世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第34手 中学2年生 その6

  塔矢先生とお話をした翌日の金曜。祝日なので、朝から研究会に参加している。午前中、芦原さんに対局してもらって、お昼休みに、和谷くんと企画している勉強会の話題を出した。

 

「へえ、面白そうね。行ける日は行きたいな」

 

 明日美さんは即答で参加を決めた。塔矢くんに目を向けると、小さく肩をすくめられた。

 

「僕は……院生に仲が良い人がいるわけじゃないし」

「ヒカルも参加するんだけど、良かったら打ってもらえないかな?」

「試しに、一度だけ参加してみたらどう?」

 

 塔矢くんは不参加の気配だったけど、理由があまり前向きじゃない。明日美さんと顔を見合わせ、少し押してみる。

 明日美さんの口添えでも考え込んでいたけど、しばらく経ってから顔を上げた。

 

「進藤は、何か言ってた?」

「塔矢くんが参加するかどうかは、塔矢くんに任せるって。本気で打つのは公式の場でやりたいけど、前哨戦も悪くないって言ってた。偉そうでごめんね」

「ううん、藤崎さんが謝ることじゃないよ。でも、それなら1度参加してみるよ」

「本当? ありがとう」

 

 ヒカルは当然、明日美さんもいるから、塔矢くんが義理で参加を決めたわけじゃないはず。塔矢くんも、明日美さんを憎からず思っているはずなんだけど、感情が読みにくい。ヒカルと話している時は、あれだけ感情豊かなのにね。

 

 

 週が明けて、火曜日。先週はプレーオフを優先したけど、久しぶりに森下先生の研究会。

 ちゃんと和谷くんも来ていたので、ひと安心。聞いたら森下先生とも話したらしい。というか、説教されたみたい。

 始まる前に、伊角さんが院生や九星会を辞めたという話を和谷くんから聞かされた。篠田先生は、碁の勉強だけじゃなくて、自分を見つめ直すのも大事だと言っていたらしい。確かに和谷くんや門脇さん、越智くんに比べて、伊角さんは精神面でちょっと弱い気がする。

 伊角さんが参加しないとちょっと寂しいけど、それも伊角さんの選択だからしょうがない。

 話は、勉強会の予定に移る。

 

「本田さんと小宮さんと越智が来るって。フクは来年四月から中学生になるから、それからなら来られるってよ」

「越智くんが来るとは思わなかった。よく誘えたね」

「ああ、さすがにあいつも、藤崎が自分より実力があるって認めてるんだよな。そのうち追い抜くとは言ってたけど」

「うん。負けず嫌いだもんね」

 

 他に声をかけた足立さんや飯島さんは来ないそうだ。足立さんはともかく、飯島さんは来ると思ったけど、来ないのかな。

 

「俺と進藤と藤崎、奈瀬も来るんだろ? それに本田さんと小宮さんと越智、冴木さんで合計8人か。結構多いよな、どこかいい場所があるかな」

「1回目は、知り合いの伝手で碁会所で開けることになったから。後で集合場所の最寄り駅を教えるね。それと、もう1人誘ってみたら、来るって言ってたから、合計9人ね」

「へえ。院生じゃないよな、プロの誰か? 冴木さんの知り合い?」

「いや、俺は関係ないよ。藤崎さんの知り合いだよな」

 

 少し離れたところで検討していた冴木さんが寄ってくる。

 塔矢くんも来るって言ってもいいんだけど、せっかくだからサプライズにしておきたい。ヒカルにも、言わないように伝えている。

 というか、言うにしても森下先生がいない場所の方が良さそう。

 

「まぁ、当日のお楽しみってことで」

「……まさかな。あの野郎が来るわけねえし」

 

 何やら和谷くんがボソボソとつぶやいていたけど、聞き取れなかった。

 和谷くんの言う通りかなり人数が多いし、勉強会そのものが雑にならないように気を付けなきゃ。でも、みんな必死だから大丈夫だよね。

 そのあたりで話を切り上げて、森下先生を中心に検討が始まった。

 

 

 そして2日後の木曜、早速勉強会の日がやってきた。ヒカルと一緒に集合場所に行くと、何人か来ていて、雑談している。

 

「こんにちは、遅くなってごめんなさい」

「まだ揃ってないし、問題ないよ」

 

 冴木さんが気さくに微笑む。少し年上だけど、本田さんとは院生で被っていたらしく、顔見知りだった。少し待つと、最後に越智くんがやってきて、全員揃う。

 

