世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第36手 中学2年生 その8

 ヒカルとの約束で、一緒に地方のイベントへやってきた。せいいっぱいおめかししたけど、ヒカルは気付いた様子がない。しょうがない、ヒカルだもんね。

 

「近くであったら良かったんだけどな。ちょっと時間かかるよな」

「うん。でもたまには遠出も良いんじゃない?」

 

 今日を逃すと、来週は明日美さんの新初段戦、その2週間後には私の新初段戦があるから、行ける日を作るのがなかなか難しくなる。

 中は人がいっぱいで、いろんな催し物をやっている。

 

「ヒカル、どうする?」

「……ちょっと対局でも見に行ってみるよ」

 

 フラフラと自由対局場の立て札があるあたりに向かう。小さく何か言ってるので、佐為が先導しているのかもしれない。

 ヒカルに付いていくと、ひとつの対局を見始めた。私も横から見ると、二人とも一応打てるという程度の腕で、大石がアタリになっていても気付いていない。

 ふふ、昔は私もこうだったな。

 

 

 ヒカルと話しながら会場をうろつく。ヒカルが物販のコーナーに目を向けたので、一緒に向かう。

 碁盤や碁笥、対局時計が売っている。やっぱり良いのは高いね、数十万もしてる。おじさんがいずれ欲しいと言って、店員に勧められている。ちょっと強引な推し方をすると思っていると、ヒカルが思わぬことを口にした。

 

「じゃあ、カヤっていうのは嘘?」

 

 え、カヤじゃない? 言われてみると、ちょっと違う気がする。見た目だけじゃ分かりにくい。

 

「誰だ、イチャモンをつけてるやつは。商売の邪魔するんじゃないよ」

「御器曽先生」

 

 店員がやってきた人に目を向けて、ホッとした様子。うーん?

 あ、ヒカルが碁石を手に取ったと思ったら、カヤだっていう碁盤に石を打った。

 パチッと音が鳴るけど、うん、少し鈍い。これは確かにカヤじゃない。でも、見ただけで分かるとは、佐為は凄い。

 

「売りもんの碁盤に石を打つなんて!」

 

 店員は怒るけど、それどころじゃないよ。

 

「どうしました、さっきから騒がしいようですが」

 

 運営スタッフがやってきて、店員と話しはじめる。

 子供がいたずらしたってことにされそうだけど、黙ってられない。

 

「それ以上言いがかりをつけると、お前が傷物にした碁盤を弁償させるぜ」

 

 間違いない、この人達グルだ。御器曽って人がプロだとしても、売り物を勝手に弁償させるなんて普通は言えないもん。

 

「あの。私たちが子供って言われたらその通りですけど。今は碁盤の素材を偽っている方が重視するべきではないですか?」

「え、偽る?」

「適当なこと言ってんじゃねえよ」

 

 困ったな、私もヒカルも、まだ免状はもらってないからプロじゃないし、どう説明したらいいだろう。

 

「秀策の打った碁盤!?」

「それは先日、古物商から手に入れたばかりのものですわ。どないですか、見事なもんでしょう」

 

 目を向けると、碁盤に文字が書かれていて、高松で署名したものだとかなんとか。

 ヒカルが険しい顔をしていると思ったら、手を繋いで引っ張られる。

 

「あかり。あれも偽物だ。佐為が言うんだから、間違いねえよ」

「やっぱり?」

「やっぱりって?」

「碁盤で材質を偽るような人達だよ。ああいう真偽が分かりにくい過去の偉人に関するものとか、偽物がたくさん出回ってるから」

「へえ」

「売ってる人が騙されていて、気付かず転売している場合もあるけど、今回は騙すつもりでやってるでしょうね」

 

 どうしよう。さっきもちゃんと相手してもらえなかったし、悪徳業者なら、何を言っても無駄だろうし。

 ヒカルと話しているうちに、秀策の碁盤を見ていた人はどこかに行った。そりゃ、あんなのをポンと買う人はいないよね。

 

「とりあえず、さっきの運営の人に言ってみよう」

「ああ、そうだな」

 

 御器曽プロに指導碁の時間だからと言っていた運営スタッフに声をかける。

 

「あの、さっきの件なんですけど」

「ああ。君たちはちょっとこっちに来てもらえるかな」

 

 言われるままに付いていくと、歩きながら話し出す。

 

「さっき、碁盤が偽物って言ってたけど」

「うん。あれはカヤじゃないよ。それに、秀策の碁盤も偽物だよ」

「やっぱり。カヤじゃなくて、あれは新カヤじゃないかと思ってたんだ。それと、秀策の文字が偽物って?」

「私たち、秀策の棋譜を勉強しながら、秀策の人生も興味が湧いて調べてみたんです。私も覚えてるけど、秀策の文字とは全然違いましたよ」

 

