そして少女は夢を見る   作:しんり

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長らくお待たせいたしました!完結まで30分間隔で更新します。よろしくお願い致します。 (1/5)


第三十九話

 

 夜空を照らす極光を背に、咳き込みながら立つ姿がひとつ。やや疲れた顔をして、その手がパシパシと己の肉体を叩く。

 それだけで痛々しい裂傷が、流れていた鮮血が、破れた布地が魔法のように元に戻っていった。地面に広がった血の跡だけを残して。

 

「ふぅ……」

 

 ため息、次いで首を振った響が地面から空。空からビルの方へと視線を流してゆっくりと首を傾げる。

 氷の茨は暴風に打ち砕かれ、形がなくなったからよく見えるが、どうやら間桐と衛宮の戦いは衛宮の勝利に収まったらしい。下の、セイバーとライダーの戦いと同じくして。

 けれどその頬は腫れ上がり、腕も疲労からか脱力しきって力なく揺れていた。眺めていると彼は何事かを間桐へと呟き、ゆるゆると周囲へと巡らせた目が、響へと向けられ。

 

「…………」

 

 数度瞬いた。それから少し離れたところで崩れ落ちたまま浅く呼吸する遠坂の元へと焦りながら、しかしゆっくりと歩み寄っていく。

 それを見た響は少しだけ考えて、間桐の方へと近づいて「大丈夫ですか」と声をかけて微笑んだ。

 

「……無事に、見えるかよ……」

「ふふ、そう言えるなら大丈夫そうですね。良かった」

「…………フン」

 

 大の字で転がっている間桐の顔も、随分と腫れ上がっている。服もあちこち汚れて、いつもの自信に満ちてカッコつけた姿とは正反対だ。

 ――だが、それでも。

 

「清々したって感じがしますね?」

「誰がだよ、バーカ。……でもまぁ……そう、だね。…………悪く、ない気分だよ……痛いし、疲れた、けど……」

 

 言いながら、間桐の瞼はゆっくりと落ちていく。張り詰めた糸が途切れたように、プツリと黒く意識が塗り潰されたように。

 そんな彼に心底から労るように笑みを浮かべ、キャスターの使う転移を再現した魔術の中に沈めて飛ばす。当然魔力の消耗は激しいが、むしろ今の響にとってはちょうどいい。

 友人をはじめとした、普通の魔術師に近い人には怒られてしまいそうな考えではあるだろうが。

 

「水、谷。……なぁ、お前は……遠坂に、何をしたんだ」

「何をと言っても、衛宮君。殺してはいないはずですよ?」

 

 小さく、しかし確かに届いた疑問に振り返り、クスクスと笑い声をあげる。かわいいハサンは、どうやら命までは取らずにいたらしい。響の用意したひとつきりの礼装を用いて。

 殺して欲しいとも、死なせてもいいとも特別思っていないマスターの考えを尊重する、とてもいい子だ。これは後でいっぱい褒めよう。

 ちょうどよく背後に戻ってきたハサンの無くなった片腕をもとに戻しながらそう伝えると。彼女は嬉しそうに頷いた。もっと我儘を言ってくれても構わないが……今は少しだけおいておこうか。

 

「遠坂さん程の方なら然る場所で療養すれば二、三日もしない内に回復してしまうかと」

「…………どう、して」

 

 それは何に対する言葉だろう。彼の中でも明確な形になっていないものに、答えるのも躊躇われる。

 いやそれよりも以前に、敵だと言い切った相手に未だ対話を求めようとするなんて、衛宮君は本当に優しいんだから。そう小さく苦笑が溢れる。

 

「その調子では、私を()せませんよ衛宮君」

「っ……!」

 

 軽い足取りで近づき、囁いた言葉に体が硬直した。どうしてそんな事を今言うのかと。

 戸惑う様子を見ながら響はゆっくりと手を持ち上げる。

 

「ひとつ言っておきますが……誰かを助けたいなら、私は対象となりえません。私は尽くし、叶えるものだから。だからね、直感を疑わないで。迷わないで。躊躇わないで――――止めなければならないと思った時は殺したほうがいいですよ」

 

 そして指先を唇に押し当てた。何かを言うことを禁じるような、しかし柔らかな手付きで。その眼差しも慈愛に満ちたものだ。

 自分を通して、何かを見透かすような。そんなものさえ感じて。色々な感情が荒波を立てるのが、慎二との戦いで腫れた顔がじくじくと痛むのと同期するようだ。

 

「とはいえ。君が殺せなかったとしても、私はそう長生きはできないでしょうけれど。……それではまた明日。聖杯の眠る場所で、最後の戦いと致しましょうね。衛宮君」

 

 緊張とも呆然ともいえる状態の士郎の視界で何時もの水谷響らしい笑みが浮かぶ。しかしそれを認識した瞬間には、離れていった。そうして瞬きの間に、姿が掻き消える。

 残された衛宮士郎はぼんやりと、背後で力強く地面を踏みしめるような足音がするまでビルの風景を眺めていた。体感としては、ひどく長い間。ただただ茫洋と。

 

 

 ――反対に。自宅まで転移した響は流石にといった様子で疲れた顔となってソファに背を預けた。

 

「響様……」

 

 霊体化を解いたハサンは心配そうに声をかけ、跪き眉尻を下げる。その様子に小さく笑って、紫の髪を掻き回した響は「大丈夫」と呟く。

 

