そして少女は夢を見る   作:しんり

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今回何時もより短めです。


第三十話

 もう痛くはないと、背中を撫でる温かさに桜は安心を覚えた。

 痛くて苦しくて嫌なものが、薄れていく。

 何時も感じていたもやもやとした鬱陶しい気持ちも、少しだけ遠い。

 どうしてだろうと幾度も巡る言葉は、けれど優しく慰撫されて流されていく。

 

 それがいいとも、悪いとも、わからない。

 

「おじい、さまは……?」

「中にいらっしゃいますよ。ただ、今は少し普段のお姿と離れていると思いますから、そっとしておく方がいいかと」

 

 細く長い息を吐き出して、桜はのろのろと顔を上げた。

 見上げれば、何時もより近い位置に優しい笑みが見える。

 兄にも向けられていた、笑顔。

 どこまでも優しいその姿に、憧れを。

 同時に、羨望を覚えてしまう。

 自分とは全く違う、その在り方に。

 

「ああ、動かないで。一時的な措置ではありますが、痛覚を抑えているからあまり激しく動いてはいけませんよ。……ライダー、間桐さんを抱えてあげてください。廊下に座り込むのは体に悪いですから」

「……そうですね。サクラ、構いませんか」

 

 うんと小さく力なく頷いた桜を、長駆が危なげなく抱き上げる。

 それを確認して立ち上がった響はすぐお昼の準備が出来るからとアサシンに慎二を呼びに行かせた。

 

「私はご飯の用意を終わらせてきますね。間桐さんはお部屋で少し休んできてください。まだ顔色が優れないようですから。……では、先に行ってます」

 

 それから二人を振り返って微笑んで、彼女はしっかりとした足取りで廊下を歩いてゆく。

 後ろ姿はどこまでも無防備で、ライダーが少しやる気を出せば殺すことは容易いものだ。

 

 だからこそ、ライダーは迷うことなく桜の部屋へと向かった。

 桜は大丈夫だと口にしたけれど。響が言っていたことは本当の事だったから。

 地下への扉を気にする事もなく、彼女は一人納得したように頷いたのだ。

 

 

 昼食の用意を済ませ、桜とライダーの分にラップをかけた響に物言いたげな視線が向けられていた。

 窺うような、疑うような。けれど、心配で不安そうな眼差しが、ふたつ。

 それを受けても彼女は何時もの顔でにこりと首を傾げるだけだ。

 

「……なぁ、水谷」

 

 こそりとひとつ手だけ合わせて箸を持った慎二が、恐る恐ると口を開く。

 それに「うん?」と瞬く表情も、これまた見慣れたもの。

 

「おじい様に、会ったのか」

 

 故にこそか僅かな恐怖から目を伏せることで気を逸らして、慎二は呟くように問いかける。

 問いかけ、というにはやや断定した物言いにはなってしまったが。当人にその自覚はない。

 ……微かに手が震えている事さえも。

 

「はい。少し困ったお願いをされたのでお断り申し上げましたけどね。……その、間桐君、だからね。おじいさんに自分からお会いしない方が、いいと思うよ。間桐君には悪いと思うけど、会うおつもりができるまで待ってみてください。死んではいませんから」

 

 困ったといわんばかりの顔に、一瞬言葉の意味を取り落とす。

 水谷の事だから言葉のままだと言い張りそうだが、死んではいない……とは、一体。

 困惑する慎二のことなど気づいていないのか、はたまた気遣いなのか彼女は話題を変えてご飯を食べ進めていく。

 少しだけ迷って、けれども言うべき言葉を見つけられず慎二は適当な相槌を打ってもそもそと口を動かした。

 

「……そうだ、間桐君。私、明後日は少し来られないかもしれません」

「ふーん、そうかよ」

「うん。アサシンにはこちらに顔を出すように言ってますから、何かあれば伝えてください」

 

 返事代わりに慎二はフンと鼻を鳴らした。

 しかしすぐ様飛んできた刺々しい殺気にぷるりと震えて「わかったって」と頷いて、黙り込む。

 

