世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第25手 プロ試験 その1

 8月27日、プロ試験初日。

 ついにこの日が来た。うぅ、緊張するなぁ。

 

「あかり、忘れ物ないわね。ハンカチ持った? お財布は?」

「大丈夫、全部持った。頑張ってくるね、行ってきます」

 

 お母さんに手を振って、ヒカルの家に向かう。すると、珍しくヒカルが準備を終えて、家の前に出てきていた。

 合流して、おばさんに挨拶してから、並んで歩き出す。ヒカル、結構背が伸びてきた。もう追い抜かれてるけど、そろそろ目に見えて差が分かりそう。

 

「おはよう、早いね」

「おー、おはよう。俺だって、今日くらいは早起きするさ」

「そうだね。今日は大事な日だし。でも、気負いすぎないようにね」

「だ、大丈夫。あー、今日は誰と当たるだろう」

「誰になるだろうね。ああ、1戦目でヒカルや明日美さんじゃなければいいんだけど」

 

 私が少し憂鬱な気分になっていると、ヒカルは力強い声で励ましてくれた。

 

「必ずどっかで当たるんだから、1戦目でも問題ないさ」

「……うん。そうだね、ありがと。当たったら、簡単には負けないよ」

「俺だって!」

 

 あっけらかんと言ってくれる。

 ヒカルってば、私よりずっと堂々としてる。本当、負けないように頑張らないと。

 

「誰が相手でも気は抜けないけど、特に手強いのは、お前を除けば伊角さん、越智、和谷と奈瀬あたりだな」

「うん、そうだね。門脇さんって人も、気を付けた方が良いと思う。あと、今まで2回対局してるけど、本田さんも強いよ。布石が安定していて、白を持つとコミ分をそのまま守るのが凄く上手いの」

「あー、確かに」

 

 私の寸評に、ヒカルも頷く。ヒカルが打ったのは少し前だけど、その時は負けていた。他に気になる人は、というと。

 

「足立さんと小宮さんは、悪いけど今名前が上がった人よりは少し落ちるかな。ちゃんと打てば、勝てると思う」

「えっ、そりゃそうだけど、勝てるって言い切るのは難しくねえ?」

「うーん。弱いわけじゃないんだけど、怖さがないの。そういう意味では、フクくんの方が苦手かな。院生研修で、唯一半目差のギリギリになったの、フクくんなんだ。早碁に釣られたんだけど」

「へぇ。俺はフクには負けなしだぜ。すっげぇ打ちやすいし」

「2人とも、早いもんねぇ。プロ試験だと持ち時間が長いから、フクくんの長所が活かしきれないよね」

 

 まだ小学生だし、強くなるのはこれからだろう。というか、去年もプロ試験本戦まで進んでいるのは、結構凄い。

 そんな話をしているうちに、棋院センターに到着した。プロ試験の本戦は、本院ではなく、センターで行う。

 

「おう、進藤。藤崎も」

「和谷くん。おはよ」

 

 着いて早々、和谷くんが声をかけてきた。他にも院生がちらほらいるので、挨拶をかわす。明日美さんはまだみたい。

 外来も結構来ている。

 雑談していると、飯島さんが寄ってきた。

 

「よう。お前ら、今日も一緒に来たのか? 仲良いなぁ」

「べ、別に俺はそんな! ただ家が近いだけで!」

「ヒカル、落ち着いて。怒鳴るようなことじゃないよ」

 

 あら、意外。飯島さんが盤外戦とは。

 

「羨ましいですか? ヒカルの隣は変わってあげませんけどね!」

「……普通、進藤の隣じゃなく、進藤の位置じゃないのか?」

 

 うふふー、と笑いを返す。適当なところで飯島さんが離れたけど、ヒカルもちょっと離れた気がする。

 

「あかり、今のは?」

「ここ一番の時に、ああやって気を散らす目的で色々と言ってくる人もいるの。真に受けず冗談で返すのが一番だよ」

「冗談、だよな。うん。俺はお前の発言の方が驚いたぜ」

「あはは。じゃあ作戦成功だね」

 

 佐為は見えないからどうしようもないけど、ヒカルの隣を渡したくないのは、本当。親友という立ち位置に納まるつもりもない。まあ、今はそれどころじゃないけど。

 入り口の方をちらちらと気にしていると、ようやく明日美さんが到着した。

 軽く手を振って、明日美さんを呼ぶ。

 

「明日美さーん」

「あかりちゃん、おはよー。ちゃんと眠れた?」

「うん、大丈夫。明日美さんは?」

「まぁほどほどに。進藤は大丈夫?」

「うん」

 

