こんなヤツだしマイペースなのも承知の上だろうとひとつ頷いて、間桐もまた箸を手に取った。
もう一人の友人に負けず劣らずな味のそれらを年頃の少年はアッサリと平らげてしまったが十分に足りたようだ。
満足げに息を吐いた間桐の顔色は明るくなっている。
今は痛みの波も引いているのだろう。
それはいいことだと、響は遅れて完食しながら胸を撫で下ろした。
「……それで? さっき言ってたコツってどんな事なんだよ」
食器を机の脇に置いて、間桐は問いかける。
黙って食事の手を進める合間に先程の話を噛み砕き、それでも気になっていた事だったのだが。
問われた当人は一瞬なんの事かと目を丸くして首を傾げた。
「うん? うぅん……ああ! うん、はい。……忘れてたわけじゃないですよ?」
「いやそれ忘れてたって言ってるも同然だからな?!」
沈黙したのに笑顔で誤魔化されるわけがない。
相変わらず変なとこで下手に誤魔化すやつだなと半目になりつつ、これ見よがしにため息をひとつ。
部屋の隅に控えて霊体化しているハサンもこれには微妙な顔だ。
「そんな事ないんだけど……まぁいいでしょう。とはいえコツなんて大したものではありませんよ? ただ水と油をイメージするだけですから」
「…………」
「その辺のイメージは人によりけり、ではありますが。常にわけて瓶詰めにするように留める、あるいは別のものに保存する。そういう意識をするだけで多少の備えはできますよ」
にこにことなんて事ないように言っているが、魔術師に成り立ての人間にはイメージしやすいようでしづらい。
もっと他にはないのかよとでも言うようにじとりと見れば、少しだけ彼女は狼狽えて何かダメだったのだろうかと首を捻る。
「うーん……?」
「……いや、なんとなくわかるんだけどさ」
何が悪かったのかと思案する様子に、ひとつ嘆息して間桐は腕を組んでトン、と自分の腕を叩く。
「魔力を使うのはどうするんだ。それがわからなくちゃ戦えないだろ? ──お前が願いを叶えさせたんだから、責任持って教えろよ」
そっぽを向いて、しかし素直に願い出た間桐。
彼の願いを叶えたその時は響の放つ雰囲気に呑まれていたけれど、今度は違う。
響には彼自身の奥底に燻っていた望みを暴いてしまったのを間違いだなんて思えないが、それでも前を見てくれているのはいいことだ。
彼女はそう思って「そうだね」と緩く頷いた。
「間桐君、あの机の上の物を持ってみて」
「じゃあ」と響が指差したのは、ひとつの小瓶だった。
作った意味も意図も彼女には何一つわかる事はないが、それでもそれに何かの意味があるのは見てとれた。
間桐にとっては棄てきることのできないそれに、意義などなかったけれど。
「────」
立ち上がり、ごくりと唾を飲み込んだ間桐が、躊躇いがちに手を伸ばす。
そろりと割れ物を扱うように手に取ったそれを掌に握り込んで。
そして──。
「……クソ……ッ、……ダメ、なのか……」
開かれた手の上には、何も変わらない小瓶の姿だけがあった。
顔を歪めて自身の手を睨み付ける後ろ姿には、悲哀が滲んでいる。
しかしさもありなんと苦笑した響が彼の名前を読んで数秒目を閉じると。
「いっ……た、……ぁ?」
何だと言おうとした間桐の全身に静電気のような小さな電流が走った。
思わず瞬いたその直後に、小瓶に淡い変化が起きた。
「み、水谷……!」
思わず振り返ったその手の中には、仄かな光を明滅させる液体が揺れている。
気色ばむ声を抑えきれない間桐の瞳には、子供みたいに純粋な輝きが満ちていた。
「上手くいっているみたいで良かった。間桐君、先程あなたの体に魔力が流れる感覚があったと思います。魔力というよりも、電気に近いのを想像してもらえれば分かりやすいでしょうか?」
「──ああ。これは……」
「なんとなくでもわかってきたようですし、その感覚で自分の中で想定するスイッチを切り替えられるようになるのを、今日の目標にしましょう。スイッチの入れっぱなしはあなたの体には負担が大きいのでオススメはしませんけれど」
確かな自信とやる気に、少女は微笑んで。
そして────。
