影は銀色   作:武太珸瓏

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前編:閏年のあの日

 

 

 マーちゃんと初めて逢った日のことは、よく覚えている。

 

 マーちゃん、という呼び名は、もちろん本名ではない。

 本名をもとにした愛称でもない。

 

 

 出逢ったとき、あの子は沢山の“ゆでたまご”を持っていた。

 ホントに沢山、ゆでたまご()()を、だ。

 

 それを「さあ、食べて食べて」とばかりに私へ振る舞ってくれて、あの子自身も凄く美味しそうにパクパク食べていた。

 ゆでたまご()()を。

 とっても幸せそうに、うっとりと陶酔しながら食べていた。

 

 その様を見た私が、面白がってあの子を「タマゴちゃん」と呼び始め、それがいつの間にか「マゴちゃん」、「マーちゃん」という風に変わっていったというわけだ。

 

 自分で名付けておいてなんだが、(いささ)か面妖な変遷だったと思う。

 たまごが由来の愛称なら「タマちゃん」とでも呼んだ方がまだ自然だろう。「マーちゃん」では、なんだかキュウリのお漬け物みたいだ。

 だから、けっこう後になってから、試しに「タマちゃん」と呼んでみたこともあった。けれど、

「やめてよ、ネコじゃないんだから」

 と、あえなく本人にボツにされてしまった。

 

 

 実は、私があの子を一目見た瞬間、「ゆきんこ」と呼んだのを覚えている。意識せず、思わず出た呼び名だった。

 その呼称も本人に即座に却下されたのだけれど、私があの日、あの公園に来るまでに、見たり聴いたり嗅いだりしてきたことや、あの子と出逢ったときの状況、本人の第一印象などから、雪の精霊「ゆきんこ」の名は自然に発せられたものだった。

 

 

 私の記憶の中で、いちばん最初の閏年(うるうどし)の二月二十九日。

 幼稚園の卒業と小学校への入学を控えて、小さな胸に大きな不安を抱えていた頃。

 あの日のことは今でも鮮明に思い浮かべられる。

 もうすぐお別れの幼稚園の先生が、

「今日は四年に一度のうるう年だから、二月が二十九日まであるのよ」

 と教えてくれたことと、その時期にしては珍しく雪が積もったこと、そして、帰ってから親と大喧嘩して家を飛び出したことなどと、印象的な出来事が多かったためだろう。

 親との喧嘩の理由は覚えていないが、どうせ些細なことから始まったのだと思う。

 所謂、反抗期だったのだろう。

 

 家から脱走した私は、足下の雪を乱暴に蹴り飛ばしたり、道端に作られていた雪だるまに丸めた雪を投げつけたりしながら、ただひたすら、町をさすらっていた。

 後ろから怒った家族が今にも追いかけて来そうで、とにかく、できるだけ遠くまで逃げたかった。

 

 どのくらい歩き回っていたのかは判らない。

 ふと気がつくと、見知らぬ静かな住宅街の中にある、見知らぬ小さな公園の前にいた。

 今になって考えれば不思議なことなのだけれど、大抵こういう雪の積もった日には、公園は子供たちの恰好の遊び場となり、あの時間帯には、もう既に無邪気な小鬼たちに蹂躙されていそうなものだけれども、その公園の雪は、朝から誰にも足を踏み入れられていなかったのか、まっさらな状態を保っていた。

 そういえば、私がここへ来てから一人の人間にも会っていない。これもやはり、今思えば不可解な話である。

 

 しかし、あのときの私は、そんなことは気にすることもなく、目の前一面に広がる、白いふわふわの絨毯(じゅうたん)が敷き詰められたような幻想的な光景に、ただただ魅入っていた。

 雪の匂い。

 (しん)とした静けさ。

 純白の絨毯。

 ジッと眺めているうちに、目がチカチカしてきた。

 

 雪は、あの頃の私の足首くらいまで積もっていた。地面はもちろん、ベンチやブランコ、ジャングルジムや鉄棒などの遊具の上にも。

 よくこんな細い形の物の上にまでのっかっているものだと、公園の入り口の手すりに積もっている雪に触れると、ひと塊の雪がパサッと落ちて、下の雪に呑みこまれた。

 真っ白な上に真っ白なものが落っこちたものだから、(さなが)ら雪原の白兎のように一目では判りにくかったけれども、よく見ると控えめな凹凸と陰影ができていた。

 まっさらな白だったところへ小さな変化が生まれたことが、子どもの私を何故か少しドキッとさせた。

 

 公園の中に視線を戻すと、目が慣れてきたのか、園内にも、そんな凹凸や陰影があることに気がついた。向こうに見えるのは、おそらく砂場だろう。なんだかモコモコしてて、雲みたい。

 

──あの砂場の方まで行ってみよう。

 唐突に私はそう考えた。

 

