失礼にも抱いてしまった智花に対しての不埒な想いを自分の中でしっかり払拭する。
今もなお、先ほどまでの行為に頬を染めながらも、俺を信用し純粋な好意と笑顔を向けてくれる少女を、自分の中で好き勝手に穢すような事はしたくない。
「今回は俺もしっかり観た事がない物も多いんだけど、もしかしたら智花は観た事あるかもしれないかな? それでも良かったら付き合って欲しいんだ。」
「はいっ。……でも、少し意外です。昴さんだったら、私よりも詳しいと思うんですが?」
「う~ん、今までは男子のバスケの試合はいっぱい見てたんだけど、女子のはほとんど見たことがなくてね……智花は多分両方いっぱい見てると思うんだけど」
今でこそ、智花達のおかげで異性――特に年下の子に対して抵抗を感じる事もなくなったけど、昔は我ながら苦手意識を強く持ちすぎだよな。
まぁ、あの頃は中学のチームをまとめあげる事を第一に考えてた時期だから、色々と有力な男子のデータをかき集めるのに必死だったし、
葵に無理やり付き添わされた時に偶然目についた麻奈佳先輩のプレイに魅せられて、高校からも心機一転して頑張るぞ……って時にあれだからな。
――おっと。せっかくこれから智花と楽しい夜を過ごそうというのに一人で辛気臭い感じになってちゃダメだよな。
「そうだったんですか? えへへ、でも昴さんと一緒に見れるのなら、多分私じゃ気づけないところも色々と教えて頂けるかと思うと、すごく楽しみですっ」
「はは。そう言ってもらえるとありがたいんだけど、俺も初見ばっかりだと、いっぱい見落としちゃうと思うよ」
ベッドに置いていた飲み物とお菓子が乗ったトレイを移動しながら床に腰を下ろすと、彼女も俺の隣に座ってくれる。
「よし、それじゃ智花から貰ったお菓子を頂きながら、一緒に楽しむとしようか」
「え? でも…それは、お詫びの品で……昴さんと七夕さんにお二人に召し上がって頂いた方が……」
ま、確かに彼女ならそう考えるよな。相手にお詫びとして渡した物に自分が手を付けてしまうわけにはいかないと。
「ちゃんと母さんにも食べてもらうし、きっと花織さんは智花にも混ざって食べてもらうために今日持って行くようにしたんじゃないのかな?」
「そ、そうでしょうか?」
本当のところはどうかはわからない。
もしかしたら彼女なら最低限の礼節を弁えているから、そんな粗相をするわけがないと思っての事かもしれない。
忍さんや花織さんの思惑を裏切ってしまう行動を彼女にさせてしまう事になるかもしれないが、それでも俺は――
「できれば、俺は智花と一緒に食べたいな。もちろん苦手だったら無理強いはしないけど……もしかして、家では行儀悪いからダメとか言われてたり?」
「い、いえ……自分の部屋ではよくお菓子をいっぱい食べてしまう事もあるので……」
「それなら、せっかく美味しそうな物をもらったんだし、智花と一緒に食べた方がもっと美味しく食べられるに決まってる」
完全な球状や半円、四角や釣鐘型にハート型。様々な形の一口大のチョコが皿の上に散りばめられている。
俺が先に手を出しちゃえば、智花だって食べやすくなるだろう。と、さっそく頂いたチョコの一つを口に放り込む。
きっと高価なものなんだろうし、美味しいのは間違いないんだけど……うーん、あまり味の違いはよくわからないな。
「そ、それでは……少しだけ頂きますね。えへへ……昴さんとバスケの試合を観ながら、お菓子まで頂いて……すごく贅沢な事をしてしまっている気分ですっ」
彼女も一つを手にとって小さな口の中に放り込んでくれた事に嬉しさを感じる。
こんな事が彼女にとって――いや、俺にとっても、すごく贅沢な事だよな。
「今度はさ。みんなで一緒にこうやって過ごしてみたいな」
「はいっ。きっとすごく楽しそうですっ! あ、でも……もしかしたらみんなには少し退屈な思いをさせてしまうかも……」
「大丈夫だって。鑑賞時間は少し短めにして気分が盛り上がったところで、今度はみんなで本番を始めればすっごく楽しめるに決まってる!」
さっそく影響を受けて真似をしようとした真帆やひなたちゃんが紗季に窘められる光景が思い浮かんできた。
どうやら彼女も同じ光景が浮かんだようで、俺と同じく困った様な苦笑を浮かべているが、どこか楽しそうな表情のように感じられた。
さて、先ほどからテレビの向こうで数々のスーパープレイを繰り広げてくれている選手たちにも申し訳ないので、そろそろ本格的にそのプレイを思う存分堪能させてもらう事にしよう。
「ほら。ここっ」
「あっ本当ですっ! 私全然気づきませんでした」
少しだけ映像を巻き戻し、コマ送りから目的の瞬間で停止させる。