……そして、間桐慎二はめくるめく修行の時に追われる事になるのだった。
魔術師になったその日は無理はさせられないからとそれで終わったのだが。
その翌日からは二人して学校を休み、午前中の内から間桐家にて修行をしようという話になっていた。
部屋には響の他にサーヴァント二体が控える中で行われている。
その内容は至ってシンプルに魔術に慣れる事だ。
体内を巡る魔力を認識する。
一言で纏めれば簡単ではあるが、駆け出しのひよっこには中々難題だ。
一日目と二日目はずっと魔力を流すスイッチを彼の中に規定するために、気が遠くなるほど……実際のところ何度か気を失いながら体を痛め付けていた。
痛め付けるとは言っても静電気を意図的に起こされたり、アサシンの殺気を浴びせられたり、肉体負荷の高い運動をさせられたりといった事だ。
そのどれもに適応していくあたり、彼のポテンシャルは高いとはいえる。
だがそれでも、一朝一夕に事が進むことはなかった。
「いっっ……っ!」
そうして三日目。
空が夕暮れの色に染まった頃の事だ。
間桐が己だけの力で握りしめた小瓶に光を宿すことが出来たのは。
「! っみ、見ろよ水谷! はは、ははは…! 僕はやってやったぞっ!」
思いの外早くに身につけたものだと感心しながら頷きを返して、響は微笑む。
体に馴染みのない力を手に入れて、それでも彼は努力した事がわかっているからこそ。
手放しで誉めちぎり、最初の一歩としてはかなり大きなものだと言えば、その言葉は間桐の自尊心と充足感を満たしていく。
「それじゃあその調子で、次は強化の魔術を習得しましょうか。……戦うのはそれからでも、決して遅くはないでしょう」
しかし魔術の初歩も初歩。入り口に手が届いた程度の間桐の道程は果てしなく長い。
そんな彼が今戦うためには、たったひとつを得る。それだけでもきっと生きる術を得ることは出来るから。
たとえ彼が最後の最後に選択を誤ってしまうような人だとしても、響は何度だって同じ結論に行き着くだろう。
「きっとそれだって、痛くて堪らないでしょうけれど……ここまで耐え凌いだ君は、本当に強い人だ。だから私は、君を応援しているよ」
だって彼女は、誰かが生きようとしているのが好きだから。
もがき苦しみ、強い痛みに苛まれようと、必死に足掻く人が、好き。
生と死を割りきりながらもそれでも生きようとする人も好き。
どうしようもない袋小路の中でそれでも諦めきれない、そんな人も好き。
生とは、飽くなき人間が生まれ出その時から発生するのだから。
だからこそ、彼女の持つカタチは──。
「ふ、フン! 僕が強いのは、当然さっ」
腕を組んでプイッとそっぽを向く間桐の顔には、強がりと照れが窺い見える。
それににこにこと笑って、彼女は次のステップを提示していく。
間桐は自分なら出来ると自信を持ちながらしかし中々ままならない現実に、その日は早々に「あーもう! くそっ!」と吠えたてた。
「焦りは禁物だよ、間桐君。ほら、休憩休憩」
「……」
その言葉にむすっとしつつ、間桐はベッドに寝転がり椅子に座る響を睨んだ。
ずっと座っているのに変わらない顔色が、少し気に入らない。
あまりの出来なささにイライラしているから、というのも理由だろうが。
「なぁ、何でお前は魔術を覚えたんだよ。家族がそうだったんじゃないなら、そんな事しなくてもよかったじゃないか」
他にも、溢れ聞く話がイライラを加速させている気がする。
だって彼女は、自分が望んでいたものを持っていたのだから。
だから、その羨望が時折顔を覗かせるのを止めることは出来ないだろう。
「……それは、ええ。そうですね。……でも私は、殺されかけて、けれど生き長らえてしまったから。だから、生きなくちゃと思うんです。それが私の家族が、
「だから、手段として覚えたって、そう言いたいのかよ」
「間桐君には少し悪いなとは思いますが、概ねは。……まぁそれに、教えてくれる先生がとても丁寧だった、というのもあります。聖杯戦争ではとんと素人だった私を気にかけてくれたから、だから私は彼が大変そうだったのをお手伝いする対価としただけですよ」
それはつまるところ、他人のためではないのか?
