虹に導きを   作:てんぞー

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彼女は穢れて人と初めて誰かと並べた

「やぁ、お帰り。随分とはしゃいだみたいだね? とりあえず続きの前に軽い休息を入れようか。此方でもデータの洗い出しとかあるからね。なぁに、二時間もかからないさ。食事でもとって待っていればいいさ」

 

 頭を軽く振りながら帽子を取って頭を掻く。気づけば膝の上に座っていた少女は目を瞑って静かに寝息を立てていた。その顔を見て、オリヴィエとはまるで似ていないのを確認し、結局、完全なクローンというのは夢物語なんだな、と認識する。帽子を被り直しながら少女を起こさないように持ち上げ、立ち上がってベッドにまで運んで下ろす。サイコハックか、或いはタイムハックとでも言うべきか、その影響で少しだけだが慣れていない感触を体に感じる。それがどう、という訳じゃないが万全を期すために少しは休んでおくか、そう思ったところでこっちっす、と声がかかった。

 

「こっちで飯を用意したんで休んでおくといいっすよ」

 

 ジェイルの助手、或いは娘の一人がサムズアップと共に隣室を示す。そちらの方から空気に混ざる食欲を刺激するようなスパイスの匂いがする―――どうやらシンプルにカレーを用意してくれたらしい。ボリュームもあるし、文句はない。寧ろ喜んで食べる。自分も非常食に手を出さずに済むのだ、非常に助かる。隣の部屋へと向かう事にする。

 

「ん? 非常食の類を持ち歩いているのか?」

 

 眼帯の子がそんなことを問いかけてくる。とある次元世界には一見は百聞に、との言葉がある。つまり伝えるよりは見せたほうが早いだろう、と軽く指をパチン、と弾く。すると目の前に非常食である栄養バーが出現する。それを軽く掴んでから軽く指でトントン、と叩けば二個に分裂する。それを見ていたまだ若そうな女の子たちがおぉぉ、と声を零す。それをそのまま、プレゼントする事にする。一応非常食には気を使って色々と味のバリエーションを用意してある。今回取り出したのは女子向けのデザートバーともいえるものでイチゴはちみつ味である。

 

「普通に美味しい」

 

「こんな非常食もあるものだな……というよりどこに仕舞っているんだ?」

 

 それはもちろん、冷蔵庫に。正確に言えば時間の流れが発生しない次元世界で保存しているものを召喚術で一瞬で手元に呼び寄せているのだ。普通の人間には地獄、というか寧ろ時獄で一切活動できなくなるのだが、自分の様に裏技の使える人間であれば動く時間を召喚したり、影響範囲を捻じ曲げたり、と結構便利にできる。一般的には接触禁止危険次元であっても工夫を凝らせばそれはそれで便利に使えたりするものである。

 

「成程、ドクターの唯一の友人というだけはあるっすね」

 

 そこでなぜ呆れたような表情を浮かべるかが解らない―――とはいえ、喜んでカレーに飛びつかせてもらおう。そこまでお腹が空いていたわけではないが、スパイスの匂いに食欲が刺激されている。ドロドロ具合が一晩寝かせたカレーを思わせるのが家庭的でなおよし、という感じで個人的な点数は高い。ご飯とかき混ぜて食べるその味も普通に美味い。一切の文句のないカレーだった。

 

「お、カレーを混ぜる派っすか」

 

「邪道の方を選ぶか」

 

「だが混ぜたほうが美味しくはないか?」

 

「いや、ライスとカレーは混ぜるとほら、ご飯がカレーを吸っちゃうじゃない」

 

 なんだか自分の周囲が姦しくなってきたような気がする。まぁ、実際ここに居る男は自分とジェイルを抜けば皆無だ、そりゃあ姦しくもなるか、と納得しながらカレーを口の中へと流し込んで行く。個人的には福神漬けよりもらっきょうを入れている方が好みなのだ。あのしゃきしゃき感、嫌いになれない。それが逆に苦手だという人間の気持ちは微妙に解らない。ともあれ、姦しくなった研究室横のおそらくは食堂で食べながら適当に時間を潰しているとジェイルもホロウィンドウを浮かべながらやってくる。

