世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第33手 中学2年生 その5

 プレーオフが終わった翌日から、各所に挨拶をして回る準備を進めた。

 最初は森下先生の家。ヒカルと一緒に行こうと思ったけど、ヒカルはヒカルで行くって言うから、1人で向かう。

 

「まぁ、実力は十分だったからな。全勝は驚いたが。藤崎、おめでとう」

「ありがとうございます」

 

 にこにこと珍しく笑顔を浮かべていたが、ちょっと困ったような、眉間にしわを寄せて、何か言いにくそうにしている。

 

「和谷の奴、駄目だったとだけ言ってきやがって、顔も見せやがらねぇ。もし時間が取れそうなら、藤崎から様子を見に行ってやってくれるか?」

「構いませんけど、逆効果じゃ?」

「あいつはそんなに柔じゃねえよ」

 

 やわじゃなくて、わやだもんね。ともあれ、森下先生がそういうなら話をしてみよう。でも、一人で行くより。

 

「森下先生、しげ子ちゃんも一緒に行ってもいいですか?」

「しげ子? あいつは何の役にも立たねぇだろう」

「そんなことないですよ。しげ子ちゃんの明るさで気が紛れるかもしれませんし」

 

 森下先生はそんなもんかねぇ、とつぶやく。私よりも、自分を慕ってくれる子が慰める方が、効果は大きいと思うんだよね。

 おうい、と森下先生がしげ子ちゃんを呼ぶ。学校から帰ってきていたしげ子ちゃんが、私を見て合格祝いをしてくれた。

 

「うーん、あかりお姉ちゃんには言えないなぁ」

「え、何を?」

「冴木さんの時は、ケーキ奢ってもらったんだ。和谷くんだったら奢ってもらおうと思ってたんだけど」

「何を馬鹿なこと言ってんだ。いいからちょっと、和谷の様子を見てこい」

 

 森下先生に急かされて、しげ子ちゃんと一緒に家を出る。

 

「和谷くんに会いに行った後、一緒にケーキ食べようか」

「いいの?」

「うん。私もケーキ好きだし。和谷くんも誘おう」

 

 私の言葉に、しげ子ちゃんは無邪気に喜んでくれる。ふふ、可愛いな。

 和谷くんの家に行くと、お母さんが出迎えてくれた。和谷くんは帰ってきていて、部屋にいるとのこと。

 

「おう、しげ子ちゃんと藤崎か。どうしたんだ?」

「どうしたもこうしたも、お父さん心配してるよ」

 

 口火を切ったしげ子ちゃんに、ちょっとばつが悪そうな顔になる。

 ごにょごにょと言い訳らしきものを言おうとするので、家から引っ張り出す。

 

「ケーキ屋さんに行こう。近くにある?」

「え、もしかして俺が奢るの?」

「心配かけられたし奢ってもらいたいけど、ここは私が出しとくよ。しげ子ちゃんの分もね」

「え、いいの? わーい。あかりお姉ちゃん大好き」

 

 あらら。和谷くんの前で浮気は駄目だよ。

 ケーキ屋さんに入り、注文をしてケーキと飲み物が揃ったところで話題を戻す。

 

「ちょっと負けた対局を検討してたんだよ。そればっかり考えてたら火曜に行き損ねて、そのままズルズルと……」

「ふぅん。じゃあ、今日のうちに電話して、明日には顔を出す。そう伝えるね」

「……あぁ。ちゃんとするよ。今年受からなかったから、親も高校行けってうるさくてさ。碁の勉強する時間は増やしたいけど、なかなか思うとおりに行かねえなぁ」

 

 元々も何もないけど、前世では和谷くんと越智くんが今年受かったというのもあって、どうにも申し訳なさがある。どうしようかな、何かできることがあればいいけど。

 

「和谷くん、平日のどこかで、勉強会しない?」

「勉強会?」

「うん。私とヒカル、明日美さんもだけど、院生メンバーとせっかく仲良くなってるのに、しばらく接点がなくなるよね」

「うん、まあ合格しないと同じ場所には立てねえよな」

「だから、勉強会やると楽しいと思わない?」

 

