そして少女は夢を見る   作:しんり

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第四十二話

 

 彼女の口から滑り落ちた言葉に、暫しの間衛宮士郎は呆然とした。瞬きさえも忘れたような見事な固まりぶりである。

 けれど水谷響はそれで構わなかった。セイバーとアサシンの決着がつくのが先か、彼の決断が先か。ふたつの道しかないのだから。

 その結末の差異も、そう大きなものではない。だから今彼に伝えたことも、他人から見れば似たようなものだと言われてしまうようなものだ。

 響としては願われてきた末に迎える物語のこの終わりが、彼らの目に悪くないものであれば嬉しいとそう思う。

 

「……水谷は、……そんな人生で本当に、いいのか? お前は魔術師としてすごいと、俺は思った。その力でも、どうにもできないのか?」

「ええ。私の魔術の腕は、人から映し得たようなものですから。私では古き妄執(大聖杯)を無きものにはできません。遠き日の事象を編纂するなど、ひとつの人間の魂で出来よう筈もありませんよ」

 

 確かに聖杯の力でなら可能ではあるだろう。少なくとも、この世全ての悪(アンリ・マユ)のことがなければ。

 彼は人々を呪うだけのものだ。そうあれと望まれたもの。殺すために、生まれ出ようとするだけのもの。

 

「それに、既に存在するものを無にすることは、私にはできない。したくない、とも言えるね。……私という存在()の在り方の問題でもありますが」

 

 くすりと笑う彼女はアサシンへの支援を継続的に行っている。それを士郎が非難するのは違うが、それでもと唇を噛む。

 それでも、魔術の腕は自身よりもずっとずっと上にある。模倣だと言っても、もっと何か、別の方法を考えられてもいいというのに。

 

「…………わかった」

 

 だが、士郎だって響との付き合いはそれなりに長い。たとえここに立っている水谷響が以前の彼女と少し違うのだとしても、根本的なところは変わらない。

 すなわち、なにか(誰か)のためになっているのなら、かまわないだろうという許容。あるいは、許し。

 諦めというには柔らかすぎるそれを、勝手に守った気になっていたけれど。彼女と自分の、性別差以上の断絶は、しかし心の底ではわかっていたことだ。それは変わらない。変わりようがないことだ。

 けれど今は、より理解したからこその選択肢が衛宮士郎の手に残っている。だから。

 

「――――来い! セイバー!」

 

 手の甲が熱くなり、突風と共に数日の内に見慣れた金糸が士郎の視界に映った。その向こうには同じように喚ばれたのか、仮面の女(アサシン)の姿が現れている。

 双方ともに張り詰めた、士郎と響の間には無かったピリリとした殺気が場に広がっていく。しかし「少し話を聞いてくれ」とセイバーに制止の声を上げ、士郎は騎士の華奢な腕を掴む。

 

「なにを……! まだ戦闘は終わっていません、シロウ! ここに令呪をもって喚んだ以上は――」

「それはだめだ! 水谷は死なせられないんだ! 俺はそのためにお前を喚んだ!」

 

 聖剣に魔力を込めようとするセイバーを遮るように言い切り、そう決めたんだと強い眼差しで振り返った青い瞳を見据えた。

 そうして、訝しげな彼女に耳打ちするように簡潔にことの次第と自分の出した結論を告げる。

 

 それを眺めながら響はアサシンを手招き、困ったように微笑んだ。

 

「ごめんなさい、ハサン。私では、あなたを勝たせられなくて」

「そのようなこと、謝らないでください、我が主。セイバーに勝てないのは、我が身が至らぬ故……あなた様に勝利を捧げられぬ私こそが……」

「ふふ、あなたは十分尽くしてくれているわ。だから、いいの。ありがとう。……私の最後のお願いを、聞いてくれる?」

「……はい。勿論です、響様」

 

 セイバーたちの動きを警戒しながらハサンは密かに唇を噛み締めた。ここで主を勝たせても自身の願いが果たせられないことは、わかっていた。だからといって、一切手を抜くことはなく……どころか主の手を借りた上でセイバーに致命的な一撃を食らわせることはついぞできなかったことが、ひどく悔しい。

 そう悔やむハサンの柔らかな髪が撫でられ、柔らかな声音が降り注ぐ。

 仮面の下で目を伏せて聞きながら、あの金色の王はこれが視えていたのだろうかと思う。

 

「これから行うあなたの選択を、どうか気負わないで。アンデルセン(かつての彼)ギルガメッシュ(王様)も関係なく、私の道行は私が定めたもの。だからあなたたちの決めた選択が私を損なうわけではないの。大丈夫」

 

 自身の決断を促す、愛おしくもひどい人の綻ぶようなこの笑みが。生命を脅かす呪いそのものに飲まれながらもその形は失われないでいることへの安堵を覚える自分を。

 ……いや。どちらでも構うまい。ハサンにとっては水谷響という存在が少しでも長き時を生きることだけが大切なことなのだから。その願いは、それこそ彼女を主と認めた瞬間から抱いているものだ。

 ハサンの願いは、既に叶えられているからこそ。いいやむしろそれは願った以上の、両腕で抱えきれないほどの幸福(余白)で。故に彼女は、思念(パス)を通して聞いていたその事実の前に使い所に迷っていた刃へと手を伸ばす。