 私たちが話し始めると、ヒカルは和谷くんや伊角さんのところに向かった。

 10分程度雑談していると、集まるよう放送が入った。

 明日美さんと頷き合って、対局場へ向かう。

 順番に名前を呼ばれて、くじを引く。出た番号は18番。

 1戦目からいきなり、ヒカルとの話にも上がった本田さん。これは気を引き締めないとね。ヒカルは……飯島さんと対戦ね。

 

「いきなり藤崎か」

「当たっちゃいましたね。でも27戦、必ず全員と当たるから」

「そうだな」

 

 さっそく準備を進めて、合図を待つ。ここから27戦、長丁場だから1戦ごとに一喜一憂せず、前の結果を次の試合に持ち込まないようにしないと。

 

「よろしくお願いします」

 

 対局が始まり、私が白石になる。本田さんの攻めを避けつつ、逆に薄いところをこちらから攻める。昼を挟んで、早い段階で本田さんが守れず地に明らかな差が出てしまい、勝敗が決した。

 

「ありません」

 

 本田さんの投了の言葉に、お互いに挨拶をかわす。良かった、勝てた。今日はちょっと緊張しちゃってたから、怖かったんだよね。

 

「じゃあ、押してきます」

 

 一言残して、勝ちのハンコを押しに行く。

 他の組み合わせを見ていると、私はヒカルとは23戦目、明日美さんは最終戦だった。明日美さんのひとつ手前が門脇さん。

 うわぁ、和谷くんと越智くんが隣り合ってる。そのせいで、ヒカルが26戦目が和谷くん、最終戦が越智くん。最後の山場になるかもしれない。

 

「お、藤崎も勝ったの?」

「うん。替わるね」

 

 和谷くんが終わったみたいで、ハンコを押しに来た。横に避けて、和谷くんが押すのを見ながら、雑談に興じる。

 

「どうだった?」

「なんとかな。俺、次が門脇さんって人で、続けて奈瀬と本田さんだからなぁ。結構きついぜ」

「続くと大変だよね」

 

 そういえば、と部屋を見渡す。

 門脇さんの顔を見ようと思ったけど、対局相手も外来のせいで、どちらが門脇さんか分からない。

 邪魔にならないよう近づいて、盤面を見る。うわ、圧倒的。きっと、勝っている方が門脇さんね。確かに伊角さんと同じくらいに強いと思う。実際のところは、打ってみないと分からないし、相性もあるけど。

 そのまま、周りの様子を見る。ヒカルも勝って、明日美さんも同じ院生の女性、佐々木さんに勝った。

 フクくんは残念ながら越智くんと当たって負けたけど、他はだいたい勝ったみたい。

 

「あかりちゃん、勝った?」

「うん。明日美さんもおめでとー」

「ありがとね。でも、3戦目が和谷で4戦目が越智、序盤からシビアな相手が続くよ」

「うん。さっき和谷くんとも話してたけど、続くと大変だよね」

 

 まったく同じことを言っちゃってるけど、本当にそう思う。

 私は伊角さんとの対局が連戦に混ざらないから、比較的楽な位置にいると思う。あと、明日美さんは嫌がっていたけど、明日美さん自身も、すぐ後ろに本田さんがいるし、前に門脇さんがいる。そのせいで門脇さん、明日美さん、本田さんが並んでいるんだよね。当の明日美さんは、門脇さん、伊角さん、本田さんと並んでいる。相当大変な3連戦よね。

 ……。ん、あれ。門脇さんの顔、どことなく見覚えがあったし、この3人の並びにも見覚えがある気がする。

 駄目駄目、今はプロ試験中なんだ。ちょっと気になるけど、よそ事に意識を向けている場合じゃない。

 

「あかりちゃんとは最終戦かぁ。ってことは、受かろうと思ったら、それまでに合格を決めておかないと駄目かぁ」

「弱気じゃ駄目なんじゃない?」

「うん、まあね。でも、あかりちゃんに勝つのは、最終戦で全勝対決するより難しいと思ってるからね」

 

 いやいや、そこまでじゃないよ。さすがにそれは買いかぶられてる。塔矢くんほど圧倒的な実力じゃないし、どこかで取りこぼしは出るだろうし、立て続けに取りこぼしたら、合格も怪しくなっちゃうし。

 でも明日美さんと当たった時、どっちも合格が決まっているというのは、凄く素敵な話だよね。そうなれるよう、途中で負けないように頑張らないと。

 

