最初から、誰かに打ち明けていれば良かったのに。
「――!」
レイシフトした際の浮遊感が消失していく。――燃やされた街並みが目に付いた。
焦げた香り。そして肉が焼けるような臭い。何が燃えているのか、否応なしに理解した。
フランス――と言うには、記憶と現実の齟齬が激しすぎる。
「お、え――」
吐き気が込み上げてくる。一度感じた死が、すぐ目の前まで迫ってきているような寒気がした。
「マスター、手を」
「……!」
ランスロットが手を差し出してくれた。手を握ると、臓腑を渦巻いていたモノが少しだけ軽くなったような気がする。
「――ランスロット、ソレは任せた。
私は手当たり次第、始末してくる」
アルトリア・オルタはマスターを一瞥し、何も言わなかった。まるでどうでもいいと扱われているようで。
それが少しだけ気に障った。
「俺も、行く。何とか落ち着いた」
「……この先にあるのは、戦場だ。
膝を屈しない覚悟はあるか? 心が弱い者がここにいても、邪魔になるだけだ」
手を握りしめる。
覚悟なら、とうに決めている。
――なら、どう転ぼうが同じ事。目を瞑ろうが耳を塞ごうが変わりはしない。
なら、心を鉄に変えてしまえばいい。
「お前が邪魔だと思ったなら、そこで俺を斬ればいい。
それなら文句ないだろ」
「――ならば行くぞ。
時間が惜しい、立ち止まってくれるなよ」
初めての旅だった。自分自身の足で世界を歩く戦いだった。
幾度となく生死に触れた。見せつけられた。その都度、何もかもが嫌になった。
人はこんなにも汚いのだ。何故自分は死んで、彼らが生きるのか。幾度となく自問自答を繰り返して。答えは未だに出なかった。
手に力が篭る。この世界全てを、壊してしまいたくなる。
――けれど、まだだ。まだ裏切るには早すぎる。
この体はまだ力に馴染んではいない。それどころか戦場の雰囲気にすら慣れていない。
まだ焦るな。そう、何度も息を呑んだ。
ある日の夜、俺はこっそりと野営地を抜け出した。
背後からランスロットが霊体化して、着いてきてくれているのは気づいていたから、安心して外に出れたのだ。
「おう、確かカルデアって所のボウズじゃねぇか」
「えっと、貴方達は……」
フランス兵達が火を焚いて、簡単な酒盛りをしている。
確か、ランスロットが鍛えなおしたはず。たとえワイバーンに襲われても、防衛しつつ逃げられるだけの力量を彼らは身に着けたのだ。
「アンタとこの騎士さんには世話になったからなぁ! ほら、飲んだ飲んだ!」
「あ、いや、あの……俺まだ飲める年齢じゃないですから」
「あー、そうか。どうすっかなー、酒しか置いてなかったからなぁ……」
葡萄酒の匂いが強い。そういえば、フランスはワイン大国だったっけ。
と、スープが差し出される。肉を入れてただ煮ただけの簡単なモノ。少しばかり生臭い。
でもどうしてか。こうして普通の人達と一緒に食事をするという事が嬉しかった。
例え、特異点の中であっても。日常に戻れたような気がするから。
「口に合うか?」
「はい。……何だか、生きてるって感じがしますから」
「はー、若いのに達観してるなぁ。俺なんて酒と訓練の記憶しかねぇや」
兵士達の会話はなんてこと無い。
こう成り果てる前のフランスで、妻子がいて。畑があって。家があって。変わらぬ暮らしがあって。
その中に混ざれている事実が、ただ嬉しい。
「……にしても、これからフランスはどうなるのかねぇ」
「心配、ですよね」
「あぁ、上の考えなんてわからないからな。俺達兵士には命令が全てさ。
そりゃ国同士なら仲は悪かったかもしれん。けど俺達にとっちゃ、そんなのはただの肩書だ。俺達と何一つ変わらない暮らしをする、同じ人間だ」
「……」
「『竜の魔女が復活した』――そりゃ、確かにフランスを憎むかもしれねぇ。恨むかもしれねぇ。
でも、俺達の戦いにフランスなんて二の次だ。ただ生きたいから、帰りたいから戦ってるだけ。俺達とジャンヌ・ダルクの生まれに、違いは無いのにな」
