルとは別人だよ」

 

 多分、塔矢くんは言いたいことが上手く言葉にならないんだと思う。小学生の時に、ヒカルと打ったあの対局が引っかかっているのは間違いない。もー、ヒカルってば迂闊なんだから。

 と、今さら小学生の時の話を蒸し返してもしょうがない。どうにか誤魔化さないとね。

 

「まぁ、saiの碁はプロレベルどころじゃないからな。……藤崎、お前はsaiじゃないのか?」

「え? 私? 私が佐為なら、女性初のタイトルホルダーになれちゃいますね」

 

 休憩だというのにピリピリしていたのを気にしたのか、緒方先生が冗談を飛ばした。良かった、ヒカルの話題が続くと緊張するんだよね。

 

 

 そんな話をしたせいか、帰り道で明日美さんが助言をしてくれた。

 

「あかりちゃん、ちょっといいかな」

「どうしたの、あらたまって」

「えっと。気付いてないかもしれないけど、進藤の話になったら、あかりちゃん子猫を前にした母猫みたいになってるよ。特にsai絡みでね」

「え、そうかな?」

「自分では気付かなかったみたいだけど、緒方先生が『藤崎がsaiじゃないのか?』って言った時、あからさまにホッとしてたよね。普段が結構落ち着いてるだけに、余計に怪しんでくれって言ってるようなものだよ。緒方先生も、そのつもりでかまをかけたんだと思う」

 

 えー、気付かなかった。というか、本当にかまをかけられたのかな。

 

「緒方さんは、アキラくんと進藤の最初の対局を知らないから。あれを知っていたら進藤が怪しいというアキラくんの話も分かるけど、知らなければ進藤よりあかりちゃんの方が怪しいよ」

「怪しいって、明日美さんちょっと」

「私は知り合ったのが中学生になってからだけど、常識の通じない、大人顔負けの子どもだったんだろうなって思うもん」

 

 そんなことないよ。囲碁を打っていた時は頑張っていたつもりだけど、それ以外は子どもらしく振る舞ってたもん。

 

「まあ、私は進藤もあかりちゃんもsaiじゃないと思ってるよ。saiなら、プロ試験の対局は何だったのって話よね」

「うん、そうだね」

 

 ヒカルと打てば、saiじゃないと思うのは確か。だから塔矢くんも、ヒカルじゃないと思っている。でも、ヒカルが直接、佐為と塔矢くんの対局を目の前で打ったから、余計に混乱しているんだ。ありえない、って。

 

「明日美さん、ありがと。また来週!」

「またね」

 

 駅で明日美さんと別れて、家に帰る。ヒカルに、今日の話をしておこう。

 いつかヒカルは、佐為のことを誰かに言うのかな。塔矢くんや和谷くん、明日美さんには伝えてあげたい。みんなも佐為と打てば間違いなく強くなるし、佐為も嬉しいはず。何か手があればいいんだけどね。

 ヒカルが佐為の代わりに打っているって言えなくても、知り合いだって言えたら、随分と気が楽になると思う。塔矢先生には実質伝えたようなものだし、上手く伝えられたらいいんだけどね。

 そんなことを考えながら家に帰ると、お母さんから伝言があった。

 

 

「あかり、棋院から電話が入ってたわよ。取材したいとかなんとか」

「棋院から? 天野さんかな」

 

 時間を見ると、まだ夕方、天野さんがいそうな時間だったので、こちらからかけてみる。

 

「藤崎さん、わざわざすまないね。取材の件なんだけど、実はテレビ局からでね。女性で初の全勝でプロ試験を突破したのもあって、密着取材したいんだって」

「み、密着?」

 

 話を聞くと、どうやらドキュメンタリー番組として取り上げるらしい。いやいや。恥ずかしくて死ぬので無理です。

 

「天野さん、それって断れませんか?」

「駄目かな?」

「プロとして活躍してからならともかく、まだ何もしてませんから」

「うーん。やっぱり無理かぁ。じゃあ、カメラを回しながらのインタビューだけでも受けてくれるとありがたいんだけど」

「それくらいなら、まあ」

 

 細かい話は後日として、電話を置く。

 よく考えたら、テレビでのインタビューだけでも十分に恥ずかしい。これまではあくまで囲碁関連の新聞や雑誌だから、あまり気にせずに済んだのに。

 最初に断られる前提の話を持ってきて、後で本来の希望を通すっていうのは常套手段だよね。天野さんってああ見えて策士だから、今後は気をつけないと。

 帰りに明日美さんから聞いた話に気を取られていて、油断した。

 今日は色々と疲れたから、ヒカルに癒やしてもらおう。

 

 

「へえ、インタビューかぁ」

「うん。天野さんに返事したし、受けておきながら断るのも悔しいからいいんだけどね。まさかそんな話が出るとは思わなかったよぅ」

 

 がっかりとうなだれると、ヒカルが頭をぽんぽんと撫でてくれた。

 

「まあ、あかりなら上手く切り抜けられるだろ。そういえば塔矢も取材とか受けてるのかな?」

「えへへ、ありがと。塔矢くんも、時々受けてるみたい。でもちょっと昼間のニュースでやるくらいで、大きく取り上げられる程じゃないみたいだし、大丈夫そうだよ。史上初の記録達成とかになると、少し違うかもしれないけどね」

 

 頭を撫でてくれるヒカルの手を握って微笑む。うん、満足できた。

 

「連勝記録も、倉田さんに止められたから。でも、もし順調に三次予選を突破したら、中学生にしてリーグ戦入りだよ」

 

