世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

4 / 53
第4手 小学6年生 その2

 ヒカルはどうやら、幽霊さんの強さを分かってないみたい。

 まあ、私がどの程度打てるかも言ってなかったし、しょうがないかな。

 翌週、囲碁教室に行くヒカルについていくと、先週走り去った阿古田さんが、フッサフサのカツラをつけて現れた。

 

「やっ、コンチハ」

「ぶーっ!」

 

 ヒカルが阿古田さんを見て、口に含んでいた飲み物を噴き出した。きゃああ、阿古田さんのカツラが……。ヒカルってばなんてことを。

 ギャハハと笑うヒカルの後ろから、怒り心頭の白川先生が怒鳴りつけた。

 

「もういいです、今日は帰りなさーいっ!」

 

 ヒカルはなんだかんだ言い訳してたけど、先生は聞く耳持たない。もう、バカなんだから。

 

「どっか他に碁を打てるとこないかな?」

「え? あるにはあるけど。駅前に碁会所が……」

 

 隣にいたおばさんが、親切に教えてくれる。

 

「よっしゃ、行くぞ!」

 

 怖いもの知らずだなぁ。私、碁会所なんてほとんど行ったことないよぅ。

 

 

「碁会所碁会所、おっ、あれか」

 

 ヒカルが駅前でウロウロするのをついて歩いて、碁会所を見つける。中に入ると、受付のお姉さんが声をかけてきた。

 

「あら、こんにちは。どうぞ」

「うおっ、ジジイばっかし!」

 

 ヒカルったら……。

 

「ふふ。名前書いてくださいね。ここは初めて?」

「ここもなにもまるっきり初めて……。誰でも碁が打てるの?」

「打てるわよ、棋力はどれくらい?」

「棋力? よくわかんねーや」

 

 ヒカルに指を向けられて、お姉さんに愛想笑いする。

 

「よくわかんない……?」

「人と対局したの、コイツと1回だけなんだ。そこそこ強いと思うんだけど……」

「対局ほとんどしてないのに、そこそこ強い?」

 

 お姉さんが軽く笑う。ですよね。普通に考えて、強いわけがない。

 

「あ、なんだ、子どもいるじゃん!」

 

 ヒカルが指を向けた先には、塔矢くん。そっか、ここで出会うんだ。もしかしたら、対局して勝っちゃうのかな。

 おっと、考えてるうちに話が進んじゃった。どうやら席料はオマケしてくれるらしい。

 私は打たないと言ったら、私の分もオマケしてくれた。とてもありがたいけど、受付のお姉さんにそんな権限あるのかな。二人分で1,000円とはいえ、お姉さんの給料から天引きとかされなければいいんだけど。

 

 置き石は不要だって言って、ヒカルが先手をもらう。そしてヒカルが、右上の小目に置いた。ふうん、幽霊さん、初手は小目に置くのが好きなんだろうな。私の時もそうだったし、今もそう。

 というか、そのまま秀策のコスミ。コミを考えると有利とは言えない手だけど、そのあたりは幽霊さんもおいおい覚えるだろう。ちょっと堅い手だけど、実力が上回れば有利に持っていけるだろう。

 

 ……実力が上回れば、というか。塔矢くん相手にも指導碁のレベル。やっぱり半端じゃない。

 見たところ、前世込みにも関わらず、私の方が塔矢くんより下。何回かやって1回勝てるかどうかってところかな? 細かい実力差は、打ってみないと分からないけど。

 がく然とする塔矢くんを置いて、ヒカルが席を立つ。

 

「あら終わったの!?」

「うん。やっぱ知らない奴との対局はまだ早いわ。打つのにすごく時間かかって、もうヘトヘト……」

「あらあら」

 

 出る時にヒカルが受付のお姉さんとお話をしている。その流れで、全国大会のチラシをもらったので、私ももらっておく。全国こども囲碁大会かぁ。そういうの出たことないけど、こういう大会って、どんなレベルなんだろう。塔矢くんほど強い子はいないだろうけど、私だとそこそこ良いところまで行けたりするのかな? 森下先生も、プロ試験を受けろとは言うけど、こういうのに出たらどうだとは言ってこない。

 碁会所を出た後、ヒカルがポソッとつぶやいた。

 

「なんだ、佐為って弱かったのな」

「え?」

「ああ、いやっ……って、ダァー、うるせぇー!」

 

 さい。ソレが名前?

