広がる土煙にげほっ、と咳を零す。
続けて何度かむせて、涙混じりになる目をやっとの事で薄く開く。
はじめに響の視界に映ったのは、金色の波に沈む盾の影だった。
それから目を凝らし、意識を研ぎ、先の様子を確認をする、と。
落窪んだ地面の中から「ヒュー……ヒュー……」とか細く呼吸するランサーの姿が。
それから、槍に縫い留められたように空を仰ぐバーサーカーの肉塊が、確認できた。
視認ではない。ただ情報として見えたそれは、しかしすぐに肉体の再生をはじめた。
「そら、戻せ」
耳に届いた言葉に、わかっていると小さく頷く。
英霊としての霊核が無事なれば、直ぐにとは言えないが肉体の損傷を戻す程度なら可能だ。
バーサーカーの再生が終わる前に出来るだろうかと首を捻ってしまうが、無理でもランサー自身の戦闘能力で動くだろう。
そう判断した通り、血で染まる青い槍兵はゆらりと立ち上がった。
「ハ」
これで幾度目か。
吐息のように吐き出した笑いを零して、目を眇める。
血で滲んで見えづらい。……そう考えたら、瞬きの間に消え失せた。
思考を読み取って優先順位を決めているのか、と呆れに近い感謝を送りつけて一歩を踏み込む。
――それは、胸に穿たれた槍を抜き捨てたバーサーカーも同時だった。
「――――――!!」
拳が、双方をめがけて空を裂く。
唸るような、突き刺すような勢いで。
「ガッ、ッ――ラァッッ」
真正面から受けるには、分が悪い。
だがそれでもランサーは歯を食いしばりかろうじて頬で受け、顔を横に向ける事で僅かにでも流す。
そうしてその手は分厚い巌を貫き、拳をその腹の中へと押し込めていた。
「
一言。
口の中で転がしただけの言葉は、しかしその真価を示す。
「ッ――――!?」
拳がズルリと引き抜かれた腹の穴から茨のような氷が咲いてゆく。
蔓を掴もうとした手さえも凍てつかせ、巨躯を覆い尽くす。
僅かな動きさえも留めるように。阻むように。その芯まで氷の棺へと埋める。
「これでいっぺん……仕切り直し、だ」
己の朱槍を手元へと呼び戻し、地面へとうちつけて息を吐く。
同時に癒やしのルーンと
僅かに体を休めるその姿を、油断とはとれまい。
戦士としての警戒を怠る事なく視線を敵に向けたままなのだから。
「フゥ――――」
深呼吸するように、数度長い呼吸を繰り返す。
その間にもランサーは思考を巡らせる。
――バーサーカー、真名をヘラクレス。ギリシャの大英雄とされる存在は、なるほど聞きしに勝る豪傑だ。
狂化してなお卓越した戦いぶりは驚嘆に値した。
十二の試練、功業を越えしその身は、十二回の死を乗り越え立ち上がる。
響による反則じみた裏技で手に入れた宝具の
残る六回、どうやってこの英雄を殺したものだか。
ピシッ、バキッ――
内からの熱で溶け、身じろぎでひび割れていく氷を見ながら、クッと喉を鳴らす。
「ま、限界までやるだけだ」
あれこれ考えたところで、小手先だけの策はこの手の相手に通用しない。
だからこそ事前策は幾つか考えてきたわけだが……さて、残る手札で何回殺せるだろう。
少なくとも二、三回はいける、か。
ギルガメッシュは響をこの戦いで死なせるつもりはないようだから、後ろを気にする必要もない。
だから、ああそうだ。
もっともっと、先程までよりずっと、楽しまなければならないだろう。
感覚を研ぎ澄まして、無駄な思考を削ぎ落とす。
極限まで神経を張り詰めさせる。
――そうして見えてくる世界は、何時だって鮮烈だ。
空気を震わせる咆哮。
デタラメに見えるようで、しかし確実に逃げ道を塞ぐ木々の嵐。
槍で心臓を穿たれたながらも岩の如き大剣で自身を傷つける事も厭わぬ一撃。
今度こそ
そうして戻った指でルーンの小石を弾き、その皮膚を爛れさせる。塞がれた傷口に抜き去ることを阻まれた槍を、柔らかくなった肉から引き抜く。
しかしあと何度、その心臓を貫き穿つ事ができるだろうか。そろそろ通りが悪くなってきたし、次はまだ切ってないルーンを使うべきだろうか。
