そして少女は夢を見る   作:しんり

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第二十四話

 お昼ご飯の材料を入れた袋を手に下げた響は、ふっと感じた気配に足を止めた。

 「あ」と上がった声はどちらのものであったか。

 かちりと視線を合わせた相手は雪の如く白い少女だった。

 

「……イリヤスフィールさん」

「久しぶりね、ヒビキ。……久しぶり、という程でもないか」

 

 思わず困った顔を浮かべた響に対し、イリヤスフィールはにっこりと愛らしい笑顔を向ける。

 その表情にはあの夜のような嗜虐的な色はない。

 

「そう、ですね。お久しぶりです」

「ふふふ。優しいのね、あなた。そういうのは嫌いじゃないわ」

 

 少なくとも直ぐに戦闘しようという気配がないことに安堵した様子に、さも可笑しいものを見たようにくすくすと笑い声が返る。

 それに苦笑しつつ響は周りを確認して首を傾げた。

 

「……ここで戦いますか? 一応、人の目はありませんが」

 

 自分は戦うつもりはないと自然体で以て伝える姿に、イリヤスフィールはじっとその顔を見上げてやれやれだというように肩を竦めた。

 殺そうとしてきた相手に対するものとは思えない態度に対し、呆れを含んだ表情さえ浮かんでいる。

 

「まだお昼だから、しないわ。聖杯戦争は夜にするのが決まりだもの」

「それもそうですね。失礼な事を言いました、すみません」

「……別に、謝る必要はないわ、ヒビキ。わたしはアインツベルンのマスターとして相応に振る舞っているだけよ」

 

 そう言った彼女はどこかつまらなそうな顔で首を振る。

 それから小さく息を吐き出したものの、響の顔を見上げるなりにっこりと笑みを浮かべて「それに」と続けた。

 

「わたしね、バーサーカーから逃げ切れたあなたを評価する事にしたのよ」

 

 くるりとその場で回って楽しげに笑う少女に、思わず呆気に取られてしまう。

 響自身、自分が聖杯戦争においてややのんびりしている自覚もあり、真っ当な魔術師だろうアインツベルンに認められるというのはひどく驚く事だった。

 変わっているというのはよく聞くため、他の人にそう言われたのならきっと彼女は何時ものように微笑んだ事だろう。

 

「ええと、……ありがとうございます? ……あの、イリヤスフィールさんはどうしてこんなところに? ……って聞いてもいいのかな……」

 

 だからか反応に困って、そんな言葉を返した。

 その返しは予想しておらず、イリヤスフィールは子供らしい大きな目をパチリと瞬き「うーん」と口元に指を添えて返事を躊躇った。

 別に誰かに言って自分が困るような事をしているつもりはない。

 それに、聞かれたのならちゃんと答えるのは人間としても、淑女としても正しい事だろう。

 

「散歩、というところよ。……待ち人は来そうにないし」

 

 最後はぼそりと呟くように言ったイリヤスフィールの眼はどことなく子供が拗ねるような色を見せている。

 それに気付いた響は意外という程ではないが、少しだけ不思議に思う。

 

 子供らしい無邪気さと、魔術師としての冷徹さ。

 矛盾しているようで、けれど他を切り捨てた自己の本質のみを映すそれが紙一重になっていて。

 どうして魔術師というのはそうなるのだろうか。

 魔術師というには外れた存在の響には、きっと理解する事は出来ないのだろう。

 

 それは、彼女が何かを望む存在ではない故か。

 はたまた彼女が────。

 

「……それから、そうね。わたしの事はイリヤって呼んでもいいわよ。対等な、叩き潰すべき敵として認めたあなたなら、許せるもの」

「え。あ、はい……? イリヤ……ちゃん?」

「……ちゃん?」

 

 ふんと胸を張ったイリヤスフィールの思わぬ発言に響は慌てた。

 だからついぽろりと見た目に即した呼び方に改めてしまったのだが、イリヤスフィール……イリヤはぽかんと口を開けてしまう。

 

「あ、ごめんなさい。嫌ならイリヤさんと呼ばせてもらうけれど」

 

 それを拒絶と取ってか、彼女はわたわたと今のは無しだと言うように手を振って苦笑する。

 けれどイリヤとしてはその呼び方が懐かしい色を持っていたから驚いただけで、嫌な気持ちが湧いてはいなかった。

 それに目の前の女からはどこか、母に似た何かを感じるようだったから。

 

「……ん、さっきのでいいわ。ちょっとびっくりしてしまっただけだし……」

 

 ほんの少し泣きそうな悲しみを湛えた笑顔で首を振って、イリヤはふと何かに気が付いたように目を丸くする。

 

