「知らない知らない知らないっ! こんなのは知らないっ!」
気付くと先程まで暖かだった部屋はいつの間にか消え失せ、まるで血だまりのような赤い空間と化していた。そこにポツンと、
信じられないと頭を抱えるレムが、もう一度確認するためにゆるゆると顔を上げ、
「ーーうっ!」
目の前に立っている元凶―
自分はそれを、知っている。
ーーやっぱり、あの目は……
同じ……同じだった。ラムと共に育った鬼族の村で、ラムから角を奪ったと言われ続けたあの頃の自分に。
もしラムが二本の角を持って生まれてきていたらと、優秀な姉と出来損ないの自分を勝手に比べられて、勝手に落胆された。
……いらない子だと。
周囲の村人から、お前は生まれてこなければ良かったのにと、彼女自身が向けられた……
そっか。そうだったんだ。
「レムはこんな目でスバルくんを……」
怒りに打ち震える自身の腕を無理やり押さえつけ、とんでもないスピードを刻んで動悸する心臓を、何度も深く息を吸って制そうとする。
「……思い出しました」
あの時の自分の感情を思い出した。主観的だけではなく、客観的に見たことで改めて気付く。
今ではとても信じられないが、やはり自分はあのとき、魔女の異臭を撒き散らすこの少年をーースバルを亡き者にしたかったのだ。少年は何もやっていないのに、勝手に魔女教だと考えて、それが動いている事が、ラムと会話している事が、憎くて憎くてたまらなかったから。
勝手に決めつけ、勝手にその人の生きる価値の有無を決める。レムがやっている事は、村の人間と同じだった。いや、実際に勘違いで命を奪ったのだから、自分はそれ以上に最低の屑だろう。
しかし彼女にはもう1つ、同時に思い出したことがあった。
「ここで自分のやるべきこと」
悲しんでばかりでは、苦しんでばかりではいられない。
「……乗り越えること」
レムはスバルの居ない世界を望んで、彼をこの手で確かに殺したのだ。その事実に変わりはなく、その時スバルに抱いた確かな嫌悪感と、醜い自分自身を、レムはハッキリと思い出した。
しかし今、彼女はスバルを愛している。嫌悪感と愛情。レムにとってその2つは、最早天秤にかけるまでもなかった。
「疑って、心無い言葉をかけて、妬んで、蔑んで、軽蔑して、殺した。愛する人を、スバルくんを」
愛する人を殺した事実。そして醜く汚い自分自身をーー
「そんな自分が確かに居たことをしっかりと受け入れて、乗り越える。そのうえで、胸を張ってスバルくんの隣を歩く! その決意を」
彼女は今はっきりと言ったのだ、そんな仕打ちをした自分が、
先程まで雄々しく立っていた角は消え、握りしめていた拳を開き、目の前にいる自分自身をしっかりと見つめる。
「認めます。……それから笑顔でスバルくんに会いに行って、頑張ったレムをナデナデして貰いたいと思います。そうだ、あなたもご一緒にいかがですか?」
過去を乗り越えた自分を見て、スバルならきっと褒めてくれる。それは都合が良すぎることなのかもしれないが、彼なら喜んでそうしてくれると思うのだ。
それを想像するだけで、レムの顔から自然に笑みがこぼれる。
「知っていますか? 未来の話は、笑ってするものなんですよ?」
声を掛けられた、もうひとりの
「あなたは……“レムはレムです”」
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容姿が整っているとは卑怯なもので、ただ本を読んでいるだけの所作が、麗人にかかれば一つの芸術作品のようにさえ見えてくる。
頬杖をつきながらページをめくってはその紅の瞳が字の列を、まるで値踏みするかのように追いかけていく。客人を前にしてなお、そのあまりに威風堂々とした彼女のお陰で、彼女が腰掛ける絢爛な玉座までもがただのオマケにしか見えない。
「妾はこう見えて本が好きでの」
ーーまんま前の死に戻りの時とおんなじなんですがそれは……。
彼女が本を読み終えるまでは話しかけられない。もし一度でも声をかけて彼女を本の世界から覚醒させようものなら、スバル達は直ちにこの場から叩き出されるだろう。急ぎたい気持ちは山々だが、そのリスクを考えればここは我慢するしかない。後ろで少し申し訳なさそうな顔をする
そのオットーはというと、手が汗ばんでいていかにも緊張しているのが目に見えた。
ーーこいつロズワールん時は別にここまでじゃなかったのに……まぁ確かにプリシラは威圧感すごいからなぁ。
それから軽く1時間程経っただろうか。
っぱん!