 リーグ戦までは突破できないと思うけど、塔矢くんならやりかねない。

 話を聞いて、ヒカルがきゅっと握り拳を作る。頭から手が離れていて良かった。撫でている途中なら、頭が潰れたかもしれない。

 その後、今日は私と佐為が打つ日だったので、対局してから検討する。密着取材とやらを受けたら、こうやってヒカルの家で打つのも控えないと駄目だし、断って良かった。

 

 

 インタビューは天野さんもフォローしてくれて、無難に終わった。まだ何も実績がないので、あまり面白いものにもならないと思う。どうして今の段階でそんな企画が上がったのか不思議だね。

 塔矢くんの密着取材があって、その談話というなら分かるんだけど。

 それでも見る人は近くにもいたようで、放送があった翌週、月曜の放課後に、久美子が声をかけてきた。

 

「あかり、テレビ見たよ」

「久美子、おはよう。テレビって、インタビューの?」

「うん。もう、びっくりしたよ! 偶然見たから良いけど、教えておいてよ」

 

 恥ずかしいからやだ。それに、教室で話すのも避けたい。

 

「恥ずかしいから、ここじゃちょっと。今日は部室に行くんだけど、久美子も行く?」

「えー。でも部外者が行くと迷惑じゃない?」

「構わないよ、多分。それに、もし良かったら、覚えてみる?」

 

 ヒカルほどじゃないけど、久美子も長い付き合いだよね。今世でも仲良くなれるか少し不安だったけど、自然と仲良くなった。

 私が囲碁をやってるのも知ってるし、お互い気兼ねなく接せられる相手。

 

「うん。あかり楽しそうだし、興味はあるんだけどね。でも、今さら行っても、邪魔にならない?」

「大丈夫。金子さんって知ってるよね?」

「知ってるよ。有名だし」

「バレー部が休みの時とかに、時々打ちに来てくれるんだよ」

 

 金子さんは、三谷くんの相手として時々来てくれるようになった。

 三谷くんも私やヒカルとよく打っているためか、随分と強くなっている。

 

「じゃあ、ちょっと行ってみていいかなぁ?」

「うん、行こ」

 

 久美子を引っ張って、部室へと向かう。

 

「あれ、津田さん?」

 

 夏目くんがすでに来ていて、私と一緒に入ってきた久美子を見て首を傾げる。

 

「ちょっとお話のついでに、囲碁部の見学にね」

「へえ、いらっしゃい」

 

 ヒカルと三谷くんが来るまで雑談していると、それほど経たずに2人とも顔を見せた。

 

「んで、どうしたんだよ?」

「久美子が、インタビュー見たっていうんだけど、教室ではちょっとね。ここなら気兼ねなく話せるから」

「なんだよ、雑談かよ」

 

 三谷くんの憎まれ口に、久美子が気後れしている。大丈夫だよ、三谷くんは口だけで優しいから。

 

「雑談だけどね。久美子が少し囲碁に興味を持っていたから、見学も兼ねてるの。金子さん、次はいつ頃に来るかな?」

「知らねえけど、あいつが何かあんのか?」

「久美子の相手をしてくれたらなって。私もあまり来ないし、本当の初心者だから」

「え、三谷に打ってもらえばいいじゃん。俺も最初の弱い頃から打ってもらったし」

 

 ヒカルの言葉に、しゃあねえな、と三谷くんがガリガリと頭をかく。

 

「その代わり、お前らが来た時はちゃんとお前らが相手してやれよ」

「うん、もちろん! 私が久美子と打つから、ヒカルが三谷くんや夏目くんと打ってよ」

 

 そして、久美子に囲碁の打ち方を説明しながら、インタビューについての雑談にも花を咲かせる。

 

「じゃあ、今後も勝てば、テレビ局に呼ばれたりするの?」

「うーん。何か記録を作ったら、もしかしたらね。一応、今回のもプロ試験の全勝合格が、女子で初めてだったっていうのがちょっと話題になったみたいだし」

「へぇ。じゃあ、今のうちにサイン貰っておかないと?」

「止めてよ。書かないってわけじゃないけど、久美子にサイン求められるのは……って、そうだ、ヒカル」

「何だよ?」

 

 三谷くんと夏目くんの2人と二面打ちをしながら、ヒカルが顔をこちらに向ける。

 ごめん、手を止めちゃって。

 

「ヒカル、書道の練習もしないと!」

「書道ぅ?」

「うん。タイトルとか取った時に、名前書いたりするもん。それに、お客様にサインしたり」

「え、必要になってからでいいよ、面倒くさい」

 

 ヒカル、分かってない。書道も囲碁と一緒で、一朝一夕で上手くならないんだよ。

 とはいえ、まだプロとして1局も打っていないうちからサインの練習もないかな。

 

「まあいいか。でも、本当に字の練習はしておく方がいいよ」

 

 はいはい、と話半分のヒカル。今は三谷くんたちと打って楽しんでるし、まあいいか。

 でも本当に、そのうち綺麗な字をかけるようになっておく方がいい。いざタイトルを取って、下手な字を書いちゃったら興ざめだもんね。

 その日は久美子に色々と教えたり、三谷くんと打ったり、充実した時間を過ごした。

 

 

 いよいよ来週末に、新入段の授与式がある。私もヒカルも、スーツを用意したし、準備万端。いよいよ、プロとしての生活が始まるんだ。

 最近はヒカルの家で打っているのも、勝てる頻度が減ってきている。私が弱くなったというより、ヒカルが異様に強くなった。佐為と塔矢先生の対局前は、あまり負ける頻度は高くなかったけど、今では五分より少し悪いくらい。

 それでも、圧倒的に取り残されたというほどじゃないから、食らいついていかないとね。

 

 


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