「ふぁう……」
「にしし……」
「んっ……」
「えへへ……」
「お~……」
言葉なんていらない。
ただこうして寄り添って、互いの柔らかな感触を、肌の温もりを確かめ合ってさえいられれば、それだけで十分なんだ。
「――いつまでもこの子達を撫で回してないで、コーチらしく気の利いた指示とかなんか出しなさいよっ!!」
「――もう我慢できんっ!! 昴ーーっ!! さっきから調子こいて、大切な妹に触りまくってんじゃねぇっ!!」
「ふぅ……やっぱり、小学生はさいこ――ぐはぁ!?」
突如鋭くキレのある一撃と、ズシンと体の奥底に響くような重い一撃が俺の身に襲い掛かる。
咄嗟の事に反応できず、俺は先ほどまで肌を寄せ合っていた小学生達から引き離されるように吹き飛ばされてしまったのだった。
どういうわけか五年生組と愛莉専属のそれぞれのコーチ二人組の不満を買ってしまっていたようだが……何故だ?
いや、愛莉に関しては兄が見ている前でどこぞの輩とも知れない馬の骨が、目の前で大切な妹の頭を撫でるのは少々無神経だったかもしれないな。
ちょっと端の方に視線を向けると、ひなたちゃんの妹であるかげつちゃんも心配そうにこっちを見てるし。反省。
今の騒動で注目を集めてしまったせいか、竹中もなんかこっちをすごい睨んできてるが――あ、カマキリに怒られてやんの。
「――で、この大切な時間に、この子達をイヤらしく撫で回すだけで、コーチとして後半に向けて何か伝えるべき事はないんでしょうか? 慧心学園女子ミニバスケ部の長谷川コーチは?」
葵の方の不満はこれか。ただみんなと気持ちを一つにしていただけで、別にイヤらしい事なんて何もしてないだろうに。
それにこの子達にとって、こうしていられる時間がどれだけ大切かを全く分かっていないな。
何も言葉だけがコミュニケーションの取り方じゃないんだ。
身を寄せ合ってお互いの存在を感じ合う事で、固い結束の元に気持ちを一つにする事ができる。
それは、高い集中状態の維持や、チームとしての連携の向上にだって繋がるんだぞ。
……とはいえ、怒気を孕んだ瞳で睨みつけて来る彼女相手にそんな事を説明しても、きっとまた蹴り返されてしまう事だろう。
さすがに俺も、決して自分からは抱きしめてはいないんだけど、五人が一斉に俺のところに来るもんだから、その……肌の密着感がちょっと危険な感じもしてたし……
――それはともかく。
「理想はこのままの展開で進んでリードを維持するなり、さらに広げられる事だろうけど――」
当然仕掛けてくるだろうな。
互いに点を取り合ってるだけじゃ、いつまでも点差は縮まらないし、そんなんじゃ残り六分なんてあっという間だ。
おそらく最初から前半同様に得意のマンツーを、今度はオールコートで仕掛けてきて積極的にこちらのボールを狙ってくるだろう。
「――向こうがどんな手を仕掛けてきたとしても、向こうに合わせて張り合う必要はないよ。こっちがリードしてるんだから、ボールを取られないようにしっかり守って確実に攻めて行くんだ」
『はいっ!!』
試合再開直前には、全員緩み切った表情から一転さえ、気持ちを引き締める。
後半戦開始のブザーが鳴ると、試合モードへ気持ちを切り替えコートへ戻っていく五人の背中を温かく見送った。
「女バスのやつらに絶対に勝つぞっ!!」
『おーっ!!』
男バス側も円陣を組みしっかりと気合を入れ直したようだ。ほらみろ葵。やっぱり肌と肌の触れ合いってとっても大切な事じゃないか。
竹中を中心に他の四人も瞳の中に熱い闘志を燃やしている。
そこに油断や慢心といった緩みは一切ない。
かつては智花一人を警戒していたが、今となっては女バス一人一人をライバルとして、越えるべき――越えなくてはいけない壁として認識し、考えられる限りの策と己の力を振り絞り全力で挑んでくることだろう。
女バス 14-8 男バス
男バスボールで後半戦が開始された。
前半同様に速いパス回しを意識した攻めを展開してこちらのゴールを狙ってきている。
もしかしたら、竹中を信用していないというわけではないだろうが、これまでの女バスとの試合や遠征で男バスそのもののプレイスタイルを変えたのかもしれないという印象を受けた。
