いつも通りになりつつある、間桐への魔術講座を終えて家に帰った響はギルガメッシュと話をし、
ハサンは街へと踊り出ていっていた。
ランサーも本日は言峰の命令で街のどこかで適当にぶらついている事だろう。
だからこそ、ギルガメッシュは響を見てフンと鼻を鳴らす。
「随分と機嫌がいいみたいだな、響」
「え? ……いきなりなんですか、王様。私は別に変わりありませんよ」
「それはそうだろうが……はぁ。まぁ、よい」
いつも通りの反応に呆れのため息を吐き出して、ギルガメッシュはごろりとソファへ横になった。
垂れ流したままのテレビが、これまたいつも通りの退屈さで。
彼は顔をしかめて一眠りする体勢を整えだした。
響はその姿をいつも通りと捉えて、王様の言葉に止めていた手を動かし出す。
鼻歌を歌っているのは、無自覚だろうか。
その声を聞きながら、ギルガメッシュは浅い微睡みに身を委ねた。
机を拭いて水回りまで片付けている響は、その事に気がついてくすりと笑みを浮かべ。
「──仕方のない人」
そう小さく呟いて、水を止めた。
「……」
水の滴る手をタオルで拭いて、リビングを出た響はその手に毛布を持って戻ってくる。
それから毛布をうたた寝をするギルガメッシュへとかけて、片付けを再開した。
「あれ? 昨日買ってきた花がもう枯れてる……朝は綺麗に咲いていたのに」
そしてふと、窓辺に飾っていた花が萎れているのが目に留まった。
ぼんやりとそれを眺める響の手には拭きかけのお皿があって──。
「あっ……」
気づけば、その手から滑って落ちてゆく。
そうしてガシャンと激しい音を立てて白い陶器が砕け、床へと散らばった。
「……何をしているのだ貴様は」
その音に顔をしかめ、ギルガメッシュが起き上がり文句を飛ばす。
しかしそれに返答は返る事はなく、怪訝に思い振り返った赤い瞳が見開かれる。
視線の先に、あったのは。
「──そうか。それが望みか」
響の体に纏わりつくモノの姿。
「……我の物に手を出されるのは些か業腹ではあるのだが……まぁ、よかろう。長きに渡る無聊もこれで終いだ」
呟くその顔は憮然としたものだが鼻を鳴らせばその色は掻き消え、もう一度体を横たえた。
そうしてもう一度うたた寝を再開したギルガメッシュに、しかし響は少しも反応しない。
だがやがて動き出した彼女はひとつ首を傾げて、それから落とした皿に気がつくと困った表情でため息をつく。
その横顔には少しも陰りなどない。
直前の自身の行動を疑問に思う様子さえなく手早く破片を片付けてゆく彼女に、その背後で揺蕩うモノはぐにゅりと体を歪ませて影に融けるように消えて。
──けれど、何も起こらなかった。
明らかな形でまだ何も動いてはいないのだ。
しかし確かに、変化は冬木市のそこかしこで起きている。
人々は気づいていなくても、少しずつ。
ほんの少しずつ、形を持ちはじめている。
その変化に気づいている者はいない。
だが、街を見渡す一人のサーヴァントがふむ、と何かを見つけたように声を溢した。
朱い槍を手にこきりと肩をならした槍兵は精悍な顔立ちに獰猛な笑みを浮かべ、カンッと槍を打ちならす。
「あの気配はセイバーに、キャスターか。山籠りの魔女が出張ってくるって事は、マスターでも見つけた、ってところか……──っと、きやがったな」
軽い調子で家々の屋根を跳び伝い、移動を始めたランサー。
しかし、その足は直ぐに止まりある方角を見て──夜空に浮かぶ点のようななにかを、槍で弾く。
カッと地面に刺さった物が消えていくのを視界の端にし、ランサーはそれが飛来した方向へと身を捻り、走り出す。
なおも飛んでくる矢を殆ど避ける事もせずに進むその顔には、僅かに喜色が隠れていた。
少しずつ場所を、攻撃の頻度を変えながら移動を重ねたサーヴァント二騎が相対するは。
「手荒い呼び出しもいいとこだな、アーチャー?」
「ぬかせ。気配を振り撒いていたのは貴様の方だろう、ランサー」
雪風の吹きはじめた、冬木大橋の袂だった。
双方共に、踏み出すのは一瞬。
まずは一合と鳴り響いた音は二度。
しかし僅かに残る剣戟の余韻は、激しい攻防の前にたち消えた。
「──こんなところで油を売ってていいのか? セイバーとキャスターがいる方にテメェのマスターがいると踏んでるが」
「……フン、ブラフのつもりかは知らんが、あれは私に関わりのない戦いだ。そも、どちらが脱落しようが──」
激しい音を、金属を打ちならす火花を散らしながら、二人の応酬は続く。
「互いに好都合、って──なァ!!」
アーチャーの手から、白と黒の双剣が弾き飛ぶ。
すかさず突き出される朱槍を、しかし焦ることなく再び握った双剣で受け止め、後退る程の威力を利用して距離が空いた。
しかし直ぐに剣と槍での応酬は再開する。
──そんな彼らを、冬木の街並みは静かに見守っている。
この場とは違う、セイバーとキャスターの争いをも。
市内から少し離れた位置に居城を持つアインツベルンの少女もまた、その争いを微かに感じ取っていた。
窓に手をつきながらじっと暗い森の向こうを見つめる姿に「お嬢様?」と声がかかる。
その声に振り返らず、彼女は先程小さく呟いた言葉を繰り返す。
「やっぱり、可笑しいわ。声も気配も遠いだなんて」
鏡のように窓に映る難しい顔に、その背後のメイド二人は主人に倣うように暗い窓の先を見る。
けれど、主人のように何かを感じ取る事は出来なかった。
「でも、まだわかる。これはキャスターとセイバー。それにランサーとアーチャーだわ。…………見えない、けど、うん……アーチャーは深手を負ったのかしら? 気配がかなり弱い……キャスターは、……また穴蔵に戻ったのね」
ぐっと眉を寄せて不確かなものをひとつずつ形にするように口にしてみれば、しっくりとくる。
どうしようもない違和感はあるものの、それに間違いはない。
そう自分を納得させて、さてではこの違和感の出所はどこだろうかとイリヤスフィールは盤上を睨み付けた。
それは目の前にはない。
けれど、彼女の前には、彼女の傍には確かにいた。
──いいや、いたはず。
なのに。
「……なん、で……?」
焦燥が、幼い胸を焦がす。
あるべきものが、無い。
無くなってしまっている。
……完全に無くなってはいないが、それでも残り香程度の淡い繋がりだけ。
それさえもズルズルと引き摺られるように遠く、別のものに移動していっている。
このままではいけない。
どうにか、しなければ。
「──セラ、リズ、明日からは私も前へ出るわ。車を用意しておきなさい」
振り返った少女の瞳は虚空を睨む。
そこに確かな敵を見ているように、力強い眼差しで。
「かしこまりました」と頷くセラと、「わかった」と鷹揚に頷いたリズという二人のメイドを背に、彼女は己が信じる最強のサーヴァントと共に戦場へと向かうのだった。