そして少女は夢を見る   作:しんり

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第二十一話

 昼までの休憩時間の殆どをお手洗いに行く以外、ノートを書き写す事に費やしていた響はノートを返してほっと肩から力を抜いた。

 そうしてすぐに始まった四限目の授業も変わらず真面目に受け、お昼だと一気に騒がしくなった教室から早々に離れた彼女は朝、友人である間桐慎二に言われた通りに弓道場へと向かった。

 

 間桐はまだ来ていないのか人の気配はない。

暇を潰すようにあまり晴れているとは言えない空を見上げて小さく息を吐き出す。

 天候のせいか少し肌寒く、これならもう少し遅くくれば良かったかもしれないなどと思い耽っていれば名前を呼ばれたのでそちらを向く。

 

「お待たせ、水谷」

 

 片手を上げながらこちらへと歩いてくる間桐は親しくしているものから見ればにやついた。他の者から見たならばやけに爽やかな笑みを浮かべていると思えただろう。

 響は特に気にした様子もなくうんと頷いてはいるが。

 

「ほら、入りなよ」

 

 カチリと鍵を回して弓道場の扉を開けた間桐に、彼女は少し躊躇いながらも続いた。

 足を踏み入れてつい物珍しさに屋内を見回してしまうと、彼は呆れたように「面白いものなんてないと思うけど?」と鼻を鳴らす。

 

「初めて入ったものだから、つい気になっちゃって。さて、話があるんだっけ。……ご飯食べながらでもいいかな?」

「ああ。僕もお腹空いたからね」

 

 靴を脱いで畳の上に腰をおろし、向かい合うように弁当を広げた二人はすぐに話す様子はなくご飯を口に運んだ。

 そうしてふと響のお弁当を見た間桐は箸を下ろしながら、ぽつりと呟く。

 

「……おひたし」

「うん? ……半分でいいかな。蓋使うね」

「ああ」

 

 彼の言葉に欲しいのかな? と気づいた響がひょいと自分の分を引いてアルミホイルの包みを裏返された弁当の蓋に乗せる。

 そっぽを向きながらもごもごとお礼を言われ、彼女は思わずといった様子で笑い声を零す。

 そこには嘲りという意味はなく、あくまで微笑ましいとでもいうような柔らかいものが籠っていた。

 

 笑われた事に間桐は慌ててわざとらしく咳払いをし、どことなく引きつったものながら笑みを浮かべて「水谷」と猫撫で声で名前を呼ぶ。

 それに用件に入るのかと察した彼女が居住まいを正した事で、ちょっとだけ彼の笑みに自然なものが混じった……気がするのだが、響は特に気にした様子はない。

 

「お前さぁ、それ……令呪があるって事は持ってるんだろう?」

「? 持ってるって……ああ、サーヴァントの事? それなら、居るよ。とても優しくて可愛いんだ」

 

 少し刺が混じる尖った声音に、しかし彼女はにこにこと嫌味なく微笑む。

 その様子に鼻白んでしまった間桐だったがそれでも魔導の家の生まれという自負を胸にして「そりゃあいいね」と大仰に頷いた。

 

「実はね、話ってのはその事についてなんだ」

「その話?」

「ああ。聖杯戦争について、さ」

 

 ニヤリと笑った間桐が、片手をあげる。

 するとその背後に一人の女が現れた。

 

 響から見れば座っている事もあり大きく感じるすらりとした長身。

 身に纏う黒い衣装はメリハリのある体つきを強調するように張り付いている。

 だらりと力なくさがっている手には得物らしいものはなく、交戦の意思はないことを示しているのだろうか。

 

 思わぬ人物の登場に彼女を見上げた響は、その顔を、正確にはその両眼を覆う眼帯に瞬いた。

 その視線に軽く首を傾げた彼女の長い髪がその動きに合わせて地を這う蛇のように揺れ動く。

 

「……」

 

 しかし彼女は閉じた口を開く事はなく、すぐにその顔を元の位置へと戻す。

 それを見つめる響の表情を驚きと取って、間桐はやや満足げに笑みを浮かべた。

 

「ふふ……実は、僕もマスターの一人なんだ。気がつかなかったかい?」

 

 ニヤリと意地悪い笑みとなっている間桐に視線を戻した響は、うんと小さく頷いて小さく息を吐く。

 

