何でも持っているようで、一番欲しかったものを慎二は持っていなかった。だが今この場では、才能がないなりに欲しかった力を手にして立てている。
そして、彼の衛宮士郎に対する感情は簡単なものだ。
僕をその辺の有象無象と変わりなく扱うなんて! という苛立ちからくる怒りである。
出会った頃はまだ、そんな事はなかった。慎二が思うように適当に話して、引っ張って、振り回して。だがいつからか、対等であったはずの関係は離れていた。いや、元々違っていたが。それでも、何でもかんでも頷くなんて、違うだろ。もっと、あったはずだ。イエスマンを友達にしたってつまんないんだから。
しかし中学の頃よりずっと、へらへら何でも請け負って慎二の声かけにも色良い返事を返さない衛宮に、そしてその家に入り浸るようになった妹に、ムカついた。
厄介な性格だが、慎二は自分を優先されたい質だったのでそれはもう大変苛立ったのである。それはこうして相対しても無くならない。
「いいかい、衛宮。僕はな、お前が大嫌いだ」
「だから戦うっていうのか?」
「ああそうさ」
桜の令呪を用いて己のサーヴァントとして使役するライダーをチラリと一瞥し、ニヤリと笑う。
ただひとつ、自分に無かったもの。それを衛宮が持ってると知って、腹が立った。遠坂と組むと言って誘いを断られたのも、そりゃもう心底腹が立った。
だがそれでこの機会が得られたのだと思えば、水谷には感謝しなければならないな。
「僕はお前の顔が変わるまで殴らないと、気がすまないものでね」
「……そうか。幾ら慎二でも、容赦しないぞ」
「そりゃ好都合、だよ!!」
痛いのは嫌いだ。だが、多少の痛みにはこの数日で慣れたものだ。それに、大変癪だけど攻撃に対する反射は何故かアサシンに鍛えられた。あいつ、水谷が見てなかったら命を取るぎりぎりを突いてきやがったからな。おじいさまの件の後はめっきりなくなったが。
ああ、それにそう。おじいさま。今朝ようやっと姿を現した祖父は随分と変わり果てた姿だった。まるで小人にでもなったような一匹の小さな虫の羽を生やした祖父を最初に見た感想は、ホントに生きてるんだという安堵だった。
とはいえ、そんな祖父から与えられたものなんて、なにもない。……いや、出かけようとする前に一言だけ。
「ッ!」
流れる水のように、動かす事。あの翁には考えられなかった事だが、その言葉の意味は正しく魔術へのアドバイスだったのだろう。
意識をすれば、確かに多少はマシになっていた。
「……ハッ、そんなもんかよ!?」
「く、そ……!」
「いいねぇ、その顔!」
辛うじて魔術で身体強化をした、泥のような殴り合い。慎二も、士郎も、その顔にはギラリとした戦意が宿っている。
だがそれもビルの外に吹き飛ばすほどの力のない、ただの喧嘩の延長線。
そんな男二人の泥臭い戦いとは反対に、サーヴァントの戦いはより激しく火花を散らして夜闇を踊っていた。
「……、……」
タンクの上やらマスター同士の戦いの間に着地したりしながらも、素早い動きでライダーが踏み込む。対するセイバーはその場から動かず、最低限の反撃をしながら注意深く周囲を警戒していた。
ジリジリと屋上の縁に押し出されてはいるが、一歩、二歩と動けば済む話。だからこそ、影も形も見えないアサシンへの警戒に意識を割いていた。
無論自分への攻撃ならば難なく反撃出来よう。単純な白兵戦であればライダーと組まれても問題はないつもりだ。
しかし、それぞれ戦っている現状でマスターを狙われてしまえば状況は一転する。どういった手合の暗殺者なのかもわからないのがもどかしい。近くにいると直感はあるが、情報はそれだけ。
わかることがあるならば、とチラリと凛と水谷響の戦いを一瞥する。
「っの、意外とやるわね、水谷さん」
「遠坂さんにお褒めいただけるなんて、光栄です」
ガンドは如何なる技か打ち消されると判断し、近接戦闘に持ち込もうと駆け出した凛。一瞬きょとりと目を丸くした水谷は、それでも焦る事なく小石を転がして。
「イーサ」
「!? ルーン、魔術……!!」
小石に刻まれた魔術を呟いた途端、そう広くもないビルの屋上に急速に氷の茨が壁のように盛り上がり、広がった。奇しくも、サーヴァントとマスターを分断する形で。
跳ねるように飛びよけ、セイバーの横に綺麗に着地して凛はギュッと眉根を寄せた。
「……リン、後ろに」
こうなれば、とセイバーは手の内の宝剣の切っ先を、氷の陰からひょいと顔を出した水谷がいる方向へと向けた。直後、キュルリと逆巻く風が指向性を持って迸る。
「『風王結界』ッ!」
風王結界。宝剣を覆い隠していた風の鞘。
