私は誰でしょう?   作:岩心

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9話

 盾の呪文『プロテゴ』。

 武装解除の呪文『エクスペリアームス』。

 妨害の呪い『インペディメンタ』。

 縮小呪文『ディミヌエンド』。

 失神術『ステューピファイ』。

 全身金縛り術『ペトリフィカス・トタルス』。

 粉々呪文『レダクト』。

 

 全七巻の闇の生物についての授業を終えると、ギルデロイ先生は、二年生にこの七種の魔法に絞って、重点的に教え始めた。

 最初の授業でそれぞれの癖を……生徒たちの杖の向き不向きの性格を把握していた先生は、得意傾向にあるであろう魔法を個別に練習するよう指示したのだ。

 例えば変身系統の呪文が得意な学生(杖)には、対象物を小さく変化させる縮小呪文をまず修得せよと。

 先生曰く、ひとつ、武器にできる術を身に着けておくと何事にも自信がつくものだそうだ。

 授業で個々に助言をしたり、またプリント……羊皮紙の巻き物をそれぞれ渡して、映像教育するよう宿題を出した。これも教科書と同じように、余裕があり、他の呪文の教材を学びたければ他の人のプリントを借りるよう交換を推奨した(ハーマイオニーは当然のように全種類を所望した)。

 この得意系統の魔法学習は功を奏し、クラスは最低一つ闇の生物に対処し得る魔法を扱えるようになった。例えばパーバティは強烈な粉々呪文を放つようになり、ネビルは盾の呪文に適性を見出されて、クラスで二番目の習熟度(一番目はもちろんハーマイオニー)。『僕はスクイブ』だとあまり自信のないネビルだったが、先生に『魔法省に勤めている魔法使いでもできるのはそう多くない『プロテゴ』をここまで形にできるとはネビルには凄い資質がありますよ』と褒められてからは、『闇の魔術に対する防衛術』にだけでなく、他の授業にも望む姿勢が積極的になっていった(魔法薬学だけは例外)。

 

 そして、授業は教室だけに限らず、外に行くこともあった。

 

 ある日、クィディッチ競技場を借りて、特別に用意したドラゴンの飛び出す絵本『ドラゴンのドキドキ子育て』を披露した。

 卵をもった母親のドラゴンが特に凶暴だと語り、大概の呪文は皮膚に弾かれ通用せず、魔法使いが六人がかりでかかってやっと抑えられるかどうか。目が弱点であり、結膜炎の呪いが効果的であるが、ただし、これをやると相当暴れるので細心の注意が必要だと。

 ドラゴンについての説明を終えると、その後はクラス全員でどう対処するか実技演習となった。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリンの二年生で、どの寮が最も早く、ドラゴンの幻像を出現させている開かれた魔導書を閉じて消せるかを競わせ、一位の寮に二十点を与えると、先生は仮想ドラゴンにたじろぐ(炎の吐息は火傷することはないけど、熱風に煽られてぶわっと汗を掻く)生徒を発奮させた。

 スリザリンには負けられない。

 そう、一致団結した寮は、個々がバラバラに魔法を撃っても効かない仮想ドラゴン相手に、先生に言われずとも得意魔法が同じ生徒同士で班を組んで、束になって魔法を放つ作戦を立てる(ロンの指揮能力が光った)。こうして集団での動き方を模索しながらも役割分担をこなし、最後は寮代表選手のシーカーで反射神経に自信がある僕が飛び出して『ドラゴンのドキドキ子育て』を閉じて、見事に一位になり大量得点をゲットした。

 後にその教材は森の番人に贈与されたという(『私に…図書室に寄贈すべきだと思います』とハーマイオニーが所有権を巡ってハグリッドと揉めた)。

 

 そして、今日は……

 

「今日は、吸魂鬼(ディメンター)についての講義をします」

 

 先生が真っ黒な本を開くと、ズタボロのフードを目深に被った黒い影が浮かび上がる。

 途端、身の毛のよだつ冷気を感じたかのように、教室にいる皆がブルッと震えた。目を逸らす者もいる。僕も寒気が皮膚の下深くに潜り込んでいくような感覚を覚えた。

 

