影は銀色   作:武太珸瓏

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中編:ゆきんこ

 

 

 おバカな遊びで雪と砂に埋もれるという大失態を犯した間抜けな私の横に、誰かが立っている。

 顔を上げると、一人の子どもが、心配そうに私を見下ろしていた。

 歳は、当時の私と同じくらいだろうか。

 随分と色白な子だ。

 頭に毛糸の帽子をかぶり、背中にリュックサックを背負っている。

 

「だいじょうぶ?」

 

 気遣わしげに声をかけてくる。

 こういう場面では、まずは挨拶を返さなければならないことは、幼かった私だって知っていた。

 そうなんだけど、あのときの私は、初めて会う人に、こんな恥ずかしい格好を見られたからか、あるいはその子の、雪から生まれてきたみたいな白い肌の色に魅入ってしまったからなのか、とにかく少々動揺していたみたいで、

 

「ゆきんこ?」

 

 と、思いっきり場違いな返答をしてしまった。

 予想外の言葉を受けて戸惑ったのか、その子は一瞬だけ目をまるくしたが、すぐに顔をほころばせて「ハハハ」と笑った。

 

「なーに、そのユキンコって?」

「あ、ゴメン。だいじょうぶ」

 

 私はなんだか照れくさくなって、目をそらして体を起こそうとすると、その子は手をのばして手伝ってくれた。

 

 起きあがってから自分の埋まっていた跡を見てみると、まるでマンガみたいに、人の形の窪みができていて、それがまるで私の間抜けさを形にして見せつけているようで、あらためて恥ずかしくなる。

 

 地面に、私たち二人の影がさしている。

 日中の真っ白な雪の上にある影だから、少し銀色っぽい、不思議な色の影だった。

 

 その子は、私の服に付いた雪を払ってくれながら、

 

「で、ホントにだいじょうぶ? ケガとかしてない?」

 

 と再び訊いてきた。

 初対面の子に体を触られることに慣れていなかった私は、「いいよ、じぶんでやるから」と、その手 ──色白な見た目と違って暖かい手── をやんわりと制した。

 

「ホントにだいじょうぶ。ありがとう、もういいいから」

「それならいいけど、なにやってたの?」

「ちょっと、ぼうけんしてたんだ」

「ふうん」

 

 その答えに納得したのかしなかったのか、その子は公園内に残された、私の通過した跡を見ていたが、

 

「ゆでたまご、たべる?」

 

 と、唐突に訊いてきた。

 

「え?」

「ゆでたまご。ウチからもってきたんだ。いっしょにたべよ、ね」

 

 その子は私の手をひいて、先ほど私が足場に使ったベンチまで来ると、背中のリュックサックをおろし、中から小型のワイパーみたいな道具を出して、その柄を伸ばして、ベンチの上に積もった雪を払い落とし、用の済んだワイパーを縮めてリュックにしまい、今度はビニールシートを取り出して広げて、ベンチの上に敷き、私の方を向いて、「どうぞ」とでも言うように手のひらで示した。

 それに従って私がベンチに座ると、その子も私の隣に腰かけて、膝の上にリュックを乗せて何かガサガサやっていたが、やがて中から、おにぎりがいっぱい入ってそうな感じに膨らんだ紙袋を発掘して、その紙袋から、アルミホイルに包まれた塊を何個か取り出した。

 私はそれを、「いろんなものが出てくるなあ」「妙に用意がいいな」などと変なことに感心しながら眺めていた。

 

「はい」

 

 私にアルミホイルの包みが二つ手渡された。

 

「たべなよ。もうさめちゃってるかもしれないけどね」

「なんで、ゆでたまごなの?」

「たまご、ダメ?」

「ううん、そんなことないよ。じゃあ、いただきます」

 

 アルミの包みを一つ開くと白いゆでたまごが入っていた。

 すこしかじってみる。

 うん、おいしい。

 冷めてるかも知れないと言われたが、まだほんのり暖かい。

 

「なんで“ユキンコ”なの?」

 

 自分の分のゆでたまごの包みを開きながら、その子はまた唐突に訊いてきた。

 いつも唐突な子だな。

 

「え?」

 

 私の返事も、先ほどの繰り返しみたいな間の抜けたものになる。

 

「さっきあったときに、そういってたでしょ?」

「ああ…」

 

 忘れていた。

 そういえば私は、会って早々この子を「ゆきんこ」と呼んだのだった。

 私は「ゆきんこ」について説明することにした。

 とはいっても、詳しいことはよく知らない。

 今日みたいに雪が降った日に道端で遊んでいたら、近所のお婆ちゃんに「おやまあ、まるで“ゆきんこ”だわい」と言われて、親や幼稚園の先生から「雪ん子」という雪の精霊みたいなものだということを教えてもらったくらいである。

 

「ふうん、ユキンコねえ…」

「イヤ?」

「ちょっと」

「そう…」

 

 どうやら“ゆきんこ”という愛称は、この子のお気に召さなかったようだ。

 なんか気まずい雰囲気で、しばらく二人で黙ってゆでたまごを食べる。

 

「たまご、もっとたべる?」

 

 沈黙を破って、隣の子が訊いてきた。

気づけば、その子はもう三つ目の包みを開いている。私はまだ一つ目を食べているというのに。

 塩もつけず、飲み物もなしで、よくそのペースを保てるものだ。

 

「おいしいんだけどもね…」

「ん?」

「たまごだけ?」

「うん」

 