 去年の碁盤屋に色々と教わったらしい。御器曽プロの紹介らしいけど、ヒカルを煽ったところといい、余計に怪しい。

 碁盤屋はスタッフの人が注意するってお話だけど、致命的な問題になる前に撤去すべきだよね。どうしようかな。

 

「やれやれ、せっかく遊びに来たのに、ぶち壊しだな。どうする、他のとこ見る? あかりと佐為は……って、あーあー、怒ってるなぁ」

 

 私は別に怒ってないから、佐為が怒っているんだろう。気持ちは分かるよ、うん。秀策との思い出を汚されたもんね。

 あ、御器曽プロが指導碁やってる。

 

「ヒカル、あれ」

「行ってみようぜ」

 

 近付くと、ヒカルが耳元でこっそりとつぶやく。

 

「客の一人、碁盤を見てて、買わなかった人だ」

「……本当だ」

 

 ひゃ、急に耳元で声を出すから、ビックリしちゃった。でも、対局を見ると、一気に冷や水を浴びせられたような気分になる。

 

「酷いね」

「ああ」

 

 見ていると、御器曽プロがおじさん相手に暴言を吐く。本当に酷い。

 

「……もうどうにも……駄目ですね」

「駄目じゃないよ、おじさん、頑張れよ」

「え?」

 

 ヒカルがフォローしようとしたけど、お客様は逃げてしまった。いやいや、盤面を見るに、ここから逆転はいくらなんでも無理だと思う。相手もプロなんだし。

 

「生意気な口を叩いたんだ、代わりにやったらどうだ。そのかわり、負けたらとっとと会場から出て行くんだな」

「いいぜ。でも、俺が勝ったら秀策の碁盤を引っ込めろ」

「やれるもんならやってみろ」

 

 御器曽プロが、馬鹿にしたように言い放つ。この状況から勝つには、きっと佐為の力を借りるんだろう。こんな人を相手に手加減は不要だし、やっちゃって良いと思う。

 でも、念のために別の方法でも手を打っておこう。おじさんが気分を害したままっていうわけにはいかないし。

 

「ヒカル、ちょっと席外すね」

「ん? おう、分かった」

「佐為、絶対に勝ってよ」

 

 ヒカルにも聞こえないほどの小声で、佐為を激励する。聞こえる範囲にいたかどうか分からないけど、気持ちの問題なので聞こえなくても構わない。

 本部になっている場所を確認して、そちらへと向かう。見知った顔があると助かると思っていたら、運良く天野さんが本部に座っていた。

 

「天野さん、こんにちは」

「あれ、藤崎さん。今日はお手伝いとかじゃなかったよね?」

「はい。遊びに来たんですけど、ちょっと気になったことがあって。責任者の方とお話できますか?」

「うん? どういった内容?」

「場内販売をしている碁盤屋なんですけど、ちょっと売り物に問題がありそうで。あと、指導碁している先生がお客様に酷い指導をしていたので、フォローをお願いできたらと思って」

 

 天野さんは私の言葉で眉間にしわを寄せて、少し待つようにと言い残して、席を立った。奥の方に入っていったので、誰かに相談に行ったんだろう。

 数分待つと、責任者という方が出てきた。

 

「ええと、藤崎さんだったかな。売り物に問題があるとは、どういうこと?」

「今日、友人と遊びに来ていたんですけど、売っていたカヤの碁盤が、どうも新カヤっぽくて。棋院のイベントで、嘘を吐いて偽物を売って後から気付いたら、大ごとになると思ったので、確認してもらいたいと思ったんです」

「なるほど。天野さんは、適当なことを言うような子じゃないと言っているし、本当なら大ごとだね。確認させましょう。それと?」

 

 良かった、この方はまともだ。もし御器曽プロと手を組んでいたら、どうしようかと思った。

 

「あと、お客様への対応もお願いしたいと。細かいお話ですけど、その碁盤屋で買わなかったお客様が、指導碁で無茶な打ち方をされてまして。もしフォローができそうなら、融通を利かせてもらえないかと思ったんですが、どうでしょう」

「ふぅむ。それはなんとも言えないな。誰か余裕があればいいんだが。一人だけかな?」

「ええ、私が見た限りではお一人だけ。それ以前にあったとしたら、分からないんですが」

「なるほど。それなら、一人だけ融通を利かせるというのもあまり良くないね」

 

 一人だけ特別対応して、別の気分を害した人が後から知ったら、余計に苛立つ場合がある。おっしゃっている内容にも一理あるけど、そういう問題じゃない。

 あの盤面を見ていないから分からないんだ。指導碁でもなんでもない、ただのいじわるだったもん。

 

