影は銀色   作:武太珸瓏

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後編:影は銀色

 

 

 ああ、ツイてない…。

 

 道中、何度もため息をつきながら、その日の私は、学校からの帰り道にある川の堤防の上を、タイヤのパンクした自転車を曳きながら、トボトボ歩いていた。

 

 あと幾日も残さず今の高校を卒業し、来年度から地元を離れて、新しく通う大学で寮に入ることが決まっていた私は、これからの新生活への不安を抱えていた。

 

 通えないこともない距離にある大学だったけれど、一度あの家を出てみたかった私は、入寮を希望した。

 

 合格が決まったときは嬉しかった。長く苦しい受験勉強から脱出できたことを、素直に喜んだものだった。

 

 しかし、生まれて初めて実家を出て、地元を離れる日が近づいてくるにつれて、次第に心細くなってきた。

 

 新しい環境に馴染めるだろうか?

 友達は出来るだろうか?

 寮の仲間とはうまくやっていけるだろうか?

 

…などといった心配ごとが生じ、それが胸の中で日毎(ひごと)に膨らんで増殖していき、心の落ち着かない日々を送っていた。

 眠れない夜も多かった。

 

 

 その日は閏年の二月二十九日だった。

 例年より一日だけ多いことで、少しは猶予が与えられたような気がした日だった。

 

 そんなところへ、この自転車のタイヤのパンクだ。

 もうすぐ家に着くというところでだ。

 

 自転車ではもうすぐの距離でも、徒歩ではけっこうな道のりになる。

 

 心做(こころな)しか、曳いている自転車が少し重くなったような気がしてきた。

 

 ハア……。

 

 俯きながら何度目だか判らないため息をついて、顔を上げたときだ。

 

 向こうから自転車が走ってくる。

 私は、徐々に近づいてくる自転車に乗った人物を見ているうちに、何か不思議な感覚になってきた。

 あまり人をジロジロ見ては失礼だし、変な人だと思われるかも知れない。

 しかし、その色白な顔を見ていると、胸の奥底から、何かがこみ上げてきた。

 何か、とても懐かしいものが。

 

 自転車の乗り手は、怪訝そうに私を見ながらすれ違う。

 その姿を追って私が振り返るのと、自転車のブレーキ音がするのとは、ほぼ同時だった。

 

 見ると、その自転車の乗り手も、こちらの顔をまじまじと注視している。

 

「あの……」

「えっと……」

 

 二人の声が重なる。

 

「あ、先にどうぞ」

「いや、そちらこそ」

 

 なんだか道の譲り合いみたいになっている。

 お互いに、記憶の深い所を探っているのか。

 

「じゃあ…」

 

 相手は姿勢を正して訊いてきた。

 

「ウチらって、どこかで会ったことない?」

「やっぱり、そう思う?」

 

 私の反応を見て、相手の目がまん丸に見開かれた。

その目を見て、私の中でぼんやりと揺らいでいた面影が、一気に鮮明になって蘇った。

 

「マーちゃん!?」

「ショーナン!」

 

 私たちは駆け寄って、お互いの肩を叩き合った。

 

 

 

 

 

「そうか、ショーナン、この町を出て行くんだ……」

 

 あの懐かしい公園のベンチに腰かけて、私たちはお互いの近況を語り合った。

 マーちゃん持参のゆでたまごを食べながら。

 この人、まだたまごを持ち歩いてたんだ。

 

 公園の遊具は、ペンキが塗り替えられていたり、補修されていたり、撤去されているものもあって、若干、様子が変わって見えた。

 あのときお世話になった電話ボックスも消えていた。

 

 一番思ったのは、みんな小さくなってしまったこと。

 もちろん、私たちが大きくなったのであって、公園が小さくなったわけではない。

そうだとしても、あのとき、おっかなびっくりで登った柵が、自分の背丈程もない、可愛らしいものに見えるようになったことは感慨深かった。

 

「出て行くっていっても、そんなに遠い所じゃないんだけどね」

「なら、会おうとすればいつでも会えるわけだね」

「うん。今度こそ、お互いの連絡先を知っておこうよ。前に会ったときには、そんな暇なかったものね」

 

