数時間後
プリシラ達と別れたスバルとオットーは、彼女が示した場所 ー “聖域”に辿り着いていた。
「なんでこんなとこに来てんだよレム……」
そう零しつつも、彼女の意図している事がなんとなく分かるスバル。分かったところで、改めて彼女の心の強さに驚嘆する。
その重い空気のままに、スバル達は言葉数少なく『試練』の場 ー 墓所に向かっていた。
ーー俺はレムになんて声をかける? なんて言えば分かってもらえるんだ?
覚悟を決めた彼女の意思は固いだろう。そして彼女のこれは奇行ではない。しっかりとした意図がある。
しかしそれを理解していても尚、レム自身が傷つく事はあってはならないし、何よりエキドナという存在が、この事態を懸念せざるを得ないのだ。
そうこう考えているうちに草を踏み超え見えた先には、墓所の入り口で腕を組んで座る金髪の少年がいた。
「ガーフィール!?」
「……随分と遅かったじゃねェか大将」
ガーフィールがこちらに気付いて声をかけてくる。何故? いやそれよりも、問題なのはガーフィールがその身に纏う
スバルの背で警戒し始めるオットーを手で制し、ガーフィールに問う。
「なんでおまえがここに居るんだ?」
スバルの問いかけに対し、ガーフィールは首を横に振って拒絶の意思を示した。
「そりゃあ言えねぇな」
理由を話そうとしないガーフィールに少し違和感を感じるスバル。しかし今はそんな事に気を構っている場合ではない。
「ならいい。それよりレムを見なかったか?」
「……見てねぇ」
「そうか。ならそこをどいてくれ。俺は墓所に用があるんだ」
そう言って極めて自然に、スバルとオットーは墓所の入り口へーーつまりガーフィールに近づいていく……
が、
ッドン!!
まさにそれは轟音。鼓膜どころか自らの五体、その足のつく周辺の大地ごと揺れた。
理由は簡単で、ガーフィールが地面に拳を打ち付けて“威嚇”をしてきたのだ。
そう、オットーには捉えられた。
「ちょっ、ちょっと何のつもりですか!?」
「…………」
黙り込んだままのガーフィールに、スバルは表情を変えずにただ近づいていく。
それを見たオットーが慌てて声を掛ける。
「ちょっとナツキさん危ないですよ! 今のガーフィールは少しおかしいです! ……ガーフィール相手じゃあ僕達じゃ対処できませんよ!」
ガーフィールとの戦闘になってしまえば、まず間違いなく自分達では勝てない。ガーフィールの戦闘能力が10とするならオットー3、スバルなど1にすら満たないだろう。しかし、そんなことはスバルもこの異世界で痛感しているはずである。
が、オットーの制止を無視してなおスバルは歩みのスピードを変えずにガーフィールに近づいていった。
ドンッ!
「…………」
ドンッ!
「…………」
ドンッ!
ドンッ!ドンッ!ドンッ!
ガーフィールは何度も何度も地面に拳を打ち付ける。
同じ地面を何度も何度も打ち付け続ける。
ギラリと鋭い犬歯を露わに打ち付け続ける。
そうそれは、周囲から見れば威嚇に見えたのだろう。しかし、ことスバルの目にはこう映ったのだ。
壊れたおもちゃのようだ、と。
とうとうガーフィールの目の前に立ったスバルは、ガーフィールの血まみれになったその拳を見て問う。
「……お前はさっきから
「ーーナツキさんっ!?」
何を言っているんだというオットーに、しかしスバルは答えない。
「ーーーーあ」
が、遅れてオットーも異常に気付く。
本気で威嚇するつもりならガーフィールは拳に盾を付けているはず。それに本当にスバル達を止めたいならば、まどろっこしい真似などせず数瞬の内にスバル達を拘束出来るはずだ。
そもそも地霊の加護の影響で、
なら何故今もガーフィールの拳からは血が滴っているのか。
「手、見せてみろ」
無理矢理にガーフィールの手を取るスバル。
その手のひらには四箇所に及ぶ痛々しい裂傷があり、そこからは今もなおトクトクと血が流れ出ていた。
そう、ガーフィールの拳から流れる血は地面を殴って付いたものではなく、彼自身が固く握り締めた五指の“爪”によるものだったのだ。
「これはどういうことだよ」
スバルはガーフィールに臆することなく真剣に問うた。爪が自身の肉を抉るほどに強く固められた拳。その傷は心の痛みが堪えきれず、外に溢れ出たのだという紛れも無い証拠であった。
