智花の出張スイーツ教室
「ごめんね。変なこと頼んじゃって」
「いえ。昴さんのお役に立つことができてうれしいです」
俺の情けない頼みごとにも彼女はイヤな顔一つせずに嬉しそうな笑顔を浮かべている。
その表情からも純粋に俺の力になれることを喜んでくれているのがわかるのだが……我ながら情けない。
「――でも、お返しなんて本当にお気になさらなくてよかったのに」
「そういうわけにはいかないだろ? みんなからバレンタインのチョコを貰えてすごく嬉しかったんだから。俺もちゃんとその気持ちを返さないと」
現在、俺は湊智花という非常に優秀で頼もしい最高のパートナーの力を借りて、手作りクッキーの製作に取り組んでいた。
彼女自身も、俺にバレンタインの贈り物を届けてくれた人物なのに。
あろうことか、そんな彼女の手を借りてホワイトデーのお返しをしようとしているのだから……正直、これってどーよ?
弁明させてもらうと、間違っても俺から彼女に協力を要請したわけではない。
いつもの朝練が終わった後のほのぼのとした団欒の中で、うっかり口を滑らせてしまったのだ。
「そろそろホワイトデーも近いし、手作りのチョコをくれたみんなにお返しで俺も手作りの物を贈りたいんだけど、どんなものがいいと思う?」
「ふぇぇ!? す、昴さんの手作りですかっ!?」
ごめん。自分のことだが、どう贔屓目に見てもただのバカだった。
つい先日、ひなたちゃんの誕生日パーティーが開催され、僭越ながら参加させて頂いた。
パンツと動物をこよなく愛する小さな天使にどんな物を贈らせてもらえば喜んでもらえるだろうかと悩みに悩み続ける日々。
結局、ひなたちゃんに贈らせてもらう誕生日プレゼントを智花に相談したのだった。
ちなみに真帆からのプレゼントである彼女曰く『オトナパンツ』なるものを渡されると、すぐにその場で嬉しそうに広げるひなたちゃんから目を逸らしたの言うまでもない。
しかもあろうことか、その場で今履いていたパンツを脱ぎ、その『オトナパンツ』を履こうとして智花たちと一悶着あったらしいが、俺は何も見てない。何か聞こえた気もするけど、気のせいにきまってる。
その感覚で今回の件まで智花に相談してしまったのだ。
話しやすく普段から何かと相談を持ちかけてしまっているけど、さすがにこれはないだろ。
お礼をしたい相手に、どんなお礼をしたらいい? なんて、多分、今までだってやらかしたことがないくらい、最大級の誤爆だ。
結局、ネタバレしてしまった時点で、もはやサプライズも何もないと開き直り、相談の末、以前彼女達に作ってもらった手作りクッキーを参考にホワイトデーのお返しとして贈らせてもらう計画が立てられたのだった。
そして、ホワイトデー前日を迎えた今日。
奇しくも女バスの部活が休みの日だったため、放課後に予定があると早々に友人たちと別れ、長谷川家へと来てくれた彼女と合流し、さっそく事を始めるに至ったのだった。
まぁ、作業開始早々に俺と智花の立場が完全に逆転してしまったわけだが……
ドヤ顔で卵を割ってボウルに入れたら、メチャクチャ申し訳なさそうに卵白と卵黄を分けないといけないと指摘してくれたり、気合を入れ過ぎてあれこれ混ぜすぎてしまいそうになったり……
二人の初めての共同作業において、のっけから失敗をやらかしまくる俺を優しくフォローしてくれる智花。
だめだ。年下の女の子にここまでリードされ続けている状況が非常に情けなくなってくる……
なんとか挽回をしようと思っても、先走ってまた新たなミスを犯して彼女に迷惑をかけてしまうのではないかと不安になってくる。
「二人ともがんばってねー。昴くん。あんまり智花ちゃんのジャマしちゃダメよ」
「そう思うなら手伝ってくれよ!?」
「そ、そんなっ。昴さんすごく一生懸命がんばって下さってますよ」
そもそも母さんはなんで俺の相手を智花に任せて、端の方で楽しそうに傍観してんだよっ!?