「……ねぇ、ハサン」

 

 ぽすりと体を横に倒し、ハサンに目を合わせた顔に苦笑が滲む。視界の中には泣きそうにも見える眼差しがあった。

 

「貴女が悲しむ事はないですよ。王様がどうこう以前に元々死に損なったものですから」

「でも、それでも、響様、貴女はもっと……普通に、生きられる、はずです。今からでも、きっと」

「…………ふふふ、ハサンは難しい事を願うんだから。ああでも……それ、なら……彼の願いは、叶えられていると言えるのでしょうか……」

 

 優しく頭を抱きしめて、うつらと意識が微睡んでいく。腕を伸ばして抱きしめ返したハサンはくしゃりと顔を歪めて暫しの間そのままでいた。

 一秒でも長く、この時が続けばいい。このまま、ずっと。ずっと…………。

 永遠なんて存在しないと、わかっていても。

 

「随分消耗したようだな」

「…………英雄王」

 

 一時間程経った頃。ガチャリとドアが開き、やってきたのは金の偉丈夫であった。いや、この家を我が城とばかりに自由に過ごす男だ。どうせ今日もゴロゴロと過ごしていたのだろう。

 

「ハ、愉快な顔をしているな。その顔に免じて何があったのか聞いてやらん事もないぞ、暗殺者」

 

 一人がけのソファの方へと腰を下ろし、赤い瞳をニヤつかせて英雄王はそう促す。主をこんな事にしたのは目の前の男だというのに、それでも言葉にさせようとするあたり意地が悪い。

 響はよき王様だというが、本当にどこがよいのかとハサンは思ってしまう。

 

「……ライダーと共に、セイバーと戦ったまでです。その際、響様は致命傷を負いました。ですが、ご自身のお力で回復されました。転移の魔術も行使した事で魔力消耗が激しくお眠りになっています」

「ほう。それで?」

「…………それで、と言われましても」

 

 いやわかっている。この男が言わせたいのは、もっと根本的なところだ。

 即ちは、主の――――。

 

「響様は、……少しだけ、飲み込まれていたように思います。……でも、先程の響様は、響様で……けれど私は……私は我が主を手に掛けたくは、ありません。英雄王、ギルガメッシュ――何故、なのですか」

 

 何故。何が、彼女をそうさせる。彼女が彼女であることに変わりがないが、それでも。

 

「響様はどうして、そのままで幸せになれるはずなのに」

 

 その言葉に、ギルガメッシュはふむと考える仕草で部屋の一角を一瞥した。方向的には、響の部屋がある方だ。

 十年前の聖杯戦争を、思い出しでもしているのだろうか。あまり主自身も話すことの少ない、短い日々のことを。

 ハサンは深く聞くことはしなかった日々。そこにこの男も僅かに関わっていたことだけは聞き及んでいた。

 

「……アレは変化を望まれたようだからな。我という存在の前にあったものを色々な面で噛み砕いた結果だろうよ。そして我の言葉が、言峰の望みが、聖杯と定義されたものがアレを今の形にしたにすぎん」

 

 緩やかに弧を描いた眼差しが、静かに眠る顔を見下ろす。その赤い瞳が視る先には、果たしてどう映っているのか。

 ……この男の視界を理解出来る日はこないだろう、と思う。生前の立場の違いも、見ていた景色の違いも関係なく、この男の事をハサンは嫌いだから。だからこそ、たとえ無礼と言われようとも真っ直ぐにその瞳を見据える。

 

「聖杯が、何かを望むと?」

「正確には中身のものだがな。アレは」

 

 くつり、と喉を震わせた男に、不可解だと眉根が寄った。聖杯の中身。願いを叶える杯の、中には何があるというのか。

 主は何かを知ってるのか……いや。きっと、わかっている。おそらくは主である響が認識してなくても、その本質は知っているのだろう。魂、ともいうべき無意識の空白で。

 

「――――呪いであろうとなかろうと、望まれたものを叶えるだけだろう。響も、そして聖杯もな」

 

 道具というのはそういうものだ。だが、とギルガメッシュは意識せず笑みを浮かべて宝物庫に腕を伸ばした。

 空に描かれた金色の波紋。そこから取り出した物が、アサシンへと向けられる。

 

「我の宝物庫には、全ての宝具の原形となりえる物が眠る。その内のひとつを我は貴様に授けよう」

「…………」

「扱いも結末も、盤上の駒たる貴様が選ぶものだ。が、我の期待に応えてみせよ、毒の娘」

 

 楽しげに言って、ハサンの持ち上げた手に刃を乗せたギルガメッシュは立ち上がった。

 

「…………、……感謝します、英雄王」

 

 その気配が遠のいたのを感じ取り、ハサンはゆっくりと目を閉じる。

 思えば、長いようで短い日々だった。静謐のハサンにとってはまさしく夢のような日々。普通の人のように遊んで、笑って、触れ合って。最高の主であり、こう呼ぶのも烏滸がましいだろうが、最愛の友であったのだ。

 だからこそ、ではないけれど。……心は、決まった。

 

「響様。どうか」

 

 呟くように願う。何をおいても幸せに、長く生きてくれたのならば、と。

 ハサンは強く強く、拳を握りしめた。水谷響(マスター)は人生というものの長短に重きをおくことはないとわかっているけれど。

 そうだとしても、願わずにはいられなかった。


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