「まさか間桐君がマスターとは思ってなくて吃驚してるよ。……でも、良かったの? 私に教えても」

 

 心底困惑したように首を傾げた彼女に、彼はふんと鼻で笑う。

 人によっては見下しているように聞こえるだろうそれは、しかし彼女には嬉しそうに聞こえていた。そう捉えるのは彼女だけかもしれないが。

 

「僕は間桐の血を継ぐものとして巻き込まれただけさ。 本当は戦いたくなんてないんだよ。友人である水谷とは特に、ね」

 

 意味深げに眼を細め、彼はじっくりと響の反応を窺い見る。

 しかしその視線に気づいていないのか困った顔をして尚も首を傾げる様子に、やや肩透かしを食らったような気分になってしまう。

 普通、もう少し反応があってしかるべきではないか。

微かに機嫌を降下させてしまいながら、更に続けるべく口を開く。

 

「──だからそこで、だ。僕とお前、二人で協力して戦わないかい?」

「え? えっと、間桐君……それ、本気?」

 

 今度こそ完全に驚いた顔をした響に、間桐は満足してにっこりと笑みを浮かべて頷く。

 そうだ。そういう反応が欲しかったのだと。

 

「ああ、勿論。協力して戦うって言っても、寝首をかくつもりなんてないよ? ただ、同じ学校にこれ以上僕を殺しに来るかもしれない相手がいるって事が怖くてね。水谷が協力してくれるって言うなら少しは安心できるってもんだろ?」

「あ、うん。……えっと、それはつまり……?」

「ハァ……わかってたけど、割と察しが悪いよね、水谷って」

 

 分かっていない様子でぱちくりと瞬く様子には思わず脱力してしまう。

 残念なものを見るような眼で彼女を見てしまいながらも、それでも間桐は自信を持って片手を差し出した。

 

「つまり、学校には他にもマスターがいるって事さ。誰がっていうのも、僕は知ってる。だから、それを教えてやるからさ──僕と協力しなよ、水谷」

 

 言葉だけはやけに強く、しかしどこか緊張の濃い強張った顔になった彼に、響はうーんと唸った。

 

 背後のハサンは反対なのかやめた方がいいと訴えてきている。

 だが、戦うのを好んでいない響としては受け入れてもいいかな、とやや乗り気ではいた。

 それでも悩むのは、これを飲んでしまうとまた何かを言われてしまうんだろうなぁという金色の王様を浮かべてしまうからだ。

 キャスターとの停戦の際も何故勝手に話を進めているのだと言われたものだ。

 あれとはまた状況が違ってはいるが……さて、そうだな。

 

「うーん……うん。まぁ、いいですよ」

 

 考え込んだ割にはひどくあっさりと頷き、響は手を差し出し返す。

 そうしてにこりと微笑んで、ぎゅうっとその手を握りしめた。

 

「………本気でいいわけ?」

 

 しかしそこまできて逆に戸惑ったのは間桐の方であった。

 確かに彼女なら頷くだろうという打算はあったものの、もっとこう、深刻に悩むべきではないか?

 さっきも唸ってはいたが、深刻と言える程ではなく、どちらかと言えばどちらのお菓子を買うべきだろうという……いや、このたとえは分かりにくいな。

 そう、たとえるなら気分を変えるために何時もの道じゃなくて近道をするかどうか迷う程度のものというか。

 

「え、だって間桐君、私を友人と認めてくれてるんでしょ? なら、いいよ。それに君は──あ、いや、うん。……でも一緒に戦おうって言うのは少し難しいかもしれないのは先に謝っておくね。私のサーヴァントは直接的な交戦は苦手だから。それでもよければ、停戦協定って事でよろしくね」

 

 優しくそう言った彼女は、あっさりと手を離してまた箸を手に取る。

 食事を再開した彼女のあまりにもいつも通りな様子に、何で僕の方が心配しなくちゃいけないんだと脳内の自分と争っていた間桐は乱暴に自身の頭を掻く。

 それが伝わる事なくのほほんと「あ、これも食べる? 結構自信あるんだ」などと言って弁当の蓋に遠慮なくひじきの煮物を置いてくるのは何だ。別に気にしないけど、それ食べてたじゃないか。

 零れるからって自分の白飯に崩してから銀紙ごとこっちに渡してくるなよ。いや食べるけど。

 