「ヒビキ、あなた……何か変なモノに憑かれてる?」

「えっ?」

 

 少女が響の背後を指さして首を傾げる。

 それに慌てた彼女が振り返ってみる。

 

 しかしそこには人の姿も、車の音も、風の音さえもなく。

 ただ静かな、冬の街だけが佇んでいた。

 

「……からかわないでよ、イリヤちゃん。びっくりしちゃった……」

「別に、からかってるつもりはないけど……。まぁ、いいわ。喰い殺されてもわたしとしては構わないし」

「そ、そんなに変なモノが憑いてるの……? 誰も言ってくれないし、なんだろう……まさかお母さんたち、の訳もないだろうしなぁ……?」

 

 わたわたと落ち着かない様子で背後や足元を気にする姿は傍目から見ていると可笑しい。

 つい笑ってしまったイリヤは少しだけ晴れやかな表情を浮かべて、響へと呼びかけた。

 

「変な人ね、あなた」

「……何というか、今のを見て言われた事に複雑な気持ちになるね……」

「ふふふ、そう? わたしとしては、褒めてるつもりなんだけど」

「んん……じゃあ褒め言葉としてありがたく受け取るとしましょうか」

 

 存外な評価に苦笑を返し、気にすることを止めた響に彼女は尚もくすくすと笑う。

 それを嫌だと思っていない様子の響は暫くその笑みを見つめて苦笑いのまま肩を竦める。

 

「親子なのか、似てるなぁ」

 

 そうして思わずというようにぽつりと呟いたその言葉の裏で、彼女は十年前の事を思い返した。

 

 記録を呼び起こせばそれは昨日の事にも等しい記憶。

 夜の中にあって白く綺麗な女性と、この幼い姿の少女は驚く程似通っている。

 前髪の分け目など細かいところは勿論違っているが、その顔立ちも本質も、親子に等しい連なりが想像できる姿だ。

 そうなればかつてあの金色の王様に振り回された数日とキャスター、アンデルセンと過ごした日々までも浮かんでくる。

 

 何より、親子という関係からは亡くなった両親と姉の記憶が、胸の内で優しく声をあげていた。

 

「……似てる? 誰に?」

「ん。ああ……十年前のセイバーのマスターに……ってダメですね、怒られる未来しか想像がつきません」

 

 言ってからしまったというような顔をしたが、もう遅い。

 流石にハサンが拗ねるネタをこれ以上増やすのも、王様に「お前はまた」と呆れられるのもありありと目に浮かぶ。

 怒られると言っても軽度だろうが、それでも好き好んで怒られたいというわけではない。

 いつも結果としてそうなるだけだ、と言えばきっとランサー辺りに「そういうところじゃねぇか?」などという言葉をかけられるだろう。

 

 口は災いのもと。ちょっとだけ反省した響だが、恐らくきっと改善される事はない。

 

「わたしと、どこが似ているの?」

 

 「ねぇ」と上がった声に視線を落とすと、イリヤスフィールは疑り深い眼差しでそう問いかけた。

 それに対し、響はやってしまったものはまぁ仕方ないと思い直してうんと考えた。

 

「……イリヤちゃんをそのまま大きくしたような、凄く綺麗な人だったかな。あの時は私が幼かったから、というのもあるだろうけれど、敵対していた相手に対して心配そうな目を向けてくれたのが印象的で、すごく記憶に残ってるよ」

「────」

「ええと、あとは……凛々しく振る舞われていたと思う。私は終始戦うことなんてなかったけど、戦闘していたところなんて使い魔越しに見た程度だし……それに直接お話しする機会なんてなかったのだけどね」

 

 苦笑して、それからイリヤの顔を見て驚いたように瞬く。

 

 白い少女は、泣いていた。

 

 いいや、本当に涙を流しているわけではない。

 あくまでも表情は驚いた顔をしている。

 けれど、その瞳はどうしようもなく揺らいでいたから。

 

「イリヤちゃん?」

 

 今度こそ失敗してしまっただろうかと思いながら響は腰を屈めて視線の高さを合わせる。

 望洋とそれを見つめていたイリヤスフィールは、ぎゅうっとスカートの裾を握りしめて泣き笑いにも似た笑みをその幼い顔に浮かべた。

 

「――……なんでも、ないわ。でも……ありがとう、ヒビキ。お母様の事を、教えてくれて」

 

 イリヤからしたら、母は今もなお近くに感じられる存在だ。

 アインツベルンのホムンクルス(マスター)として、母から生まれた子として、小聖杯となるべくして調整をされてきたのだからそれは当然で。

 けれど、いやだからこそ、母の存在の痕跡は自分に残されているだけだった。

 