「これで全員? 和谷からもう1人いるって聞いたんだけど?」

「うん。場所を借りる碁会所、その人のお父さんが経営していてね。直接そっちに行ってるの」

「ふーん。あまり勉強に向かない環境なら、僕は次からは遠慮させてもらうよ」

 

 私が説明するより早く、明日美さんが口を開く。

 

「1回試してから次にどうするか考えたらいいじゃん。絶対に残る方がいいと思うけど」

「着いてからでいいじゃん。もう行こうぜ」

 

 ヒカルが促して、移動し始める。と言っても、駅からそれほど離れていない場所に碁会所がある。

 

「え、ここって」

「やっぱりか……」

 

 冴木さんは知っていたようで、ためらったように声を出す。和谷くんも予想していたみたい。まあ確かに、考えたらすぐ分かりそうだね。

 

「はい、塔矢名人が経営してる碁会所です」

 

 

 中には既に塔矢くんが来ていて、入り口で市河さんと一緒に出迎えてくれた。思い思いに挨拶をしているけれど、塔矢くんの目線はヒカルに集中していた。

 もう、明日美さんもいるのに。でも明日美さんは気にした風でもない。というか、市河さんが少しきつい目を明日美さんに向けてるけど、何かあったの?

 

「じゃあ、こっちのあたりを僕たちの勉強会用に開けているから。さっそくだけど、打ってみる? それとも検討する?」

 

 塔矢くんが、こちらに目を向ける。今日は顔合わせの意味もあるし、対局すると、院生同士になった場合にあまり意味がなくなっちゃう。

 

「今日は人数が奇数だし、検討にしよう。どうしても打ちたいって人がいれば、打ってもいいけど」

 

 ヒカルも塔矢くんも、目を合わせつつ自重している。

 

「じゃあ、僕は塔矢と打ってみたいんだけど」

「……今日は指導じゃないからいいけど、年上に呼び捨てはどうかと思うよ」

 

 わぁ、越智くんの性格忘れてた。打つ機会があれば、挑むよねぇ。前に明日美さんから指導碁に行ったという話も聞いたし、どうなることやら。

 どうしようかと悩んでいると、和谷くんが方針を決める。

 

「んじゃ、塔矢と越智が1手20秒の早碁で対局。俺たちは少し離れて、その検討ってのはどうだ?」

「良いんじゃないか。あ、塔矢くんと越智くんが良ければね」

 

 冴木さんが同意すると、塔矢くんも頷いた。要望が通ったのに、越智くんはへの字口のまま。それというのも、塔矢くんはずっと目をヒカルに向けているから。目は口ほどに物を言う、ってね。越智くんとしては、眼中にないって言われているようで面白くないんだろう。

 そして対局が始まり、序盤はお互いに地を広げる。越智くんが好きな形になっているけど、塔矢くんは焦った様子もない。

 

「ここ、もうツケた方が良いんじゃないか?」

「でもこう上からハネられたら、こうきてこうなって……手が狭まるよ」

「ああ、そっか」

 

 お互いに我慢する碁になっていて、本田さんの案にもヒカルが反論する。ヒカルも、こういう盤面では我慢するよね。塔矢くんの場合、行けるとみたらしっかり攻めるけど、今はあえて越智くんの碁に合わせている気がする。

 早碁だけあって、さほど時間がかからず、越智くんの投了で終局した。越智くんが離席している間に、塔矢くんが検討に混ざる。

 塔矢くんや冴木さんが教える側になって、他のメンバーが出す意見に対して回答をする。でも、それだと塔矢くんや冴木さんの利点が少ない。

 そんなことを思っていると、ヒカルが別の打ち筋を提示した。

 

「なるほど、こうなると、こういう狙いが……」

 

 塔矢くんも考えていなかったようで、熱心にどう変化する手があるか検討が進む。塔矢くんの勉強にもなって良かった、と思った途端、塔矢くんがヒカルの手に苦言を呈した。

 

「ちょっと待った、さっきのはともかく、その手は無いんじゃないか」

「いや、行けるって。こう打てば、十分に形になってるじゃねえか」

「こんな不安定で形になっている? どこが?」

 

 あ、やばい。ヒカルもムキになっているし。っていうか、ずっと塔矢先生の研究会に行っていたけど、塔矢くんがこうやって言い合うの、久々に見たよね。

 周りのメンバーは、目を白黒させている。

 

「はいはい、そこまでにして。二人だけならいいけど、今は勉強会だから」

 

 二人ともハッと我に返り、軽く謝る。

 