「じゃあ、俺が指導碁やる時に、その人を増やそうか。さっきちょっと話もしたし」

 

 急に横から声がかかって、そちらを振り向くと、ヒカルと一緒に倉田先生がやってきていた。

 えっと、どういうことだろう。

 

「こっちの進藤から御器曽さんの話を聞いてね。間違いなく新カヤだったよ。それと本因坊秀策の碁盤も下げさせるように言っておいたから」

 

 他にいたらどうするかってまだ責任者の人が言っているけど、別のスタッフが、御器曽プロはさっき指導碁をやり始めたところなので、別の客には害を与えていないはずだって説得していた。

 多分、想定通りに進まないのが納得いかない人なんだろう。言いたいことも分かるけど、融通が利かなすぎる気がする。

 でも、後は倉田先生や天野さんに任せてよさそう。倉田先生がやってくれるなら、私がでしゃばることは無かったかな。

 

「ヒカル、お疲れ様。後は任せようか。この後はどうする?」

「そろそろ帰ろうか。疲れたよ」

「うん」

 

 挨拶だけして去ろうとしたら、倉田先生に止められた。

 

「あ、ちょっと。女の子の方」

「え、私ですか?」

「キミも新初段の子だよね? なんて名前だっけ?」

「藤崎あかりです」

「ふーん。御器曽プロに勝ったそっちの奴より、プロ試験の成績良かったの?」

「良かったも何も! 倉田さん、藤崎さんは全勝で合格したんですよ」

 

 横で聞いていた天野さんが、自慢げに説明している。えーと。

 

「へえ。じゃあ、キミも結構強いのか」

「……倉田先生に比べたらまだまだですけど」

「そりゃそうだ。僕に勝てたら、もうリーグ戦入りできる実力ってことになるからな。あ、そろそろ時間かな。まあ、キミたちのことは本因坊秀策の署名鑑定士として覚えておくよ」

「署名鑑定士ぃ?」

 

 ヒカルが呆れたような声を出す。うん、私も気持ちは一緒だよ。なんだろう、署名鑑定士って。

 会場を出て、歩きながらヒカルに話しかける。

 

「帰ったら、佐為がどんな碁を打ったのか教えてね」

「ああ。やっぱり佐為はすげえよ。俺も色々と考えたけど、俺じゃ逆転とか無理だったもん」

「うん。私も無理だったと思う。でも、ヒカルも私も、これからだよ。一緒に頑張ろう」

「おう!」

 

 プロにも色々といる。それに、佐為の凄さもあらためて感じられたし、来た意味はあった。あまりデートという感じじゃなかったけど、トラブルもあったししょうがない。

 家に帰ってから、佐為の碁を見せてもらう。どう考えていたかも教えてもらい、私やヒカルが思いついた手を言って佐為からの意見ももらう。

 佐為は序盤で不利になる展開がほとんどなかったけど、こうして検討だけじゃなくて実際の打ち回しを見たら、劣勢からの逆転手も奥が深い。

 

 

 地方のイベントへと足を運んだ翌週、明日美さんの新初段戦がやってきた。ヒカルと一緒に、早い時間に家を出て棋院へと向かう。

 ヒカルの時もそうだったけど、まずは棋院の前で挨拶をして写真を撮る。

 明日美さんは緊張した風だけど、桑原先生に話しかけられても丁寧に対応できている。

 

「今年は女子の台頭が目立ったようだの。男連中がふがいなかったのか女子連中が良かったのか分からんが、大したもんじゃのう?」

「えっと、ふがいなかったわけでもないですけど」

「フォッフォッフォッ、じゃあ実力十分な男連中に勝てるだけお主は強いんじゃの。あっさり負けんように胸を借りるとしよう」

「いやそんな。えっと、よろしくお願いします」

「緒方くんの妹弟子には負けてられんからの?」

 

 しかし桑原先生も意地が悪いよね。前からそうだけど、からかうような言い方が多い。

 でも、ヒカルに注目していることといい、油断ならない人だ。

 

「ヒカル、前にも言ったけど桑原先生には気をつけてよ。勘でヒカルが気になるって言ってた人なんだから」

「ああ。霊感とかってあるのかなぁ?」

「佐為がいる以上、他にも幽霊がいるかもしれないし、それを感じ取る人がいてもおかしくないけど」

 

 桑原先生がどこまで分かっているのかは分からない。

 桑原先生と明日美さんが幽玄の間へと向かったのを確認して、私たちも控え室に入る。今日はまだ誰もいない。

 準備していると、塔矢くんがやってきた。ヒカルを見て、驚いたような顔になる。来てるのがそんなに変かな?