 私やヒカルにとっても、同年代の子と切磋琢磨する機会が多いのは刺激になるはず。

 

「いつやるんだ?」

「うーん、とりあえず木曜が妥当かな?」

 

 土日は院生研修があるし、プロになった後はイベントとかで埋まりやすい。火曜は森下先生の研究会だし、金曜は塔矢先生の研究会。水曜が大手合いが入りやすいから、空いてる日は月曜か木曜。

 月曜だと院生研修と続いちゃうから、木曜の方が都合が良いはず。

 

「よし、じゃあ誰を呼ぶかだけど、嫌だって奴はいる?」

「ううん。院生の人なら大丈夫」

 

 足立さんや越智くんは、声をかけても来ないだろうなぁ。

 

「伊角さんと本田さん、フクにも声をかけてみるかな」

「うん。フクくんは他の人と随分打ち筋が違うから、是非お願いしたいな」

 

 あえて言うならヒカルと似ているところもあるけど、ヒカルよりも直感に特化している。まだまだ甘いところが多いけど、それがなくなれば強くなるはず。

 

「場所はどうする?」

「棋院は難しいよね。区民センターか何かで借りるか、どこか碁会所に相談とかかなぁ」

 

 毎週同じところは無理だろうけど、月に1回ずつローテーションするくらいなら、貸してくれるところがあるかもしれない。

 そこは行きつけの碁会所がある人に交渉してもらうと良さそう。

 乗り気になった和谷くんと一緒に、詳細を決めていく。

 途中で我に返り、しげ子ちゃんの存在を思い出す。

 

「しげ子ちゃん、ごめん」

「ん、いいよー。和谷くんも元気が出たみたいで良かった」

 

 なんて良い子なんだろう。頭を撫でつつ、ケーキを追加。

 そんなこんなで過ごして、和谷くんにしげ子ちゃんを送ってもらうよう押しつける。しげ子ちゃんは笑顔で和谷くんと手を繋いでいるし、多分正解。

 

「でも、俺たちとの勉強会って、藤崎にあまり利点がないような気がするけど」

「そんなことないよ。森下先生や塔矢先生の研究会ももちろん大事だけど、忌憚なく言い合える場も重要だよ」

 

 実際に色々と研究するのに、若い人だけっていうのは面白い場だと思う。院生研修は対局と検討が中心だから、どうしても一手の追求という点ではおろそかになりがち。和谷くんや伊角さんがあと一歩踏み込めないのは、もったいない。

 

 

 挨拶して、駅へと向かう。ちょっと疲れたけど打ち合わせは楽しかった。和谷くんと相談して正解かもしれない。ヒカルはこういうの面倒がるだろうし、面倒見の良い人に頼むのが一番ね。

 ヒカルの家に行って、早々にこの話をすると、ヒカルも喜んで乗ってきた。

 

「伊角さんとの対局は、伊角さんが途中でミスして崩れたし、また打ちたかったんだ」

「うん、色々と勉強になると思う。それと、もう一つ相談なんだけど……」

 

 明日、塔矢先生と約束している。

 ヒカルが佐為ではないという前提で、佐為と繋がっているのを伝えてもいいかの相談。

 

「そうだよなぁ。佐為を、塔矢先生と打たせてやりたいよな。俺から動くより、あかりが動く方が危険が少ないかもな。無理そうなら止めろよ」

「うん、無茶はしない。佐為、すぐとは約束できないけど、近いうちに実現させるから、待っててね」

「……飛び跳ねるほど喜んでる。まあ、でも本当に無茶すんなよ」

 

 ヒカルが心配そうにしているけど、うん。私にはヒカルの反応しか分からないから確実なところは分からないけど、佐為は喜ぶし、佐為が機嫌良かったらヒカルも嬉しいだろうし、頑張ろう。

 佐為が消えたのは、強い人と打てない日々が続いて絶望したからかもしれないし、上手く打たせてあげると良いかもしれない。

 佐為が何やら騒いでいたようで、うるせーって怒鳴るまで、ヒカルは耳を塞いでいた。

 

 

 そして、翌日。学校が終わって早々、塔矢先生のご自宅にお邪魔した。

 