「ふふ、塔矢くんがそんなになってるの、初めて見た」

「……もっとお高くとまってるもんかと思ったけど、進藤と言い合ってるのを見ると、案外普通っぽいところもあるんだな」

 

 こそこそと、後ろで明日美さんや和谷くん、本田さんが会話している。聞こえないように気をつけてよ。

 

「じゃあ、先週あった塔矢名人と座間王座の対局の検討とかやってみる?」

 

 少し落ち着いたところで、冴木さんが提案してくる。トッププロの対局は、色々と深い読みがあって勉強になる。

 まだ途中だけど、塔矢先生が優位だし、五冠の目も出てきている。

 

「師匠の研究会じゃ、塔矢名人の対局を検討する機会、極めて少ねえからな……」

 

 和谷くんが愚痴を言って、冴木さんも笑いながら同意する。森下先生にとっては、塔矢先生は研究相手じゃなくてライバルなんだろう。

 ライバルの碁を研究するのも悪くないと思うんだけど、その代わりに、韓国の棋戦やsaiの碁をよく研究している。saiの碁は、一柳先生と打った時くらいしか検討していないけど、韓国の碁は凄く勉強になる。佐為も興味津々みたい。

 

 

 検討が一通り終わり、そろそろ解散という時間。今後について相談する。

 

「次からも、こんな感じでいいですか? やりたいことがあるとかあったら、遠慮無く言ってくださいね」

「私は問題ないよ。楽しかったし。でも、冴木さんと塔矢くんは、あまり勉強にならなかったかもしれないですね」

 

 明日美さんの言葉に、冴木さんと塔矢くんに目線が集まる。

 

「俺は十分に勉強になってるし、構わないよ」

「僕も、有意義な時間だった。参加できる時は参加させてもらうよ。でも、次の本因坊戦二次予選の最終戦に勝てば、三次予選は木曜だから、その時は参加できないと思うよ」

「え、もうそこまで行ってんの?」

 

 ヒカルってば。週刊碁くらいチェックしないと。あ、でもヒカルが囲碁界の情報をあまりチェックしないから、前の若獅子戦の記事も見られずに済んだし、こっちから言うべき情報だけ伝えればいいかな。

 

「というか、まだ負けなしだよね」

「うん。今のところは負けていないけど、次の名人戦の二次予選で、倉田さんと当たるから、そこが正念場だと思ってるよ」

 

 今年受からなかった和谷くんと越智くん、本田さんと小宮さんの4人は、羨ましそうな顔をしていて、冴木さんは塔矢くんの言葉に気合いを入れ直している。

 ヒカルは凄く悔しそう。気持ちは分かるけど、これからだよ、ヒカル。

 

「僕が行ける時は、ここを使って勉強会をしよう。父さんにも了承をもらってるから。代わりに、暇な時にでもここに来て、お客さん相手に指導碁を打ってあげてよ」

「でも、俺たちはプロじゃねえぜ」

「……越智くんはプレーオフに出るくらいだし。和谷さんも5敗、本田さんは9敗で小宮さんは11敗だったかな。本田さんは4敗の人に勝ってたと思うけど、それが実力なら、指導碁を打つには十分だよ。小宮さんは、もうちょっと地力を付けないと合格は難しいと思うけど、ここで指導碁を打つには十分な実力だと思う」

 

 驚いた。塔矢くんに質問されてメンバーは伝えたけど、プロ試験の結果を確認して覚えているっていうのは、予想外だった。

 他のメンバーも同じだったようで、一様に驚いた顔をしている。あ、越智くんだけはあまり変わらずむすっとしたままだった。

 

「今後、時間がある時に、良かったらそれぞれ打ってみよう」

 

 自然と指導する側に回っているけど、実力を考えると、誰も反論できないし、する意味もない。みんな、実力を向上するために来てるんだから。

 

「若獅子戦じゃ負けたけど、ぜってー追いついてやるからな」

「ああ、楽しみにしてるよ」

 

 しばらく塔矢くんは参加可能なようで、次回以降もこの碁会所での勉強会で確定した。それぞれ連絡先を交換して、解散となった。

 

「あかり、帰るぞ」

「うん。みんな、また来週、明日美さんと塔矢くんは、また明日ね」

「お疲れ」

 

 口々に挨拶して、走るヒカルを追いかける。もう、子供なんだから。

 

「ヒカル、早いってば。どうしたのよ」

「早く帰って打つぞ。一日でも早く、アイツに追いつかねえと」

「ヒカルもプロになったし、これから一局ずつしっかりと打って勝っていけば、塔矢くんと公式大会で打てるようになるよ」

「……ああ。なあ、あかりから見て、俺と塔矢の差ってどれくらいあると思う?」

 