 

 

 ――――聖杯戦争の終焉は、もうすぐそこに。

 

 

 一方で士郎からもたらされた大聖杯についての真実に、セイバーは苦り切ったような顔で聖剣を握りしめる。なんだ、それはと吐き捨てたくなるのを堪えているようでもあった。

 そのまま黙り込む彼女に、前回の聖杯戦争でのことを思い返しているのだろうと士郎は思う。切嗣がどんな考えでセイバーに聖杯を破壊させたのか、その答えの一端でもあったはずだ。

 

「……シロウは、この儀式ごと壊してしまいたい、というのですね」

「ああ。このままにはしておけない。だからセイバー。――お前に、大聖杯を破壊してほしい」

 

 衛宮士郎もまた、過程は違えども同じ結末を選ぶ。それが全てにとってよいことだと信じて。水谷(友人)を、少しでも守れるのだと信じて。

 これは切嗣とは似ているようで似ていない道だろう。己の思う正義の味方でもないだろう。それでも、選んだことに後悔なんてない。

 

「…………」

 

 その決然とした表情に、セイバーは細く長いため息を吐き出した。士郎から伝え聞いた響の言葉を信じるのならば、確かにこの聖杯は自分には必要のないものだ。自分自身が変じたとしても願いは叶わぬのならば。

 だが、ひどく複雑だ。確かにあの時――前回の聖杯戦争と違い、士郎はセイバーの意志を確認してくれている。だから多少、納得はいく。それが信じられる真実かは別物として。

 

「…………いいでしょう、シロウ」

「! ああ、わかった。ありがとう、セイバー」

 

 しかし長い沈黙の後に彼女が出した答えは、肯定だった。直感としても、サーヴァントとしても、マスターである士郎の言を疑ってはいなかったのが大きいだろう。

 それに、サーヴァントこそ暗殺者(アサシン)であったが、水谷響の戦法それそのものに卑劣な行いがなかったから、というのもある。ギルガメッシュ(英雄王)が気がかりではあるが、あの男の執着は響へと向けられている。それこそ、前回の聖杯戦争から。

 だからこそ彼女へと聞かねばならぬだろうと剣をあえて下げ、響とアサシンへと向かい直した。

 

「ヒビキ。貴方に少々、聞きたいことがある」

「はい。構いませんよ、セイバー。何でしょうか?」

 

 返ってくる笑みには、記憶に残る面差しとはあまり重ならない。だがどこまでも自然体でいる雰囲気は、はじめて彼女を認識した時と同じような気がする。

 そもそも直接顔を見たのは二度だけ、ではあるが。

 

「ギルガメッシュが貴女の側にいると聞いた。彼奴を放置しては何が起きるかわからない。貴女はそれをどうするつもりだ?」

「そうですね……確かにあの人は受肉してもなお強大な力を持っています。少なくとも私が生きている間は何もしませんよ。まぁ自惚れといえばそうかもしれませんが」

「……しかし貴女は長生きできないと、自身で確信しているのだろう?」

 

 少なくとも士郎伝いに聞いた話ではそうだと思えた。

 だが確かに、改めて彼女を見やると違和感を覚える気配を感じる。それが何、とはやや言葉にはし難いが、聖杯の呪いが所以と考えればそうした類のものと彼女自身が混ざり合っているからだろうか。死の気配、にも似ているといえば似てはいる。

 

「セイバーの心配は理解できます。彼は気分屋の王様ですからね。……だけど、大丈夫ですよ。なんだかんだ愉しみを見出すことが得意な人ですから。でもそうですね。聖杯が貴女の願いを叶えられない以上は、そちらについて努力させていただきます。多少のお願いくらいは聞いてくれると思うので……」

「……そうか。では、そのように」

 

 凪いだ眼差しをじっと見つめ、セイバーはゆっくりと頷いた。自分の不始末ではあっただろうが、受肉している以上後のことは現代に生きる者たちに任せるべきなのだろう。

 あの男が人類にとって高き壁となるのかどうかはわからないが。少なくとも、時間の猶予は得られるのだろう。この大聖杯を壊したのならば。

 

「シロウ」

 

 だから未だ未熟さの残るマスターに彼女は後事の懸念とここに至るまで協力してきた遠坂凛への言伝を託し、黄金に輝く聖剣を掲げた。

 その光が集束し、膨らんでいく中で。

 

「……響様」

 

 ハサンは振り返る主を見つめ、ギルガメッシュから渡された刃――契約破りの短剣ともいうべきそれ――を胸の前に持ち上げた。それの意図するものを読み取った響はいつもと同じ微笑みで、うんとひとつ頷く。

 その笑みを目に焼き付けながら、ハサンはゆっくりとその刃を彼女の胸へと沈める。

 

 ――かつてのハサン・サッバーハ(毒の娘)としての行為とは、これは違う。違う意味を持つ、行いだ。それが何だという話ではあろうが、静謐のハサンにとってはそれそのものに価値があるものだ。

 

「ありがとう、ハサン。私のアサシン。あなたに会えて、良かった」

「私も、貴女に会えて幸せでした、響様――」

 

 金の極光が龍洞を満たす中で、二人はいつものように微笑みあって――――そうして、すべては光に飲み込まれていく。

 終わりを示すように。されど始まりを告げる朝焼けのように。


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