手堅いマンツーディフェンスはともかく、オフェンスに関しては竹中がほぼ一手に背負っていたため、結果的に智花以外が素人だった最初の頃も竹中を抑える事で大量得点される展開を防ぐ事ができたのもかつての勝因の一つだろう。
そして、球技大会では点取り屋だった竹中不在の男バスは智花を抑える事はできても、智花を抑えるために割いた人手の分だけ、女バス側は常に誰がフリーになれる状況ができ、それが最終的に決定力の差となって現れた。
当時は女バスを智花一人のワンマンチームと評価していたが、実は男バスもオフェンス面では竹中のワンマンチームとなってしまっていた事に竹中自身が気づいたのかもしれないな。
確かに最初は、ただの仲良しグループのお遊びチームだったのだろう。
だが、結果的にそのおかげで得られた固い絆と信頼が地区大会優勝チームを凌駕する程の強いチームプレイを可能にさせたのだ。
女バスと試合したおかげでお前達もたくさん得られる物があっただろう?
ならそれらをしっかりとぶつけてこい。
彼女達は正面から受けて立って、きっと今度だってお前達に勝って見せるからさ。
男バスがこちらのディフェンスを掻い潜り、こちらのゴールネットを揺らしターンオーバー。
女バス 14-10 男バス
これでリードは2ゴール差か。
予想通り、智花と紗季に着いていた竹中と菊池に加え、ワクワクさんもひなたちゃんをマークしながら、こちら側のコートに留まるとプレッシャーを掛けながら追加点を狙ってきている。
智花達が三人でアイコンタクトを取りあった直後に、左サイドの紗季が下に逆サイドのひなたちゃんが上へと同時に走り出す。
「紗季っ」
「はいっと。――夏陽にトモのすごさ見せつけてやりなさいっ」
智花から紗季へスローインをし、パスコースを塞がれる前にすぐに智花へリターン。
「あ!? くそっ!!」
素早いクロスオーバーからのバックロールで竹中をあっさりと抜き去る。
これで攻守共に智花が勝利しているが、多分気にしてるのは竹中達だけで智花自身は気にしてないんだろうな。
竹中自身も智花を意識して相当練習を積んでいるのは認めるが、1On1ではまだまだ智花に分があるようだ。
コーチである俺がかつて竹中に無様に抜かれまくった事もあるが、元々俺は須賀のようなタイプとは相性が悪いしあの時はスランプだったんだから仕方がない。
怜那さんのドライブを再現してもらった時に小学生相手に万全の状態でガチで抜かれてしまった事は認めるが、初見殺しだったあの一回だけで、それ以降の戦績はしっかり守り切っているんだ。
だが、今も思い出すたびに悔しさが込み上げてくる。俺の小学生相手の初めては智花のためにとっておきたかったのに。
まぁいいさ。何も本当の意味での初めてってわけじゃないし、いつかきっと智花が竹中以上にすごい方法で俺を完膚なきまでに完璧に抜いてくれる事だろう。
それも一度や二度どころではなく、智花がきっと満足するまで何度も何度もたくさん相手をしてあげる事になるんだ……
何度も抜きたがる智花相手に俺も必死に抵抗すると、思う様に抜けなく事に悔しそうに可愛らしく頬をふくらませながら、ムキになってより激しい動きや俺との実践で身に着けたテクニックを駆使して、俺を満足させてくれる事は間違いない。
ヤバい。考えただけで、なんかすごいうずうずしてきた。
智花とすごくしたい。
とはいえ、さすがに試合後はヘトヘトだろうし、俺のわがままで智花に無理をさせるわけにもいくまい。
こんなもやもやした気分のままで明日の朝までお預けかよ……
なんてことだ。大好きな小学生と大好きな事ができないのがこれほど辛いなんて夢にも追わなかったぞ。
俺と智花の近い将来の事(他人から見たら下らない事のように思えるかもしれないが)を考えつつも、しっかりと試合を見届ける事は決して怠らない。
今や将来有望株なみんなが汗水を流しながら本気でバスケを楽しんでくれているんだ。
そんな彼女達の活躍を一秒たりとも見逃す事なんてできるものか。
コート内では何度となく挑んでくる竹中相手にボールをキープしつつ、彼女は何を考えているだろうか?