ふっとそう思った間桐は、彼女の顔を見つめる。
この数日で痛いほど感じた事ではあるのだが、衛宮は衛宮で、水谷は水谷で別ベクトルに頭が可笑しい。
いや知ってたけどさ、と心中で呟きつつ肩を竦めて首を振る。馬鹿につける薬はない。
「まぁ、いい。……って、何だよ! 桜! そう何回もノックしなくても聞こえてる!」
「あっ。……ごめんなさい、兄さん。それからこんばんは、水谷先輩」
「はい。こんばんは、間桐さん」
コンコン、コンコンと響くノックに怒るような声を上げた間桐。
それを返答ととったのか、彼の妹である間桐桜が控え目に顔を覗かせた。
おずおずと挨拶してきた彼女に、響は笑顔で返してどうぞと先を促す。
「晩御飯が出来たので、声をかけたんです。兄さんも水谷先輩も、そろそろお腹が空いてませんか?」
すると彼女は期待を込めたような眼差しで二人を見た。
それに対して響の笑顔は変わらず、間桐──勿論慎二の方だが──は隠すことなく嫌そうな顔を浮かべたが。
「はぁ? 別に、腹なんて空いてな──」
「うん、お腹がペコペコです。間桐君も、今日は一段と頑張ってたからお腹も減ってるだろうから、早く行こ」
「いや何でお前が返事をし──」
「昨日も一昨日も水谷先輩がお料理してくれたので、今日は私も腕によりをかけたんです。兄さんと衛宮先輩の言ってた通り凄く美味しくて、だから負けないぞう! と気持ちを込めてみました」
「ふふ、私なんて大したことはないですよ。でも、舌の肥えた二人にそう言われていると知って、悪い気はしないかな。…衛宮君からは
くすくすと笑い合う女二人(霊体化している二人も合わせたら四人)に、男一人が敵うわけもなく。
言葉を挟む余地もなく、流されるままにリビングへと連れられていく。
食事も響が何時もアサシンと摂ることが多いとの事で、アサシンとライダーまでも実体化しているのでなおのこと居心地が悪い。
しかも全員が全員多弁ではないので沈黙が刺さること。
だが無理に食べないでいると響から心配されて「食べさせてあげましょうか?」とか言われるし、普段は喋らないアサシンからは正論で嫌みを言われる事になるし、妹にはちょっと悲しげな顔をされ──いや、
本日の主役はロールキャベツである。冬の定番だ。美味い!
ちなみにライダーは殆どの場合無言である。
「キャベツ巻くの上手いですね、間桐さん。私は苦手で……いえ、それで何かは言われないんだけど、それでもちょっと悔しくって、何時も気を付けようとは思うんだけど……」
「ふふ、ありがとうございます、先輩。でも私も、今日はたまたま上手くいっただけですよ? 気を付けても葉っぱが破れちゃうことって、ありますよね」
「そうそう。衛宮君なら綺麗に巻いちゃいそうだけど」
「あ、それわかります。衛宮先輩、結構こだわる人だから」
「本当、真面目な人だものね。友人としてはあの真面目さが時々心配にもなりますが。……間桐君は間桐君で、ねじくれ曲がってるから心配なんだけどね」
「……ねじくれ曲がってるとは何だよ、ねじくれ曲がってるとは」
二人の会話の勢いに負けて、そのツッコミも力がない。
普段妹には高圧的な態度をとりがちな慎二でも、友人と妹が結託してしまえば太刀打ちできないのである。
きっと衛宮になら、何でも言えただろうけれど。せめてもう一人男がいれば……いや、間桐家では叶わぬ願いだが。
しょんぼりと萎びれた間桐慎二は、美味しいのに違いないロールキャベツに舌鼓を打つのであった。