世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第17手 中学1年生 その11

 塔矢くんのプロ試験合格以降、ヒカルが勝ったり負けたりを繰り返しているうちに、11月になった。

 ヒカルは2組のまま。越智くんは全勝で、あっさりと1組に上がってきた。

 プロ試験も終わり、他の1組メンバーも合流する。楽しい対局が増えるといいな。

 

 

「みんな、お疲れ様。残念だったね」

「ああ。引きずってもしょうがない。1年、鍛え直すさ」

 

 研修部屋に人が集まってきた頃、

 私のねぎらいに、和谷くんがぐっと拳を握る。伊角さんも頷いている。

 明日美さんは思ったより結果が悪かったって、がっかりしている。16勝11敗。そこまで悲観するほどじゃないと思う。

 

「それはそうと、そいつがお前の彼氏?」

「え?」

 

 わぁぁぁ! な、なんてこと言うの!

 

「ち、ちがっ、あ、いや、嫌とかじゃなくて、でも違……」

「はいはい、落ち着いて。で、君が進藤?」

「あ、ああ」

 

 明日美さんの質問に、ヒカルが目を白黒させつつ頷く。

 あれー、さっきまで落ち込んでなかった? なぜ楽しそうな顔になってるの?

 

「私は奈瀬明日美。よろしくね」

「よ、よろしく」

 

 和谷くんと伊角さんも挨拶する。

 

「とはいえ、お前まだ2組だろ?」

「今は2組だけど、すぐ1組に上がってやるさ!」

 

 ヒカルの宣言に、お手並み拝見だなと返す和谷くん。

 篠田先生が来て、残念ながらプロ試験に落ちてしまった人を少し慰めて、午前の対局が始まった。

 2組が30分ずつの持ち時間に対して、1組は60分の持ち時間。対局数も、2組の半分。

 どっちの方が良いかは分からないけれど、私は持ち時間が長い1組の方がやりやすい。

 プロ試験を受けていた子が合流して第1戦は、フクくん。幼い感じで可愛い子だけど、いざ対局してみると、かなり強い。

 相手がかなり早打ちだったけど、釣られず自分のペースで打つ。相手に惑わされず自分のペースを把握する練習は、ずっと森下先生から言われてやっている。

 持ち時間はフクくんの半分以下になったけど、フクくんのペースも変わらない。そしてじっくり打っていると、フクくんが手打ちで悪手を放った。

 それは駄目だよ、見逃せない。

 

「あ」

 

 フクくんも気付いたようで、なんとかしようと立ち回るけど、元々数目差でこっちが勝っていたし、挽回できなそう。

 

「負けました」

「ありがとうございました」

「失敗したー」

「うん。悪くない碁だったけど、一手のミスで崩れちゃったね」

 

 早碁が得意なのは、良いことだと思う。それで焦る人もいるし、ゆっくり打つと強い人も相手の手番で考えられないから、お互いに遅い碁よりも碁が荒れる。

 ただ、相手が秒読みになるまで五分に近い勝負ができたり、挽回できそうな荒れた碁にならない限り、明らかな有利が付くわけでもない。

 

「ちょっと手打ちでミスしてるところがあるみたいね。時間は凄く有利に展開できてるし、大事なところでは長考してもいいんじゃない?」

「うーん、そっか。打ってみて、ミスしたと思うけど、打つ前に気付かないんだよねー」

 

 ある程度欠点も分かってるなら、それ以上言う必要ないね。私の苦手なタイプだし、緩急をつけて打てるようになれば、来年のプロ試験で強敵になりそう。

 あ、ヒカルはどうかな。

 目を向けると、ちょうど1戦目が終わって検討を始めていた。碁石を片付けて、ヒカルのところに行く。

 どうやらヒカルが負けたようで、少し消沈している。

 

「アイツどうだった?」

「負けたみたい」

「ふうん」

 

 後ろで、和谷くんと伊角さんが小声で話している。

 横から検討に混ざるわけにもいかず、私も見てるだけ。もうちょっとというところで、相手に良い手を打たれたみたい。篠田先生も相手を褒めている。

 2組の倍の持ち時間がある1組でも、もう半分以上が終わっている。和谷くんはともかく、伊角さんの対局は見たかっただけに残念。

 他に興味が惹かれそうなところはあるかなと周りを見ると、越智くんが対局中だった。初めて1組での対局にも関わらず、相手の子を圧倒している。これは随分強い。

 結果は、越智くんの中押し勝ち。

 