マンツーでマッチアップ相手を抜いているなら、このまま単身で突っ切ってしまってもいい。
マンツーでは絶対に止められないエースの実力をしっかりとアピールする事で、仲間との連携を繋ぐ布石にもなる。
慌てて智花を抑えに他がヘルプに回ったのなら、そこでフリーになった仲間に彼女ならあっさりボールを託してしまうだろう。
負けず嫌いではあるが、彼女は自分よりもチームが勝つ事――大切な仲間が活躍する事を優先し望んでいる子だ。
内心では、もう少し普段俺と1On1をやってる時みたいに彼女本来の攻撃的なオフェンスを発揮してもいいと思うんだけどな。
お互いにライバルと認め合った未有ちゃんとの時みたいに、磨き続けた個人技のぶつけ合いみたいな展開も智花だったらきっと誰にだって負けないと信じてる。
そんな俺の想いの中、彼女がとった選択は――
「愛莉っ」
信頼している仲間へと繋ぐパスだった。
さすがに後半開始直後から智花を走らせ続けるわけにはいかないし、絶対的な制空権は変わらずにこちらが握っている事には変わりない。
それなら通用してる間は、そこを起点に徹底的に攻めてやればいい。
自然と愛莉への負担が増えてしまう事になるが、当然みんなだって愛莉にだけ負担を押し付けるようなまねはしない。
愛莉以外には絶対に届きようもないパスを、愛莉が高く跳躍ししっかりと受け取る。
――直後、下からの戸島のスティールによって愛莉が託されたボールを掠め取られてしまった。
「きゃっ」
「っしゃあ!! 行くぞっ!」
愛莉の手元を離れたボールを戸島がキープし走り出す。
そして、右のエンドライン近くでひなたちゃんとマッチアップしていたワクワクさんにパスを送った。
くそっ。最初に愛莉以外の高さはほぼ誤差のようなものだとタカを括っていた自分を呪いたくなる。
ひなたちゃん自身のトリッキーかつ、天才――いや、天使的な感性から繰り広げられる立ち回りから錯覚していたが、こうした純粋な高さ勝負を挑まれてしまう展開では20cm程の身長差がネックとなってしまっていた。
ワクワクさんがボールを手にした後も、ひなたちゃんが懸命なマークに着くが、ひなたちゃんの天使の抱擁(いや、ファールになるので本当に掴もうとはしていないが)の誘惑を、鮮やかなハンドリングとドリブルであっさりと振り切られレイアップを決められてしまった。
これは完璧に俺の失策だな。みんなに本当に申し訳なく感じてしまう。
上は完全に愛莉が抑えているから大丈夫と慢心した挙句、今度は逆にその高さを相手に利用されてしまうとは……
女バス 14-12 男バス
「みんな、ごめんね。お兄ちゃんからもボールを取った直後が一番狙われやすいって言われてたのに……」
「おー。ひなもまもれなかった」
「どんまい。愛莉っひなたっ」
「ヒナもアイリーンも気にすんなっ」
「まだこっちがリードしてるんだし、ここからしっかり取り返していきましょ」
誰も二人を責める事はせずに、落ち込んだ二人に優しく声を掛けている。
なんとかこの試合中に二人が気持ちを持ち直せるようなチャンスが来ればいいが。
当然みんなも無理な活躍を要求せずに、ここぞというタイミングで彼女達にパスを回す事を狙っているだろう。
思ったよりも、なかなか厳しい展開になってきたな。
男バスのディフェンスを突破するには智花に頼らざるを得ない状況となってしまっている。
男バス相手に智花が未だに絶対的なアドバンテージとなっているのなら、本来ならそれを最大限有効活用できる展開なのだから、望ましいはずなのだが……
「湊ならともかく、まだお前ら相手に止められる気はしねーんだよっ!!」
「ちきしょーっ。ナツヒめーっ!!」
「落ち着きなさいっ! せっかくトモが取り返してくれてるんだから、その分私達がしっかりと守らないと!」
智花が点数を取れば、当然竹中もカウンターを決めてくる。
しかも男バスの方がコートの使い方が抜群に上手いな。
こっちはオフェンスの際に戦場を拡大されてしまったせいで広いコートで個々に分断されてしまっていて、上手く連携を繋ぎきれていない。
現状では互角の展開になっているが、流れは間違いなく男バス側に傾きつつある。
せめてこちらのディフェンスの時に竹中を抑える事ができれば……
智花も対抗して竹中にオールコートで竹中をマークしてくれれば、それで解決するだろう。
だが、それだと結局智花のワンマンチームか。と思われてしまうのではないのだろうか?