頭の隅で算段をつけながら、腐食した肉体を再生しながらも動くバーサーカーへと更にルーンをもって動きを留め殺すべく朱槍へと魔力を迸らせる。
――幾度となく一進一退の死闘を繰り広げる二騎。
それを見守っていた響とギルガメッシュだが、このまま何もしないでいるつもりはない。響は支援を施しているのだが、それはそれとして。
「そろそろ頃合だろう」
「……そうですね。ランサーももっと大盤振る舞いをしたいそうですし、行きましょうか」
念話で短くやり取りをして、ギルガメッシュの言葉に頷く。
ランサーとはこれで別れることになるかもしれないが、しかしやるべきことが変わりなどしない。それが契約なのだから。
『ランサー』
『おう』
『令呪に願います。巌さえ砕く力を、貴方に。……そして、その力で
『――――おう』
令呪による強化の力が全身へと駆け巡る。
最早肉を裂く事さえ敵わなかった朱槍が、肩の肉を抉るように穿つ。
いよいよ大詰めだ。
遠のく気配を感じながら、ここまで温存していたルーンの小石を弾く。
「よそ見してるようなら」
突進するかのような動きを見せたバーサーカーを阻むように小石が転がる先から枝木が伸びていく。
急速に生い茂り、絡みつき、縛りつけるように。
しかしその程度で阻めるものかといわんばかりに、巨体が大地を蹴り飛ばす。
直線上にはランサーがいる。だが、先をゆこうとする彼女を殺そうとする理知を、その瞳に見た。
己のマスターに危機が及ぶ可能性を察したのか、はたまた逃げるから殺そうとしているのか、彼女ではなくあの男を警戒したのかはわからない。
だが、関係ない。刹那の隙を見逃すものか。
「――――殺す」
自分は戦士だ。出し惜しみなどするつもりはない。
だからこそ、後はただただ残した力を注ぎ込むだけ。
「――――――――!!!!!」
たとえ自身が作り出した火の海の中で戦うのだとしても、この血肉が動く限り戦い続ける。
「 !!」
燃え盛る猛火が、双方の身を焼きながら森を侵食していく。
どちらかが倒れるまで、あるいはどちらもが死ぬまで、焔は燃え続ける。
戦いに、声はない。
重く何かがぶつかり合う音が、ごうごうと燃えあがる火の音に混じって森に響くだけだ。
やがてそれに別の音が紛れ込み、次第にその音を大きくしていった。
ザァァァと最初は細く弱い音が、大きく広く戦場へと降り注ぐ。
森を包むような雨の中、二騎の姿はしかしどこにも見当たらない。
むせ返るほどの黒煙も勢いをなくして鎮み込んで雨と煤けた臭いを残すだけだ。
何も動かない、誰も足を踏み入れない戦場の跡。
微かに金属が何かにぶつかるような音がして、雨音に消え入る。
音の発生源では、確かに誰かが存在したような大きく窪んだ地面が。
その周囲は何かが降り注いだかのように幾つもの穴とも窪みとも言える亀裂が広がっている。
……よく見ればその穴のひとつに、黒いものが転がっていた。
「――……、……」
天を仰ぐそれから、息さえ殆ど聞こえない。
全ての力を無くしたように不格好に倒れたその肉体が、徐々に崩れている。
解れるように、溶けるように、彼は――ランサーは消えていく。
傷と火傷を負った顔を満足げな微笑みに歪めながら。
「…………」
ああ、と瞼が落ちる。
バゼットというマスターに召喚されてからここまで色々とあったものだ。短いようで長い日々が脳裏を過ぎていく。
彼女を殺してマスターにすげ替わった言峰の野郎だとか、ギルガメッシュだとかにはかなり思うところはあるが。
……
たとえ彼女がどんな存在であれ、ものであれ。己が伝えるのはただ一言。
『たのし、かった、ぜ』
全力を出せる戦いを誂えた少女に、感謝を。
最終的に満足が出来たのだから別れを惜しみはしない。悔いることもない。
だから響にかけた願いは、叶うだろう。
――俺が勝ったら、笑えよ。俺の勝利に、笑え。
そうして少女は、蕾がほころぶように微笑んだ。
戦士が望んだように別れは惜しまない。
『ありがとう、ランサー』
だから響は感謝だけを伝える。
その言葉にいつもの声が返らないと知っていても。