 

 帰り道。ヒカルと一緒に歩きながら、プロ試験中の勉強会はどうするか相談する。

 

「どうしよっか。もし邪魔なら、行かないようにするけど」

「邪魔じゃねえよ。っていうかさ、俺が打ち始めてから、ずっとお前来てるじゃんか。今さら気を使ってどうすんだよ」

「うん。でもプロ試験だから。私も一応、ライバルなんだし」

「まあ、そうだな。お前とは、23戦目だったかな。だいぶ先だし、気にしすぎてもしょーがねえよ」

 

 良かった。たった2ヶ月だけど、お預けになるのは寂しいと思っていたから、気にしないなら何より。

 と、ふふっといきなりヒカルが笑った。

 

「どうしたの?」

「佐為が、しばらく自分のネット碁はいいってよ。佐為が打てる機会を譲るなんて、滅多にないぜ」

「あ、それは駄目」

「え?」

 

 私が駄目を出すと、ヒカルが首をかしげる。あれ、分からないかな。

 

「もし佐為が、二度とネット碁を打たないならいいんだけどね。今後も打ちたいなら、プロ試験の期間だけ打たないっていうのは、避けた方がいいよ」

「ああ、そういうことか」

 

 そう、まるでプロ試験に夢中だったから佐為が現れなかった、そう思われたら大変。

 誰とは言わないけど、同じ年齢の、妙に最近大人しい男の子にね。

 

「だから、ヒカルは、というか佐為はネット碁を続けなきゃなんないの」

「分かった。じゃあ、今まで通り、俺とお前、俺と佐為、お前と佐為、佐為のネット碁を日替わりで回す感じだな」

「うん。それが良いと思う。今までだって時々ずれていたから、必ず4日ごとじゃなくていいんだけどね。ついでに、本戦があった日は、その検討も少ししようか」

「おう」

 

 プロ試験に挑む同士で情報共有するのはずるいかもしれない。

 でも、勝ち星を奪い合うからといって疎遠になる必要なんてないし、実際にヒカルと当たった時は本気で挑むつもりだし、卑怯なことをしているわけでもない。

 考えすぎると混乱するし、この件は深く考えない。

 これまで通り。プロ試験で、緊張感のある対局が続くけど、それ以外は、何も変わらない生活が続く。そう思う方が、気負いすぎずに良いんじゃないかな。

 

 

 続く2戦目。私もヒカルも、明日美さんも勝ったけど、和谷くんが門脇さんに負けた。

 ショックだったみたいで口数は減っていたけど、しばらくしたら復活した。さすが、場数を踏んでいるだけある。

 でも和谷くんの次の相手は明日美さん。厳しい対局が続く。

 

 

 夏休みが明けて、学校が始まってから行われた3戦目。明日美さんが和谷くんに勝った。和谷くんは2連敗。実力は十分なのに負けが先行すると、気が沈む。和谷くんは明日が本田さんと対局だし、ちょっと心配ね。

 ちなみに、和谷くんに勝った門脇さんは、越智くんに負けていた。

 

「和谷くん。大丈夫?」

「ん? 何が?」

「負けが続いたから、気落ちしてないかなって」

「大丈夫。俺が負けた相手、強かったからな。言っちゃ悪いが、格下だったら落ち込んでたかもしんねーけど、俺も実力を出して打った結果だからしょうがないさ」

 

 話を聞いて安心する。ちゃんと打てたのなら、何より。

 

「大丈夫そうね、良かった。3枠しかないから、人の心配している場合じゃないんだけど、実力を出せなかったら、後悔するもんね」

「そうだな。待ってろよ。俺だってここからだからな。直接負けたからって、それで結果が出るわけじゃない」

 

 うん。お互い頑張ろう。

 

 

 そして、4戦目。明日美さんが越智くんと当たって、越智くんが勝った。他には、全勝同士の伊角さんと小宮さんは、伊角さんに軍配が上がった。同じく全勝だった足立さんも、外来の片桐さんという人に負けた。

 明日美さん、落ち込んでいるかなと心配したけど、なんともなさそう。

 

「負けちゃった。そこそこ打てていたんだけど、越智は攻めにくくて苦手なのよね」

「今まで打った感じ、越智くんは地を気にしすぎるところはあるけど、攻めるのも守るのも、読みの鋭さも高レベルだよね」

「そうだね。ああ、悔しい。次やる時は負けないんだから」

 

