そして少女は夢を見る   作:しんり

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第三十七話

 ビルの屋上が戦場に変わったのは一瞬だった。

 答えを返した響が一歩引き下がるのと代わるようにライダーが、士郎の腕を引き背にしたセイバーが、己が武器をぶつけ合い弾き合う。

 そこから駆け出し目まぐるしく動く二騎のサーヴァントを他所にして、遠坂もまた腕を上げて指を突き出し。

 

「おっと、間桐君。アレは当たったら危ないですよ? 気をつけてくださいね」

 

 指先から呪いの塊(ガンド)を放つ。当たれば確実に戦力を削げたろうが、余裕綽々とした微笑みが崩れることはない。

 あまりに急な展開を前に、士郎はイリヤスフィールとの会話を思い出すのだった。

 

 

 ――聖杯戦争の戦況は士郎とセイバーを他所に随分と変化していた。

 協力者である遠坂とキャスターを追いかけていたものの、見事にそのマスター共々返り討ちにされ、アーチャーは敗れ。その後もキャスターの足取りを追うものの思うように情報は得られずにいて。しかし新都ではキャスターによる被害(ガス漏れによる事故と片付けられているが)は続いていた。

 慎二は恐らく家にいただろうが、下手に刺激しなくても彼ならばどうにでもできるだろうという遠坂の言葉の通り、真剣に話せばわかってくれる奴だしと頷いたものだ。それに以前、停戦の約束とは言わないまでもとりあえず暫くは戦わない口約束をしているし。

 

 そういった訳で、状況を打破すべく士郎が提案したのはバーサーカーのマスターであるイリヤスフィールと話をつけようというものだった。無論危険性は高い。けれど、このまま何も出来ないでいるよりはいいと思ったのだ。

 遠坂には随分呆れられたしセイバーにはかなり渋い顔をされてしまったが。それでも、少し前に公園で会って話した時の昼間は戦わないという少女の言葉を信じたかったから。

 賭けではあったが、それでも士郎はそれを選んだ。

 

「……私はもうマスターじゃないわ」

 

 けれど深い森の奥。城と呼ぶに相応しいその場所で三人を出迎えた冬を体現するような少女はそう首を振ったのだ。

 どういう事だ、と驚く言葉にイリヤスフィールは「そのままの意味よ」とツンと澄ました顔で肩を竦め、応接間らしき部屋へと案内してくれた。

 

「バーサーカーはランサーに負けて、私はヒビキに負けたのよ」

「あのバーサーカーに……」

「ええ。だからあなた達に与えられる情報は敗者に相応しく限らせてもらうわ。勝ったのはヒビキだもの」

 

 そう言う割にはかなり不満そうな顔をしているが。それほど、敗北が屈辱だったのだろうか。確かにイリヤの強さはとてもじゃないが簡単に勝てるものではなかったろう。

 水谷はそれほどまでに、強かったのか。

 

「……アレは、違うわ。アレに勝ちも負けもない」

 

 ――また、その言い方。前日に金色の男からも飛び出した、物に対するような。そんな、示し方。

 

「悪いけど、ヒビキに簡単に勝てると思わない事ね。彼女、アサシンのマスターでもあるもの」

「なっ……どういうこと、イリヤスフィール。サーヴァントを二騎も使役してるって? 冗談はよしてよね」

「冗談じゃないわ。元々ランサーの方がイレギュラーな契約だったんじゃないかしら? はじめに戦った時、中途半端な契約をしていたようだし」

 

 キャスターは柳洞寺。ライダーは間桐。アーチャーは遠坂凛。セイバーは衛宮士郎。ランサーと、そしてアサシンは水谷響。これで数は合う。

 メイドから受け取った駒をひとつずつコトリと並べ、バーサーカーの駒を片手にしたまま少女が唇を不機嫌に曲げる。

 

「それよりも厄介なのが居るようだから気をつけた方がいいわよ。私の知らない奴が、いいえ…………薄らげた記憶とアインツベルンに渡った記録が確かならば」

 

 そっと駒を机に置いたイリヤスフィールは、駒を倒していく。コトン、コトンと。

 最後に残ったのは――――。

 

「前回の聖杯戦争に呼ばれたサーヴァント、アーチャー。英雄王ギルガメッシュが、あなたたちの真の敵だわ」

 

 瞬間、ガチャリと鎧の音を勢いよく立ててセイバーが立ち上がる。その顔には困惑と驚愕に染まっていて、「馬鹿な」と呟く声は震えている。

 

「……私も目を疑ったけれど、アレは確かにサーヴァントの力を持っているわ。いかな理由で退去せず残っているのかはわからないけれど。そのあたりは貴女の方が詳しいのではなくて、セイバー」

 

 鋭く目を細めたイリヤスフィールが「それとも」と更に声を尖らせる。

 

「アーサー・ペンドラゴンと呼んだ方がいいかしら? ねぇ、裏切り者(キリツグ)のサーヴァントだった貴女。その様子では、サーヴァントのくせに前回の記憶があるようだけど」

「っ……!」

 

 息を飲んだのは、誰だったか。アーサー。アーサー・ペンドラゴン。かの有名な騎士王の名を堂々と明かされて、戸惑わずにはいられない。

 切嗣がアインツベルンの下でマスターとして聖杯戦争に参加した事は、知っている。セイバーと言峰の二人の情報があったのだから。

 だから確かに、アインツベルンとして前回の記録を確認しているのも頷ける。だがしかし、ここまで刺々しくセイバーを睨むのは、果たして聖杯を得られなかったからなのか。それとも、セイバーが聖杯を破壊した事をアインツベルンが知っているからか。

 

「…………確かに、私は前回。十年前の聖杯戦争についての記憶があります。ですがそれでは貴女は、本当に、イリヤスフィール、ですか? アイリスフィールと、そしてキリツグのご息女の」

 

 まさか、という含みの込められた言葉に士郎までも馬鹿な、と小さく呟く。イリヤスフィールが、切嗣の娘?

