そして少女は夢を見る   作:しんり

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第二十三話

 ふと頭に触れた感触に、間桐慎二はハッと大きく目を見開き、顔を上げる。

 そうして視界に映った先の表情があまりにも優しいものだから、違う意味でも驚いて束の間呼吸さえも忘れてしまう。

 

「な、んだよ……お前も、……お前まで下らない同情でも、するつもりなのか……?」

 

 あまりにも自分に向けられた事のない眼差しだからか、絞り出した言葉も自覚がないままに自然とその声も震えて、ツンと鼻の奥が熱くなった気がした。

 尚も頭を撫でる手つきは労るような優しさで、胸の奥から何かがこみ上げてくるような気がして、けれどそれを無視して手を振り上げる。

 

「そんな、そんな安っぽい同情なんて、僕は……!」

 

 要らないと振り払うように腕を振ろうとした。

 けれどどうしてだかそれが出来なくて、力なく手を下ろす。

 

 「畜生ぉ……」と崩れ落ちるように項垂れた間桐はグッと唇を噛んで、何度となく首を振る。

 その合間に意味もなくベッドの縁を叩きだした姿は、悲哀さえ漂わせていた。

 

「間桐君」

 

 それを見守って、響はようやく重い口を開く。

 ゆっくりと、言い聞かせるような柔らかな声で。ただ穏やかに歌うように。

 

「それでは、あなたに少しだけ戦う力を授けましょう。けれどそれは、その道は、決して優しくはありません。どれだけ努力しようとも流れる時の中で喪われたものには届く事はなく、戦い続けるには痛みに耐えなければなりません。……うん。だから特別に、この聖杯戦争においてのみ、という事にしましょう。それから後の事は、あなた自身が戦いを通して選ぶべき事柄です」

 

 間桐は大きく目を見開き、彼女を見つめた。

 顔を上げた拍子にその手は離れてしまったけれど、そんなものは気にも留まらない。

 

 彼女は一体、何を言っているのか。

 

「なに、を、……」

 

 わからない。わかる。いや、やはりわからない。

 力とは、何だ。戦う力。永続的な痛み…いいやまさか、そんなもののワケがない。

 聖杯戦争は、魔術師同士の戦いなのだから。

 

 なら……まさか。

 ────まさか。

 

「ええ。つまるところ、ですね。間桐君を、魔術師にしてさしあげます」

 

 そんな、夢のような話が本当にあるのだろうか。

 幾ら望んでも望んでも、決して手に入らない、手に入れることの出来ない願いが叶うなんて。

 到底、信じられない。信じる事ができるわけがない。

 

「私には切欠を与える事しか出来ません。だから間桐君、重ねて問いましょう。あなたは本当に、力が欲しいのですか?」

 

 けれど、間桐は響の人柄を知っている。

 誤魔化す事はあれども、彼女は嘘をつく事のない人間だ、と。

 出来る事も出来ない事もきっぱりと言い切りもする。

 だからこそ、今の言葉は嘘偽りなく出来るのだという確信があった。

 

 静まり返った室内で、ごくりと唾を飲み込んだ音だけがやけに耳に残る。

 

「──っ、……僕は……僕は、力が欲しい……! お願いだ、水谷! 僕に魔術師として戦える力をくれッ!」

 

 葛藤はあった。だがそれを上回る渇望が、胸を焦がす。

 だから胸の内に渦巻く悩みや疑惑、困惑を消し去るように強く、強く声を張り上げる。

 こんなのは自分のする事ではないと思いながら、それでも間桐慎二は己の渇望を彼女に願う。

 その姿がどれだけ惨めで、憐れで、情けないとしても。

 

 この願いが、叶うのならば。

 

「──わかりました。たぶんきっと、間桐君が思うよりも痛いと思うけれど……頑張ってね。君が耐えている間に腕によりをかけてご飯の用意をするから」

 

 しっかりと頷いた響は、おどけるように肩を竦めて見慣れた、温かみのある笑顔で手を差し出す。

 

 それは、契約の形なのだろう。

 自分が共闘をもちかけた時のように。

 

「ハッ、僕を誰だと思ってるんだ、水谷。それくらいどうってことないさ」

 

 その手を掴んで、間桐は強気に笑ってみせる。

 背筋を流れる冷や汗にも、心の隅の不安にも負けないよう、口角をつり上げて。

 何時ものように自分らしく。

 

「頼むよ、水谷」

「うん。……それじゃあ、そのまま目を瞑ってね」

 