 

「やぁ、憶測出来るだけの情報が増えたから君と私で情報整理をしようかな、って。と、そうそう。ディエチ、私にもカレーをよろしく。無論、甘口でね」

 

「ドクター、辛いもん苦手ですもんね」

 

「刺激は悪くないけどあの辛さに負けて脳みそから考えてたことが飛んでいきそうでね、どうも辛い物は好きになれないんだよ」

 

 それはもったいないとしか言えない。辛いものはそれはそれで美味しいというものだ。確かに度が過ぎると辛いを通り越して痛いし、それはそれで料理で遊んでないか馬鹿としか言えなくなってくるが、適度な辛さは味覚を刺激するから旨みとして感じられるのだ。そう、辛さがそのままダイレクトに美味しさとしてつながる料理というものはある。それを知らないのは余りに哀れだ。そう、ジェイルは哀れなのだ。

 

「同情的な視線を向けられ始めてるからそろそろ話題を変えようか? といっても当然ながら今回のダイブに関する事なんだけどね」

 

 ホロウィンドウを広げながら甘口カレーをジェイルが受け取り、スプーンを片手に握りつつ、ジェイルはホロウィンドウ内の情報の整理を行い始める。そこにはモニターを通して観測していた此方の事や、オリヴィエの事が記載されている。

 

「さて……まず最初から話を通すなら私達は……いや、君は私の先導で遺伝子を通した過去の記録へのハッキングを行った。これをサイコハックと呼ぼうか。私の目的はこの技術の完成、そして聖王という人物の本当の歴史を知る事だった、一つの興味としてね。その相方として呼び寄せたのが君で、この技術は私の科学技術、この施設の機材、遺伝子ベースとなる聖王のクローン、そして君が持つ超越された召喚とジャンクション(憑依付与)能力を合体させた共同作業であった……ここまではいいかな?」

 

 カレーの乗っていた皿を空にして、デザートのプリンをもらいながら頷く。

 

「では普通にダイブに成功した君は古代ベルカ時代の王族の様子を見る事に成功した。予想していたよりもはるかに幼い時代にダイブしてしまったのは誤算だったけど、おかげで幼い時代の聖王オリヴィエの姿が見れて悪くはない結果だったね。ただし、ここでイレギュラーが発生した。本当は過去の映像を眺めているような筈の技術である筈が、向こう側とコンタクトを疑似的に取れている事が発覚した。オリヴィエもどうやら君の声に反応する事は出来た様子だ。となると何かがおかしい」

 

 そう、とジェイルが言う。

 

「私の技術がおかしいのか? 機材が悪いのか? 彼女の遺伝子が悪かったのか? それとも君が間違えたのか? それとも見えない何かからの干渉があったのか? 疑問は尽きないけど私としては一つの仮説に至ってね」

 

 それは、とジェイルに問いかけた。それを受けてジェイルはにやり、と笑みを浮かべた。

 

()()()()()()()()んだよ。最高の技術と機材とクローンと術者。この次元世界で集められる最高の状態だ。それで本気を出して挑んだんだ。おそらくはサイコハックの領域を超えて、疑似的に時間軸への干渉が出来る領域に突入してしまったんだね。タイムリープというよりはタイムハック。時間軸への限定介入による改善という形が近いかもしれないね」

 

 頑張りすぎた結果、予想外の方向へと結果が飛び込んだ―――良くある話だ。それはそれとして、やっている事がワンランク上の次元へとぶっ飛ぶとは考えもしなかったが。というか考えたくもなかったが。とはいえ、それが事実なら今行っているのは歴史への干渉なのではないだろうか? プリンを食べているスプーンを口に咥えつつ首をひねればジェイルがそうだよ? と首を傾げながら答える。どこか、曖昧な返答だった。