一人のフォワードがフェイントを織り交ぜながら上手くディフェンスを躱したところだ。
ここから先の映像はマッチアップを制したオフェンス側の選手が、そのままシュートを決めている。
この二人の対決に注目してしまいがちだが、バスケはチーム戦だ。
両チームの他の選手達も鎬を削り合い、少しでも自分たちに有利な環境を作り出そうとしている。
ヘルプに回ろうとしている者を止めたり、それぞれの持ち場で行われている細かなサインやフェイントの数々。
そういったものを、多分に自分の推測交じりにではあるが、各選手ごとの心理や思惑等を説明していくと、興味津々に何度もうんうんと頷いてくれる。
「やっぱ、私ってまだまだなんだなぁ……もっと良く見て動けるようにならないとっ」
「そんな事ないって。みんなボール持ってる選手に注目が集まるのは自然な事だし、俺は自分のポジション柄、全体の把握とか分析するのが癖みたいになってるだけだよ」
いくら鍛えても俺の体質ではフィジカル面ではどうしても及ばない場面に遭遇し、そのたびに苦渋を味わされ続けてきた。
だからこそ、どうしようもない部分を仲間や理論的に組み立てた戦術によって補う事で、やっとの想いで、徐々にか細い勝機の糸を紡ぎだす事ができてきたし、これからだってそのつもりだ。
まぁ、最近は理想以上に恵まれた体を持っている少女や、決して恵まれているわけではないのに、純粋な努力や有り余る才能で全てをひっくり返してしまうような規格外な少女達を数多く見つけ出してしまったが……
「やっぱり私、昴さんにバスケを教えて頂けて本当に良かったですっ」
そんな規格外な少女の一人がいきなり俺に向かって感謝の言葉を告げてくれているわけだが……
「智花だったら、一人でもどんどん上手くなってたと思うよ」
「そんな事ないですよっ。昴さんに教えて頂かなければ、私は本当のバスケの楽しみ方を知る事も、みんなに教えてあげる事もできませんでしたから……」
「これからは、みんなでいっぱい教え合ったり、気づき合える楽しみが待ってるよ」
「はいっ! ……その、ご、ご迷惑でなければ、昴さんにももっと色んな事を教えて頂けたら……と思います」
「俺で良ければいつだって構わないよ。俺の方だって智花達から教えてもらえた事がいっぱいあったんだし、これからもたくさん気づかせてもらえると信じてる」
俺はまだ目の前の少女が今までにどれだけの物を一人で背負い込んできてしまっているのかを全て把握しているわけではない。
せめて彼女の友人達と同じくらいは背負わせて欲しいのだが、そこは彼女達に敵わないし譲ろう。
そのかわり彼女達では背負えない部分を俺に背負わせてもらえたら、それ以上に嬉しいことはないだろう。
「んんっ!? な、なに……これ?」
「どうかした?」
少しだけ偉そうな解説をやめて、純粋に一バスケファンとして試合映像を眺めていると、不意に隣に座っている少女から呻き声のようなものが上がる。
「あ、すみません……その、頂いていたチョコの中から、なんかドロっとしたものが突然出てきて驚いてしまいました……」
「大丈夫? 無理しないで変だと思ったら出していいんだよ」
少女の驚きの声に何事かと思ったが、どうやら大した事ではなく一安心。
確かに、俺も何個か食べてて苺やココアの味がするクリームを固めたようなものが入っていたりしたから、それに少し驚いてしまっただけだろう。
「ん……んくっ。だ、大丈夫です」
口元に手を当てながら、一度こくりと喉を動かしたところを見ると……どうやら飲み込んでしまったようだ。
「すみません、お見苦しい姿を見せてしまいました」
「なんか苦手な物あったら遠慮なく言ってよ。別に無理に全部食べなくたっていいんだし」
「い、いえ。本当に少し驚いてしまっただけですので。……なんか熱くてドロっとしてて少し苦かったです。それに喉に絡みつくような感じがして……でも、ちょっと癖になってしまいそうな味でした……」
ん? ……それって……まさか……
まだまだ数多くのチョコが乗っている皿を確認する――智花が食べると思ってあまり手を出していなかったハート型がやたら多く残っている気がする。
「それってどれだかわかる?」
「えーと……これだったかな? あ、もう一つ頂きますねっ」
彼女が指さしたチョコと同じ形の物――釣鐘型を一つ取ると同時に彼女も同じ物を一つ取り、同時に口に放り込む。
咀嚼。
直後に彼女の言葉通り少し苦く熱いような液体が口の中に流れ込んでくる。
確信。
もしかしたら、俺に変な感じがするものを食べさせないようにと、夕飯の卵焼き同様に自分が少しでも多く担当しようとしてしまっているのかもしれない。
だがダメだ。これは智花が食べちゃいけないやつだ!!