母さんがもっと協力的だったら、俺だって智花の前でそう何度も醜態を晒さずに済んでいるはずなのに……
紆余曲折の末に、俺と智花の試作第一号が完成する――のだが……
「なんか甘すぎるし……粉っぽいな」
「は、初めてなら、こういうものですよ。わ、私は好きですよ」
精いっぱいのフォローをしてくれているが、そんな彼女を持ってしてもお世辞にも『美味しい』と口にできないあたり、悲しいがそれが事実なのであろう。
かつて八栗ドレッドノータスの監督さんが俺に天啓を授けるべくうどんを打たせてくれたことがあったが、あの時の監督さんが先に打ってくれた生地のように参考にするべき明確な基準があれば、こんな結果にはならなかったのではないだろうか?
いや、さすがにそこまで智花にさせてしまったら、もはや智花のマネをしただけで俺の手作りとは言えないものになってしまう気がする。
とりあえず、作り方や気をつける点は彼女からレクチャーを受けたのだから、次からはもう少しマシな物が作れるはずだ。
確かに理想は美味しくだが、せめて俺の彼女たちへの感謝と口では伝えきれない程の熱い気持ちが伝わってくれさえすればいいし、それが一番の目的だ。
「よしっ。智花のおかげでやり方はわかったし。今のは練習で次が本番だ」
「あの……本番でしたら、私は離れていた方がいいでしょうか?」
「うーん……俺一人に任せて欲しい。って言えたらカッコいいんだけどね。まだ一人ではできないと思うし、良かったら智花に手伝って欲しいかな? もちろん迷惑じゃなければね」
「迷惑だなんてっ。――えへへ、喜んでお付き合いさせて頂きますねっ」
俺のわがままな申し出にも関わらず、彼女は笑顔で応えてくれた。
――互いに見つめながら、小さく頷き合うと俺と智花はごく自然な流れで二回戦を始めた。
「ふぅ……これくらいなら及第点かな?」
「えへへ。昴さんどんどん上手くなってますっ」
ずっと俺を指導してくれていた彼女も上達を認めてくれたのだから間違いない。
「本当にありがとうな。変なことお願いしちゃったのに、結局最後まで付き合ってくれてさ」
「いえっ。昴さんには普段からいっぱいお世話になってますし、こんなものでは全然足りないくらいです。それに――」
「それに?」
「私も昴さんと同じで。みんなにお返しがしたいな。って思って」
焼きあがったクッキーを小袋に詰めていた手を止めると、それを胸に抱きながら彼女は温かい笑みを浮かべながら続ける。
「みんなが私を誘ってくれたおかげで、昴さんにバレンタインのチョコをお渡しできました。きっと私一人じゃ渡すことなんて絶対にできませんでしたよ」
「俺は正直みんなからもらえるなんて思ってなかったから、すごく嬉しかったよ。チョコもすぐ食べちゃうのがもったいないくらいすごく美味しかった」
「はぅ……えへへ、それなら良かったです。やっぱりみんなのおかげです。みんながいなければ、昴さんからこんな嬉しい感想を頂けませんでした」
「それじゃ、俺と一緒にみんなにお礼の気持ちを込めてお返ししないとね。もちろん俺は智花にも今回のことを含めてしっかりと感謝してるよ」
みんなの分の袋分けが終わったところで、特に装飾されていない一つの小袋を彼女が手に取る。
「昴さん。その……図々しいですが、私が頂ける分として、こちらを頂いてもいいでしょうか?」
「え? でも、それって……」
一番最初の失敗作だ。
確かに智花が側にいてくれたおかげで食べられない程ではないが……さすがにそれをお返しとして渡すのはあんまりな気がする。
「……これがいいです。昴さんが一番最初に作って下さったもの。――昴さんだって、前にまだ練習中なのに私の卵焼きを味見したんですからお互い様ですよっ」
照れたようにはにかみながらも、どうやら彼女にしては珍しく自己主張をして絶対に引いてはくれないことを悟る。
「わかったけど、無理に食べなくていいんだよ? できれば智花にもちゃんとしたやつを食べて欲しいんだしさ」
「はい。そちらも味見させて頂きました。みんなだって昴さんからもらえるって知ったらすごく喜びますよっ」
彼女が両手で大切そうに抱えている物はともかく、他は彼女のお墨付きをもらえたのだから、きっと大丈夫だろう。
翌日。部活後にバレンタインのお返しの手作りクッキーをみんなに渡すと大歓声に包まれた。
事前に智花に約束した通り、渡すときまで内緒にしてくれていたようだけど……みんな喜びすぎだろ!?
