男バスとの試合当日。
慧心学園初等部の体育館では、すでに両チームが共に試合開始に備えてゆっくりとそろぞれでウォームアップを行っている。
五年生達は葵と万里がしっかりとまとめあげてくれて、一足早くこちら側のベンチで観戦モードになっていた。
試合前に集中を乱さないようにと気を利かせてくれたのだろう。
きっと彼女達だって色々と思うところはあるのだろうし、試合後は彼女達も混ぜての反省会をしないとな。
試合には参加できなくても観戦してるだけで、たくさん得られる物もあるのだから、六年生達の試合を観てしっかりと吸収してもらいたい。
来年は君達が慧心学園の女バスを引っ張っていくんだから。
「トモ。今日も期待してるわよ」
「うん。紗季のおかげでみんな気持ち良く動けてる事いつも感謝してるよ。今日も私達の事しっかり支えてね」
「よーしっ。アイリーン! ヒナ! 今日もあたしらのバスケでガンガン取りまくるぞーー!」
「おー! ひなもがんばらざるをえないっ!」
「私もしっかり止めてみせるし、きっとシュートだってがんばるからっ」
智花と紗季はお互いに交代で背中を押しながらストレッチを行い、真帆と愛莉とひなたちゃんの三人はパス回しをしている。
うん。みんな気負い過ぎてる様子もないし、かと言って気が抜けているわけでもない、いつも通りベストな状態だ。
「驚きましたよ。まさか君があの桐原中の元エースだったとはね。知将という字名は伊達ではなかったという事ですか」
「どうも……俺をご存知頂けたとは意外でしたね。でも、今回だって負けるつもりはありません」
「おいこら! 教師の癖に何試合前に相手のコーチに挑発仕掛けてんだ」
いや、どうみても挑発してんのはミホ姉の方だろ。
少女達が本番に備えて各自で念入りに準備をしている様子を確認していると、男バス監督のカマキリが歩み寄ってきていた。
「いつもの事だから気にすんな。そんな事よりウォームアップしっかり続けるぞ」
ミホ姉とカマキリが対峙した事で男バス側もウォームアップを止めて遠くから事の成り行きを見守っていたが、キャプテンの竹中がすぐに再開を促す。
やっぱあいつもちゃんとキャプテンやってんだな。
気の入りようといい、竹中も今日の試合、本気で挑んできてくれるってわけか。
「りょーかい。にーたん」
「うるせぇよ! 深田!」
「あ、王子のが良かったか」
「だからうるせぇっての。真面目にやれ。和久井!」
……なんか軽口をたたき合ってるというか、一方的に竹中がからかわれているような感じだな。
椿ちゃんと柊ちゃんのお兄ちゃんだから、『にーたん』はなんとなくわかるが……『王子』? まぁなんでもいいか。
一度だけ竹中と視線が合ったと思ったら、不機嫌そうにそっぽを向かれてしまったので、こちらもカマキリと向き合う。
「……少しだけ君や高校の事を調べましたが、なかなか同情を禁じ得ない事情があったようで……」
「それに関しては、俺ももう割り切ってますし、今はあの子達のコーチですから。残り僅かな期間も全力で彼女達を指導していきます」
「……ったく、なに二人してスポコンみたいな会話して盛り上がってんだか、ま、いいけどさ……小笠原先生! あんたが切り捨てようとした、あの子達の成長しっかり見せつけてやるからねっ」
「篁先生はともかく……君とはもう少し違う出会い方ができれば良かったですね」
「同感です……日ごろからミホ姉が色々とご迷惑をお掛けしているみたいで」
互いに溜め息と一礼をしてから、カマキリは背中を向けると、シュート練習をしている男バスの方へと歩いて行った。
ってか、小笠原先生って言うのか。みんなしてカマキリって呼んでるし、雰囲気がそれっぽかったから、気にしてなかったけど。
「――にしても、なんであんなこと言ったんだ? 今更、わだかまりなんてないんだろ?」
「まー普段からできるだけ顔合わせねーようにしてっからな。あたしは可愛い甥の気持ちを代弁してやっただけだぜ?」