 

「いや、ね。流石に私にも解らない事はある。天才とは99%の努力と1%の閃きだ。この閃きが新しい領域への道を開く。天才とはそれが意図的にできる連中の事だ。まぁ、私みたいにね? ともあれ、その閃きも結局のところは経験と蓄積されたデータによって開けるものだ。つまりは集まった情報がなければ判断を下す事は出来ない、という事でもある―――おっと、私も食後のプリンをもらおうか。糖分が欲しいところだしね」

 

 カレーの皿を片付けさせながらプリンの乗った空をジェイルは受け取り、そうだね、と言葉を吐く。

 

「本当にこれが完全なタイムハックであるのなら、現在私達は同時進行で時空の改変を行っている。つまり本来とは違う歴史が発生し始めているのかもしれない。それを私達は本当に理解しているのか? 認識できているのか? 一応データではなく紙で私が知る限りの歴史をすべて記録してそれを脳内で常に復唱しながら作業を続けているんだよ、強い自我と自己認識と意識の把握が改変への耐性となるからね、とはいえ本当にそれが発生しているのか、既に成っているのか? それを考え続けると無限ループに陥るからね」

 

 成程、と呟く。ジェイルは自分と同じことを考えていたらしい。あの時、オリヴィエに声をかけた時自分は考えた―――果たしてこれが真実の歴史なのか? それとも既に過去の自分が改変したルートを時空のループに従って自分が開拓しているのだろうか? 時間軸が絡む改変、改竄、干渉作業は正直な話、終わりと始まりが見えない。時間の起点という奴が生まれた瞬間にはそれが終わりへと到達しているという部分もある。

 

 だから時間干渉ってめんどくさいのだ。

 

「本当にね。おかげで時間軸に関連する分野の開拓や研究は一種のタブー扱いだからね。実験に失敗した結果時間軸の崩壊とかあり得るところが実に恐ろしい―――まぁ、私はそこら辺一切気にしないんだけどね!!」

 

「流石ドクターっす」

 

「人類の破壊者」

 

「史上最悪のクズ研究者」

 

「生きる価値なし」

 

「クズ」

 

「死ね」

 

「カス」

 

「最後の方もうただの罵倒じゃないかなこれ!」

 

 どうやらこんなクズでカスで死ねとか言われているジェイルだが、そこそこ慕われているらしい。果たして自分と会っていない間にこの男が何をやっていたのかは少々気になる部分もあるが、そこは彼の自由という奴だ。一々突っ込んで話を聞き出すのも面倒だ。ともあれ、そんな事よりも重要なのはこのままダイブを続けた場合の話だ。オリヴィエ・ゼーゲブレヒトの歴史の分岐点にダイブして、憑依してそれを追体験する。それが今自分たちがやっている事だ。

 

 だけどそれを続けた場合、

 

「―――あぁ、うん。歴史そのものが変わってしまうかもしれないね」

 

 プリンを食べ終わった幸せそうな表情でジェイルがそれを言い切った。そして立ち上がりつつ、機材のある部屋の方へと戻って行く。

 

「まぁ、創作におけるお約束として歴史の強制力だー、とか色々あったりもするが、そんなことを科学的に観測できた試しはない。本当はどこかに存在するのかもしれないけど、生憎と私は聞いたことも見たことも感じたこともないし、今回の作業中にそれを観測したことがない。存在しているのであれば私たちがどれだけ悪戯をしたところで本来の歴史通り、何にも心配する必要はない。そして本当に存在したら―――」

 

 ジェイルが足を止め、にやり、と振り返って笑みを浮かべた。

 

「―――君が殴り飛ばすだろう? ほら、君、普通の人間は全く救わないけど、本当にどうしようもなく救いのない人間だけは手段を選ばずに助けるし」

 