 マーちゃんと連絡先を交換しあってから、私はしみじみとした心持ちで呟いた。

 

「こうしてみると、マーちゃんも生身の人間なんだな、って思うよ」

「ハア? 何それ、どういうこと?」

「いや、だってね、マーちゃんと会ったのは、閏年に雪が降った日だけで、それっきりだったから、子どもの頃は、マーちゃんは閏年の雪の日にしか現れない精霊だったのかな、なんて思ったこともあったんだ」

「そういえば、最初に会ったとき“雪ん子”がどうの、とか言ってたね」

「覚えてるの?」

「忘れっこないよ」

「う~…」

「ふふふ…」

 

 私の反応をからかって楽しそうに笑っているマーちゃん。思っていたよりも元気そうだ。

 そんなマーちゃんを見て、私は思い切って訊ねてみた。

 

「ねえ、身体の方は大丈夫なの?」

 

 前に会ったとき ──私の覚えている二度目の閏年で、最初と同じく雪の積もった二月二十九日── に、マーちゃんは私に、自分の体について話してくれた。

 

 マーちゃんは生まれつき体が弱く、あまり家の外に出ることもなかった。

 学校にも、ほとんど行けなかったらしい。

 家族が滋養強壮の為に“ゆでたまご”を作ってくれ、それがマーちゃんの好物になった。

 天気の穏やかな日にしか外へ出させてもらえなかったが、それでも、季節はずれの雪が降ったりした日なんかは、子供らしく外で遊びたくてしょうがなくなる。

 そこで、家族に特別に許可を貰って、たまに近所の公園への外出を許してもらっていた。

 好物のゆでたまごを持たされながら。

 そんな日に、私はたまたま、マーちゃんと出会えたのだ。

 

「大丈夫じゃなさそうに見える?」

 

 マーちゃんの言葉に、私は首を振った。

 相変わらず色白だけど、病弱そうには見えない。

 マーちゃんは、私にはお馴染みのニカッとした笑顔を見せた。

 

「良い先生がついてくれてね、長い間ゆっくりとリハビリしてきて、もうすっかり元気だよ。今では、普通に生活したり、ちょっとしたスポーツくらいなら全然やってもOKだってさ」

「そうなんだ!」

 

 私は本心から祝福した。

 マーちゃんは誇らしそうに、そして少し照れくさそうに笑った。

 

「それにしても…」

 

 私はしみじみとした気持ちで言った。

 

「…なんだかこの二人っての関係って奇妙だよね。小さい頃に少しだけ、それもかなり時間をおいて会ったっきりなのに、こうして普通にしゃべっているんだもの」

「そういえばそうだね」

「マーちゃんと初めて逢った日は特別な日だったから、春になる度に浮かぶ思い出になっていたけど、マーちゃんは、よくこんな、特徴のない地味なヤツを覚えていてくれたね」

「それって、人のことを遠まわしに変わったヤツだって言ってる?」

「え? あ、いやその…」

「ハハ、まあいいよ。そうだね、こっちにとっても、ショーナンは特別な友達だから忘れられなかった、ってとこかな」

「そ、そうなの?」

「うん、たまたま外に出たらできた、知らない学区の友達だったからね」

「そっか」

 

 

 初めてマーちゃんと会った日から、私はあの公園の一帯へは何度か探索に行っていた。もう一度マーちゃんに会えることを期待して。

 しかし、そのまま会えずに数年が経過し、マーちゃんと再会できたのは次の閏年の二月二十九日、雪の日だった。

 

 あの日と同じような状況に期待して、私は例の公園へ向かった。

 公園の近くまで来ると、一人分の足跡だけが園内へ向かっているのを見つけた。

 

 小さい頃に聴いた童謡のように、足跡を辿れば求める人に会えたりして?──と、その足跡に自分の足を重ねながら歩んでいってみれば、なんと本当に、その先であのマーちゃんと再会できたのだ。

 凄く嬉しかった!