 実力の差は、なかなか掴みにくい部分もある。棋風もかなり違うし。

 塔矢くんの碁は、塔矢先生に近い。引くべき時にちゃんと引いて、押すべき時にちゃんと押す。凄くバランス感覚が良いというか、見極めが上手い。それでいて、無理に攻めるのも守り続けるのも普通に打ち回すんだから、とんでもない。

 それに対してヒカルの碁は、相手が好きに打つ時は我慢して、自分が好きに打てるような時にしかける感じ。相手が慣れてなければ、変化についていけず一蹴できる。その反面、正解が難しく、打ち間違えると一気に形勢が悪くなる。

 佐為は相手の打つ手によって、都度変化する。なかなか読めないけど、深いところまで読んで応手を変えているから、どんな相手でも得意な盤面を作らせず、佐為が優位な盤面になっている。

 ここぞという時は、相手が攻める気になった時や、逆に守ろうとした時に、相手より早くそこしかないという踏み込んだ手を打っている。耳赤の一手もそうだけど、打たれて始めて分かる会心の一手。あれは佐為にしか打てないと思う。

 ヒカルは当然、私も佐為の碁を意識しているけど、全然実力が違うせいで、なかなか上手く打てない。

 

「ヒカルが打ち間違ったりしなければ、今でもきっと良い勝負ができるよ」

「うーん……佐為が、まだまだ甘い手があるってよ」

「あはは。うん、じゃあ早く帰って打とう」

「だからそう言ってるじゃねえか!」

 

 はいはい。しばらく黙って歩く。ヒカルが百面相しているので、佐為と何か話しているんだろう。

 

「ネット碁もいいけど、佐為も真剣勝負の場が欲しいってよ」

 

 ああ、やっぱり前の話を引きずってるよね。うーん、言っちゃってもいいものかなぁ。不満があるなら、伝えておいた方がいいかもしれない。

 

「そのうちね、ネット碁の大会があると思う。素人もプロも混ざって打てるような、公式大会として」

「え、誰か言ってたの?」

「ううん、そうじゃないけど。だって、正体不明の打ち手が、一柳棋聖を破るんだよ? そこそこ話題になってるし、中国や韓国でも、saiの正体を気にしてる人は多いし」

「saiの正体か……」

「だからね。一般参加枠で佐為が打てば、きっとトッププロとの真剣勝負ができると思うよ」

 

 ヒカルが、嬉しそうに笑う。

 

「佐為、お前にありがとうってよ。何かお礼したいけど、声も聞こえないし何も持ってないから、お礼できないって」

「ううん。いつも打ってもらってるから、むしろ私がもっとお礼しなきゃいけないくらい。これからも、ずっと打って欲しいな」

「気兼ねなく打てるのは俺も楽だからな。あかりが佐為に気付いてくれて良かったぜ、ほんと」

「むしろ、未だに他の人に隠せてるのが不思議だけどね」

 

 特に塔矢くんとか、緒方さんとか。小学生の頃に打った碁を忘れるはずないし。

 塔矢くん、色々と考えた結果、黙っているんだろうな。彼の中でどんな結論が出ているのか興味があるけど、こっちから聞くわけにもいかない。

 

 

 しばらく学校に行きながら勉強会に参加して、年末年始の準備も色々としていくうちに、棋院から電話が入った。

 

「はい、新初段シリーズですよね」

「そうそう。相手は一柳先生になったよ。一柳先生、相手が女の子だって言うと喜んじゃってね」

「あはは。せいいっぱい頑張ります」

「うん。頑張って」

「あ、ごめんなさい、他の人が誰と対局するか、教えてもらえますか?」

「え? ああ、別に構わないよ。えーっと、進藤くんが塔矢先生、奈瀬さんが桑原先生だね」

「分かりました、ありがとうございます」

 

 やっぱりヒカルの相手は塔矢先生ね。そして明日美さんは、桑原先生かぁ。新初段シリーズ、凄く楽しみ。

 一柳先生とは随分前にネット碁で1回打たせてもらったけど、勝負にもならなかった。あれから1年以上経っているし、今ならちょっとは戦えるようになってるかな。

 

 

 そうしているうちに、年末が近づきクリスマスイブの日がやってきた。

 今年はお互いプロ試験に合格したし、凄く良い感じ。

 今日、私は、ヒカルに告白する。

 


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