 

「もう、ヒカルってば、また一人で騒いで。遅くなっちゃうから帰ろ」

「え、ああ、そうだな。帰るか」

 

 歩きながら様子を見てる感じ、声に出さなくても会話してる。たまぁーに、ヒカルが叫んだりしてるけど。ヒカルのお母さん、心配してなければいいんだけどな。

 それはそうと、どのタイミングでヒカルに気付いてるってカミングアウトするべきかな。あと、私が前世持ちっていうのも。何事もタイミングが大事。急いで攻めたら悪手になるし、だからといって待っていると機を逸する。ここぞという時を見極めないと。

 

「ヒカル、これ見に行ってみる?」

「うん? 囲碁大会ぃ? めんどくせえなぁ……うぶ、まあ、気が向いたらな」

 

 どうも、幽霊さんが反論するとヒカルの調子が悪くなるのかな。でも、中学に入った頃には、そんなことなかった。馴染むまでの最初だけなのか、すぐに幽霊さんが消えたのか……。判断は付きにくいから、しばらく様子見ね。

 

「うん、もし行くなら付いていきたいから、声かけてね。ルールとかも教えてあげるから」

 

 今は昔と違って、碁が打てる。その一点だけを見ても、幽霊さんからも好感度は高い可能性があるし、ヒカルにしてもルールとか聞きやすいはずだ。

 

「ルールだぁ? そんなのいらねえよ。どうせ本格的にやるわけじゃないし……」

 

 言った直後、あーって言いながら耳を押さえる。幽霊さん、心配しなくてもヒカルは碁をやるよ。そして塔矢くんに負けないくらい、強くなるの。そして……。

 ああ、考えていると落ち込む。やめやめ、未来のことなんて確定してない!

 

「んじゃまた、学校でな」

「うん。ヒカル、宿題ちゃんとやっておくんだよー」

「あー、やなこと思い出させんなよ」

 

 どんより。そんな表現が似合う感じに肩を落として、とぼとぼ歩く。ふふふ、可愛い。

 よし、可愛いヒカルを見てちょっと回復した。帰って碁の勉強しよっと!

 

 

 そして年が明けた、次の週末。ヒカルと一緒に、子ども囲碁大会にやってきた。森下先生に教えてもらってる関係で、何人かの先生とは顔見知りだけど、わざわざ声をかけてくる人は少ないだろう。こんな忙しそうな日に。

 

「う……わぁ。子どもでも結構やってる奴多いんだな」

「そうね」

 

 うん、全国大会だからね、余計に活気あるというか、みんな真剣だ。ヒカルがうろうろとするのを、後ろから付いて歩く。と、ふとヒカルが対局中の盤面に目を向けた。

 えっと、左上に死活があるね。正着が分かりにくいけど、大会に出るレベルの子なら、分かるかな?

 

 パチリ。ああ、違う、その上。

 

「惜しい、そこじゃダメだ。その上なんだよ」

 

 え。今、私声出してないよね!?

 

「え?」

「あ」

 

 当然だけど、対局中の二人も気付いた。すぐ近くにいた係員が、ヒカルの肩を掴む。

 

「きみっ!」

 

 すぐにヒカルが連れ去られる。そりゃそうだー。うわぁぁ、どうするんだろ、この場。

 あ、緒方さんが来た。向こうは私を知らないだろうけど、念のために少し離れようかな。私まで怒られたくないし。

 

 

 ヒカルが連れて行かれて、残った緒方さんが状況を聞きながら対処している。ヒカルが連れて行かれた方へ向かう。

 

「おさわがせしましたー、さよならーっ」

 

 ヒカルが出てきた。会場に戻るわけにもいかないし、帰るみたいだからついて歩く。

 

「やっぱアレはまずかったよなぁ……。つい口走っちゃったもんなー」

「うん、あれはどう考えてもヒカルが悪いよ」

 

 部屋でしっかりと怒られたようで、疲れた顔をしているヒカル。

 

「あーあ、囲碁ってホントかったりーよな。やっぱ俺の性にあわねぇなぁ」

 

 日本棋院でなんてことを言うかな。前言撤回したくなっても知らないよ。

 ……って。前見て、前!