 

 その頃には私たちも、前と比べて少しは複雑な話をできるようになっていて、マーちゃんから、体が弱くて、あまり外に出られないことも教えてもらった。

 

 あのとき、マーちゃんの家を教えてもらっておけば良かったのだが、訊きそびれてしまった。

 後になってから、随分と後悔したものだ。

 

 その次の閏年、つまり前回の二月二十九日には、雪が降らなかった。

 そして、マーちゃんとも会えなかった。

 私の中で、マーちゃんが“閏年の雪の積もった二月二十九日にしか現れない精霊”になった所以(ゆえん)である。

 時がたち、私の心も変化していくにしたがって、あのときのことは、次第に現実感が薄れてきて、子どもしか見えない存在、あるいは幼い頃の夢のような気がしてきていた。

 

 でも、今はこうしてマーちゃんと会って話している。

 雪のない二月二十九日に。

 

 

「──それに、ショーナンと逢ったときのインパクトだって強烈だったしね」

「ちょっと! それはお互い様!」

 

 あ、やっぱりこの人は現実の人間だ。

 ちょっとノスタルジックな想いの中に浸っていたら、マーちゃんが私の恥ずかしい思い出を呼び起こしてきた。

 あの、砂場に刻印された人型の窪みは、幼い私に“自業自得”というものを最初期に教えてくれたものだった。

 しかし、マーちゃんのゆでたまごを食べる姿のインパクトだって負けてはいないと思う、というか思いたい。

 

 

 そんな調子で、私たち二人は長い間おしゃべりに耽っていた。

 たわいない話から、真面目な話まで。

 夢中になって話し続けた。

 これまた不思議なもので、会った回数は少ないのに、それはとても居心地の良い時間だった。

 

 マーちゃんに好きな人がいることを知ったときは、何ともいえない妙な気持ちになったものだ。

 やっぱりマーちゃんは精霊とかではなくて、普通の人間なのだと示されたような気がして。

 いい歳して、何考えてたんだろ、私は。

 

 

 市内に、ドヴォルザークが鳴り始めた。

 

「おっと、もうこんな時間か」

「早かったね」

「お互い、だんだんと、時間はたっぷりとは言えなくなってきているからね」

「うん、そうだね……」

「ねえ、ショーナン。どうして、家を出たいと思うの? どうして、この町を出たいと思うの?」

「え? うーん……」

 

 私はしばらく考えてみたが、

 

「わからない」

 

 そんな返事しかできなかった。

 

「ふうん……」

 

 マーちゃんは、そんな私の答えに納得したのか、しなかったのか、私には判らなかったが、それ以上は追求してこなかった。

 

「じゃ、今日はこの辺で」

 

 マーちゃんはおどけて敬礼のポーズをとりながらそう言い、ニカッと破顔した。

 私も笑いながら、答礼する。

 

「あっ、そうだ」

 

私はふと思いつき、鞄に入れていた財布から十円玉を二枚取り出して、マーちゃんに差し出した。

 

「なに、これ?」

 

マーちゃんが目をパチクリさせる。

 

「最初に会ったときに貸してくれた電話代だよ。前に会ったときに返しそびれちゃってね、ずっと気にしてたんだ。あれ、かなり助かったんだから」

「ええ? いいよ、そんなの。あれはあげたんだもの」

「いいから受け取って。こっちはこれで、長年モヤモヤしていたことがスッキリするんだから」

「そう? なら、有り難く頂くよ」

「うん、こちらこそ、ありがとう。ねえ、マーちゃん、今度こそ、また近いうちに会おうよ」

「そうだね、せめて次の閏年の前にはね」

 

 マーちゃんは、そう言うと「ハハハ」と笑った。

 

 手を振って家路を辿るマーちゃんの後ろ姿を、私はずっと見送っていた。

その足下には、黒い影が伸びている。

 

 マーちゃんは、角を曲がるとき、いつぞやのように振り返って、再び手を振り、視界から消えた。

 

 私はしばらく、マーちゃんの消えた角を眺めていたが、やがて、自分の足元の影に目を落とした。

 

 何かの錯覚だろうか。

 街灯に照らされてできた私の影は、一瞬だけ銀色に見えた。

 

 

 

 

 

《影は銀色:おわり》

 

 

 


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