 当然のように応え、至福の表情でゆでたまごを頬張る、たまごちゃん。

 そうだ、この子のことを「タマゴちゃん」と呼ぼう。

 

 

 結局、私はゆでたまごを何とか二つ、タマゴちゃんは少なくとも五つは食べて満足してから、二人で夕方まで遊んだ。

 

 タマゴちゃんは、その変な愛称にも「えー」って反応をしていたけど、私が何度か呼ぶうちに慣れてきたみたいで、そのうち「マーちゃん」で定着した。

 

 因みに私は、いつの間にか「ショーナン」と呼ばれていた。ゆでたまごを食べていたときに、口がパサパサして塩が欲しくなって、やたらと「しおないの?」と訊いていたかららしい。

 

 

 私たちは遊んだ。

 雪に絵を描いたり、雪だるまをつくったり、二人だけの雪合戦をしたり。

 夢中で遊んだ。

 

 

 市内に午後五時を知らせる音楽がスピーカーから流れ始めた。ドヴォルザークの交響曲第九番第二楽章 ──私にとっては当時も今も「遠き山に日は落ちて」── を聴いた途端、ようやく我に返った。

 

 まずい。

 

「あ、もうこんなじかん。かえんなきゃ」

 

 そう言って雪だるまへの飾りつけの手を止めたマーちゃんは、私の顔を見て少し驚いたようだった。

 

「どうしたの、そんなカオして?」

「みちがわからない」

「ん?」

「ウチへのかえりみち、わからない」

「へ?」

 

 マーちゃんの目がまん丸になる。

 私は、ここまで辿り着いた経緯をマーちゃんに話した。

 

「わ、そりゃ、こまったね」

「マーちゃんちは、このへんなの?」

「うん。ショーナンは?」

「ウチ、けっこうとおくからきたんだ」

「そうなんだ…」

 

 マーちゃんは、しばらく何か考えていたみたいだったが、顔を上げ、

 

「そうだ、デンワして、むかえにきてもらいなよ」

「でんわ?」

「ちょっとまってて」

 

 マーちゃんは、自分のリュックから小銭入れを取り出し、中から十円玉を二枚つまんで渡してくれた。

 

「ほら、これあげるから、そこのデンワからかけなよ」

 

 マーちゃんは、公園内に設置されていた公衆電話ボックスを指し示した。

 その頃、私は携帯電話を持っていなかったのだ。

 

 マーちゃんと一緒に電話ボックスに入る。

 小さかったから、二人でも余裕な空間。

 私は恐る恐る、家へ電話した。

 案の定、凄く叱られた。

 場所を訊かれて困っていたら、横からマーちゃんが公園の名前を教えてくれた。

 親は、すぐに迎えに来ると言ってくれた。

 

 電話ボックスを出てから、マーちゃんはちょっと悪戯っぽい顔で訊いてきた。

 

「おこられた?」

「うん、すっごく」

「かえりたくない?」

 

 私は、ちょっと迷ってから首を振った。

それを見て、マーちゃんはニカッと笑った。

 

 

 マーちゃんは、親が来るまで一緒に待っていてくれると言ったけど、私がそれを断った。

 

「いいよ、マーちゃんも、はやくかえらないとマズいでしょ?」

 

 マーちゃんは、それなら一度家に帰って、親と一緒に戻ってくるとまで言ってくれたが、それも断った。

 

 当然、こんな時間に幼い子供ひとりが公園にいるなんて、この物騒な世の中では危ないことだと、今の私は思う。

 当時だって、ひとりぼっちで待つことは、とても心細かった。

 闇への恐怖心は、子どもの頃の方が圧倒的に強い。

 

 だけれども、マーちゃんの家族にも悪いし、それに、自分の家族を見られるのが恥ずかしい気持ちが、私にそうさせた。

 もしかしたら、ほかに別な思いもあったかも知れない。

 

 

「じゃあ、かえるね」

「うん、ゆでたまご、ありがとうね。あと、でんわのことも」

「いいよいいよ、たのしかったから」

「ほんと、たのしかったね」

「また、いっしょにあそぼうよ」

「うん、またあそぼ」

 

 手を振ったマーちゃんが、こちらに背中を向けて歩いていく。

 私は、それをずっと見送っていた。

角を曲がるところで、マーちゃんは振り返って、また手を振って、やがてその姿は見えなくなった。

 

 それとほぼ同時に、背後で車の停まる音がしたので私はビクッとなった。

 

 子どもが車で誘拐されるのは、あの頃の私でも、テレビのニュースやドラマで見たことがある。

 

 逃げようと思って、半ば駆け出すような体勢になったところで、聴き慣れたクラクションの音がした。

 振り返ると、我が家のボロ自動車が目の前で停まっていた。

 

 小さかったあの頃の私にとっては、随分と歩いてこの公園まで来たつもりだったのだけれども、実際には、家から車で五分程度しか懸からない距離だったのだ。

 

 そして、幼い私が小冒険して見つけたこの公園も、小学生になってからは、お馴染みの場所となる。

 成長するにつれて、この町も小さくなり、家とこの公園との距離は、どんどん近くなっていった。

 

 マーちゃんとは、すぐに会えるかと思って、この公園へもたまに来ていたのだけど、その後の数年間、会うことはなかった。

 

 距離的には家が近くても、学区外だったのだ。

 それでも、近所なのに会えないのは不思議だった。

 

 私がマーちゃんと再会するのは、更に数年後の春。

 二月二十九日のことである──。

 

 

 

 

 

《つづく》

 

 

 


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