「実際に私がアズカバンへ行った時の記憶を再現させた幻像です。吸魂鬼は、魔法省に管理され、アズカバンの看守として、収監した犯罪者たちを抑え込んでいますが、この闇の生物の特性を知っている者はいますか?」

 

 震えあがる中、今日もハーマイオニーが手を挙げた。

 

「吸魂鬼は、人間の感情、特に希望や幸福などプラスな記憶を吸い取ります」

 

「そうだ。そして、吸魂鬼の特性は過去に酷な恐怖の体験をした者ほど影響力が強い。今回の仮想に、本物と同じような特性は持ちません。あくまで見た目だけ。ただ気味が悪いだけですが、それでも身の毛のよだつ悍ましさは伝わるかと思います。吸魂鬼は、私が知る限り、最も穢れた闇の生物です。いいかい、間違っても吸魂鬼に喧嘩を売ってはいけないよ。吸魂鬼は目が見えない。人の感情を嗅ぎ取って近づいてくるから、変装に引っかかる相手ではないし、また『透明マント』も意味をなさない。もちろん話も通用しないから目をつけられれば、一人前の魔法使いでも吸魂鬼の餌食になってしまう。

 ……そして、吸魂鬼に接吻をされた者は、魂を食われ、抜け殻に……吸魂鬼と同じ存在になってしまう」

 

 怪談話をするような語り口調にクラスの皆は、ごくりと息を呑む。

 

「防衛法はないんですか」

 

 僕は手を挙げて質問する。

 

「あります。『守護霊の呪文(パトローナム・チャーム)』……これは、希望、幸福、生きようとする意欲など、一種のプラスエネルギーの塊である守護霊を創り出す呪文です。このプラスのエネルギーを吸魂鬼は貪り食いますが、守護霊には本物の人間なら感じる絶望というのを感じることがありません。よって吸魂鬼は守護霊を害することができないという理屈です。

 ただし、この呪文は君たちよりも高学年の生徒に教えている、非常に高度な呪文だ。“標準魔法レベル(ふくろう)(O・W・L)資格"をはるかに超える。一人前の魔法使いでさえ、習得は難しいとされています」

 

「守護霊ってどんな姿をしているんですか」

 

 今度はロンが訊ねた。

 

「それは、創り出す魔法使いによって、ひとつひとつ形は異なります。またその時の精神状態によって姿形を変えることもあります。そして、この呪文は、何かひとつ、一番幸せだった思い出を、渾身の力で念じたときにはじめて成功することができる。呪文はこうだ――」

 

 先生は杖に見立てた人差し指を振るって、呪文を唱える。

 

「『エクスペクト・パトローナム』、守護霊よ来たれ!」

 

 指先から、目も眩むほど眩しい、銀色の小さな影が噴き出した。目を細めて、どんなものかと窺えば、蝶のように羽を生やしている小人、妖精のようだ。

 そして、この妖精の守護霊が放つ光の波動は、吸魂鬼の幻像を掠れさせていき、教室の空気から凍える寒気は緩和される。

 

『この通り。この子の容姿はあまり頼もしいとは呼べないものだけど、存在するだけで吸魂鬼を祓うだけの効果はある。また熟達したものは、このように術者の代弁もこなすことができるんだ』

 

 まるで腹話術のように口を閉ざした先生から、説明を引き継いだ妖精は、よく観察できるよう、クラスみんなの机の前に跳ねるように飛んで横切っていく。

 

「すごい……有体守護霊を出せるなんて……」

 

 全員目を丸くしていて、ハーマイオニーの口からは感嘆が漏れる。

 

「では、今日は守護霊の呪文を試してみようか」

 

 コツは、幸せな思い出に集中して呪文を唱える。

 ダーズリー家での出来事はまったくカウントされないので、ハリーがこのホグワーツに入って、初めて自分に自信が持てた、箒に乗ったあの瞬間を思い描くことにした。

 身体を突き抜けるような、素晴らしい飛翔感をできるだけ鮮明に思い起こしながら杖を振るう。

 