 そう言うとジェイルは鼻歌を口ずさみながら機材の方へと戻って行く。その姿は悩みは多くても、非常に上機嫌であるのが伺える。やっぱり、研究出来る事、自分の知らない未知を追いかけるという事に対しては並々ならぬ情熱を持っているらしい。実際、今踏み込んでいる領域は多くの道が混在しているのだ、それを楽しまずにして何が無限の欲望(ジェイル・スカリエッティ)だろうか、と彼は言うだろう。

 

 そして彼がそこまでやる気ならば、自分に否はない。元々自分はジェイルを手伝うために呼び出されたのだ。特に正義感とか使命感とかある訳ではないが、個人的にもあの不幸な聖王になるであろう少女の未来は気になる。彼女の最期は有名であり、聖王のゆりかごと呼ばれる禁忌兵器でベルカを救った後にそれが暴走し、ベルカ共々滅んだらしい。果たして彼女が何を思ってそこまで行動したのか、それは気になる事でもあった。

 

 愛を知らぬが故にか、それとも愛を知ったからだろうか。

 

 どちらにしろ、歴史がこれから教えてくれるだろうと思っている。

 

 

 

 

 休息を終えて再びダイブする。

 

『今度は先ほどの時間軸よりも数年ほど進むみたいだね。逆に言えば数年の間は平和だったようだ』

 

 喜べばいいのだろうか、それとも嘆けばいいのだろうか。あの少女の人生、波乱万丈過ぎないか? まぁ、古代ベルカ文明といわれれば興亡期でもあったのだから、短いスパンで人生を揺るがすような出来事があるのは間違いではない。だからと言って、高い頻度で発生されると守護霊のような、ストーカーの様な立場の人間としては少々困る気もする。まぁ、介入時間が増えるほうが摘まめる人生が多く、映画としては面白いと考えておけば良いだろう。

 

『それじゃあシンクロを開始するよ……前回の接触が原因か、君とオリヴィエの間では縁が形成されている。時間軸を無視した行い、どういう形で結果が返ってくるかは正確には把握できない。あまり無茶はしないでくれ給えよ? 君がいなくなると実験が続けられなくなるからね』

 

 了解、とジェイルの言葉に返しながら形成される景色を眺めた。

 

 変化した先の景色はまず、足元が柔らかく赤いカーペットによって染められており、白い壁に薄い紋様が刻まれ、木細工で飾られた一室だった。天井からはシャンデリアがぶら下がっている。まだ外は明るいようで、窓からは新鮮な春の風が室内を通り、緩やかに部屋の奥、化粧台の前の姿を撫でていた。

 

 化粧台の前には金髪の髪を編みこむように後ろでまとめる少女の姿があった。肩を出すようなドレスの姿に変わりはないが、前見た時とは違い、少し成長しているのか、体格と身長が出来上がってきているのが見えた。その横には侍女の姿が一人見え、女の服装や髪、薄く唇に紅を塗るのが見えた。その女の性格を考えれば彼女一人でもそれが出来ただろう。だがそれは不可能であるのは、女の両腕を見れば解る。

 

 その女には両腕がなかった。

 

 ドレスの袖の中は空っぽで、重力に従ってぶら下がっているだけだった。

 

 そんな中で、彼女は何かを察知したかのようにゆっくりと振り返り、風が彼女の前髪を揺らした。そこで見えるのは赤と碧のヘテロクロミア―――オリヴィエ・ゼーゲブレヒト、その人の証だった。前は9歳ほどであったが、今では十代前半、良いところで14歳程度の淑女になりつつあった。まだまだ子供ではあるが、少しだけ大人びて見えるのは彼女の纏う雰囲気があるからだろうか。彼女は少しだけ室内に視線を巡らせた。何かを探す様に。彼女の視線は此方を横切り、捉えられていない。

 

「ヴィヴィ様?」

 

 その動きを怪訝に思った侍女が首を傾げ、オリヴィエがいえ、と上品に笑った。

 