「そりゃどーも」
それを言われるとなかなか反論しづらい。ほとんどミホ姉の私情だけのような気もするが。
確かに話してみた感じや、今まさに男バスのメンバーと向き合ってる様子からも、以前ほどの嫌悪感は感じない。
まぁ、当時は完全に格下だと見くびられていた事もあるのだろう――それはそれで純粋無垢な小学生達の健全な成長を促す教育者として如何なものかと、やや首を傾げたくもあるが。
だからと言って、俺にとってもだが、それ以上に彼女達にとって最も大切な物を奪われそうになった過去の全てを水に流せるかと言われると……複雑だな。
確かにそのおかげで彼女達の大切な物を絶対に護り抜く事と新たに見つけた自分の大切な目標と決意を固める事にもなったわけだし。
カマキリ(本人の前以外ではこのままでいいか)が言う通り、もう少し出会い方が違っていれば、あまり羽田野先生の言葉を借りたくはないが、間違いなく『同志』になれただろう。
バスケと小学生(対象が男の子という点が違うけど)が大好きで熱い情熱を注いでいる姿はまさに俺と同じはずだ。
「よしっ。それじゃ、みんな集合ー」
『はーいっ』
俺の呼びかけにすぐに集まってくれる。うん。みんな本当に良い子だ。
みんなとの大切な絆であるこの場所を護る事ができた後だって……いや、その後だからこそ、彼女達は本気でバスケと向き合うようになってくれたんだ。
「これから試合だけど、俺が教えられることはほとんど教えられたと思うし、みんなは今まで通り自分達のバスケを精いっぱい楽しんで来てくれればいい。きっとそれだけでとても良い試合ができると信じているから」
「はいっ。昴さんのこれまでの教えを全部出し尽くしていきますっ」
「あたしはいっつもすっげぇー楽しんでるっ。そんで男バスにもゼッテー勝ってやるんだっ」
「だからって、あんまり飛ばし過ぎていきなりバテないでよね。ま、私もすごくワクワクしてるんだけどねっ」
「うん。私も、あの時の私のままじゃないって、みんなにしっかり見てもらいたいっ」
「おーひなも。ひなだって、前よりもちょっと離れたところからのシュートだって入るようになったところ、みんなに見てもらいたいー」
そうさ。男バスがどれだけ更に実力を付けているかわからないけど、こっちだって、みんなあの頃とは比べ物にならないくらいに成長しているんだ。
「そろそろ試合開始だ。それじゃ、試合前に――」
輪の形に集まったみんなの中心に手を前に出すと、智花、真帆、紗季、愛莉、ひなたちゃんの順に五人の小さな手が一斉に重ねられる。
智花に視線を送ると、小さく頷く。
「みんなっ行くよー!!」
『おー!!』
円陣を組んで気持ちを一つにした五人がコートに入っていく。
男バスの選手達からは以前のような険悪な雰囲気は感じられないが、それ以上にこれから強敵に挑むような強い闘争心を燃やしているようだ。
十人の選手が整列し一礼を交わしたところで試合開始だ。
四人は間隔を開けつつ、センターサークルへ入っていた愛莉を見守っている。
そして、愛莉がジャンパーになった事で、男バス側が息を飲む様子が伝わってきた。
そうさ。向こうにとってはこの時点で、脅威となるはずだ。
すでに事前情報として知ってても、実際にこの状況に直面してしまえば、動揺を抑え切れるわけがない。
絶対的アドバンテージを持ちつつも、それを活かし切れていなかった頃の愛莉はもういない。
彼女のいくつもの蕾はすでに開花し、更に新たな可能性の蕾を作り続けているんだ。
審判のホイッスルが鳴り響くと同時に手からボールが真上に高く上げられる。
案の定、ジャンプボールはあっさりと愛莉が制し、ひなたへとボールを弾いた。
「おー。ないすあいりー」
よし、愛莉も誰にボールを送るべきかしっかり見えている。
男バス側も、もうこちら側にフリーにしていい選手なんて誰もいない事はわかっていても、特に智花への警戒を緩める事はできない。