……もしかして、彼女――彼女達はそんな事を考えていやしないか?
そんな考えを巡らすのとほぼ同時に智花が遂に竹中にオールコートで着く決意をしたようだ。
しかし、竹中にマッチアップしているものの、その動きにどこかぎこちなさを感じてしまう。
きっと周りから見てもそう感じてしまうくらい、今の彼女は目の前の相手に集中しきれていないのだろう。
体力を消費しすぎたわけではないだろう。もしそうだとするなら、先にガス欠するのは最初から激しく動き続けてる男バス側の方だ。
「どうした湊? そんなに周りばかり見て目の前の相手に集中してないと――」
「あっ……」
智花の意識がわずかに外へ向いてしまったのを見計らい、竹中が動いた。
「簡単に抜かれちまうぜっ!」
「――させないっ!」
ほとんど反射的に動いたようなものであろうが、なんとかそのおかげで完全に抜かれきれず、すぐに並走しブロックを続ける。
早い段階でレイアップの体制に入った竹中の前に回り込むと、追いかける用に飛び上がり、シュートブロックを試みるが――
「まさか」
竹中が放ったボールはレイアップシュートの軌道よりも遥かに高く打ち上げられている。
「おらーっ! 入り……やがれってんだ!!」
「そんな……」
彼女の手は高く放り上げられたボールに触れられず、虚しく空を切る。
智花も着地後、すぐに振り返り目でボールを追っている。
たとえもう間に合わないとしても、すぐにでも駆け出して竹中のスクープショットを止めたい。
おそらく彼女も俺と同じ事を考えたはずだろう
描かれた放物線はゴールを通過するラインからわずかに外れ、リングに弾かれた。
直後、愛莉がリバウンドを取り、先ほどのスティールを警戒しすぐにボールを上に掲げ、周囲を警戒している。
試合中だというのに、俺――おそらくコート内の智花もほっと安堵の息をつく。
「ちっ。やっぱそう簡単にはいかねぇか」
「……当たり前だよ。昴さんだってすごく練習してから、私に教えて下さったんだから」
「へっ。だけど、お前がいつまでもその調子だといつか決められちまうぜっ」
「――!! 絶対にさせないっ!」
彼女の動きが一段階上がってきたような気がするが、まだだ。
まだどうしても動きにぎこちなさが感じられる。
本来の智花の実力はまだまだこんなものではないはずだ。
常にどんな相手にも負けないように時には限界すらも越えて、みんなを魅了するバスケを繰り広げてくれているのに。
「……長谷川さん、いいですか?」
やはり同じコート内にいる彼女達は俺よりもとっくに彼女の変化に気づいていたようだ。
当然だよな。俺なんかよりも智花の事をよく知ってる彼女達がこんな分かりやすい変化を見逃すわけがない。
紗季は智花の原因に気づき、遂に解決策となるものを見つけ出したのかもしれない。
「すみません、次タイムで」
彼女の判断を信じ審判にタイムアウトを申告する。
女バス 20-20 男バス
程なくして、女バスがゴールを決めた直後に竹中が再び不調の智花を抜き去ると、ついに同点へと追いつくカウンターのゴールを決めた後にこちらのタイムアウトとなったのだった。