 とはいえ、これだけきれいに敷かれた白い絨毯に第一歩を踏みだすのには、少し(はばか)りを感じた。美しく整えられた庭園を(けが)すみたいで。

 

 じゃあ、出来るだけ足跡をつけずに砂場まで辿り着くには、どうすれば良いか──

 

 幼い頭なりに思考した結果、なるべく敷地の隅っこや、地面から離れた高いところを伝って、目的地まで進んでいくことにした。

 今となると、何故そんな考えに至ったのか、自分でもワケが判らない。

 

 

 ともかく私は、ひとまず公園の入り口を離れて、道路上を公園の端にあたる位置まで横に移動した。

 そこには、この公園を囲んでいる、太い針金を組まれた柵があり、それ越しに公園内を見れば、蓋のない側溝が、園内を縁どるようにのびていた。側溝の中には水はないようで、底に雪を少し溜めていた。

 

 私は柵に手を掛けてよじ登り始めた。

 幸い荊棘線(ばらせん)ではなかったので、針金が手に刺さる心配はほとんどなかった。

 むしろ、子どもの小さな手なので、指や

足を掛けやすく、猿みたいにスイスイ登れた。

 割と、こういうことをするのが好きな子どもだったのだ、私って。

 なんだか怪盗かスパイにでもなったような気分で、ちょっとワクワクしていた。

 この瞬間を大人に見られたら、きっと叱られるのだろうな、なんて考えながら。

 

 調子にのって柵のてっぺんまで辿り着いて(ようや)く、若干の恐怖感を覚えた。

 大人にとっては大した高さではなくても、小さい子どもにとっては、まるで鉄塔の頂上のようだった。

 

 それでも、こういうことをするのに慣れていた私は、柵のてっぺんをまたいで公園の内側へ体を入れ、柵を降りていった。

 そして、ある程度の高さまできてから、

 

「えいっ」

 

 側溝に向かって飛び降りた。

 着地の瞬間、ズルッと足が滑りそうになったが、なんとか持ちこたえた。

 危ない危ない。

 

 そのまま側溝を通路代わりにして、しばらく進み、ベンチのあるところまで到着。

 自分の位置から、ベンチと目的地の砂場が一直線に見えた。

 

 私の計画はこうだった。

 まずは目の前のベンチに飛び移り、そこから跳んで砂場へ着陸する、というもの。

 我ながら本当に向こう見ずなガキだった。

 もし今の私がその場にいたら、

「そんな危ないことはやめなさい!」

 と、絶対に止めただろう。

 しかし、そこは無人の公園。

 誰もこの無謀な作戦を止める者はなく──

 

「ほっ」

 

 私は、短い手を精一杯のばして、ベンチの背もたれに両手を掛けると、そこを支点にして跳び箱のようにジャンプし、ベンチの座席の上に着地した。

 危険なアクロバット。

 ただでさえ、失敗したら大怪我の恐れがあったうえに、そのときベンチは雪で滑りやすくなっていたのだから、下手したら大惨事だった。

 

 しかし当時の私は、自分の運動能力に割かし自信を持っていた。幼さゆえの過信、自惚れだった。

 

 その頃、通っていた幼稚園で、仲間内で通称「ヒコーキ」と呼ばれた危険な遊びが流行(はや)っていた。

 鉄棒の上に足を広げて乗り、両足の真ん中で鉄棒をつかんで、ぐるんと回転し、その遠心力で飛ぶという恐ろしい曲芸。

 それが私の得意技だったのだ。

 まだ体が柔らかく身軽だったからできた芸当だろう。

 子どもというものは、時々こうして怖いもの知らずなことをするから怖い。

 

──因みに、(のち)にその幼稚園で「ヒコーキ禁止令」が発布されたのは、また別な話である──

 

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 私は、ベンチの上に立って深呼吸をした。まるで何かの競技の選手の気分。

 はたして、自分の跳躍力で、このベンチから砂場まで上手く飛び移れるか。

 

 両足に力を込める。

 そして、溜めた力を解放するように、思いっきり跳ぶ──

 

 

 バフン。

 

 ……。

 

 跳びすぎた。

 

 私は、砂場に着地というよりもダイブして、雪にうつ伏せで埋まってしまった。

 

 公園の外から見たときにはフワフワして見えた雪は、砂場なのだから当然、その下に大量の砂を埋蔵していたわけで、私は、期待していたフワリとした肌触りではなく、不快なジャリジャリした感触を全身に受けていた。

 口の中で、雪と氷と、砂と泥の混じった変な味がする。

 

 急に、自分のしたことが恥ずかしく思えてきた。

 空しかった。

 

 せめて、誰にも見られていなくて良かった──

 

 そう思ったときだった。

 

「何してるの?」

 

 どこか呆れたような声とともに、銀色の影が目の前に差してきた。

 

 

 

 

 

《つづく》

 

 

 


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