 そうして彼は、言われるがままに瞼を閉じた。

 何をするのかという好奇心がなかった訳でもないけれど、それは無視して汗の滲む手を強く握る。

 

 その力は少し痛かったが、未知への恐怖なのだから仕方ない事だろう。

 薄く苦笑した響は、集中するためにも瞼を閉じて自身の中の白い空間へと意識を向けた。

 

 目の前に広がる情報の羅列へと手を伸ばして、間桐慎二の情報を一番前へと引っ張りだす。

 重なるように幾つか広がった画面には繋がりのない単語や数字、記号が複雑に組み合っており、一見しただけでは規則性のない文章が並んでいるようにしか見えない。

 

 響はそれを暫く眺めると、おもむろに画面へと指を滑らせて文章の中から文字の羅列を抜き出しては空中に留め、また別の文字を抜き出しては空中へと同じように留めていく。

 

 抜き出す文字について悩む素振りなどなくそれを幾度か繰り返し、ふと手を下ろした時には多くの字と記号が頭上でふわりふわりと漂っていた。

 彼女は一度その字たちを見て頷き、手早く手元へと纏めるとパズルをするようにひとつの画面へと並べ出す。

 他の画面同様になんの規則性もない文章にもならない文字列だが、その手は淀みなく動き続け、やがて空に浮く文字はひとつも残らず空白の埋められた画面へと収まった。

 

 文字を埋め終えた画面をじっくりと何度か確認した響はうんと頷いて笑みを零す。

 会心の出来栄えだ、というような明るさを滲ませた笑顔だがそれを見る者などいるわけもなく。

 どことなく無邪気さを伴ったその笑顔のまま、彼女はゆっくりと画面の線と線を繋ぎ合わせて間桐慎二の情報の中へとそれを接続した。

 

 はたしてその行為は、彼女の想定した通り直ぐにでも効果が現れているようだった。

 

「ガッ、ぁ、ぁぁあアッ?!」

 

 耳をつんざくような叫びに瞼を開けば、びくんと激しく痙攣する間桐が視界へと飛び込む。

 しかし響は、何も言うことはなくするりと手を離してベッドへと崩れ落ちていく彼を見つめた。

 

「うあ゛、ぁギ……っい、イタイ……イタイイタイいた、い……ッ! く、そっ……クソクソ、クソォォア……! あ、ああ゛あ゛あぁぁ────」

 

 痛みに悶え苦しみ、陸に揚げられた魚のように体を跳ねさせながらベッドで転げ回る様は、人によっては滑稽にも思えるだろう。

 必死の形相で虚空を睨み、絶叫に喉を枯らしながら唾を撒き散らす姿を、それでも彼女は笑いはしない。

 

 ただ静かに、己の為した結果を見守るだけだ。

 

「────……大丈夫そうですね」

 

 そうして時間にして一時間経った程か。

 

 間桐は未だ激しい痛みに呻き声をあげていた。

 同時に、その意識は混濁しているのか、彼女の呟いた言葉に反応を示す事はない。

 けれど響は、それを見ながら問題ないと判断して安心したように微笑む。

 

「ライダー、いますか?」

 

 そうして彼のサーヴァントであるライダーに声をかける。

 その声に長身の美女が部屋の隅にゆらりと現れて小さく首を傾げた。

 その眼は隠れたままだが、一瞬間桐を見たことから本当に大丈夫なのかと雰囲気で問いかけて来ているのを響は察する。

 

「もう無理だと言わなかったから、大丈夫ですよ」

「…………」

「でも暫くはこのままだと思うので、正気を取り戻すまでにご飯の用意をしようかと思うのですが……、その、申し訳ないけれど案内してもらってもいいでしょうか?」

 

 黙り込んだままのライダーに少しずつ困った顔になりつつ、響は彼女を上目に見やる。

 しかしなおもライダーは沈黙を貫き、見上げてくる目を見下ろす。

 一分ほど静かに眼帯越しに見つめあう彼女たちを他所に、間桐から溢れる呻き声だけが室内へと響く。

 また更に一分、と経ったところで、ようやくライダーの唇が薄らと開く。

 

「あなたは何故、シンジに協力を?」

 

 おもむろに問いかけられたその言葉は、マスターに対する感情が見えない程に淡々としたものだ。

 それを受けた響は寸の間きょとりと目を丸くしてから「ええと」と困ったように眉尻を下げた。

 

「友人だと言ってくれたから、以上に理由はないですね……」

 

 うーんと首を捻りながらの答えに、ライダーは相槌もなくその姿を見つめる。

 もう少し突っ込んだ事が聞きたいのだろうかと考えた響は少し間を置いて続ける事にした。

 