法律的には一応問題はないのだが、彼女の体質的に例え少量でも極力摂取を避けるべき物が含まれていた。
「智花っ。本当に無理に食べてなくいいんだっ!」
「ふぇ? ……大丈夫ですよ。苦いのも気にならなくなってきまひたし……それになんだか体もぽかぽかしてきましたぁ」
彼女に声を掛けると同時にざっと彼女の全身を軽く見渡してみたが、特に柔らかそうな頬もだが、体中が全体的にほんのりと朱に染まってきてしまっていた。
俺が確認しただけでも、彼女はすでに二個も食べてしまっている。
「昴さーん。そんなに見つめられてしまうと照れてしまいますよぉ……」
「あ、あぁ。ごめんね。それより、体の調子は大丈夫?」
「ふぁい。別に変なところはないですよぉ? でもなんだか、ふぁう……ふわふわしてきましたぁ」
大丈夫だ。少し不安定な感じがするが、まだ彼女は理性を保ってくれている。
このままの状態を維持して時間を掛けて行けば、彼女の自然回復も期待できるかもしれない。
「はぅぅ……昴さんの前で、はしたないことなのに……手が止められないよぉ……」
再び彼女の手が件のチョコへと伸びてしまっている。
ダメだ。これ以上彼女に食べさせるのは危険すぎる!
「と、智花っ!」
「はぅ!? うぅ……すみません昴さん。このチョコすごく美味しくて……」
頬を赤く染め、瞳を潤ませながら、俺に欲しいとねだられてしまっている。
引っ込み思案な少女がしてくれる数少ないおねだり……
しかも俺が呼び止めてしまったせいで、このままだとまるで俺が彼女の粗相を叱責してしまったような終わり方になってしまう。
「ほらっ。後二つ残ってるから、一個ずつ食べよっか」
「あーん……えへへ。昴さんに食べさせてもらっちゃった……ふぁう……美味しいよぉ……」
これは仕方ないよな。まだこれで彼女があの状態になると決まったわけじゃないんだ。
わざわざ俺が摘まんだやつを彼女の口元まで運んで食べさせてしまったのは、間違いなく俺の責任だが。
危うく俺の指先が彼女に口に触れてしまいそうになったが、とっさに指を離して避けられたからセーフだろう。
「えへへ。昴さんに食べさせてもらったのが一番美味しかったれすっ」
両手で赤く染まった自分の頬をおさえながら、幸せそうな笑顔を浮かべている。
どうやら、危惧していた事態も杞憂で終わりそうな事に安堵し、一度彼女から視線を外す。
さて、残った最後の危険物の処理に掛かるとしよう――え?
突然、がしっと腰のあたりに子供一人分くらいの重みと衝撃が走る。
「すばるふぁんっ。すばるふぁんっ。すばるふぁん~~~!!」
「と、智花!?」
俺の一瞬の隙を突き、少女が全身でしがみつくように抱き着いてきた――いや、慌てる事はない。これはもう攻略済みだ。
今までは普段の彼女からは想像もできない行動に、こちらも激しく動揺してしまったが、俺はもう彼女の抱き癖を知っている。
力いっぱい俺を抱きしめてくれる少女を、俺の方からも優しく抱き返してやる。
たったそれだけで彼女は安心し、すぐに大人しくなってくれる。
これまでの経験上この状態の智花の持久力はそんなに長くはない。
このまま優しく抑え込んでいれば、すぐに活動限界を迎えて安らかな寝息を立てて事なきを得るはずだ。
「えへへ~。すばるふぁん、やっとわたしのことらいてくれまひたー。うれしーれふー」
俺に抱き返された事を喜び、彼女は全身をこすり付けるように甘えてくる。
まだ色々未成熟な少女の柔らかさや、酔いによる火照りのせいか抱きしめている少女の体温がなんとも心地良い感じに温まっている。
見下ろす少女のうなじがほんのりと紅く染まり、年相応以上の色っぽさが醸し出されている少女の姿に、なんとも目のやり場に困るという多少の誤算はあったが、問題ない。
ここから先に展開される、より大きな誤算に比べれば。
「すばるふぁん、わたし、すばるふぁんにお願いしたいことがあるんれすよー」
「あぁ、いいよ。いくらでも抱きしめてあげるし、頭だって撫でてあげるよ」
その程度なら――いや、冷静に考えると思考状態が正常とは言い難い少女の体を抱きしめるという行為は、正直我ながらどうかとは思うが、普段の智花自身が俺に望んでくれている事だ。
「それれは、お願いしまふ~」
突然俺の両肩を掴むと、智花の方から俺と体をぐっと引き離す。
一度俺から離れたがっている事を察し、俺も彼女の背中に回していた手を解き彼女の体を解放する。
しかし、上半身だけ引き離しただけで彼女の下半身は相変わらず俺の上に乗ったままだ。
何が始まるのだろうか?