『『エクスペクト・パトローナム』、守護霊よ来たれ!』

 

 みんなで一斉に守護霊の呪文を唱えたが、杖先からシューと、一筋の銀色の煙が噴き出すだけだった。

 その後も、ギルデロイ先生が、ひとりひとり見ながら、守護霊の呪文を練習したが、教室を飛び交う妖精のように確固たる形のあるレベルにまでは届かず、ぼんやりとした霞しか出せなかった(最も近づいた、何か動物っぽい影が見えたのは、先生に個人指導されたときのハーマイオニーの守護霊だった)。

 

 そして、終業のチャイムが鳴る五分前に、先生は『やめ!』と手を叩く。

 

「がっかりすることなんてない。みんな、初めての練習で無形守護霊を出せるだけでも上等だ。吸魂鬼を祓うことはできなくても、阻むことはできる。いいかい、最初にも言ったけど、これは非常に高度な呪文だよ。もし“ふくろう”の試験で実演できれば特別点がもらえるくらいの大技だ」

 

 言いながら、教壇の上に板チョコレートの山を置く。

 

「今回の授業で、気分が悪くなったものもいるだろうから、みんなここに用意してあるチョコレートを食べるといい。吸魂鬼にやられた時の治癒法です。それに頭の栄養である糖分摂取もできる。非常食にチョコレートを携帯するのはいいかもしれないね」

 

 確かに、チョコを齧ってみただけで手足の先まで一気に温かさが広がった。しかし……程度をかなり落とした仮想吸魂鬼でもこんなに凍えるような気分にさせるのだから、本物とはできる限り遭遇したくない。

 

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 そうして、今日もギルデロイ・ロックハートの『闇の魔術に対する防衛術』は終わった。今回も、そう毎回、時間が過ぎ去るのが惜しいくらいに目の覚める授業をするギルデロイ先生は、とても好評だ。特にあの『決闘クラブ』直後は沸騰したような人気ぶりで、『ロード・ギルデロイ』、『プロフェッサー・チャーミング』、『マスター・R』、『絶対領域スマイル先生』、『女生徒が選ぶホグワーツで一番抱かれたい男』などと、どこかの双子が面白おかしく異名を広めている。

 

 そんなわけで、授業が終わった後でも質問がしたい生徒が教壇の前で行列を作っている。

 プリントに提示された得意呪文の指導を求める生徒らに、ギルデロイ先生は杖の履歴を直前呪文の応用で習熟度を探ると、二、三質問し、彼らのプリントに書き込みを入れて、映像教育の内容を個人に合ったものに更新していく。

 

 当然、これは最優等生様も常連だ。

 しかし、今回は常に先頭を狙うハーマイオニーは、行列を見送りながら待機していた。この後がお昼で時間があることもあって今日の行列はいつもより長い。御馳走を前にした犬が待てを強いられているかのように、うずうずと今にも列に割って入りたがっているけど、我慢している。

 

「用意は?」

「みんながいなくなるまで待つのよ」

 

 訊ねると、ハーマイオニーは神経をピリピリとさせながらも答えてくれた。あまり急かすと噛みつかれるのが目に見えているので、僕はロンと見合わせて肩を竦め合った。

 

 ミセス・ノリスの事件から、まだ犯人は見つけられていない。

 魔法史の授業で、ゴーストのピンズ先生から『秘密の部屋』の伝承を教えてもらった。

 ホグワーツを去ったサラザール・スリザリンが、他の創設者にはまったく知られていない、また、代々の学校長さえ見つけられていない隠し部屋を、このホグワーツのどこかに用意した。その『秘密の部屋』は、真の継承者に相応しき者が現れたときに、密封された恐怖を解き放つのだという。そして、その“部屋の中の恐怖”は、ホグワーツから魔法を学ぶに相応しくないものを追放するのだと。

 

 あの事件には僕たちが犯人ではないかと疑われているのもあるけど、僕にしか聴こえない“あの冷たい声”が引っかかる。

 この“スリザリンの継承者”というのを放置すれば今度は誰か……そう、ハーマイオニーのようなマグル生まれの子が狙われるのではないだろうか。そして、この“スリザリンの継承者”に最も疑わしいのは、あの時、声高に警告してきたマルフォイだ。