 

「塔矢」

「進藤か。早いな」

「あかりに連れて来られて。もうちょっと寝ていたかったんだけどな」

「え、私のせい? じゃあ黙って来た方が良かった?」

「最初から見たかったし、いいよ」

 

 あれ? 私のせいみたいに言われてるけど、放っておくとヒカルは起きなかったよね?

 首を傾げていると、ヒカルが口を開く。

 

「そういや、先週のイベントの時にさ、倉田さんが桑原のじーちゃんのことを、必死で本因坊の座を守っているけど、近いうちに緒方さんか倉田さんに負けると思うって言ってたけど、桑原のじーちゃんってそんなに強くないの?」

「なんてことを言うんだ。父さんが5冠の今、タイトルホルダーは父さんと一柳先生と桑原先生の3人なんだ。棋聖と名人と本因坊は大三冠と言われていて、特に争いが激しいタイトルだ。確かに倉田さんもリーグ戦入りしているくらいだし、緒方さんだって言わずもがなだけど、桑原先生が弱いはずがないだろう」

 

 言いたいことを代わりに言ってくれるのって楽だね。まあ、本因坊戦に全力を注いでいる分、他の棋戦は手を抜くし、こういう記念対局も遊び半分な気配はするけどね。

 

「見ていれば、どれだけ打てるか分かるだろう。よく見ておくといいさ」

「言われなくても見るよ。偉そうに」

「進藤。プロになれた努力は認めるが、自分の実力はきちんと把握しておくべきだ。そうすれば、間違っても桑原先生が弱いなんて発言はしなくなるだろう。だいたい、キミは発言がうかつで……」

 

 元気良いというか、二人とも言い合いながらも楽しそう。そろそろ始まるけど、放っておいていいかな。

 と、部屋に誰か入ってきた。

 

「あれ、アキラと藤崎さん。それと、えーっと」

「芦原さん。どうしたんですか?」

「酷いな。可愛い妹弟子が桑原先生に挑むからって、わざわざ見に来たんだよ」

 

 ヒカルと塔矢くんも毒気を抜かれたように落ち着く。この場は芦原さんの脳天気さの勝ちね。……でも、可愛い妹弟子って、まさか明日美さんを狙ってないよね?

 

「こっちは進藤ヒカル。私たちと一緒に合格した友人です。で、こちらは芦原四段。塔矢先生のところで学んでいる、私たちの先輩だね」

「よろしくお願いします」

「進藤くんか、よろしくね。今年はプレーオフまであって、大変だったみたいだねぇ」

 

 気さくに話しかけてくる芦原さんに、ヒカルもホッとして応対する。大丈夫だよ、緒方さんと違って、芦原さんは裏がないから。

 

 

 そんな話をしているうちに、明日美さんの対局が始まった。

 逆コミがあって明日美さんが有利だけど、本気でかかられると一気に負けてしまうだろう。

 明日美さんがしっかりと地を確保していき、桑原先生が攻めるも、今ひとつ攻めきれない。互先の気持ちで挑んだヒカルと違い、明日美さんは逆コミの有利を活かして立ち回っている。

 

「こことか面白い手だよね。数目与える代わりに、これ以上荒らせなくなるし、差は縮められるけど逆転には届かないように頑張ってるな」

「うん。ちょっと薄くて気になるところもあるけど、桑原先生も無理に攻めておられないから、このままいけばなんとかなりそうだね」

 

 途中でやってきた天野さんたちも一緒に検討しながら対局を見守る。結果、予想通り桑原先生の攻め方は緩くて、明日美さんがギリギリだけど勝ちをものにした。

 塔矢くんや芦原さんが検討に向かうのを見送り、ヒカルと2人だけの控え室で話をする。

 

「桑原のじーちゃん、あまり本気じゃなかったな」

「うーん、本気じゃないというか、相手を見定めるような打ち方だったと思う」

「そうだな。勝ち負けよりも、こういう盤面でどうするかを見て、実力や読みの深さを測るような感じだった」

「塔矢先生は本気で打って、桑原先生は探るような打ち方。一柳先生はどっちかな」

「どうだろうな。佐為との対局を見る限り、結構本気で打ってきそうだけど」

「でも、一柳先生が格下と戦う時、結構手を抜いてるよ」

「そっか。じゃあ、手を抜いたら駄目だってところを見せてやればいいんじゃねえか?」

 

 うん、そうだね。序盤で手を抜くと駄目だって分かってもらえたら、本気で打ってもらえるかもしれないね。

 本気で打ってもらえるように、精一杯頑張ろう。

 そんな決意をしつつ、明日美さんの勝利を祝うために、私たちも検討室へと向かった。


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