彼女の様子を窺っていると、彼女が不意に両手を伸ばし、俺の行き場を無くしだらりと垂らされていた左右の手首をしっかりと掴んできた。
「すばるふぁん。私のお胸をいーーーーっぱい揉んでおーーーーきっくしてくらさいっ」
「……え?」
呆然としていると突然、両手が彼女の胸部めがけて力強く引っ張られた。
「とっ智花!! それは絶対だめーっ!!」
あと一瞬我に返るのが遅かったら、俺は彼女に取り返しのつかない事をしてしまっていただろう。
俺の両手が彼女の胸に触れるか触れないかギリギリのところで奇跡的に踏み留める事ができた。
確かに偶発的に彼女のささやかな胸部に触れてしまう事は、これまでにも何度かあった。
申し訳ない事に、その柔らかさを意識してしまう事も……
だが、これは違う。
これは偶然ではなく、故意だ。
なら、たとえどんな理由があろうと、俺は触ることを目的として、彼女の胸に触れる事は絶対にできない。してはいけない事だ。
俺は離すように、彼女は自分の胸元へ引き寄せるように互いに強く逆の方向に引っ張り合い、力は拮抗する。
――って、どんだけ力強いんだよ!?
彼女の意外な力強さは、俺を虜にしたあの綺麗なワンハンドシュートや、身を以て体験したマッサージでよく知っている。
「むぅ~恥ずかしがらなくてもいいんれすよ~私はすばるふぁんならかまわないれすから……ふぁうぅ~」
決して負けられない勝負の結末は、こちらの目論見通りあっけなく訪れる。
かなり不安になる一言を俺の耳に残すように呟きながら、彼女の体は崩れるように俺に倒れ込んでくると、すぐにすうすうと穏やかな寝息が聞こえてきた。
「時間切れ……か。気持ちは嬉しいけど、俺は智花にはそういう事できないよ」
何故か少しだけ心がチクリと痛み、切ないような悲しい気持ちが胸の中で渦巻き出していく不快な感覚が湧き上がるが、すぐにその気持ちを振り払う。
智花は大切な恩人なんだし、俺だって二度と同じ事で躓くわけにはいかないんだ。
不測の事態により、二人のお楽しみの時間が強制終了してしまった事は残念だけど、それ以上に大切な彼女の身に何事も起きなくて良かったと心から安堵する。
穏やかな寝息を立てている少女を起こさないようにそっと抱きかかえ、ベッドに寝かしつけてやる。
空いた二人分のグラスや何故かハートばかり残ってしまったチョコの残りを台所へ片付けに行き、再び戻ってみたが彼女はベッドで熟睡してくれている。
「おやすみ。智花」
赤みが抜けない頬に幸せそうな寝顔と穏やかな寝息を立てている少女に声を掛け、電気を消し布団に就いた。
翌朝、どうやら昨晩の記憶が曖昧になっているが、きっと俺に何か迷惑を掛けてしまったのだろうと頭を下げる少女を朝練に誘ったところで、俺達の変わらない一日が始まる。
「智花ちゃん、いっぱい食べてね」
「わぁーまたお赤飯炊いて下さったんですかっ」
頼むから事あるごとに赤飯を炊くのをやめてくれ。
「いっぱい作ったから良かったら花織さんたちにも持って帰ってあげてね」
「いいんですかっ。ありがとうございますっ!!」
いくら智花が好きだからって、頼むからおすそ分けにって智花に持ち帰らせないでくれっ!!
とは言え俺の口から説明することは憚れるわけで……結局、俺は幸せいっぱいに赤飯を抱えながら自宅に帰っていく少女の背中をただ見送る事しかできないのだった。
どうか、変な誤解が起こりませんように!!
ただ智花を酔わせたかっただけなのに、色々と寄り道が増えてしまいましたが、話としてのお泊り回はこの話で終了です。
後日談の様な感じで、智花が四人に今回のお泊りの報告をSNSで行う様な話を考えています。