 ロンが『歴代全員がスリザリン出身のマルフォイ家なら、『秘密の部屋』の鍵を持っていてもおかしくない』といい、ハーマイオニーもその意見に同意した。

 そこで、スリザリンの談話室に入り込んで、マルフォイに正体を気づかれずにいくつか質問をする……という不可能であろう難事をやり遂げるために、ハーマイオニーは『ポリジュース薬』を提案した。

 時間制限はあるものの自分以外の誰かに変身できる魔法薬なら、マルフォイに怪しまれずに話を聴くことができるだろう。ただし、ポリジュース薬は、スネイプ曰く材料の入手も難しいとされ、調合法を記している『最も強力な毒薬』は図書館の『禁書』の棚にある。二年生である僕らは司書マダム・ピンスに教師のサインが入った許可証を提示しなければ貸し出してもらえない。

 

 他の学生に変身して他寮に忍び込むなど校則を破ることをするために、許可証を出してくれる先生はいるのか?

 グリフィンドール寮監で『変身術』のマクゴナガル先生だってお認めになられないだろうし、『魔法薬学』のスネイプは論外。他の先生だって必ずその用途は訊ねるに違いない。

 僕たちに親しく、許可証を出してくれそうな先生なんて……と最終的に絞り込んだのは、とても助けてもらっている近所の魔法使いだった。

 

「いいわ……」

 

 先生が行列を捌き終わったのを見て、ハーマイオニーは、教壇に近づいていった。僕とロンもそれに続く。

 

「あの――ギルデロイ先生?」

 

「なにかな、ハーマイオニーさん」

 

「わたし、あの――図書館からこの本を借りたいんです。参考に読むだけです」

 

 口篭りながらもハーマイオニーは、しっかりと握り締め(過ぎ)てくしゃくしゃになった紙切れを、慌ててシワを伸ばしてから、差し出した。ハーマイオニーが微かに手を震わせながら出した紙をギルデロイ先生は見て、ピクリと右眉をわずかに上げる。

 

「問題は、これが『禁書』の棚にあって、それで、どなたか先生にサインを頂かないといけないんです――先生の『狼男との大いなる山歩き』に出てくる、脱狼薬を理解するのに、きっと役に立つと思います!」

 

「あぁ、『狼男との大いなる山歩き』、ね……」

 

 ギルデロイは緊張しているハーマイオニーへ笑いかけてくれた……けど、紙を受け取ってはくれない。

 

「君はとても読み込んでいる読者だ。そして、とても優秀な教え子だ。今日の授業でも『守護霊の呪文』をあと少しで有体化できるところまでいけた」

 

「それは先生の教え方が良いからです!」

 

 褒められ、ハーマイオニーは熱を込めて答えた。

 ニコニコとしながらギルデロイ先生は、教壇に両肘をついて組んだ両手の上に顎を載せて、真正面のハーマイオニーと目線の高さを合わせたところで、訊ねた。

 

「それで本当はどうなのかな?」

 

「え、え……」

 

 今日まで足繁く教室に通い教えを乞うてきたハーマイオニーは、どうにか目を合わせられるだけの耐性はできていた。でも、こんなに間近で、じっと見つめ続けられては、一分ともたない。

 元気爆発薬を一気飲みさせられたかのように顔が真っ赤になるハーマイオニーに、先生は微笑みかけながら言った。

 

「もしも君が本当に脱狼薬について学んでくれるのなら、私はとても嬉しい。効能は素晴らしいがトリカブト系の脱狼薬は調合が難しく、『魔法薬学』のスネイプ先生ほどの腕がなければ完璧に作り上げることはできないだろうね」

 

「は、はい! ですから、その……」

 

「でもね、トリカブト系の脱狼薬の治療法はここ最近になって、ダモクレス氏が発明した魔法薬なんだ。ちょうど大いなる山歩きをしていた時にですかね。年代からして、この『最も強力な毒薬』にはまだ載っていないと思いますよ」