「ごめんなさい、懐かしい気配を感じた気がしたので少し気になってしまいまして」

 

「えぇと、誰もいませんよ、ヴィヴィ様? あ、あと、ホラー話は出来たら苦手なので唐突に止めてくださいよ? フリじゃないですからね? ……ホラー話ではありませんよね?」

 

 オリヴィエは首を傾げながらさぁ、と可愛らしく笑った。

 

「どうなんでしょう? 私の勘違いかもしれませんし。陛下もあの日以来似たような反応をしてませんし……ですけど、そうね。今日はなにか、少し良い日になりそうな予感があります」

 

「本当に止めてくださいよヴィヴィ様ぁー……。私、夜は一人でトイレに行けないんですからぁー」

 

 そう言って笑うオリヴィエとは裏腹に、此方はやや冷や汗を掻いていた。聖王の血は争えないか、とも驚く。無論、精神だけで此方にダイブしている様な現状、肉体が存在しないのでそれに付随する存在としての気配なんてものは当然ながら存在しない。だがそれを超えた超六感的なもので、オリヴィエの人生にジャンクションされた此方の存在を察知してきた。ただ、聖王の事を考えれば彼女が明確にこちらを認識する時も来るのかもしれない、と思わなくもない。

 

『或いは君がこうやって憑依する事で君の憑依された情報を知覚するか、それとも構築されている縁で変化を認識しているか―――どちらにしろ、興味深い話だね。場合によっては時間改変による第三視点の認識に応用できるかもしれない』

 

 またジェイルが意味の解らないことを言っている。それはともかく、オリヴィエの両腕が存在しないのを認識する。確か前回のダイブの時、オリヴィエの両腕が腐食していたのは見えた―――この結果を見るに、どうやら完全に腐り落ちてしまったらしい様だ。

 

『こちらの方の話は結構有名だね。原因は不明だったけど、聖王オリヴィエの両腕はアガートラームとさえも呼ばれる銀色の鉄腕を振るっていたとされている。彼女の武の才能はそれはもう凄く、敵兵をその両腕で殴り殺していたとされていたね』

 

 今の化粧をしてもらっているオリヴィエを見ている限り、彼女がそんなことを出来る様な人間には―――いや、待て、と、思い出す。彼女はあの炎の研究所の中で襲い掛かってきた騎士をカウンターで即死させていた。戦乱の時代の女に現代と同じ常識が通用すると考えるほうがおかしいか、と納得しておく。現代では非殺傷設定なんてものが存在するが、管理局の設立前のベルカではそんなものは存在しなかったのだから。この時代では戦いの末に殺す、というのは珍しくなかった時代だ。

 

 とはいえ、現代であっても珍しいという訳ではない。

 

 自分の様にアウトローな環境にいれば、必然と非殺傷設定を使う回数、頻度は減る。非殺傷設定ではどうしてもクッションを置いてしまうため、戦闘で不利になりがちなのだ。それにどう足掻いても非殺傷を設定できない攻撃というのも存在するのも理由の一つだろう。

 

「ヴィヴィ様、お化粧の方が終わりました」

 

「ありがとうございます。では馬車の方をお願いします」

 

「畏まりました」

 

 色々と考えている間にどうやらオリヴィエの方も化粧を終わらせたらしく、侍女の方が部屋の外へと出て行く。それで完全に扉が閉まっていないのは、オリヴィエの両手がない事を考慮してるからだろうか。化粧台の前に座るオリヴィエはふぅ、と化粧台の鏡に映る自分の姿を見ている。その背後へと移動すれば、自分の姿は映らず、オリヴィエの姿だけが鏡に映っているのが見える。当然ながら自分はこの時空には存在していない筈なのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。

 

「ねぇ」

 

 オリヴィエが視線を鏡へと向けたまま、口を開いた。

 

「そこに……いるのか、な?」

 