プリシラが両手で力強く本を閉じる音が響き、その音の余韻に浸るように彼女は目を閉じる。……かと思えば薄く笑みを湛え、その本を片手に持ちかえた後、そのまま宙に放り投げた。その行為に俺は苦笑し、オットーは目を点にしている。そしてプリシラが指を鳴らすと同時、突然空を無造作に舞う本に火がついたかと思えば、そのまま灰も残さず消え失せた。
スバルは2回目ということで割かし平然としていたが、隣のオットーはついに歯をガチガチとさせはじめる。
「それで、妾になんのようじゃ」
ここでようやく、彼女と話すお許しが出たという訳だ。
「……前に俺がここに来た時の事は覚えているな?」
「さあてどうじゃったかの。貴様が家畜以下の醜い豚の様な“あの男”と同じだというなら、覚えておる」
ーーよかった。苦しい経験だったが死に戻りの記憶はプリシラにもあるみたいだな。
しかしそれは八方塞がりだったあの時、自分の全プライドを捨てて痴態を晒したスバルを、覚えているということだ。幾ら絶望的な状況とはいえ、人を辞め家畜を選ぶに等しいその行為に、彼女は酷く激昂しスバルを殴りつけた。それはともすれば、協力の賛否に支障をきたす可能性すらある。
スバルは一呼吸置いてから、ゆっくりと話し始めた。
「まずは会ってくれてありがとよプリシラ。正直前の事を思えば会ってくれないと思ってたぜ」
ーー面会すら拒まれれば、その時点でジ・エンドだったからな。
「ふん。妾にあそこまで罵倒されて尚会いに来る貴様に、少し興が乗っただけのことよ。それにーー」
「ううう、まさか兄弟がこんな苦しい思いをしてたなんてなぁ。俺の涙腺にガツンときちまったぜ」
「バカがうるさいので仕方なくじゃ」
甲冑の上から腕を当て、如何にも泣いているといったジェスチャーをするアル。
ーー?
その三文芝居の兜の向こうから、一瞬だけ鋭い眼光が見えたのは気のせいだろうか?
不審に思うスバルだったが、はようせいとプリシラが催促をしてきたので中断する。
「……人を探して欲しいんだ。俺の大切な人を」
「大切な人じゃと? あの卑しきハーフエルフのことかの?」
ピクリとスバルの眉が動く。
ーーエミリアの事でキレちゃダメだ。落ち着けよ俺……
「いや違う。こんな駄目な俺のことをいつも助けてくれる、好きだと言ってくれる女の子だ。その女の子が屋敷を飛び出しちまって、何処にいるか分からねぇんだ」
「なんじゃ!? 女に逃げられたから妾に追いかける手伝いをしろと、貴様はそう言うのかえ?」
驚きに目を見開くプリシラ。
そんな言い方をされると多少気が引けるが、その通りなのでスバルは肯定する他なかった。
「あーそうだよ。悪いかよ」
「くく……ふ」
スバルの返答を受けてすぐ、頭を下げ肩を震わせ始めたプリシラ。やはり似ている。前回と同じならば、ここから凄まじい罵倒のラッシュがはじまるが……
「ははは! やはり、やはりおもしろいな貴様は! 前回アレだけ罵倒されて、ノコノコ戻ってきたと思ったら、この妾にそのような事を……」
突如勢いよく顔を上げて笑うプリシラ。彼女もまた、スバル同様この光景にデジャブを感じているはずだ。
彼女は余程おかしかったのか、バカじゃバカじゃとスバルを指差して腹を抱える。
「道化の次は、ストーカーとはの。いいじゃろう。前回をなぞって貴様にまたチャンスをやろう」
ーーきた。脚を舐めろだのなんだの言ってくるやつだ。前回の俺は舐めようとして失敗に終わったが、今度の俺は違うぞ。
そう意気込んで、オットーに合図を送るスバル。
先程まで緊張でカチコチに固まっていた彼だったが、スバルの合図に気づいた瞬間、ハっと我に返った。
ーーよし。プリシラ、くるならこい!
「ふむ。貴様妾の夫になれ」
「…………は?」
んなアホな! って思う人もいると思いますが、それにつきましては次話をお楽しみに!
勉強中につき投稿は遅れます。