 

 あ……と舞い上がっていたハーマイオニーは、見落としていたケアレスミスの指摘に、金縛りの呪いでもかけられたかのように固まり、そして、一気に蒼褪めた。

 

「トリカブト系の脱狼薬が普及されるようになることは、安定した職に就けない狼人間に朗報となるでしょう。私もそれを切に願っています。ひとりでも学ぶものが増えることは喜ばしいことです。……それがウソだったのなら、私はとても残念に思います」

「違います! 私、そんな、先生を馬鹿にしたとかそんなつもりは全然……本当に全然なくて……! す、すみませんでした」

 

 これには僕とロンもハーマイオニーと一緒に頭を下げた。

 真剣にその魔法薬を求めている狼人間(ひと)たちにとって、それを建前とすることは、ひどく気分を害することだろう。

 僕たちの謝罪に、先生は鷹揚に頷いて言う。

 

「ええ、ちゃんとわかっています。あなた方に悪気がないことは。それで、この本を借りたい本当の理由は何なのかな?」

 

「ポ、ポリジュース薬の事を知りたくて……」

 

 おい、ハーマイオニー!?

 言い逃れできなかったけど、そんなあっさり明かしたら、もう……。

 

「正直に答えてくれたね」

 

「はい……」

 

 消沈して俯いたままのハーマイオニー。嘆息して、ギルデロイ先生は僕とロンの方へ視線を向けた。

 

「一時間限り他人に変身するポリジュース薬の用途についてあえて私は訊ねません。ただ、それは、周りにいる大人、ホグワーツの教師は頼りにならないから、自分たちで動こう……という考えでいいのかな?」

 

「それは違いますギルデロイ先生!」

 

 やや憂いた表情での問いかけを、強く否定した。

 そんな悲しげな目で見られるのは、普通に説教して叱られたよりもよっぽど堪えた。僕もロンもギルデロイ先生の顔を真っ直ぐに見ることができず、ハーマイオニーに倣うように自分の爪先を見つめるように俯く。

 

「すまないね。意地悪な訊き方をした。でも、だ。『闇の魔術に対する防衛術』で、学生に戦い方というのは教えていない。自ら『スリザリンの継承者』へ近づこうとする浅慮で危険な行為など私は望んでいません」

 

「それは――だけど、『秘密の部屋』の怪物が本当にいるのだと思ったら、いてもたってもいられなくて――」

 

「うん。君の父さん、ジェームズ先輩も友を助けるためならば突っ走る人だった。勇敢であったと言えるでしょう。ただ、大人の助けを借りずに自分の力だけで解決しようとする辺りは、スネイプ先生が言うように傲慢であったと言われても仕方ありません。

 さて、ハリー。私たち教師が頼りにならないわけではないと否定した君にひとつ訊ねますが、あなた達は身近な大人に相談する余裕もないような切羽詰まった状況にあるのですか?」

 

 僕たちは降参するように揃って首を横に振った。

 

 ・

 ・

 ・

 

 それからすぐに教室と隣接したギルデロイ先生の自室へと場所を移した。

 先生は大きな書斎机に向けて、指を鳴らした。大きなサンドイッチの皿、ゴブレットが四つ、冷たい魔女かぼちゃジュースのボトルが、ポンと音を立てて現れた。

 

「どうぞ、お昼もまだでしょう。午後にも授業はあるのですからランチしながら話を聴きましょう」

 

 さっきのこともあって恐縮(特にハーマイオニー)していたけど、先生に笑みを向けられながら勧められれば、食事の席に着いた。

 それから、縮こまってしまっているハーマイオニーに代わって、僕とロンは自分たちの意見を代わる代わる話した。

 『秘密の部屋』や『スリザリンの継承者』に対する不安を話し、ロンがきっとこれはマルフォイ家が黒幕に違いないと言い、それで、ハーマイオニーがポリジュース薬でスリザリン生に化けて話を聴こうと提案し……そして、“自分にしか聞こえない声”についても話をした。