「へえ、こっちの奴は強いな」

 

 いつの間にか近くに来ていた和谷くんがつぶやく。ちょっと引っかかる言い方だけど、ヒカルが和谷くんから見て物足りないのはしょうがない。

 越智くんは確かに強いし、伊角さんも強いらしいし、今から対局が楽しみ。

 午後からやる本田さんも強いという話なので、早く打ってみたい。

 ヒカルは午前中、もう一局で勝利して、昼休憩に入る。

 

「え、まだ碁をやり始めて1年未満なの?」

「あ、ああ。去年の12月からだから」

「あかりちゃんに教えてもらったとはいえ、師匠もなしにたったそれだけの期間で院生になれたんだ……」

 

 明日美さんが驚いていて、周りもみんな猜疑的な目をしている。

 

「ヒカル、どんどん強くなってるよね。始めはなかなか勝てなかったけど、今はそこそこ勝ててるもん」

「ふぅん。お前、碁の勉強ってどうしてるんだ? 藤崎と打つ以外にさ」

「えーと、うちで……」

「詰碁の本を読んだり、棋譜見て打ち碁を並べたり? あかりちゃんと打ってるだけいいけど……」

「そんな程度じゃ上にこれねーよ。藤崎だって、小さい頃から師匠の世話になってて、塔矢名人のところにも顔を出してさ。進藤、お前も俺の師匠の研究会来てみるか?」

 

 あ、和谷くんが誘ってくれた。私から言っても良かったんだけど、前に塔矢先生の研究会に断られてるし、言いにくかったのよね。

 ヒカルが、首を小さく横に振る。あ、断るのかな。

 

「いや、俺は……」

「どうしたの?」

 

 断ろうとして、うわっという顔になる。明日美さんが不思議そうにしてるけど、ヒカルは耳を押さえながらぼそりと。

 

「あ、いや……じゃあ頼んでくれる?」

「おう。毎週火曜、場所は控え室に使ってる部屋な。って、藤崎が連れてきてくれるか」

「うん」

 

 わーい。ヒカルと一緒にいられる時間が増える。和谷くんありがとー。

 

「嬉しそうだね」

「え? うん」

 

 あ。不意打ちで明日美さんに言われて、素で答えちゃった。

 

「あら、素直。あぁー、私も癒やしが欲しい。あかりちゃん、この後お祝いがてらカラオケ行こう。プロ試験のお疲れ様会兼ねて!」

「え、でも私は受けてないし」

「いいからいいから」

 

 明日美さんは、和谷くんや伊角さん、本田さんたちにも声をかけて、遊びの企画を立ててしまった。

 まあ、たまにはいいか。

 

「ヒカルも行く?」

「んー……そうだな、和谷だっけ、あいつに研究会誘ってもらったし、付き合いってことで行っとくか」

 

 ホントに? 碁は毎日のように打ってるけど、ヒカルと遊びに行くのは凄く久々。

 

「明日美さん、ヒカルも行くって!」

「あ、はいはい。じゃああかりちゃんと進藤、私に和谷、伊角さんで五人ね。飯島くんは行かないの?」

「ああ、俺はちょっと用事あるし。本田とかは誘ったの?」

「本田くんも師匠のところに顔出すからって」

 

 飯島さんも1組で、プロ試験を受けてた人。賢そうな感じで、海王の大将をしていた人と、少し似てるかな?

 フクくんも、遅くなったら怒られるからって行かないとのこと。残念、幼児向けアニメの主題歌が似合いそうなのに。

 

 

 カラオケボックスで、みんなでワイワイと盛り上がる。明日美さんと伊角さんは、思った通り結構上手い。和谷くんとヒカルは、うん。下手ではないよ。

 みんな思い思いの曲を入れて歌う。

 そんな中、予約した曲が途切れて、一瞬、静寂に包まれる。

 

「誰か入れるー?」

「んー」

 

 明日美さんの声に和谷くんが答えるけど、動く気配はない。

 しばらく時間が流れる。気の抜けた顔をしていた和谷くんが、ぽつりとつぶやく。

 

「また、1年頑張らねーとな」

「俺、今年で院生ラストだから、本当に次受からなきゃ、もう無理な気がする」

 

 元気よく振る舞っていたけど、内心ではショックが大きかったんだろうな。伊角さんも心底落ち込んだ様子。

 明日美さんもちょっと困った様子だったけど、えいっとリモコンを手に取る。

 