「ねぇ…ひとつ、聞くけど……」

「うん? ……どうぞ」

 

 そこに寂しさがないといったら嘘になる。

 今となっては帰って来ないのも当然だとわかっていても、長く、長く二人の帰りを待った日々は消えるわけもなく。

 幼い頃の朧な記憶は、瘡蓋のように心に張り付いていた。

 

 だから、だろうか。

 目の前の女に母と近しいものを感じて泣きたくなってしまったのは。

 自分の名前を呼ぶその声に、飲み干したはずの感情が腹の底を蠢くのは。

 

「……エミヤ。エミヤキリツグは、知ってる?」

 

 それでも母は、確かにまだ自分とつながっている。

 だからイリヤはその感情から目をそらして、もう一人の待ち人について尋ねた。

 イリヤスフィールがここにいるのは聖杯戦争のためだ。

 けれど、アインツベルンではないただのイリヤが求めるのは、父の遺したものを知りたいだけだ。

 

「……うーん、知らない……かなぁ」

 

 十年前の聖杯戦争にも関与したらしい目の前の彼女が知らないというのなら。

 きっと父は、そういう立ち回りを選んだのだろう。

 

 おじいさまはアインツベルンの中からキリツグの事を全部消してしまったから、わからない。

 けれどイリヤは、知っている。

 

 キリツグはズルが得意だもん。

 だから、うん。

 ……本当に、ズルばっかり。

 

「でも、エミヤ、ね……衛宮君なら、同じ名字だし知ってるかも? 衛宮君は養子入りしたそうだし。……でも、もう亡くなられているし、確証はないけど」

「……そう。……うん、やっぱり、お兄ちゃんを待つしかないのかぁ」

 

 キリツグのバカ。バカバカ。

 

 心の中で呟いて、いつの間にか詰めていた息を大きく吐き出す。

 思わぬ角度からの情報に驚いていたのも、これでリセットだ。

 どちらにせよ、互いにこれ以上話すことなどないだろう。

 

 違うな。話しても無駄な情報が増えるだけだ。

 だからここが区切りとしては丁度いい。

 

「ヒビキ、本当にありがとう。あなたのお蔭で、退屈がしのげたわ。だから」

 

 次の夜に会ったとき、全力でもって返してあげる。

 聖杯戦争を生き残ったあなたに相応しく。

 わたしにとって、最大の敵として。

 

 それが自分に出来る最高の返礼だと胸を張る少女に、響はきょとんと目を丸くする。

 けれど、それはこの上なく最大級の敬意なのだとすぐに気づく。

 魔術師として、敵対者として、先日の遊びなどというものはなく真正面から戦おうという約束だ。

 

「私なんか、すぐに捻り潰されそうなものだけど……、わかった。貴女の評価に恥じないよう努力するよ。……握手でもする?」

「ふふ、そうね。折角だし、しておきましょうか」

 

 苦笑いに近い笑みを浮かべた響に、イリヤは悪戯っぽく笑い返す。

 そうして二人は、どちらともなく差し出した手を重ねた。

 

「ッ……一応、忠告しておくけど。あんまりそれ、放っておかない方がいいわよ」

「えぇ……? そ、そんなに言うほどなの……ちょっとこわいなぁ。あ、忠告はありがとう」

 

 すぐに手を離してじとりと響の背後を睨み付けて、息を吐く。

 イリヤの目に見えたのは数秒で、彼女に憑いているらしき黒い影のようなものの正体はわからない。

 本人はのほほんと気長な様子なのが可笑しいくらいなのだが、それ以上は不必要な干渉になるため、口を閉ざす。

 響もその事はなんとなくでも察しているのか、深く追及することはなく荷物を持ち直して「それじゃあ」と微笑んだ。

 

「またね、イリヤちゃん」

「ええ。またね、ヒビキ」

 

 互いの笑みを最後に、二人は背を向けて歩き出す。

 次に会うのは、来るべき夜だろう。

 

 それが何時になるのかも、どんな状況かもわからないが。

 それでもその時は来るだろうと、確信にも似た予感はあった。

 

 少し戻るのが遅くなってしまうな、と空を見上げた響は感じた予感に「頑張らないとなぁ」と呟く。

 その顔はやはりどこまでも緊張感の欠けるものだったが、残念ながらそれを指摘できる者はここには誰一人いない。

 

 

 ────二人の立っていた場所に蟠るように残っていた影が、のんびりとした足取りを追いかけるように伸びて消えていった。

 


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