解放されたその風は竜巻のような激しい渦を起こしながら氷を割砕き、真っ直ぐに突き進んでいく。
その、刹那の間に。
「ッ!?」
「フゥゥ――」
背後からぬるりと湿った気配がして、セイバーは振り返った。宝具による攻撃。しかし直感が働かなかったのは。
「あ……? うっ、ゲボッ?!」
「リン……! このっ」
遠坂凛を狙ったものだったから、だろう。振り抜いた剣を腕で受け流した仮面の女はトンッと踊るように後退し、屋上のフェンスに危なげなく乗り立った。
闇夜に紛れるような黒い服。薄黒い肌。しなやかな肉体美を持つ、サーヴァント。
その攻撃は、如何なる効果を持ったものか。背後から頬を両手で包まれ、耳に唇が触れた感触がしたけれど、と床に崩れ落ちた凛は息苦しい胸を押さえ、また咳き込む。
「……ライダー、やりますよ」
「ええ。遠慮なく」
たらりと血を流しながら、アサシンが宙を跳ねる。合わせるように、何やら眼帯を外したライダーが氷の壁を蹴りながら近づき腕を振り被った。
不味い、とセイバーは思う。凛は見るからに毒に侵されている。そして、思った以上に二騎のサーヴァントのコンビネーションが良い。
このまま凛を守りながらでは敗れてしまう可能性もある。ならば――。
「はぁぁぁ!」
逆に力づくで押し込んで、ビルより外へと長身の女を弾き飛ばす。続けて背後のアサシンの腕を掴み、放り投げる。掴めるかどうかは直感ではあったが、上手くいったか。
小さくそう判断し、追いかけるようにセイバーもまたビルの縁のフェンスへ足をかけ、それから。
「させ、るか……!」
「ッ――――」
落ちながら、更にビルの壁を蹴ることで加速し、宝具を使うべく魔力を高めていたライダーへと宝剣を振り下ろす。ザクリと刺さった、あるいは吹き飛んだ腕が後方へと飛んでいく。
――薄黒く、細い腕が。そして、白い翼の生えた天馬が。
「フ――『
ライダーの手が金の手綱を引き、天馬を空高く走らせる。そうして金の鞭で美しい天馬をパシリと叩き。
「
急降下することで一息にセイバーへと迫った。
「くっ……」
様々な面で後手に回っていると、己の判断に誤りがあったと認めざるを得ない。……だがそれが、どうした。
この程度で終わるはずも、終われるはずもない。聖杯に託すべき願いがあるのだ。負けてなど、いられない。まだ……!
――ガシャァァン
魔力を放出し、風を踏みしめて横飛びにビルの窓ガラスを突き破る。間一髪、
少し経てば回復するようなものだ、が。
「……くるか」
攻撃の余波でガラリと崩れた壁の一部の向こう側。寝静まった街の仄かに明るく、星の輝きの見えない空に白く美しい彗星が如き光が駆け上る。再度の魔力の高まりが、全霊を尽くしてこちらを倒さんとする意思を感じた。
セイバーは一瞬、空を。正確にはビルの屋上にいる二人を思いながら、唇を引き結んだ。
時間は僅かだ。取るべき手段も、限られている。だが、ならば、しかし。
「いや……それでも」
ここに来る前。いや、もうもっと前になるのか。判断は任せると、真っ直ぐな眼差しで言われたことを思い返す。そして、その後の日常と、修練を。
「私はマスターを信じるだけだ」
だからここでライダーを打ち倒さねばならぬ。影を見失ったアサシンは惜しいが、すぐ目の前に見える危機は自分だけのものではない。
故に、セイバーは宝剣を構え、魔力を込めた。
「『
本来の威力からは些か劣る、けれど眩く美しい光の帯がビルの空洞から暗い夜空を穿つように伸びていく。彗星が如きペガサスは、ライダーは歯を食いしばりながらその光の帯へと対抗し――――。
「…………、……」
光の中でふと、柔らかな笑みを唇に浮かべた。悔いが残っていないわけでもないし、思い残すことはある。
それでもきっともう、あの少女の力でマスターが食べ物にされる未来も、己のような怪物になり果てる未来も遠い。だからライダーは微笑んだのだ。
響からもらった
願わくは、とビルの屋上にいる二人の姿を思う。
(シンジ、はまぁ中々しぶといから大丈夫でしょう。……ヒビキは)
あの少女はまた、違うものだ。桜とは違い、怪物とはなり得まい。どちらかといえば、姉たちにも似たものだ。……いや姉たちよりは遥かに人間寄りではあるし恐らく姉たちからは
(形を、喪わないように……願いましょう……サクラを、留めてくれた、貴女に――――)
消えゆく自分に出来るのは、その先行きが悍ましいものでないよう願うだけ。そしてそれは、あの少女には伝わるものだろう。
どんな願いであれ、どんな結果を導き出すのであれ、願いそのものを受け取る彼女には。
そうして静かに願うライダーは眩い光が途切れるように、指先から解けるように消えていった。