 素直に答える必要などないのはわかっている。けれど、彼女は間桐のサーヴァントであり、普通の人間でもない。

 人間ではないからという理由でもないが、それでも彼女は誰にでも言いふらす様な雰囲気がないから構わないだろうというのが響の考えだ。

 誰かしらには怒られてしまいそうだけど、と内心苦笑して思わず頬を掻く。

 

「恥ずかしながら私には友人が少なくて──でも、面と向かって友人と言ってくれたのは、間桐君が初めてだったものだから。それに、相手がどんな悪人だろうと善人だろうと、少なからず誠意を持って伝えてくれたのなら、それに応えないわけにはいかないと……私はそう決めていますから」

 

 そう言ってはにかんだ少女の姿に、ライダーは微かに身に纏う冷ややかな雰囲気が揺らぐ。

 その言葉をどう受け止めたのかはわからない。

 驚いたのか、呆れたのか、はたまた好感を抱いたのか、悪感を抱いたのか。

 

「──……付いてきて下さい」

 

 それでもそう言って背を向けたライダーからは少なくとも嫌悪の色は見られないなと感じた響は、反応の薄い騎兵に怒りを見せるハサンを宥めながら少しだけ軽い足取りでその背を追いかけるように部屋の外へと足を踏み出す。

 

 念のために部屋を出る前に間桐に声をかけ、扉を閉じて響は自分を待ってくれているライダーにお礼を言って間桐家のリビングへと向かう。

 その間も沈黙が二人、と霊体化したままのハサンの間に落ちていたけれど、響は気にならなかった。

 

 短いやり取りをしただけだがライダーは寡黙な女性だと感じていたし、自分の事を心配して警戒してくれるアサシンがいる事で肩の力を抜いているくらいだ。

 ハサンは主のその信頼が嬉しい気持ちと危ない目に遭ってしまうのではないかという不安を胸に抱いているのだが……少なくともこの場においてはその様子が消える事はない。

 

「んー……、あれですね……案内してもらっておいてではあるのですが、人様の家の食材を勝手に使うのは気が引けますね……」

「……問題はないかと思いますが」

「あはは、間桐君もそう言いそうです。……ううん。急いでいたとはいえ、商店街に寄ってから来た方が良かったかなぁ……」

 

 台所へと案内された響だが、綺麗に丁寧に使用されているからか気後れしたように呟く。

 それから一度時間を確認して腕を組むと暫く悩んで、買い物に出てこようという結論を弾き出す。

 

「間桐君は暫く起きないと思うし、少し買い物に行ってきますね。アサシン、残ってもらってもいいかな? 念のため起きたら伝えてほしいし……、だめ……?」

「…………」

 

 パッと振り返った響に、返事は返らない。

 ライダーはアサシンの気配が感じる位置を一瞥し、僅かに首を傾げる。

 この魔術師はどこまで本気なのだろうかといわんばかりの視線のような気がするが、響が気がつく様子はない。

 

「……わかり、ました」

 

 霊体化を解いて陽炎のように現れた女暗殺者は不満の色も露に首を縦に振った。

 髑髏の面で表情は隠れているが、纏う雰囲気だけは隠すつもりがないらしい。

 

「ありがとう。頼りにしていますよ、アサシン」

「はい……」

 

 不承不承といった様子で返事を返すアサシンに、彼女は仕方のない子だといわんばかりの生暖かい眼差しを細めてくすりと笑んだ。

 そうして無防備に、ライダーの視線も気にせず己の暗殺者へと近づきおもむろに細い腕を伸ばし。

 

「いつも心配させる事ばかりで、ごめんね」

 

 微笑みかけながら優しくアサシンの頭を撫でた。

 ずるい人だ、と思われるとわかった上でこれなのだから本当に人が悪い。何度となくそう思う。

 少しだけ唇を尖らせた己のサーヴァントに笑って、さてと彼女はライダーへと顔を向ける。

 

「そういう事ですので、間桐君と私のアサシンの事をお願いしますね。ライダー。問題を起こすような子ではないので大丈夫だとは思いますが……いざという時は止めてくださって構いませんので」

「……呆れた人ですね、貴女は」

 

 多少なりと彼女の人がわかってきたのか、ライダーはくすりと呆れを滲ませた笑みを口元に浮かべる。

 それを了承ととった響は改めて「お願いします」とライダーに向けて微笑み、ハサンにも同じようにもう一度頼むのだった。

 


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