 敬語を使用しない、素の口調でそんなことをオリヴィエが呟いていた。無論、触れる事も言葉が届くこともない。今、強い気持ちを込めてオリヴィエへと言葉を送っても、それがオリヴィエへと届く気はしなかった。だけども、確かなつながりが自分たちの間には存在する。それだけは感じていた。そしてそれをオリヴィエも感じ取っていたのだろう。だからオリヴィエはううん、と呟きながら頭を横に振った。

 

「継承権を失ったけど、話せる人や手伝ってもらえる人が増えたよ……ありがとう。私、頑張って生きてるよ」

 

 そう言うと小さくオリヴィエは微笑み、化粧台から立ち上がって部屋の外へと出て行く。此方に触れる事もなく、此方の横を歩いてオリヴィエは外へと向かう。その姿を見て、あの時、言葉を送ったのは決して間違いではないというのを確信した。それにしても可愛かったオリヴィエが凛々しく、そして美しく育ってきた姿を見て、

 

 これが娘の成長を見る父親の気持ちか、と思った。成程、確かに世の父親が娘を可愛がる理由も解る。これが父性。

 

『君が老け込むにはまだまだ早すぎるとは思うけどね』

 

 それはまぁ、そうだ。そう思いながらオリヴィエを追いかける事にした。場内の姿は前見たものと変わりがなく、オリヴィエの気配もはっきりしており、簡単に追いかける事が出来る。馬車を頼んでめかし込んでいるという事はどこかへと向かう予定があるらしい。それが今回の人生の分岐点なのだろうとは思う。とりあえずは追いかけてみない事には何もわからない。

 

 

 

 

『―――話を聞いている限り、どうやら継承権を剥奪されたようだね』

 

 数年前にオリヴィエが乗った馬車よりも良い馬車、従者一人のほかに騎士の姿が複数馬車の外を歩いている姿が見え、それが夜の道を進んでいた。ベルカ王城を出た馬車はとある目的地へと向かって進んでいるようで、一切の淀みなく街道を進んでいる。ここにきてオリヴィエの待遇は前よりもはるかに良くなっているようにさえ感じるのは目の錯覚ではないのだろう。

 

『面白い話だ。後世で私達の知っているオリヴィエ・ゼーゲブレヒトは確かに聖王だった。ゆりかごを動かし、そしてその果てにゆりかごの暴走によって滅び、死亡したベルカの最期の聖王、って伝わっている。だけど私たちが知る限り、ベルカは健全だ。王族たちも何人も居たし、そう簡単に殺せそうではないのは見てれば解る。なのに彼女は記録には最後の聖王として残されている……何故だろうね?』

 

 そう言われると確かに、と、馬車の壁に寄り掛かりながら立ったまま思考する。実際の肉体が存在しないせいか、ずっと立っていても疲れないのは結構不思議な経験だった。とはいえ、便利なので特に深くは考えたりしないのだが―――そう、王位についてだったか。王位継承の証みたいなものがゆりかごで、ゆりかごがオリヴィエの使用をラストに喪失されてしまったために最後の聖王として伝わったのではないだろうか?

 

『まぁ、それも十分あり得なくはない線ではあるね。実際、歴史なんてものは勝者が飾るものさ……知っているかい? 聖王のゆりかごが機能停止し、歴史から完全に消失されたのは150年前の出来事だ。そして150年前と言えば何があったのかを知っているかな?』

 

 無論、ミッドチルダ出身で知らぬ者はいないだろう。150年前と言えば伝説の管理局の創設者、伝説の三人が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()時だ。今では最高評議会という形で脳みそだけを残し管理局を支配する怪物。150年も前から存在し続ける生にしがみつく連中だ。

 

『そう、私が生まれ、そして君の手によって決別する事に成功した連中でもある。まぁ、懐かしい話は一旦忘れよう。重要なのはこの時期が重なるということだ―――そして聖王教会の設立もこの時期がベースとなっている』

 