一人一人にしっかりマークを付けていても、今までに散々苦渋を味あわせれ続けていた智花に意識が向きすぎている。
そして、その分だけ警戒を怠ってはいけないとわかっているはずなのに、その天使のような――というか、天使そのものであるひなたちゃんへのマークが緩んでしまっている。
二つ名である無垢なる魔性――イノセント・チャームはどうやら竹中以外にも一定の効果を上げているのかもしれない。
ボールを奪われる事を見越していたのか男バス側はいち早く駆け出しディフェンス陣形を敷こう駆け出している。
追いかけるように智花と真帆と愛莉も敵コートへ走り出していた。
「ひな。一回こっちに戻して」
「おー。さきー」
紗季が自分とひなたへのマークが完全に着く前にボールを戻すように指示を出す。
これまでに何度も練習を繰り返した慧心女バスの定石の流れは淀みなく行われ――
「うっしゃー! 狙い通りだぜ!!」
「夏陽!?」
――竹中が二人の間を駆け抜け、ひなたちゃんから紗季へのパスをインターセプトする。
慌ててひなたと紗季が振り返り竹中を止めようとするも、最初に虚を突かれ反応が遅れたのが致命的だった。
すでにスピードが乗ってしまっている竹中は誰にも追い付かれる事なく一気に攻め込みレイアップを決めてしまった。
こっちが最初にボールを制したのに、まさかこうもあっさり先制点を許してしまうとは。
「しゃーっ! 先制点ゲットー!」
ゴールを決め、仲間が待っている自軍へとガッツポーズを決めながら悠々と戻っていく竹中。
「へっ。今までお前らの練習にどんだけ付き合ってやってきたと思ってんだ。そのパターンは読めてんだよ」
やろー。途中で俺の方を見ると憎まれ口を叩いていきやがった。
なるほど。竹中にはこちらのやり方が筒抜けになってる事が多いってわけか。
おそらく加速力の高い智花と真帆にボールが渡り、そのまま速攻を決められないようにしっかりマークを固めつつ、ひなたちゃんへのマークを意図的に緩めていたのだろう。
ひなたちゃんを完全にフリーにしなかったのは、受け取ったひなたちゃんがパスを回さず攻め込まないようにしたためか。
そして、狙い通りひなたちゃんがボールを受けた瞬間から、紗季にボールが渡る事を確信してタイミングを計って一気に飛び込んできたのだ。
加えて男バス側が急いで守りに走っていくのに釣られてしまい、虎視眈々と隙を窺っていた竹中への意識を外されてしまっていた。というところか。
――やってくれたな竹中。
こっちがジャンプボールを制したのなら、紗季がボールをキープするまでが言わばヒーローやヒロインが変身を完了し戦闘態勢に入るようなものだろう。
そこを狙ってくるとは、まさに変身中のヒロインを攻撃するようなものではないのか?
変身前のダメージが致命傷になって脱落してしまう主人公や悪役だっているんだぞ。
――余談だが、前に智花と一緒にぷにきゅあを見ていた時に変身シーンが始まったら、途端に気まずくなった事も思い出してしまっていた。
彼女と同年代くらいの子が全身から謎の光を放ち、長々と肌を晒しながら少しずつ変身コスチュームに身を包んで行く姿を見せ続けられるのは中々の苦痛だった。
恥ずかしそうに俺の様子を横目でチラチラと窺っている智花の視線が……いや、今はそんな事はどうでもいいんだ。
「おー……ひなのせいで、みんなごめんねー」
「気にすんなっ。ナツヒめーヒキョーな手を使いやがってー」
「どんまい、ひなた。しっかり取り返していこうっ」
「気にしないで、ひなたちゃん」
「あれは仕方ないって。私もひなにボールもらうのに集中しすぎてて、夏陽の警戒を怠っていたんだから」
自分のミスだとしょんぼりと落ち込んでしまっている一人の天使を慰める天使達。
初手で出鼻を挫かれてしまったが、この程度で崩れる彼女達ではない――むしろ一気に燃え上がった事だろう。
取られたら、取り返すまでだ。
たっぷりと倍返しでな。