「……」
「正直、何でこうなったのか俺達には分からないよ」
――言葉が出ない。
俺からすれば、当時のフランスの政治的背景は知っているから、当時の開戦理由が何故かなんて知っている。
でもこの人達にとっては、関係無いのだ。
「フランスのためと言って戦ってるが、フランスの事なんて何も知らないよ俺達は。
明日もこいつらとこんな馬鹿をやりたい。そういった理由に縋り付いて、戦っているんだ」
ただ生きてるだけじゃ、何も分からなかっただろう。
彼らが、いや。過去に生きた人々の時代の上に、現代は成り立っている。俺達の生活も、何気なく謳歌していた日常も。
彼らが、支えてくれていたのだ。
「……ありがとうございます」
「あ、何がだよ。お前さんとこの騎士に世話になったからな。このぐらい、容易いモンだ。ほら、俺のスープやるよ」
「テメェのスープはワイン入りだろうが」
「そんな事気にすんなよ。ほら、飲んだ飲んだ」
いい人達だと心の底から思う。俺のような子供を卑下せず、接してくれて。
どうか彼らが、明日も、その次の日も。生き延びますように。
「あの……お気持ちだけで十分ですから」
「あー……よしじゃあコイツをもってけ。ほれロザリオだ」
「ロザリオ……」
渡されたのは木彫りの十字架。所々粗があって、正直雑だという印象を持ってしまった。
でも、その粗さがどこか好きだった。
「俺の娘が作ってくれたもんでな。そいつを持ってるとツキが回ってくるのさ」
「……そんな大事なものを」
「いいんだよ、お前さんのような子どもの方が大事だからな」
そのロザリオを、そっと胸に抱きしめた。彼らがこの先も生きているかどうかは分からない。それを知る手がかりは無いのだ。
――なら怯えている場合なんかじゃない。戦わなきゃ、いけないんだ。
彼らが、各々の時代に生きてくれた人が繋げてくれたこの世界を、活かすために。
「……」
でも俺に、そんな資格があるんだろうか。
結果として、作戦は順調に進んだ。フランス兵達にも大きな犠牲は出なかった。
竜の魔女は敗れた。ファヴニールを崩され、配下のサーヴァントを失い。残るは彼女と魔導元帥のみとなった。
そして、ジャンヌの打ち込んだ一撃が、彼女の霊核を砕いたのだ。
「やだ、なんで……。どうして、わたしが」
「……これで終わりです。竜の魔女、有り得たかもしれないもう一人の私」
「助けて、誰か。――いや、いや。また、一人で」
そうして、竜の魔女は消えた。魔力の残滓となって消失していった。
「……」
あの手を握れたのなら、彼女はあんな顔をしなかったのだろうか。復讐しか見いだせなかった自身の運命を、新しく見つけられたのだろうか。
ふと、そんな事を考えた。
現れたのは魔導元帥、ジル・ド・レェだった。
かつて聖女共に救国を成し遂げた英雄。――絶望に堕ちたその成れの果て。
彼の体が海魔に包まれていく。
「!」
アランに跳びかかろうとした触手の一本をランスロットが寸前で切り落とした。――だがその時にはもう既に新たな一部が生まれていた。
無限増殖――キリが無い。
だが、そんな中でもお構いなしにアルトリア・オルタは切り裂いていく。その背中に強く呼びかけた。
「オルタ!」
「――喧しい、口を閉じていろ」
「……っ」
恐らく藤丸のアルトリアと張り合っているのだろう。どこまで負けず嫌いなのか。
久々に怒りが来た。この分からず屋が、と心の中で吐き捨てた。確かにアルトリアだけでも負けはしない。だがこれはチーム戦だ。――僅かな隙間を突かれればたちまち崩れ去る。
それを埋めるべく令呪を発動する。勝つための消耗なら、絶対命令など捨て石で構わない。
何より――あのフランス兵達の思いに応えるために。
「令呪を以て命ずる!」
「ほう、正気か」
「うるせぇ! 俺がマスターである事!」
一画が消費される。
「俺と語り合う事!」
一画が消費される。
「その二つを認めろ!」
一画が消費された。