 

「――ホントに覚えてるんだ。ええ、確かに私の記憶も間違いじゃないのね。お母様の護衛をしてたものね。私を見てたって、知ってるわ。……直接会った事は、一度も無かったけど」

「はい……そう、ですね。…………情報がアインツベルンに渡っているでしょうが。キリツグは、最後の戦いにおいてアインツベルンを確かに裏切ったと言えるでしょう。私に、聖杯を破壊する事を命じる事によって」

 

 その理由までは知らないがと続けて、力を無くしたようにゆるゆるとした動作でソファに腰を下ろしてセイバーは首を振った。

 

「聖杯を破壊した後は、私にはわかりません。全ての令呪を用い、破壊を命じられた私は退去してしまったのですから。我が宝具はアーチャーをも巻き込んだはずですが、貴女の言葉が正しいのならば彼はどういう手を使ったのか、聖杯戦争より後を生き延びたのでしょう」

「そう。なら、あなた達の敵はわかるわね。ヒビキと、そしてギルガメッシュ。最後に残る倒すべき敵は、アレらよ」

 

 早くしないと、水谷響がキャスターもライダーも飲み込んで勝利に近づいてしまうかもねと意地悪げに笑って、イリヤスフィールは立ち上がった。

 それならば、まだセイバーがここに居る今勝者にはなり得まい。しかしギルガメッシュという存在が、立ちはだかるのだろう。

 そして、その理由も士郎にはわかっていた。直接見えた事のある、あの金色の男の姿が浮かぶのだから。

 

「リン、トオサカの血脈なんだから、土地の確認もしっかりなさいね。食い潰されても、知らないわよ」

「食い潰される? 誰に……って、ええ、そうよね。話の流れからわかるわよ。でも水谷さんにそんな事ができる器があるとは思わないけど」

「ふふ、そうかもね。――帰りは送ってあげる。セラ、準備を」

「はい」

 

 あの金色の男が、サーヴァント。それはひどく納得の行く事実だ。あの威圧ひとつで、息が詰まったのだから。

 敵だとも、直接に言われているのもあるが、だがそうだとしてどうして。どうしてだ、と思う。

 

「……イリヤ。最後にひとつ、教えてくれ」

「なぁに、おにいちゃん」

「水谷が敵だって、どうして思うんだ。あ、いや、直接戦ったんだからそれはそうかもだが」

 

 士郎の言葉にきょとりとしたあどけない表情が返る。自分でも、正直どうしてここまで敵であるかどうかにこだわるのかとは思う。

 確かに認めている自分がいるのに、それでもと。

 

「馬鹿ね。そんなの、当たり前じゃない。……でもね、確かにそれだけじゃないわ。シロウに納得がいくかなんて知らないけど、私と彼女は違うけど同じだからよ」

 

 アインツベルンの傑作としてここにあるイリヤスフィール。そして、ギルガメッシュの所有物である水谷響。なるほど、それは確かに違うようで同じであり、やはり違っている。

 

「シロウ。しょうがないから、お姉ちゃんがいいことを教えてあげる」

 

 くすりと苦笑して、イリヤスフィールは考え込む士郎の頭に手を伸ばした。小さくて白い手が、子供をあやすように動く。

 それに押されて腰を屈めれば、ヒソヒソとした声が耳をくすぐった。

 

「……ヒビキは必ず、あなたの問に答えるわ。そういうものだから。それにきっと、倒したってアレはもう殆ど完成しているの。だけどね、戦う事に意味がないわけではないと思う。あの金色の男がどこまで見通してるのかは、わからないけど」

 

 耳に、というよりは直接耳の奥に響くような声だった。もしかしたら、魔術による念話だったのかもしれない。

 どういう意味かと問い返そうと顔を上げるが、既に手を離し、メイドに命じた以上は仕事は終わりだとばかりに座り直してお茶を飲むイリヤは話を続けるつもりはなかった。

 

 ――――だから、彼女がアドバイスした通りに問うたのだ。敵か、否か。

 是と答えられた今、やはりもう迷いは切り捨てなければならない。

 

「水谷……!」

 

 ここで止める。あの男のいない、ここで。

 それがどんな結末を生むかは後で考える!

 

「っ僕を見ないなんて、いい度胸じゃないか衛宮ァ!」

「慎二……ッ」

 

 そしてその間に滑り込むように、しかし明確なギラついた敵意を剥き出しにした間桐慎二が立ち塞がる。

 グッと一歩踏み込んで振りかぶった拳が、鼻先を掠めた。

 

「水谷の相手は遠坂で、お前の相手はこの僕だ」

 

 決して存在を意識してなかったわけでは、ない。

 だがそれでも、その視線が常に自分と対等ではないと間桐慎二は気づいていた。衛宮士郎本人にそうした認識がないにせよ。

 

 だがようやく。ようやくその視線が、互いの姿を捉えた。


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