そして少女は夢を見る   作:しんり

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長いことお待たせしました……!
タイトルを三十一話とするか閑話休題とするか迷いましたがとにかく更新です。推敲は不十分ですがよろしくお願いします。



第三十一話

 衛宮士郎は一人新都へと足を踏み出していた。

 その片手には綺麗な折り目のついた紙が握りしめられている。

 

 彼の行く先。

 それはあのいけすかない神父のいる教会──ではなく、教会の少し手前にあるひとつの家。

 表道、という文字が彫られた表札を前にして、士郎は躊躇いを見せて紙へと視線を落とす。

 

「ここ……で、間違いないよな」

 

 水谷の伯母に書いてもらったそのメモは、彼女の祖父母の住んでいた家の住所だ。

 詳しい話は聞かなかったが、どうにも彼女はこちらに住まい、学校へと通っていたらしい。

 

「…………」

 

 小さく深呼吸して、チャイムのボタンを押す。

 いてくれればいいのだが、という不安を抱きつつ立ち疎むように人が出てくるのを待つ。

 一分か、二分ほどか。

 もう一度鳴らそうと手を伸ばして、押し込んだところ。

 

「……我の眠りを妨げるとは……雑種風情が、何用だ」

 

 とんでもなく不機嫌そうな顔をした美丈夫が玄関から顔を出した。

 しかしこの男は、以前教会で見た……?

 何故水谷の住まう家から、と戸惑っていると赤い瞳がすうっと細まる。

 

「ふん……貴様か。響ならば居らんぞ」

「は、はあ……えっと、アンタは……?」

 

 つまらなさそうな顔でため息を吐く男に、士郎の足が一歩下がる。

 それでも小さく問いかけたのは、好奇心か。はたまた猜疑心か。

 

「我を知ろうなどと、雑種の癖に不遜な事を。……いや、しかし、そうだな……」

 

 微かに慄きながら様子を窺っていると、男はふと考え込むように士郎を眺めた。

 頭の先から爪先まで、じっくりと検分するように。

 そこにはおよそ感情もなく無機質なまでの冷たさだけを、感じさせる。そんな視線だ。

 思わずごくり、と息を飲み込んだ士郎は息を抑えて男の様子を窺う。

 

 前に見たときも思ったが、存在そのものが凄い威圧感だ。

 見られているだけでじとりと嫌な汗が背筋に流れていく。

 それでも、視線だけはそらせない。

 そらした瞬間に、殺される。理由もなくそう思えるほど、男の威圧は鋭く恐ろしい。

 

「……入れ。この我の暇潰しとなる栄誉を誇るがよい」

 

 フンと鼻を鳴らして扉の向こうに消えた姿に、どうしたものかと躊躇う。

 水谷とあの男の関係はわからないが、女性の住まいに勝手に上がるのはという迷いがあった。

 しかし、ここには知るために来たのだ。

 それに男の正体も気にかかるし、と意を決して門を開く。

 

「お邪魔します……」

 

 つい声を潜めてしまいつつ玄関を上がり、テレビの音がする部屋──居間へと足を踏み入れる。

 真っ先に目についたのは家の主であるかのように堂々とソファに寛ぐ男の姿だった。

 

「何を突っ立っている? 早く我に茶を淹れぬか、雑種」

「は……?」

「──いや待て、確か戸棚の下にワインを置いていたか。我にはワインでよいぞ。代わりに冷蔵庫の茶はくれてやる」

 

 顎で使ってくる男に「早くしろ」と促され、士郎は疑問に思いつつもキッチンへと入る。

 丁寧に使われているのか、キッチンは綺麗なものだ。

 多少調味料の瓶が多いかな、と思うくらいで変わったものもない。

 人の領域を勝手に荒らすみたいで、それに抵抗感がある他は気になることはない。

 気になること、は。

 

「……花、枯れてるな……」

 

 何気なく見た、窓辺の小さな花瓶だった。

 萎びれて茶色く変色し、花弁を落とした花。

 彼女なら気づいて取り替えてそうなものだが、もしかしたら家に戻っていないのかもしれない。

 だからそれは気になるという程でも、ない。はずだ。

 

 どちかというならやはり、あの男の正体こそ気にかかるというもの。

 

