「――もぅ……紗季ったら」
自室でイスに座りながら行っていたSNSを終え、携帯を閉じる。
私は別に昴さんのお側に居られれば、それでいいのに。
両想いなんて、恋人さん同士みたいなこと……そんなお願いしちゃったら昴さんにご迷惑を掛けちゃうんだから。
「ん……そろそろ稽古の時間。せっかくお母さんが協力してくれるって言ってくれたんだから、しっかり日舞の稽古もやらないとっ」
バスケに茶道に日舞に学業。
自分のことながら、色んなことに手を出し過ぎてしまっている気はするけれど、どれも私にとって大切な物だから今更一つになんか絞れない。
お母さんは無理して続けなくてもいいとは言ってくれてるけど、自分から始めたい。って言い出したことなんだし、例え才能が無くても最後までやり切るんだ。
「ふふっ。ちょっと力が入り過ぎちゃってるわね」
「ご、ごめんなさいっ」
うぅ……いきなり失敗。決意したばっかりなのに、さっそくミスをしちゃうなんて……
「忍さんの時と違って、私の稽古はバスケの時みたいにもっと楽しそうにしてもいいのよ」
「そ、そんなこと絶対にできないよっ」
いつも私のためにしっかり丁寧に教えてくれてるのに、教わる身の私自身がそんなことしちゃったら、お母さんにも舞踊に対しても、すごく失礼なことくらいわかっている。
普段はとても優しくて心配になるくらいおっとりしているけど、舞を披露している時はとても凛々しく、所作の一つ一つがとても綺麗で――今も変わらず、私は心の中で強い想いと憧れを持っている。いつか自分もそうなりたいと。
「うん。智花がどんな時でも真剣に稽古を受けてくれてるのはよくわかってるわよ。」
「だったら、そんなこと言わないでよ。ただでさえお母さんに迷惑かけちゃってるのに……今回のことだって、きっとお父さんに色々怒られるつもりなんでしょ? ……私の代わりに」
自分のわがままのせいでお父さんとお母さんが喧嘩をして、お父さんを怒らせてしまうが、お母さんは私のためにいつも笑っている。その様子を見るのがすごく辛い。
本来なら私は我慢しないといけないのに――
「智花はいつも頑張り過ぎだから、たまには息抜きをしないとダメよ。その方がきっと色んなことが上手く行くようになるわ。日舞も茶道もね」
そう言って、私がダメ元で言ってみたお願いを叶えようとしてくれている。
できることなら、また昴さんの家にお泊りに行きたいけど、そのせいでお父さんとお母さんの仲が悪くなってしまうのも嫌だな。
そんな私の想いを知ってか知らずか、お母さんが話しかけてくる。
「昴さん、とても優しい方よね」
「うん」
「智花の事をとても大切にして下さっている」
「うん」
「だから智花も昴さんのこと大好きなのよね」
「うん……ふぇぇ!? お、お母さん!?」
なんでお母さんまで紗季達みたいなことを言い出すの!?
「忍さんは、昴さんに近づきすぎるのはお互いにとって危ないことだ。って心配してるみたいだけど、私としてはもう少し昴さんと親密になってくれた方がいいと思うんだけどね」
「私そこまで昴さんと親しくなれてるわけじゃないと思うんだけど……」
「そうねぇ。中途半端に仲良くなっちゃってるから、ちょっとしたきっかけで一気に傾いちゃいそうで、そこがかえって心配だと思うんだけど……まったく父親ってそこがわからないのよねぇ~」
なんかよくわからないけど、きっとお母さんはお母さんなりに、私の事を心配してくれているんだろう。っていうことはわかった気がした。
「頑張って説得はしてみるけど、ダメだったらその時はごめんね?」
「ううん。私がわがまま言っちゃって、二人に心配かけてしまってるのはわかってるから大丈夫だよっ」
二人で微笑みながら、少しだけ休憩をする。
――その後、再開した日舞の稽古には不思議と手応えを感じることができた。
*
さて、久しぶりに花織と智花と三人で夕食を共にできるな――とは言え、また例の件で花織と口論になってしまうだろうが。
三人で食卓に着き、手を合わせ口を揃えながら『いただきます』と唱える。
まずは味噌汁を一口啜り、主菜へ箸を伸ばそうとしたところで――
「それで……お父さん――」
「――その話は食事を終えてからにしなさい。せっかく花織が作ってくれた食事が冷めてしまう」
「あら? 今回はちゃんとじっくり向き合って頂けるんですか?」
「前はお前にしてやられただけだ。幸い何事もなく智花が無事な姿で帰って来てくれたが、次も大丈夫とは限らん」
「ふふっ。話し合い。楽しみにしてますわね」
妙に上機嫌だな。前は元気のない智花のために尽くせる手がなくなってしまい最終的に認めてしまったが、今回は折れるつもりはないぞ。
「それで、智花は今回お泊りする時は昴さんとどうやって過ごすつもりなの?」
「ふぇ!? お、お母さん、食後に話し合うんじゃ……」
「別に例え話くらいなら好きにしても構わない。せっかく家族三人揃ってるのに無音の食卓も味気ないだろ」
話題は甚だ不快ではあるが、二人の楽しそうな声を聴くことができる分には悪くはない。
会話には参加せず、二人の声だけを聴いて癒しを求めようと思っていた矢先、その思惑はあっさりと消し飛ばされてしまった。
「確か前は昴さんと一緒にお風呂に入ったり、寝て頂いたんだっけ?」
「ちょ……お、お母さん!! 昴さんのお背中を流しただけで、私はお風呂には入ってないし、同じ部屋で寝ただけで一緒のお布団でなんか寝てないよっ!!」
――チョットマテ……コノフタリハ、イッタイナニヲハナシテイルインダ!?