 『誰にも聞こえない声が聞こえるのは、魔法界でも狂気の始まりだって思われている』とロンは注意したけど、ホグワーツに通う前から、ギルデロイ先生は、僕の話を聴いてくれる人だった。ロンもハーマイオニーのことを信じられて、この人に話ができないという選択肢はなかった。

 腹に溜まったものを吐き出して、代わりに机の上に出た昼食を胃袋に詰め込んだところで、先生は口を開いた。

 

「ハリー、君はひとつ重要なことを忘れているね」

 

「え……」

 

 開口一番に指摘を受け、戸惑うも続く言葉にハッとさせられる。

 

「君にあれだけ今学期のホグワーツの危険性を訴えた『屋敷しもべ妖精』ドビーのことだ」

 

「あ、そうだ。ドビーが、ホグワーツで恐ろしい事が起こるって……それってまさかこのことなの!?」

 

「そして、ドビーはこうも言いました。歴史が繰り返されようとしていると――」

 

 先生と僕の会話を、ロンもハーマイオニーも口をぽかんと開けたまま聞いていた。

 

「『秘密の部屋』は以前にも開かれたことがある、という事ですか、ギルデロイ先生」

 

「そういうことになるのでしょうね」

 

 ハーマイオニーが恐る恐る訊ねて、先生は首肯を返すと、ロンが意気揚々と言った。

 

「これで決まったな。きっとルシウス・マルフォイが学生だった時に『部屋』を開けたに違いない。今度は我らが親愛なるドラコに開け方を教えたんだ。間違いない。それにしても、そのドビーはどんな怪物なのかって教えてくれなかったの?」

 

「ううん、ドビーは闇の罠が掛けられてるとだけしか……あとは、ヴォル…『例のあの人』が犯人じゃないって」

 

「とにかくさ、このままマルフォイを放置してたら、また恐ろしいことになるかもしれないんだろ。だったらさ」

 

「個人的な意見を言わせてもらうと、ドラコ・マルフォイ君は、『スリザリンの継承者』ではないと思いますよ」

 

「でも、マルフォイはマグル生まれの者を脅迫したんです」

 

「では、逆に訊ねますが、ダンブルドア校長先生を出し抜けるだけの企みができるとお思いですか、マルフォイ君に」

 

 やっぱりマルフォイが『スリザリンの継承者』説に火が点きそうなところに水を差された。

 でも、そう言われてみると、先生の言葉は納得せざるを得ない。

 

「思ったことをすぐに口に出してしまう、そんな魔法使いとしてはまだ幼い彼に、たとえ親でも、そのような大事を任せるとは到底思えませんね。……これは一教師の教え子が犯人であってほしくはないという願望に目が曇っているだけなのかもしれませんが」

 

 マルフォイへの疑念は尽きないけれど、声を上げようとしても言葉は、喉元に萎んで消える。

 パンッとひとつ話を切り替える合図の拍手が響き、書斎机上の食器が片付けられると先生は僕の方を見て、

 

「ハリー、あなたの悩みを解消してあげられるかもしれません、ひとつ確認させてもらってもいいですか?」

 

「何ですかギルデロイ先生?」

 

「確認というよりは、これは実験ですけど、ロン、ハーマイオニー、机から下がってもらえませんか」

 

 書斎机から二人が離れると、先生はパチンと軽く指を鳴らす。

 

「『サーペンソーティア(へびいでよ)』!」

 

 さっきはサンドイッチセットが出てきた机の上に、細長い白蛇がにょろにょろと出てきて、ギョッとした。白蛇はどこか眠たそうで、とぐろを巻いていて、状態としては落ち着いているようだ。

 

「ハリー、少しこの子とお喋りしてもらえませんか?」

 

「別に構いませんけど」

 

「「え?」」

 

 ロンとハーマイオニーが驚いたように目を大きく見開いたけど、どうしたんだろう?