「遅いぞ雑種。我を待たせるなど言語道断。次はないと肝に銘じよ。……もっとも、次があるかはわからんがな」

 

 というかこんなにも俺様な人間が世の中にいるのが凄い。

 初めて見たぞ、と少しズレた事をついつい考えてしまいつつも士郎はグラスにワインを注いでテーブルに差し出した。

 

「ふむ。この酒は中々悪くない。取り寄せた甲斐があったというものだ」

 

 機嫌よくなってワインを堪能しだした男の変わりぶりに呆気にとられる。

 何が気に触れる事なのかも分からないまま少し離れてカーペットの上に座って、士郎は「……それで」と切り出した。

 

「アンタは、一体……?」

 

 その身から醸し出される威圧感に怖じ気づきながらも、ぐっと視線を上げる。

 ――ここで逃げ腰になる方が、よっぽど恐ろしい気もして。

 

「我が何か、など貴様にはなんら意味もないことだ。あえて言うのであれば(アレ)の所有者、であるが……雑種に分かりやすく言ってやるならば、ふむ」

 

 アレ、という言葉が指すこととあまりに家の主然とした態度から、男が水谷の事をどう扱っているのかと窺い知れるというものだ。

 気づいた刹那に反発してしまいそうになって、けれど士郎は奥歯を噛みしめる事で言葉を封じる。

 今はだめだ、と。感情ではなく理性の端が紐を引いたように。

 

「この聖杯戦争という児戯を裁定する者だ。故にこそ、我は寛大な心を以って貴様のような雑種に教えてやろう」

 

 男はフンと鼻を鳴らし、足を組み替える。

 その動作はどこまでも様になっていて、同じ男でここまで美しいと思える人間はそうおるまい。

 見るほどに同じ人間かも怪しく思えてくるが。

 

「……アレに聞きたい事があったのだろう? 疾く言うがよい。この我が答えてやらんこともない、と言っておるのだ」

 

 早く言えという言葉の圧に、ギリリと噛み締めていた歯をぎこちなく浮かせる。

 

「水、谷は……あの後、怪我とか……してない、のか?」

 

 喉が、何時の間にかからからに乾いていた。

 男に威圧に体が緊張しているからかだろうか。

 瞬きさえ覚束ず乾いた眼に、獰猛に喉を鳴らす姿が焼き付く。

 

「ククッ……」

「な、なにが、可笑しいんだ」

「いやなに、中々どうして面白い事を言うものだからな。アレと貴様は敵であろう? 無事を確かめて喜ぶのか?」

 

 グラスを揺らしながら男がニヤニヤと笑う。

 心底から可笑しいといわんばかりにからかう声音もその笑みも、少しばかり気に障る。

 士郎としては真っ当な問いのつもりだったのに、笑われるいわれはない。はずだ。

 

「別に、まだ敵と決まったわけじゃない」

 

 思わず言い返した士郎に、一瞬呆気にとられた表情が浮かぶ。

 そして、次の瞬間には。

 

「ハハハハハ! 言うにことかいて、まだ決まっていない、とは! フハ、フハハハハ────!!」

 

 大笑いにつぐ大笑いである。

 

「……なんでさ」

 

 思わずそう呟いてしまったのは悪くない、はずだ。

 

 いや。というか、だ。

 そもそもの話として何故この男はここまで我が物顔で他人の家に居座っているのか。

 雰囲気に飲み込まれてしまっていたが所有者だとか裁定者だとか、真面目腐って……いや真面目というよりは嘲笑いながら言うような言葉じゃないだろう。

 いやなんか、なんかがこう似合ってるから何も言えないが、兎に角可笑しくないか?

 

「ハハハ……はぁ、笑った笑った。道化と呼ぶには些か足りぬが、我を楽しませた褒美をくれてやらねばな」

 

 まだ笑いが収まらない様子だが、多少なり落ち着いたらしく男は一息にワインを呷る。

 

「まず、響の事だったか。アレの調子ならば問題ない。どころか好調といったところだろう。貴様が敵でない、というならば構わんが、アレは貴様の味方には決してならないだろうと断言できるぞ」

「そんな事……」

「雑種共と違ったものだから、としかアレを形容できまいな。故にこそ理解しようなどと思うなよ。貴様ら雑種如きにアレは御せるものではない」

 