 別に、気にならないわけじゃない。

 無理に問いただすのは、気が乗らなかっただけだ。

 決してアサシンが怖いとかそういうのでも、ない。ないったらない。

 祖父がどうなっているだとか想像がつかないが、死んでいないというならば、真実死んだわけではないのだろう。祖父は恐ろしい程、人並み外れた妖怪だし死ぬわけはないと思っているのもあるけれど。

 

 生きているからどうなのか、どうなるのか、どうするのかなんて事も想像がつかないが。

 ただ、水谷が善意にも近い厚意でもって答えを返す人間だと薄らと理解している。

 故にこそ慎二はなんとなく、漠然と思うのだ。

 

(コイツのそういう律儀なとこ、ほんと呆れるよね。……ま、衛宮よりは遥かにマシだけどさ)

 

 それは少しだけズレているかもしれないけれど。

 慎二の小さな本心は、曖昧な思考の渦に沈んで本人が見えない深いところへと消えていくだけだった。

 

「なぁ、お前って魔導書は読めるわけ?」

「魔導書、ですか。実際に見たことがないのでわかりませんが、不可能ではないかと」

「そ。……じゃあさ──」

 

 間桐慎二はそうして、響の変わらない様子に安心して疑問を放棄した。

 どうせ祖父は水谷が帰った後に揶揄をしてくるに違いない。

 幾ら水谷響が自分より魔術師として出来るからって、祖父が本当にやられるわけがない。

 きっと先程聞いた言葉は、あくまで祖父が使う、あのおぞましい蟲たちをどうこうしたに過ぎないのだろう。

 

 想像とはいえそういう事だと結論付けて、しかしそうではないと知ったのは二日後の事。

 今はまだ一欠片も予想していないそれを知ることもなく、間桐慎二は目前の課題のみに意識を傾ける。

 それだけが今の彼にとっての全てといっても過言ではないから。

 

 そんな彼を見つつ、水谷響は少しだけ思う。

 彼が望んだ事とはいえ、ちょっとやり過ぎてしまっているのだろうかと。悪いことをしてしまったのではないか、と。

 間桐臓硯に行った一連の行為を悪いことと思う事はないが。慎二にはかなり無理をさせているのだけはわかっているつもりだ。

 詰め込んで使い物にならなくなるのは避けてはいるが、それでも根を詰めて自分が帰った後も努力しているのに気づいているから。だからそろそろ、と考える。

 

 息抜きも込めて、今度軽く外に出て(戦って)みるべきだろうと。

 相手は、こちらから頼んでキャスターの使い魔(竜牙兵)を用意してもらおう。

 その対価は少し考えなくてはならないだろうけれども。恐らく直ぐ断られる事はないはずだ。

 

 決めてしまえば後は伝えるだけ。

 だが、当日にしようと考えて響はにっこりと微笑んだ。

 その笑顔に少し嫌な予感を覚えた慎二は、間桐君なら死に急ぎはしないだろうという信頼を持たれているとは思いもしないのだろう。

 響が帰った後も限界まではせずしっかりと睡眠をとりながらも、ギリギリまで励んでいる事を知られているとも、考えていない。

 彼が考えているのは、また自分の嫌いな物を作ろうとか考えているのかという疑惑程度のものだ。

 

 

 のんびりと食事をする響と慎二がいるリビングから場所は変わり。

 

 自室のベッドに横たわった桜は、ぼんやりと天井を見上げていた。

 傍らにはライダーが座っている。

 

「…………」

 

 先に食べていていいと伝えてから桜の元に戻ったライダーは、ただ静かに彼女を見守った。

 何を考えているのか、問うこともなく。

 

 だが、実際。問われたところで桜は答える事が出来なかっただろう。

 自分が今、何を考えているのか。

 泡沫のように浮かんでは消えるものを、どうしても留められないでいたから。

 だからひたすらに、虚空を見つめる。

 そこに答えがないとわかっていても。

 

「……先輩」

 

 ふと口に出して浮かべたのは響ではなく、もう一人の存在だった。

 ここ数日会っていないから、今はどうしているのだろう。

 会いたいと思いながら、忍び寄ってきた眠りの誘いにふっと瞼を落とした。

 

 そうして間桐桜は、彼女にとって幸福な夢を見る。

 大事な人たちと、笑い合う。

 ただそれだけの夢を。


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