そこまで言われて観念したのか、今まで沈黙を守ってきたガーフィールが話し出す。
「……大将も周りの奴らもどうしてッそんな強えんだよッたくよお」
「…………」
「大将は俺様が怖くねぇのか? その……“あんな目”にあってきてよ」
ガーフィールがおずおずと聞いてきた。
しかし、その質問にスバルは苦笑する。
ーー全く、どっちが怖がってんだか。
「ああ、正直怖えよ。特に死ぬのはマジで怖ええ。お前が獣化して本気で殺りに来た時は正直漏れちまうんじゃねぇかと思ったぐらいだぜ」
「だったらっーー」
「でもよ、」
「お前は大切な仲間だよ。」
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーは?」
ガーフィールの目が点になる。
たった今この男は自分を恐怖の対象と認めたのでは無かったのか? なのにどうして、この男の口からはそうも正反対の言葉がでてくるのか? 普通に考えておかしい。
「……ッなんでそんな言葉が出てッきやがんだよお!」
その時のガーフィールの嗚咽の混じった声を聞いて、顔を見て。スバルは目の前にいる自分より強いはずの相手が、本当になんの力もない、ただの思春期真っ盛りな年相応の少年に見えた。
ーー俺も中坊ん時……っいや、むしろ最近までこんな感じだったっけか。
スバルは深呼吸した後、ガーフィールの目を真っ直ぐに見つめて話し出す。
「俺は自分が大切じゃねえとは言わねーし、勿論俺に危害を加えた奴を簡単に許せるような、そんな寛大な人間じゃねえ」
「……それがッ当たり前だろうよ」
「ただただ俺は彼女を……エミリアを救いたかったんだ。その障害になるもんは全部取っ払う覚悟でいる」
ピクリとガーフィールの肩が震え、表情が曇る。
自分もその障害になっていたのだという現実が無慈悲に彼を押し潰そうとし、それに抗うように彼はまた拳を握り締め、血を流す。
受け入れてもらえない。その通告をたった今スバル本人からされたようなものだ。もう彼を大将と、親しみを込めて呼ぶ事も無いのだろう。
これが終わったら去ろう。そうガーフィールが思った時だった、
「最初は……な」
「…………ッ最初?」
「ああ。最初はエミリアたんだけだったんだけどな。そっからレムやラム、ロズっちやベア子やペトラ、それに村の皆。もちろんオットーやお前やフレデリカも」
スバルは場の緊張を一気に払拭するようにガーフィールに、続いてオットーに笑いかけた。
「この世界で笑いあった色んな人達。皆揃って俺の“居場所”なんだ。俺はこの“居場所”を守りたい」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………」
ーーってやべぇ、なんだこの空気。なんか言ってて恥ずかしくなってきた。
「も、もちろん俺の中のナンバーワンはいつ何時もエミリアたん一筋だけども? まぁそこに最近ではレムも台頭してきつつあってぇーーって……」
ぽんといつの間にか真後ろに来ていたオットーに肩を叩かれた。
それを受けて、ああーっとスバルは頭をかく。
「……まぁそのなんだ、俺ん中ではガーフィール。お前もいつの間にか俺の居場所に欠かせない奴になっちまってたんだよ! ってか分かれよそれぐらい!」
このバカ! という感じでガーフィールのおでこにデコピンするスバル。その行動と言動に、ガーフィールは口を開けたまま唖然としている。
スバルはガーフィールの手を再度見て言った。
「お前の怖さを知ってる俺だから言うけどさ」
ーー怖さを知ってるからこそ分かる。その爪で、その握力でやられたら、すげぇ痛えんだ。
「お前の爪の鋭さとかお前の握力とかマジで半端ねぇんだからさ」
ガーフィールは思った。
何故スバルはこんなにも自分の脅威を知っていて、そのうえで
「自分を傷つけるのはやめろよガーフィール」
こんな言葉を吐いてくるのだろうか。
いや、そんな事は実際考えるまでも無いのだろう。この男はガーフィールという脅威を、恐怖を、抱え込みあまつさえ自分の居場所だと、“本気”で言っている。ただそれだけなのだ。
スバルはガーフィールの腕を放し反応を待つ。