 なんだ、それ。

 怪訝な眼差しを向けるが、男は意に介した風もなくつまらなそうにテレビを見てため息を吐き出した。

 思わずビクリとしてしまうが、気づかれただろうか。

 

「まぁよい。そこらの有象無象が枯れてしまおうと、我に関わりない事だからな」

 

 不機嫌を全面に押し出した表情。

 それが何を示すのかはわからない。

 だが、不吉なものを感じざるを得ない表情に、言葉に「何が」と口にしてしまった。

 この男なら何かを出来るような、そんな気がして。

 

「フン。幾ら外殻が大きくなろうとも空木ならば誰かが整えてやらねばならぬだろう。我の役目ではないが、それを望むものがあるならば見届けてやるのも一興というものだろうよ。空木なれど抗い得るならばまだ見るものもある、というわけだ。尤も、有象無象どもには出来まいが」

 

 とぷとぷとワインを注いだ男の唇は、笑みに歪んでいる。

 それがひどく恐ろしくて、自然と体が震えた。

 いいや。そもそも士郎には震えているという自覚はない。

 ただ、大きな生き物に飲み込まれてしまいそうなイメージだけが強烈に浮かんでいるだけだ。

 

「しかし貴様のような雑種であれ、抗うというならば……ハ、もう少しばかり天秤を調整せねばならぬか。まぁ、それもよかろう」

 

 一人納得したように頷いた顔に、グラスが重なる。

 震えて体を強張らせる士郎からは赤い液体越しに表情を窺うことは出来ない。

 

「──愚にも付かない有象無象に出来るのは視えぬ明日を夢見る事だけ。アレに望まれるものが何であれ、貴様らは今という夢の中で精々足掻くがいい。我が正すのは終わり(醒める)までの道行きだけだからな」

 

 それはどこか遠く、誰に話すわけでもない独り言にも似ていた。

 意味を掴むことも、意図を考えることなど求めていない。

 そんな、感情のない声音だ。

 

「貴様にくれてやるものはこれで十分だろう。これ以上のものを欲するならば、我に相応しき物を献上する事だな」

 

 コトン、とグラスが置かれた音に硬直が解かれたように散漫とした意識がハッキリとする。

 完全に雰囲気に飲み込まれていたと、ここにきてようやく自覚した。

 男の言葉はよくわからないままだ。

 ただひとつ確かな事は、眼前の男がこの聖杯戦争において何かしら関わりがある事だけ。それも、この家に住まう少女に深い関わりがあるようだ。

 

「…………」

 

 深呼吸をひとつ。思考を巡らせて、乾いた空気を飲み込む。

 そうして、意を決して口を開く。

 

「……とりあえず、ありがとう。アンタは、だが……結局のところ、なんなんだ」

 

 最初の問いに帰結した士郎に、男はソファに寝る体勢を整えながら鼻を鳴らした。

 流すように向けられた視線は変わらず冷たい。

 だが、それでも……それだけは、明確にしたかった。

 この男は倒すべき相手なのか、否か。

 

「ハッ、我から見れば貴様なぞ塵芥に等しいが──貴様にとっては響共々『敵』だろうよ」

 

 ガチリ、と奥歯が軋む。

 殺意も向けられずただ淡々と口にされた言葉。

 それだけなのに、ひどく恐ろしい。

 

 ──けれど。敵だというのであれば。

 

「……邪魔をしたな」

 

 この男は、きっとどうにかしなければいけない相手だ。

 男の正体がどうあれ、敵対した先にどんな明日が待っているとしても。

 水谷をこの男から引き剥がして、聖杯戦争という戦いを、終わらせなければならない。

 それが自分に出来るとは限らないが、幸いな事に衛宮士郎にはセイバーというサーヴァントと、協力者である遠坂凛がいる。

 

 ならばきっと、何かは出来るはずだ。

 

 決意したように背を向け、部屋を出ていく士郎の背中を男は眺めて。

 それから小さく、フンと鼻を鳴らす。

 

「余興程度になればよいが」

 

 耳に玄関の扉が音を立てたのを聞きながらそう呟き、欠伸を零した男──ギルガメッシュは、邪魔をされたうたた寝の続きをすべく瞼を閉じた。

 脳裏にはこの先に起こる事を思い描きながら。ゆったりと。


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