即ち令呪全画を使用して、アルトリア・オルタにマスターとして認めろと言ったのだ。
その意味が、分からない訳でも無い。
「――その意味、分かっているな? 膝でも屈してみろ、歩みを止めてみろ。即座に、その首を刎ねる」
「それでいい。それでお前のマスターになれるんだったら、やってやる! だから力を貸せ――セイバー!」
「いいだろう、指示を寄越せ
魔術礼装を使用。アルトリア・オルタに魔力を供給する。
その意味を理解した彼女は、頭部のバイザーを展開。両手に握りしめた剣を後方へ構えた。
「立香っ!」
「分かってる! アルトリア、合わせてくれ!」
放たれる星の聖剣。
白と黒の輝きが大海魔を焼き尽くしていく。
――全てが晴れた後、残っているのはただ弱々しく倒れ伏す男の姿だった。
そんな男の下へ、かつて救国を成し遂げ、国に裏切られた少女が歩み寄っていく。そうしてしゃがみ込んで、男の手を握った。
「ジャンヌ……何故」
「いいんです、ジル。私達は過去の存在。どんな奇跡があったとしても、それは変わりません。
貴方はよくやってくれた。こんな田舎者を信じて、共に歩んでくれた。――もういいんです、ジル。オルレアンは、私達の戦いは、もう終わっていたんです。私は、その結末に悔いはありません。――今までありがとう。そして、ごめんなさい」
「……ジャンヌ」
見ていられなかった。
彼女の在り方を見ていると、まるで自分自身がどうしようもない程身勝手に見えて。
「後悔は、して、いないのですね。本当に。
貴方は最期、人としての全てを奪われ、貪りつくされた。それでも――」
「はい。――自分の死が、誰かの道に繋がっている。
なら、私はそれだけで良かったんです」
頭を殴られたような衝撃が走った。
彼女の言葉に、今の自分が酷く揺さぶられて。
それと共に強い憧れも抱いてしまう。
“今からでも、遅くはないんだろうか。
彼女のように、何かを繋げる生き方を選べるんじゃないのか”
一度死んだ身。それでもまだ、誰かの手を握れるのなら――。
「……」
ただ白い空間に俺は立っていた。
レイシフトの際、たまにこうして変な空間に飛ばされる事がある。まぁ、時間が経てば自然に戻っていくし、周囲の反応も変わりはない。
多分、魂のズレがレイシフトに影響を及ぼしているのだろうと思っていた。特に特異点に長く身を置いていて、カルデアに戻る際、この現象は必ずと言っていい程起こる。機材不良では無いので、何とも言えない。
「……俺、は」
自身を特別視していたのかもしれない。
たまたま生き残っただけで。そして人理焼却と言う事態に対面して。
――本当に俺は、彼らを裏切るだけの意味を持っているのか。
明日を生きたいと願った、フランス兵達。そして彼らの家族。
俺の悲願は間違いなく、彼らの全てを踏み躙る事になる。
「迷っているのね」
「……」
「私はサーヴァント。マスターである貴方に従うわ。
――夢は醒めてしまえば全て無くなる。けれど、夢を見たと言う証は残り続ける。
どうか、悔いの無い答えを」
聖女は、彼女は言った。自分の死が誰かの道に繋がっているのなら、それでいいと。
……なら、俺がもし生き延びたとして。――その先に何がある? 一体、誰が、待ってくれている?
けど、このままだと俺は必ず死ぬ。今までと同じように。何一つ、意味を見出す事も出来ずに。
「……分かんねぇよ」
俺は一体、自分に何を望んでいる。手を伸ばしても届かない。
助けてくれ。
誰か。
俺を、ここから連れ出してくれ。
当時の事を彼らは思い出す。
彼は悩んでいた、苦しんでいた、思い詰めていた。
それは、戦いの恐怖だとずっと思っていたからだ。
だから誰もが気にするなと声を掛けた。いつか慣れると。
だが、違った。
彼はずっと、自分の生きる意味を見出せずに苦しみ続けていたのだ。
それを誰にも溢す事無く、ぶつける事無く。まるで隠し続けるかのようにずっと振舞い続けて。
それにようやく気づいたのは、人類に未来が訪れてからだった。