「もうっ、暗いの禁止! 私は今年、全然惜しくもなかったけど、来年までには和谷はもちろん、伊角さんだって追い抜いてやるんだから! そのためにも、今日はストレス発散!」

 

 そうだね、後ろを振り返っていてもしょうがない。

 

「うん。私もヒカルも、まだプロ試験は受けてないけど、絶対に突破してやるって意気込みだけは負けないよ」

 

 気合いを入れるためにデュエット曲を入れて、ヒカルと一緒に歌おうとしたけど、嫌がられた。

 しょうがないので明日美さんと歌って、その後も何曲か歌ったところで時間となった。

 

「じゃあ、火曜日、忘れんなよ」

「誰が忘れるかっ!」

 

 あはは。1日だけど一緒に遊んで、距離は縮まったかな?

 みんなと別れて、ヒカルと並んで家に帰る。

 

「院生研修とか、火曜に行く研究会? それもいいけど、俺、囲碁部で打ちたいな」

「……そうだね。明日、三谷くんにも声かけておいて、囲碁部行こう」

 

 筒井さんもあまり顔を出してないし、三谷くんは囲碁部ではなく、碁会所に行っているらしい。一人だと面白くないもんね。

 前世の印象のせいで、三谷くんが辞めずに頑張るとは思わなかった。でも、よく考えるまでもなく、前世でもずっと碁は打っていたし、碁が好きなのは間違いないもんね。

 

 

 月曜、昼休みに三谷くんのクラスに行く。部室で打とうと話していると、夏目くんがおずおずと声をかけてきた。そっか、夏目くんは三谷くんと同じクラスだったよね。

 

「み、三谷くんって囲碁部なの?」

「あん? ああ、一応な」

「僕、夏休みにちょっと覚えて、まだまだ全然下手なんだけど、見学に行っていいかな?」

「そうなんだ! 夏目くん、ぜひおいでよ!」

 

 前世ではヒカルと入れ違いだったけど、その時はこうやって三谷くんのクラスで囲碁部の話とかしなかったもんね。運が良かった。

 

「ありがとう、ええと……」

「あ、ごめんね。私、藤崎あかり。大会とか出られないし、あまり顔は出せないけど、囲碁部員なんだ」

 

 初対面、というのをうっかり忘れそうになってた。危ない、気が緩んでた。

 

「俺よりこいつの方が強いから、たまに顔出した時に、打ってもらったらいいぜ」

「へえ。でも本当に僕はへっぽこだから、足を引っ張っちゃうかなって」

 

 引っ張るも何も、ほぼ三谷くん1人なんだから、人が来てくれるだけで嬉しいはず。

 放課後の約束を取り付けて、教室に戻った。

 

 

 そして、放課後。

 約束通り、三谷くんが夏目くんを連れて来た。ヒカルには事情を説明済みで、今日は夏目くんに楽しんでもらう日。

 

「お前が夏目? 俺は進藤。よろしくな!」

「よ、よろしく」

「さっきも言ったけど、こいつも大会とかには出ねえから、実質俺とお前、2人だけだな。あと1人いれば団体戦に出られるんだけどな」

 

 今の時期からだと、新入部員は難しいよね。来年、小池くんが来てくれたらいいんだけど。

 ヒカルはバレー部の奴に学生服着てもらったら行けるだろとか言ってるけど、それって金子さんのことだよね?

 懲りないなと思いつつ、一発頭を軽く叩く。そんなこと、二重の意味でできるわけないじゃないの。ルール違反だし、金子さんにそんな無茶なこと言ったら、後が怖い。

 

 

 三谷くんと夏目くんの対局は、当たり前だけど三谷くんが優勢。でも、私たちと打つ時と違って、無理な攻め方はせず、ゆっくりとした指導碁。

 三谷くんって、こういう碁も打てるのね。もしかしたら相手に合わせるのはヒカルより上手いかもしれない。

 

「ヒカル、次、夏目くんに打ってもらったら?」

「えぇ? 俺が?」

「むちゃくちゃな打ち方せずに、三谷くんみたいにきちんとした碁を打つの、多分勉強になるよ」

 

 緩急の付け方とか、そういうのも大事。その後、夏目くんとヒカルが打っている間に三谷くんと早碁をやったり、私も夏目くんと打ってもらったり。

 囲碁の実力アップとは少し違うけど、楽しく充実した時間を過ごした。

 

 

そして火曜日、ヒカルと一緒に森下先生の研究会の日がやってきた。


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