 どん、とぶつかってヒカルが転んだ。塔矢先生だ! 凄い、貫禄あるなぁ。

 

「ご、ごめんなさいっ」

「……気をつけなさい」

 

 そのまま何も言わずに去ったけど、きっと、さっきのヒカルの声は聞こえていたよね……。子どもが碁はかったるいなんて言ってるのが聞こえたら、ガッカリしたかな。

 

「うわ、怒鳴られるかと思った……」

「ヒカル、大丈夫?」

 

 座ったままぼう然とつぶやいたので、声をかけて手を差し出す。起きるのを手伝ったら、ヒカルはキョロキョロした後、口を開いた。

 

「あかり、帰ろうぜ」

「う、うん」

 

 

 建物を出て、ヒカルがジタバタするのを見ながら歩いていると、少し離れたところから、声が聞こえてきた。

 

「進藤……進藤ヒカル!」

 

 塔矢くんだった。ヒカルは屈託無く話しかける。塔矢くん、悩んだんだろうなぁ。普通に対応されてうろたえてるもん。

 って、ぼんやり聞いてたらヒカル、またとんでもないこと言ってるし。塔矢くん切れちゃった。そりゃ怒りたくなる気持ちも分かる。だって、私でも、森下先生がどれだけの努力をしているか知っているし、それでも取れないのが七冠タイトルだ。

 碁聖、天元、名人の三冠棋士である塔矢先生は、現在の碁界トップなのは間違いないだろう。

 

「今から打とう!」

 

 あーあ。ヒカル、引っ張られちゃってまあ。っていうか雨に打たれちゃって、風邪引かなきゃいいけど。地下鉄の入り口で、私だけ差していた折りたたみ傘をたたみ、2人に付いていく。

 

「なあ、碁打ちってみんなこんなの?」

「塔矢くんは特に熱心だと思うけど、多かれ少なかれ、こんなだよ」

「うへぇ」

 

 そんな会話は耳に入らないようで、ぶつぶつとつぶやいている。漏れ聞こえる感じ、やっぱり定石の古さが気になるらしい。

 そして、以前にも打った碁会所に入る。ズラッとお客様を引き連れて、塔矢くんが奥の席に座った。ヒカルがおっかなびっくり、対面に座る。

 そして、勝負が始まった。

 序盤、少しだけ塔矢くんが頑張っていたけど。

 

「……ありません」

 

 とんでもない強さ。これは私はもちろん、塔矢くんに指導碁が打てるわけだ。現在の碁界トップが塔矢名人なのは疑うべくもないけど、もし幽霊さんが今の世にいれば、覆りかねない気さえする。

 

「でもすげえよお前。凄く真剣でさ」

 

 ヒカルの言葉に、ピクリとも反応しない。打ちひしがれて、それどころじゃない感じ。

 

「んじゃ、俺帰るよ」

「あ、ありがとうございました、お邪魔しました」

 

 ヒカルもどこか混乱した様子で席を立つ。私も後に続いた。

 店を出て、しばらく黙って歩く。ヒカルは幽霊さんと会話してるかもしれないけど。

 そろそろ家だ、というあたりで、私は声を出した。

 

「ヒカル、晩ご飯食べた後、お家に行っていい? 一局、打ってくれない?」

「え? いや……」

「ちょっと聞きたいことがあるの」

 

 真剣さが伝わったのか、ヒカルははっきりと頷いた。

 

「じゃあ、また後でね」

「おう」

 

 

 家に帰ってご飯を食べて。ついでにお風呂も済ませておいて、ヒカルの家に向かった。

 いくら近くとはいえ、だいぶ遅い時間だったからお母さんは苦い顔をしていたけど、今日ばかりは聞いていられない。

 

「多分遅くならないから」

「ほんとね?」

「うん、一局打つだけ」

「……長いじゃない」

 

 そんなことない。多分、すぐ負けるだろうし。

 

 

「ヒカル、おまたせ〜」

「遅い! って風呂まで入ってたのかよ。俺も入っておけばよかった」

「入ってないの!? 雨に打たれたのに? 待つから、入ってきてよ!」

「大丈夫だって、うるさいなぁ」

 

 聞いてられない。部屋の扉を開けて、おばさんに声をかける。

 