 通信の向こう側でジェイルがにやり、と笑みを浮かべているのが想像できる。つまり、ジェイルが言いたいことはこういう訳だ。

 

 現在に残る聖王教会、古代ベルカに関連する情報の類は意図的に管理局によって検閲され、操作されているものだ、と。

 

『まぁ、可能性の一つとしてはね? 実際古代ベルカは歴史的観点から見ると歴史の敗北者となってしまう。そしてこの場合、歴史の勝者である管理局はいらぬヘイトを向けられる可能性がある。それにベルカの失敗、愚かさを忘れるなと質量兵器の禁止をプロパガンダのごとく広げているんだ。ここまでくるとベルカ人の感情が悪くなるだろう? だとしたら私だったらベルカ側を引き立てる様なストーリーの一つや二つ用意するよ。英雄の物語や献身の物語は誰が聞いても美しい。最後の聖王! オリヴィエ! 彼女は己の身を削ってベルカを救おうとした! だが不完全な禁忌兵器は、質量兵器が彼女の命を奪ったのだ! おぉ、禁忌よ、危険な技術よ! 汝さえなければ最後の聖王も死ななかったであろう―――なんてね?』

 

 流石に管理局がそこまでブラックホールの如く闇を抱えているとは思わないが、無限図書館で働く眼鏡の似合う司書の姿を思い出すとあながち、否定しづらい。

 

 まぁ、管理局が設立当初から選民思想を持っている事は誰だって知っている事だ。魔法を扱えるものと扱えない者の間にある格差は魔法に傾向した社会構築である以上、仕方のない話だ。自分も、高い資質と素質によって大いに助けられている以上は文句は言えない。

 

 言う気分になったら言うけど。

 

『君のそういう素直なところ、私は好きだよ』

 

『ドクター……』

 

『そこ、声の録音を取らない。合成して体は好きだとか捏造しない。男もいけるけどね!』

 

 しばらくはジェイルから距離を取ろう、そう心に硬く誓った瞬間だった。

 

 ただジェイルの戯言はさておき、管理局とベルカの関係の話は非常に面白いかもしれない。何せ、現代における管理局とベルカ聖王教会に関する関連はずぶずぶとも呼べるのだからだ。聖王教会の人間が管理局に所属しているのは珍しくないし、また同時に管理局の人間が聖王教会に在籍しているのも珍しくない。

 

 有名なのはカリム・グラシアだろうか。彼女は聖王教会の騎士としての役割を持っている他、同時に管理局の中でも地位を持っている。そのおかげで聖王教会と管理局の間での人員をやり取りや顔つなぎを円滑に進めている、という背景がある。

 

 ただやはり、ここまでずぶずぶな人間がいるのを見れば、ジェイルの言葉も否定しづらいというのは解る。管理局も聖王教会もお互いに影響を与えている関係だ。いや、上下関係を考えると聖王教会が半ば管理局に組み込まれている形が近いか。

 

 まぁ、どちらにしろ情報が出てないところで考えても無駄だ。管理局の疑惑に関してはこの疑問からおよそ150年後の話だ。管理局を設立する次元平定の伝説の三人に関しても、まだ生まれてすらいない年代だ。考えるだけ無駄な事だ。その事実を再確認していると第六感に引っかかる感覚があった。それを感じ取り、馬車の壁の向こう側へとすり抜けて出て、馬車の縁を掴みながら夜の闇を見た。

 

 完全に闇に同化して、そこには確かに人の気配を感じた。

 

 騒がしい夜が始まりそうだった。

 




 ちなみに公式だと生まれた時点で継承権がなかったそうです。流石にそこまでやると、ん……? ってな感じがしてくるのでちょっと構成を変えたり。ちょくちょくあちこちいじったり、発掘する公式のベルカ情報に合わせてプロット変化させてたり。頭のおかしい奴って大概バイだから怖いよな、って話だったり。

 今更これ、R18でやればよかったかもしれないって思ってる。

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