対して暫し考え込むような素振りを見せたガーフィールだが、よく見ると肩の辺りがプルプルと震えていることに気付く。
ーーおいおい一体なんだっていうんだ? まさか俺なんかまずいこと言ったか? 反抗期の子供って怖いし、お兄さんやだよ。
……と、スバルが冗談半分で考えていると
「かっけぇ!」
「…………はい?」
「すげぇかっけぇーよッ大将! いつもΣだのδだのカッケェー呼び名付けたりしてッけど、そんなのッ比にならねぇぐらいカッケェー!」
ばっと顔を上げ、かなり興奮気味に話すガーフィール。あまりにキラキラとした少年の尊敬するような顔を向けられ、流石に照れてしまうスバル。
しかし、次の瞬間にはその興奮も一気に冷める。
「でもって」
ガーフィールは俯いた。
「俺様はかっこ悪りぃな」
あー、とそのまま重力に身を任せ、大きくその場で後ろに倒れこみ、伸びをするガーフィール。
「…………」
そうやって5秒程考え込むような顔をしたまま目を閉じる。しかしそれも一瞬。そのあとには憑き物が落ちたような晴れやかな声音で
「アーやめだッやめやめ! こんなめめっちいのは俺様にゃあ似合わねえ。クウェインの糸に踊らされるってやつだぜ」
ーーきっと大将もこうやって、俺様を受け入れたから。
ふっきれた様子のガーフィールに、スバルとオットーは安堵の息をつく。
「レムには口止めされてッたんだけどよぉ。協力させて貰うぜッ大将! なんてったって大将は俺様の大切な“居場所”ッだからよお」
「お、おう。それは助かるぜ。(気に入ったのかそれ……)」
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さっきまでの緊張感はどこへやら、ガーフィールは活気に満ちていた。いや正しく言うなら、いつもの彼に戻ったと言うべきか。事実さっきまでのガーフィールこそが異常だったのだ。
「大将はレムを探しに来たんだろ? ご明察ッの通り、レムは試練を受けに来た」
ッけどよ。っとガーフィールは立ち上がってまっすぐにこちらを見る。
「レムには試練の資格がねぇ。だから俺様に外との仲介役を頼んでッきやがったんだよ」
ーー成る程。ガーフィールという人選はそういうことか。
スバルに話さなかったのは勿論だが、
「でも試練の資格が無いのに墓所ん中に入るってことは」
「当然ゲートの数、大きさに比例してッとんでもねぇダメージを受けるってぇことだぁな」
ーーそういう事だろうな。レムは俺に話せば絶対に止められると思ったのだろう。
「そんでッそのたびに俺様が連れ戻す。その後すぐにレムの野郎は鬼の力でッ自分の身体を無理やりに治癒してまた試練を受けにいく。そのッ繰り返しってわけよ」
「…………どぅ、」
「ーーッ大将?」
ーー『どうして止めなかった?』
なんて心の無い言葉をかけそうになりながらも、すんでのところで呑み込むスバル。
ガーフィールは悪くない。きっとその時のレムを止められる奴なんてこの世界に居ない。いや、それこそスバルだけだろう。
血を流しボロボロになりながらも過去を乗り越えようと、何度も何度も試練を受けようと藻がくレムの姿が脳裏に浮かぶ。
普通なら殺してしまった責任を感じて、自責の念に襲われるところだ。ベタな話だが自傷行為……最悪他界すらあり得た。それを乗り越えようとする心に昇華させたレムは流石だと言わざるを得ない。
流石だが、
ーー自分を傷つけるような手段じゃあ、自分を責めてるのと変わんねぇよレム。
「ナツキさん……」
ーーラムの千里眼が無理だったのはレムが墓所の中で完全に気絶していたからか。
スバルはブンブンと頭を振って気を取り直したように宣言する。
「次。出てきた時には俺がレムを止める」
もうこれ以上レムを傷つけさせる訳にはいかないと、その想いがスバルを決心させた。
「いやそれなんだけどよッ大将」
ガーフィールが腰に手を当てて笑いながら言う。
「なんだ?」
「レムは試練を受けるッ資格貰えたらしいぜ。さっき出てきた時に言っててよ。実際それから大丈夫ッそうなんだ」
ーーレムが資格を貰えただと?
「おお! それならもうレムさんが傷つく心配はありませんねナツキさん!」
「…………」
ーー試練の資格を得られたって事はあのエキドナが? いやエキドナならやりかねないか?