「おばさーん、ヒカル、先にお風呂! 今日、ちょっとだけど雨に打たれてるし、風邪引いて移されても困るから!」

「あら。ヒカルは何とかだから風邪引かないと思うけど、移しちゃまずいわねえ。さっさと入ってらっしゃい」

 

 ぶつぶつと文句言いつつ、ヒカルはお風呂に向かっていった。5分ほど経ってから、ぼそりと声を出してみる。

 

「……ふう。えーっと。幽霊さん、お風呂に付いていった? それとも、ここにいるの?」

 

 返事がない。あっても困るけど。しばらくお風呂場の様子を窺っていたが、慌てたような音もしない。どうやらここにいないようだ。

 しばし待って、ヒカルが部屋に戻ってきた。

 

「おかえり」

「ん。そんで、一局打ちたいんだな?」

「うん。指導碁じゃなく、本気でお願い」

 

 プラスチックの碁盤を出して、にぎる。私が黒だ。

 そして打ち始めるも、布石の段階からはっきりと形が悪い。打つたびに、悪くなっていく。白の動きを全然とがめられない。

 囲碁は会話だ、というのを聞いたことがある。私もそうだと思う。ただし、実力差がありすぎると、言いたいことも言えない。

 

「あ、ありません」

 

 負けると悔しい。最初から負けると分かっていても、涙が出てしまう。

 

「おい、あかり……」

「ん、ごめんね。大丈夫。さすが、強いね、幽霊さん」

「まあな、小学生に負けてるようじゃ……って」

 

 叫びかけたヒカルの口を手で押さえる。

 

「ごめんね、最初から気付いてた。ヒカル、分かりやすすぎ。1回、さいって名前も口に出してたよ?」

 

 大声を出さずに済んで、ほっとため息。ヒカルがおそるおそる、口を開く。

 

「でも、じゃあなんで対局なんか……それに、誰にも言ってないのか?」

「どれくらい強いかだいたいは分かってたけど、やっぱり真剣に打ってほしかったの。それと、言うわけないよ。ヒカルが隠してるのに」

「まさか、佐為がばれてるとはなぁ」

 

 何もない空間に向かってヒカルが笑みを浮かべる。その笑顔、私にも向けてほしいな。

 

「さいさんがいるの、何もない空間だからね。周りから見たら不思議よ。それと、碁」

「碁、っすか」

「碁、っすよ。いくらなんでも昨日や今日始めたばかりの素人に、塔矢くんは当然、私もあっさり負けるような実力じゃないよ」

 

 何やらヒカルが佐為さんに聞いてるっぽい。

 

「ふーん。具体的に、お前とか塔矢ってどんな程度なんだ?」

 

 どういえば通じるだろう。

 

「例えばね、年に1回、プロ試験っていう、碁のプロになるための試験があるんだけど。塔矢くんは、多分今受けても通ると思う」

「え? プロォ? そんなに強いの!?」

「うん。凄いよ」

「へええ」

「今日、囲碁大会で、帰る時にぶつかった人覚えてる?」

「ああ、なんかテレビで見た人だな」

「あれ、塔矢行洋名人。タイトルを三つも持っている、塔矢くんのお父さん。名人っていうのもタイトルね」

「ええぇ! 似てねえ!」

 

 引っかかるの、そこかー。

 

「で、あかりは?」

「私? 私は……今のままだとプロ試験には受からない、かな?」

 

 受けたことないけどね。まあ、前世に比べものにならないくらい強くなってるけど、プロになれるほどじゃないとは思う。今の実力は私より下だからそこまで参考にならないけど、和谷くんも全然プロになれないみたいだし。

 ヒカルはちょっとだけほっとした様子で、そっかとつぶやいた。

 

「そんな簡単にプロになれるわけねえもんなぁ」

「うん、まあそうだね。だからこそ、塔矢くんは怒ったんだよ」

「あー、まあ、言い過ぎたかもな」

 

 明らかにね。まあ、とりあえず確認したいことは済んだかな。

 私の秘密は、いつか言うかもしれないけど、今は言えない。

 

「ヒカル、もしヒカルが碁をやることになって、さいさんに教えてもらえるなら、私も一緒に勉強したいな」

「どうだろ、やるのかねぇ」

「きっとヒカルは強くなるよ」

 

 その後、佐為さんの漢字を教えてもらって、佐為でいいって言われた。なんとなく抵抗あるけど、見えないし聞こえないから、まあいいか。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。