 とにかく僕は先生に言われた通り、白蛇に話しかけてみる。

 

やあ、調子はどうだい

 

 白蛇はビーズのような目を開け、ゆっくり、とてもゆっくりと鎌首をもたげ、僕の目線と高さを合わせると、ひとつあくびをした。

 

眠いよ

 

そうなんだ。なんかごめんね、起こしちゃったみたいで

 

構わないさ。シュシュシュ、それで何の用だい

 

えっとね……ちょっと待って、聞いてみるから

 

 そういえば、先生に会話をしてみろとだけしか言われていない。

 何か芸でもしてもらうよう頼みこむのだろうか。

 

「ギルデロイ先生、これから一体何をすれば?」

 

「いいえ、もう十分ですよ。ちなみにお聞きしますが、この白蛇はなんて?」

 

「眠いそうです。だから、用件が済んだら帰してあげたらどうでしょう」

 

「そうですね。お疲れ様です。『ヴィペラ・イヴァネスカ(へびよ、きえよ)』」

 

 指を鳴らし、白蛇が書斎机から消えた。

 うん。今ので一体どんなことが分かったのだろうか? それを先生に訊ねるよりも早く、ロンとハーマイオニーに追及された。

 

「ハリー、『パーセルマウス』だってこと、どうして僕たちに話してくれなかったの?」

 

「僕が何だって?」

「『パーセルマウス』だよ! 君はヘビと話ができるんだ!」

 

 首を傾げる。

 それは、そんなにおかしなことなのだろうか。

 

「そうだよ。でも、今度で二度目だよ。一度、学校行事で行った動物園で、大ニシキヘビと話したことがあるんだ。ギルデロイ先生には前に話したことがあったんだけど、そのヘビが、ブラジルなんか一度も見たことがないって僕に教えてくれてね。自分が魔法使いだってわかる前だったけど……」

「大ニシキヘビが、君に一度もブラジルに行ったことがないって話したの?」

 

「それがどうかしたの? 魔法界にはそんなことできる人、掃いて捨てるほどいるだろうに。ね、ギルデロイ先生も、ヘビと話ができるんでしょ?」

 

「ハハ、この通りヘビは出せますが、ヘビとお喋りはできません。ハリー、ロンの言う『パーセルタング』を使える『パーセルマウス』というのは大変貴重な能力なんです」

 

「先生、これはまずいんじゃないんですか? ハリーが蛇語を使えるなんて今知れたら」

 

「何がまずいんだい?」

 

 理由も説明されず、深刻そうな態度を取るロンに段々と腹が立ってきた。

 

「ただヘビと話しただけじゃないか。それのどこが問題あるのさ」

 

「問題になるのよ」

 

 ハーマイオニーも真剣な顔をしていて、そして、驚くことを教えてくれた。

 

「どうしてかというと、サラザール・スリザリンは、ヘビと話ができることで有名だったからなの。だからスリザリン寮のシンボルがヘビなのよ」

 

「そうなんだ。だから、君がパーセルマウスだって知られたら、スリザリンの曾々々々孫だとか何とかって言われるようになるんだろうな……」

 

「だけど、僕は違う」

 

 言いようのない恐怖に駆られて、口早に二人の言葉を否定する。

 でも、ハーマイオニーが冷静に言った。

 

「それは証明し難いことね。スリザリンは千年ほど前に生きていたんだから、あなたが子孫だという可能性もありうるのよ」

 

 僕は、不安に瞳を揺らして、ギルデロイ先生を見た。

 本当にサラザール・スリザリンの子孫なの? 僕は結局父親の家族は何も知らない。ダーズリー一家は、ハリーが親戚の魔法使いのことを質問するのを、一切禁止した。

 だけど、彼なら知っているかもしれない。父さんの後輩だった彼なら……僕がサラザール・スリザリンの子孫じゃないって否定してくれる!

 

「先生……! 僕の、お父さんの家族のこと知ってますか?」

 

「ええ、知ってますよ。よく自慢されましたね。ジェームズ先輩のお父さん、つまりはハリーのお爺さん、フリーモント氏は、あのたった二滴で厄介な癖毛も滑らかになる『スリーク・イージーの直毛薬』を発明し、一財産を築いたそうでして。実は私も独自ブランドのシャンプーを売りに出したんですが、これがなかなか上手くいかず……」

 

「そうなんだ……って、そうじゃないよ!」

 

 思わず叫んでしまった。

 祖父の事を知れたのは少しうれしい。うれしいんだけど、知りたいのはそこじゃない。シャンプーのことなんてどうでもいいよ!