正直スバルには分からなかった。あいつ……エキドナの思考回路は、常人のそれとは余りにもかけ離れている。魔女という存在は最早手に負えない、スバルにはあまりに“僭越”すぎる。
「………ナツキさん?」
「お、おう。そうだな」
相手が相手なので考えずにはいられなかったスバルは一瞬対応に遅れた。
そんなスバルを不安そうな顔で見る二人。
「……ポジティブシンキングでいくか」
考えたところで、エキドナの思惑は読み取れるものではない。そしてそもそも干渉することが、今のスバルには出来ない。
それに資格を得られたというのなら、とりあえずはレムは安全なはずだ。
スバル、オットー、ガーフィールの3人は墓所の前に腰掛け、話をしながらレムを待つ。
彼らがそうやってあまり不安なくレムを待つ形を取ることができたのは、1つはレムが無事であったこと。もう1つはレムなら確実に過去を乗り越えることができると確信していたからである。
ポジティブシンキング……ね、
「それは少し楽観的すぎるんじゃないスバル?」
「…………へ?」
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「……ここは?」
急に無から覚醒したような感覚を得たレム。目をこすりながら辺りを見回して、ここが墓所の中であるということに気付く。
指を折り、起こったことを思い出していきながら記憶の整理を行っていくのだが、その都度レムはソワソワし続けていた。
……どうやら記憶に欠損は無く、墓所に入る前後から途中の試練に至るまで、しっかりと記憶にあるようだ。
その事実を全身でゆっくりと咀嚼していき、身体が軽くなっていくと同時、達成感を得て思わず口が綻ぶ。
「よ、よーし! レムは、レムはやりましたよスバルくんっ!!」
普段スバル達以外の前では、あまり面に感情を出さず落ち着き払っているレム。しかし、然しもの彼女もこの時ばかりは、顔に出すどころか無意識の内に小さくガッツポーズを取るほどまでに興奮していた。
ーーはやくあの人に、スバルくんに会いたい。
「ふふっ、早く帰ってスバルくんに頭を撫でてもらわなければ」
いやもしかしたら頭を撫でてもらうだけに留まらず、もっと色んな事をして貰えるのではないだろうか。こちらから「頑張ったレムに〇〇して下さい!」なんて頼んでも聞いてくれるのではないだろうか。
高揚した心が傷ついた身体の痛みさえ忘れさせてくれる。頭の中では幾度にも渡りスバルとの他愛もない幸せが廻り、その興奮に身を任せるようにレムは駆け出した。
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薄暗い墓所の中を駆けると入り口から差す光がレムの視界を奪った。その眩しさに思わず目を細めるが、口元のニヤつきはその時のリアクションにはそぐわない。
そのまま太陽の光に身体を投げ出すように墓所の入り口から飛び出すレム。すると幾人かの人影が見えてきた。
レムは思った。
待っていてくれたのだと。自分が試練を受けていると分かってから、レムを信じて彼等は、彼は、待ってくれていたのだと。
人影はレムを歓迎するようにあちらから駆けてきた。
金髪で背丈の低い少年ガーフィールティンゼル。
灰髪で幸の薄そうな商人オットースーウェン。
紫髪ですらっと背の高い優しそうな騎士、ユリウスユークリウス。
そして
めずらしい黒髪で三白眼の。おかしな事を言ってふざけているようで、いつも他人の為に行動している。自分に価値がないと自暴自棄になっていたときに慰め、レムと寄りかかりあいながら生きるといってくれた男の子。
ナツキスバル君が、
居ない。
代わりに居たのは
「おかえりなさい」
「…………へ?」
なぜ?
どうして?
開いた口が塞がらないレムは
「……レム? どうかしたの?」
ーーあ、きっとスバルくんは理由があってまだここに来てないんですね。そもそもだってレムはスバルくんに墓所に行くなんて言ってないですし。ガーフィールはスバルくんにさえ、言わなければ良いと思っていたのでしょうか。姉様は邸を空けるわけには行かないですし。だからスバルくんだけがまだレムの事を捜しているんですね。
4人がこちらを不思議そうに見つめる。レムは気を取り直して返事を……
しようとして倒れる。無理をしすぎたのだろう。すでに給仕服についた血は固まり、ちょっとやそっとじゃ取れそうになかった。
「ーーっ大丈夫!?」
地に身体を打つまえにエミリアに抱き止められる。
あたたかく、ない? 本当に心から温まるにはやはりあの人に。
ーー意識が途切れた。
どうでも良いんですけど、最近ニコニコ動画に歌ってみたをあげ始めました。