「え、そうだったの? てっきり昴さんと一緒にお風呂に入ったり、寝て頂いたのか思ってたんだけど、そうじゃなかったの?」
「そんな恥ずかしいことできるわけないでしょ!! お母さんが昴さんの前で私の服を脱がしたこと以上に恥ずかしいことなんて、してないんだからね!!」
「もぅ~まだそのこと根に持ってたの?」
「当たり前だよ!! うぅ……絶対昴さんに見られちゃったよ…………」
「ちょっと待ちなさい!! お前たちは彼に一体何をやっているんだ!?」
さっきから流れてくる不穏な言葉に耐え切れず、つい声を上げてしまった。
「別に大したことはしてないですよ。ちょっと智花が洋服を汚しちゃったから、急いで服を脱がせて昴さんに体を拭いて頂いただけですよ」
「昴さんはすぐに目を逸らして席も外して下さったから良かったけど、本当に恥ずかしかったんだからね!!」
「な……」
まさか……彼の目の前で智花が肌を晒し、しかも体に触れさせた……だと!?
思わず智花を見てしまうと、私の視線に気づいた智花が恥ずかしそうに胸を庇った――違う私はそういう目的でみたんじゃない!
話を聞く限り、明らかに花織が原因のようだ。まずは問い質すは花織の方だ。
「花織どういうことか詳しく説明を――」
「でもお風呂で昴さんのお背中を流したことがあるなら、お返しに洗って頂いたり一緒に入ったりしたんじゃないの?」
「私はちゃんと体操服を着てたから裸じゃないし、本当に背中を洗わせて頂いただけだもん!」
説明を聞くまでもなく、それ以上にどんどんと聞きたくはないが確認するべき案件が二人の口から出てくる。
「そうだったの? せっかくお友達の中で智花が一歩リードできそうだったのに残念ね。せめて一緒に寝て甘えてくれさえすれば良かったかもしれないのに」
「はぅ……い、一緒には寝てないけど……寝る前に少しだけ……甘えさせてもらっちゃった……」
頼むから二人共もう止めてくれ。これ以上は私の心が我慢が効かなくなってしまう。
「あら、珍しいわね。智花が素直に甘えちゃうんなんて……でも、あの時の智花は本当に辛そうだったから、良かったわね」
「うん……昴さんだって、本当は私以上にきつくて辛い想いをされていたはずなのに、泣いてる私の手を優しく握ってくれたり、いっぱい慰めて頂いて……とても温かかった」
その瞬間、自分から一切の感情が消え去ったことを自覚した。
そして、悟る。
やはり、私は絶対に自分の意志を曲げずに、智花をあの男の元へ行かせるべきではなかったと。
「そういうことか……」
「お父さん?」
「あら? 忍さんどうしました?」
おそらく私の空気が変わってしまったのだろう。努めて冷静に振る舞っているつもりだったが、どうやら相当頭に来ているらしいな。
「いや……なんでもない。それより、明日は私が智花を送り届けよう」
「え? 昴さんのところへのお泊り許してくれるの?」
「忍さん? 話し合いをするつもりじゃなかったんですか?」
「そのつもりだったんだが、私も今すぐに彼に会わなくてはならない用事ができた――すまないが、仕事を残しているので先に失礼する」
出来る限り不穏な空気は払拭しておきたかったのだが、今の私にはできそうにないな。
あのままこの場に居続けても、罪のない二人に無意味に怒りをぶつけてしまうことになっていただろう。
二人には悪いが、明日あの男との関係を完全に断ち切られねばならんな。
妻と娘の明るい笑い声の裏で一人静かに決意を固める。
約束の日に向かうべく、止まることなく時間は進み、夜は更けて行った。