 それがわかっているのだろう。クックッとギルデロイ先生は笑みを零して言う。

 

「ハリー、君がなぜパーセルマウスなのかはわかりません。ここ最近の半純血の出生に興味深い論文があって、純血の魔法使いと非魔法使いの両親から生まれた子は、類い稀な能力が備わっていることがあるそうです。例えば、『七変化』とかが発現したりするそうです」

 

「それじゃあ、僕はスリザリンとは関係ないんですね?」

 

「さあ、それはどうでしょう。しかし、もし仮に君がスリザリンの曾々々々孫だとして、何か問題があるのかい?」

 

「だって、そうだったら、僕が、スリザリンに……」

 

 相応しいんじゃないか、という言葉を呑み込んだ。『組み分け帽子』がスリザリンに僕をいれたかったけど、僕はグリフィンドール生なんだ。

 

「確かに、今の校内の状況でパーセルマウスだと知られるのは騒ぎになるでしょう。でも、それは注意すればいい。私はもちろん、ロン君もハーマイオニーさんもハリーに不利になるようなことは吹聴したりしませんよ。まあ、私はむしろヘビと会話ができるのは便利だと思いますけどね」

 

 先生の言葉に、ロンもハーマイオニーも頷いてくれる。

 事前に教えてもらったから、人前でヘビと会話するような真似なんてしない。きっとギルデロイ先生は、それを魔法界の常識を知らない僕に注意させたくて、蛇舌を持つという意味を自覚させたんだろう。

 ただそれは、“僕がヴォルデモートと同じ道を行くのが正しかったんだ”っていう否定にはならない。つまりは――

 

 

「ハリー――君はどんな魔法使いになりたいんだい?」

 

 

 くしゃりと――かつてと同じように――頭の上に手を置かれた。

 熱暴走する勢いの頭の回転を、その手は、その微笑は、その声は、やんわりと包むように止めてくれた。

 

「どんな魔法使いになりたいか、それを決めるのは君だ、ハリー」

 

 ・

 ・

 ・

 

 バシッと背中をやや強めに叩かれ、ロンとハーマイオニーの方へと押し出された。

 悩みは解消したけれど、何だか無性に恥ずかしくて、二人から顔を逸らした。

 

「ハリー、ごめん。そんなつもりで言ったんじゃなくて」

「ごめんなさい、ハリー。無神経な発言だったわ」

 

「いやいいんだ。ロン、ハーマイオニー、僕は僕だから」

 

 まだぎこちないかもしれないけど、頬を緩ませ、笑って答えた。

 

 そこでパンパン! と手を大きめに叩く音がした。

 

「さあ、もうすぐお昼時間はおしまいだ。早く次の講義の教室へ行きなさい」

 

 ギルデロイ先生は、僕たち三人をそう急かして、送り出す。

 

「先生、ありがとうございました」

 

「いいえ、こちらも有意義な時間でしたよ。おかげで、『スリザリンの怪物』に関する情報がひとつわかりましたから」

 

『え!?』

 

 先生は、異口同音に瞠目する僕らに、指を一本立てて言う。

 

「私は何もパーセルマウスを実証するだけに確認したのではないですよ。ハロウィーンの日、ハリーは、ロンとハーマイオニーにはわからない、自分にだけしか聞こえない声を耳にした。そして、今、ハリーには自分にしかわからない言語がわかったんです」

 

 ハッと僕たちは顔を見合わせて、声を揃えて言った。

 

『ヘビだ!』

 

「そうです。先程ハーマイオニーさんが説明してくれた通り、スリザリンのシンボルはヘビであり、サラザール・スリザリンは稀代の蛇使いでした。そして、貴重なハリーの証言で、『秘密の部屋』に封印された怪物は、ヘビに類するものだという可能性が非常に高い。これは大きな前進ですよ、皆さん」




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