 次やる時、か。どちらかが受かったら、相当先の話になる。意識して言った言葉じゃないと思うけど、明日美さんのリベンジ、いつになるのかな。

 

 

 5戦目、6戦目と順当に進み、6戦目終了時点で、ヒカルと越智くん、伊角さんと私が全勝、門脇さんと明日美さん、小宮さんが1敗で続く。和谷くんは2敗。外来の片桐さんも2敗。片桐さんは私と伊角さんに負けたけど足立さんに勝ってるし、かなり強かった。

 

「全勝が4人かぁ。進藤も負けてないけど、今のところそれほど強豪とは当たってないな」

「ああ。他には、現状の全勝者にだけ負けているのは、門脇さんと奈瀬か」

「去年は塔矢が突出していたけど、今年もやっぱり厳しいよな」

 

 和谷くんと伊角さんが話している。明日美さんもいたので近寄ると、成績表の前を空けてくれた。雑談を続けながらも、伊角さんがこちらを気にする。少し話して、すぐに移動し始める。ヒカルを待たせてるし、早く行かないと。

 

「伊角さん、明日はよろしくお願いします」

「ああ。お手柔らかに」

 

 

 そして、7戦目。私は伊角さんと対局がある日。

 伊角さんは最終月で越智くんに院生順位を抜かれていたけど、伊角さんの評価が下がるわけじゃない。

 警戒しつつ打っていたせいで、お互いにゆっくりと進行した。お昼の時点で、まだ序盤から中盤に入ろうとするところ。

 時間は、お互いに1時間以上使っている。

 さて、昼からは少しペースを上げないと、秒読みになって打ち間違いも気にしなくちゃいけなくなる。

 

「明日美さん、どう?」

「確実なわけじゃないけど、今のところ悪くないよ。伊角さんと、きつい?」

「んー。やっぱり強いね。でも今のところ、まだ中盤に入るかどうかってところだけど、そんなに悪くないよ」

 

 私も結構慎重に打つ方だけど、伊角さんはそれに輪をかけて慎重な打ち方をしている。色々と考え過ぎちゃうのかな。こうして真剣勝負をしていると、色々と知らなかった部分も見えて、面白い。

 

「私も1敗したけど和谷には勝ってるし、残り全部勝つ気で頑張るよ」

 

 うん。頑張ろう。

 そして昼休憩を終えて、午後から続きを打つ。途中、上手く打たれて困る場面があったけど、別のところで相手の地を潰して、ギリギリ2目半差で勝利を収めた。

 

「くそっ、勝てそうだったのに」

「うん、危なかったです。こっちの地を潰しに行くのが一手でも遅かったら、間に合わなかったです」

 

 自分でも上手く打てたと思う。佐為ならどう打つか、と考える癖がもう身についちゃった感じ。実際に佐為のように打てるわけじゃない。盤面全体を睨んだ一手なんて、打てるものじゃない。

 でも、2つの意味を持たせた一手や、今しかないというタイミングでの打ち込みは、かなり安定してきたように思う。

 だから塔矢くんとも良い勝負ができたし、研究会での手合わせでは勝つ時もあるくらい。とはいえ深く考えないと厳しいから、時間制限があるとそう何度も考え込めない。今はまだいいけど、普段はもっと早く打てるようにならなきゃ。

 ヒカルが時々打つ、一見すると悪手だけど、打っていくうちに好手へと化けるような打ち方は、あまりしていない。読み負けたら丸々損になるし、私にはまだ早い。ああいう打ち回しは、もうすでにヒカルの方が上手なんだよね。

 もっと相手に合わせてプレイスタイルを変えられると、勝ちやすいんだろうな。伊角さんと打つなら、ある程度早碁を意識したら、きっと伊角さんの持ち時間が厳しくなって、もっと楽になると思う。

 

 

 って、伊角さんとの対局は終わったし、次のことを考えよう。

 2試合挟んで、和谷くんと越智くんの連戦。負けないように頑張ります。




プロ試験の日程について。

原作、第79局の表紙では、4戦目が8月27日になっています。
しかし、第86局では16戦目が9月30日になっています(逆算すると4戦目は9月3日)。
また、対局結果の一覧でも、1戦目が8月27日になっています。

作中で、2戦目終了後3戦目開始前に夏休みが終わったこと(東京のため8月末まで夏休みと判断)、その時に10月末までヒカルが火・土は休みであると教師が伝えていたこと。
これらを考慮して、8月27日が1戦目とします。

この日程による違いが出るわけではありませんが、数少ない月日が把握できるタイミングのため、念のために記載致しました。

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