「お忙しいところすみません。塔矢先生にたくさんご指導いただいて、無事にプロ試験合格できました。ありがとうございます」

「いや、藤崎さんが受かったのは、藤崎さんが頑張ったからだよ。おめでとう」

 

 少し雑談に入った後、そういえば、と話題を変える。

 

「そういえば、ネット碁ってもうされていますか?」

「まだ碁は打ってないがパソコンには少し慣れてきた。そろそろ、ネット碁を打ってもいいかもしれないな」

「じゃ、じゃあ。もし良ければ打って欲しい人がいて……」

 

 勢い込んで言おうとすると、手を出して押しとどめられた。慌てすぎたみたい。前のめりになっていたので、咳払いして姿勢を正す。

 

「藤崎さんには、合格祝いを何かしようかと思っていたんだ。あまりないことだが、良ければ、互先で一局打とうか」

「あ、ありがとうございます」

 

 わ、それは嬉しい。どうしても研究会で打ってもらう時は、置き碁になる。もちろんすぐに負けちゃうと思うけど、それでも僅かでも互先で打ってもらう価値があると思ってもらえたら何よりのご褒美だね。

 でも、今求めていたのはそれじゃない。

 

「ああ、でも今日はかなり遅くなってしまった。今から打つと、親御さんも心配するだろう」

「……ええ」

 

 まだ外は明るいし、研究会でもっと遅くなる日もある。でも、そういう話じゃないんだろう。塔矢先生の言葉を、じっと待つ。

 

「今度、私の都合になってしまうが、ネット碁で対局しようか。それなら互先でも、おかしくないだろう?」

「そうですね」

「藤崎さんと打つのは、その日の夕方あたりとして、午前中からも、慣れるようにネット碁を打つとしよう。誰か、それなりの実力がある相手からの申し出なら、受けやすいだろう」

「なるほど。では、塔矢先生が打てる日を、また教えてください。私も準備がいりますし、その日、偶然誰かが塔矢先生に対局を申し込むかもしれませんね」

「そうだね。それと名前なんだが、私は本名で打つとするよ」

「塔矢先生なら、本名で打つ方が、周りの人は喜ぶでしょうね」

 

 でも、どうしてそこまでしてくれるんだろう。

 

「アキラは、同年代だとどうしても孤立してしまっていてね。私のせいもあるが、親しい友人もおらず、寂しい日が多かったと思う」

「あー、それは……」

 

 あはは、否定できない。ヒカルと一緒に初めて会った時も、つまらなそうな感じだったもんね。

 

「きみや進藤くんに出会って、苦悩もしたようだが生き生きとしていてね。奈瀬さんにもお礼はしなければいけないが、君たちがいなければ、アキラは今のように成長していなかっただろう」

 

 親馬鹿だ。前にも思ったけど、やっぱり塔矢先生は親馬鹿だ。

 

「まあ、そういうわけだ。ただ、悪いが私は手加減というのがあまり上手くなくてね。これまで新初段シリーズに出なかったのも、新しい子を本気で叩くわけにはいかなかったからね」

「塔矢先生に本気になられたら、逆コミなんて意味ないですもんね」

「そこまで言わんが、人によってはやる気を無くしかねないからね。でも、今年は出ようかと思っていたが、不要になりそうかね?」

「……ヒカルと?」

「うむ。アキラが気にしている以上に、進藤ヒカルという存在、なかなかに面白い」

 

 そういえば、昔ヒカルが打った子ども大会とかにも、顔を出していたもんね。ある程度知っていてもおかしくない。

 

「……私とネット碁で打ってもらう日、確実じゃないけど、ヒカルは忙しいかもしれません。何せヒカルってば、棋譜は書けても、棋譜に時間を書く方法や秒読みも知らないんですよ。一から勉強させないと」

「なるほどね。確かに勉強が得意そうな感じではなかったね。じゃあ、新初段シリーズ、楽しみにしておこうか」

 

 話は終わり、とばかりに塔矢先生が立ち上がる。私も席を立ち、頭を下げる。

 

「色々と、本当にありがとうございます。塔矢先生が全力を出すにふさわしい相手になれるよう、頑張ります」

「ああ」

 