もしかしたら、これがみんなに贈る最後のプレゼントになるかもしれないと思うと、一人で勝手にしんみりとしてしまったが、あえて口に出すようなことはしない。
できれば智花にもみんなと同じ気持ちで受け取ってもらいたかったのだが、多分彼女が協力してくれてなければ、ここまで上手くは行かなかっただろう。
彼女に感謝を想いながら、楽しそうな笑い声が絶えることなく更衣室へ向かっていく小さな五人の背中を見送るのだった。
*
「昨日早く帰ったのはこれのためだったのね。トモは一日早く長谷川さんとホワイトデーを満喫したってわけね」
「なんだよー知ってたんなら、先に言えよなーもっかんっ」
「はぅ! ごめんね。昴さんに恥ずかしいから渡す時まで内緒にしていて欲しいって言われちゃってたから……」
「長谷川さんからお返しを頂けるなんて……すごく嬉しいね」
「おー。おにーちゃんのてづくり、ひなもうれしー」
「それで、昴さんに内緒で、これも持ってきちゃったんだ」
「ん? ……なんか私たちにくれた物より包装がシンプルね」
「うん。昴さんが一番最初に作ったものだよ。昴さんは失敗作って仰ってたけど……」
「すばるんのハジメテ!!」
「長谷川さんの!?」
「おー。おにーちゃんのはじめてー」
「ふーん。確かにトモにとっては、こっちの方が貴重かもねー。一番長谷川さんの想いが込められてるものね」
「はぅぅ……そ、それで、良かったら……みんなも食べてみない? す、昴さんの初めての」
「え!? 私たちも? トモ、本当にいいの?」
「いいの!? あ、でも智花ちゃんに悪い気もするかな……」
「ううん。みんなだって昴さんのことがお好きなのに、いつも私だけ独り占めなんてイヤだよ」
「おー。ひなたべてみたいー」
「さっすがもっかんっ」
「それじゃ、みんなで頂きましょうか。――あ、代わりに私たちが頂いた分をちょっとずつトモに分けてあげるわね」
「えへへ、みんなありがとう。私みんなのこと大好きだよっ!!」
「そんじゃ、いただきまーす………………甘っ!? しかもすっげー粉っぽいぞコレ!?」
「おー。あまくてざらざらしてるーどくとくなおあじですなー」
「笑っちゃったら失礼だけど……長谷川さんって、何でもできそうなイメージだったけど、なんかすごく安心しちゃった」
「にししー。まだまだシュギョーがたりんな。すばるんもっ」
「ま、初めてなら、こんなもんよね。食べられるだけマシでしょ。真帆のに比べたら」
「なんだとー!」
「あはは、ケンカしちゃダメだよー」
*
更衣室から出てきた五人は変わることなく――むしろ入って行った時以上にみんな満面の笑みで出てきた。
そして、俺と目が合うと、なんとなく申し訳なさそうに困った様な笑顔でこちらを見ている智花と、他の四人に何やら俺をからかうようなニヤニヤとした視線を向けられているような気がする。
うーん。もしかして何か失敗してしまったのだろうか?
ま、みんなが仲良くしてくれてるなら、特に気にする必要はないか。
俺に大切なことや情熱を思い出させてくれた五人の少女が、変わることなく、いつまでもずっと仲良くしていて欲しい。という俺の想いは確かに届いてくれたのだろうから。