 明子さんと挨拶して、塔矢先生の家を出る。そのまま駅に向かう途中、一気に疲れが襲ってきた。

 あ、無理。どこかで休憩しないと。

 

 

 明日美さんとよく行く喫茶店に入り、ほっと一息。本当に疲れた。でも、塔矢先生の配慮には感謝しかない。

 小一時間休憩してから、ヒカルの家に向かう。

 

「ヒカル、上手くいったよ」

「え、マジ? どうなったんだ?」

 

 ヒカルが驚いた反応を示したので、状況を説明する。

 もう少しネット碁に慣れてから、午前中は私でもヒカルでもない、saiと打ってくれる。それも、本気で。

 偶然を装って、ということは吹聴する気も無いだろう。

 

「佐為がありがとうってよ。何かお礼したいけど、何も用意できない身が恨めしいってよ」

「ううん。もう、佐為からたくさんもらってるから。それにこれからも、たくさん教えて欲しいし」

「任せとけって。っていうか、俺もあかりに公式戦で勝ちたいし、塔矢ともまた打ちたいし。のんびりしてらんねえな」

「うん」

「……ただ、もしできれば、塔矢先生が幽玄の間で打つような時と同様の意気込みで打って欲しかったってよ」

「うん、そうだね。でもネット碁でそこまで気合いを入れて打つのは難しいね」

「だよなぁ。何か機会があればいいんだけどな」

「うん。そういう機会を作れないか、考えてみるね」

 

 ぶっちゃけてしまえば、ネット碁で、優勝者がトッププロと戦える権利をもらえる大会を開けば、単なる野良試合よりよほど真剣に戦ってもらえるとは思う。逆行する前は、それに近い大会があったと思う。

 ただ、私から持ちかけるのは難しいし、時間がかかるから、佐為がどうなるか分からない。

 あ、今なら自然に聞けるかもしれない。

 

「そういえば、佐為って怪我はしないと思うけど、病気ってするの?」

「え? したことねえな。過去にも、無かったみたいだぜ」

「そっか。もし塔矢先生と打つ時に体調崩していて本調子じゃなかったりすると、もったいないから」

「なるほどなぁ。でも、心配ねえよ」

「でも、もしもってこともあるから、佐為の体調や様子は注意して見ていてよ」

 

 いつか佐為は消えてしまう。私が佐為を知ったから前世と同じとは思わないけど、消える可能性があるとして、来年以降は特に気をつけないと。

 もし佐為がずっといてくれるなら。ネット碁の大会とかで、単に打つよりも真剣な場で打たせてあげる機会があるかもしれない。

 先の話だけれど、そんな日がきたら、きっと佐為は今以上に喜ぶはず。

 あ、それはそうと、ヒカルに伝えておかないと。

 

「あ、忘れてたけど、もしかしたらヒカルの新初段シリーズの相手、塔矢先生かも」

「え、なんで!?」

「さっきの佐為と対局する流れで、ヒカルかどうか暗に聞いてきて。ヒカルじゃないって答えたら、興味あるっておっしゃってたの。もしかして、というくらいだけど、佐為だけじゃなくてヒカルも打つ機会があるかもね」

 

 へえーって軽く返事をしてきたけど、すぐに真剣な顔になった。

 

「でも、新初段シリーズじゃなくて、塔矢のオヤジさんとも、そのうちちゃんと打ちたいな」

「ちゃんと打つには、何年後かになっちゃいそうね。タイトル戦の予選を勝ち抜いてリーグ戦入りして、挑戦者にならないと」

「ふーん」

「まあ、そのうち教えるね」

 

 ヒカルは必ず挑戦者になる。そういえば、ヒカルがトッププロになった時の相手は塔矢先生じゃなかったと思うけど、塔矢先生は調子を崩すのかな。

 そこまで詳しく囲碁界全体を追いかけていたわけじゃないから、詳しく知らなかったんだよね。今となっては少し悔やまれるけど、考えてもしょうがないね。

 私は私のできることを、精一杯やるだけ。

 とりあえずは、うん。今日は佐為と私が打つ日。簡単に負けないよう、気合いを入れて打とう。


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