「……美味い……」

「そっか。間桐君、結構味に拘りあるから、良かった」

 

 何だか中学の頃を思い出すな、と足りない一人も思い出した間桐はむすりとした顔をして無言になる。

 そんな彼の変化には慣れたもので、響は気にする事なく、なんのかんのと彼と手を切るべきだと訴えかけてくるハサンに対応していた。

 どことなく立たされたままの彼のサーヴァントの方が居心地悪そうだ。というよりも暇そうである。

 

「う……あー、そうだ、水谷。僕のサーヴァントを見せたんだから、お前のサーヴァントも見せろよ。情報交換はフェアに行くもんだろ?」

「えっ……まぁ今ちょっとご機嫌斜めさんなんだけど……アサシン」

 

 苦笑して頷いた響が手招くと、ハサンは霊体化を解く。

 仮面を被ったままながら如何にも機嫌が悪いですというオーラをする暗殺者に、間桐は驚き身を竦めた。

 

「っ、な、なんだよ、コイツ」

 

 微かに浴びせられる殺気は流石の暗殺者といったもので、蒼白になっていく顔を隠せない間桐に響は困ったように首を振る。

 

「ごめんね、間桐君。私のアサシン、かなり心配性で。……霊体化してて、アサシン。明日は炊き込みご飯にするから。具沢山にするよ?」

「……ご飯に釣られるわけではありませんからね、マスター」

 

 それなりに長く共にいるからこそわかる拗ねた声音を残し霊体化したハサンにありがとうと微笑んで間桐へと向き直す。

 初めて受けた殺気にまだぷるぷると震える彼は最早ご飯どころではないだろう。

 それに少し申し訳ないなと己の行動に少しばかり反省し、響は努めて明るく「そう言えば」と手をうった。

 

「他のマスターって誰の事なの? 私の知ってる人なら避けようがあるんだけど……」

「……ハッ、それなら、安心だね。……他の奴ってのは、衛宮と遠坂の事だよ。遠坂くらいなら、間桐を少なからず聞いてたお前なら知ってるんじゃないかい?」

 

 響の声に我に返った間桐は青い顔のまま鼻を鳴らす。

 明らかにアサシンに対して怯えてしまっているのはわかったが、それを指摘して心配の言葉をかければ彼は怒るだろう。

 そう判断した響はそれに関しては何も触れることはせず、成る程と数度頷いた。

 

「そういえば、そうでしたね。間桐君が割と遠坂さんの話をするから、つい忘れてました」

「っはぁ? 僕がいつ、お前の前で遠坂の事を話したって言うんだよ」

「……あ、無自覚だったの……? そっか……いや、それなら気のせいって事にしとくよ」

 

 すっかりと自分の話した事など忘れた様子に、苦笑を浮かべた響はひとつ首を振る。

 忘れていたとしても大した問題にはならない。話していた内容も、まぁまた順位が上だったやら何やらという愚痴のようなものだし。

 

「……それにしても、衛宮君もマスターなのかぁ。同じクラスに三人もマスターがいるなんて、偶然にしても凄いよね」

 

 さっさと話を切り替えた彼女に、間桐は物言いたげな顔をしたが突っ込むのを止めたのか「そうだね」と軽く同意した。

 

「衛宮君とも遠坂さんとも、できれば戦いたくはないかなぁ」

「……人が好い衛宮なら、戦わないってのは受け入れてくれるんじゃないか? 僕は一応、提案してみるつもりだけど」

 

 重たいため息を吐き出す響を見かねたのか、少々人の悪い笑みで間桐はフォロー……のようなものをする。

 しかし彼女は小さく唸るだけで、肯定の言葉は返さない。

 衛宮同様に人が好い彼女が戦いに消極的なのは理解できるが、何をここまで悩む事があるのだろうか。

 協力を申し込んだ自分を棚に上げているつもりのない彼は小さく首を傾げた。

 

「……いや、私は様子見って事でいいかな。敢えて言う必要は私にはないし」

「ふぅん? ……意外とやる気あるんだ、水谷」

「ん、やる気というか、なんというか。さっきも言ったけど、アサシンは直接戦うのが苦手だからね。私の知ってる情報の中で知らないのはアーチャーとセイバーだから、できるだけ顔を合わせたくないんだ」

 

 困ったように曖昧に笑む響が言外にその二騎以外の情報は少なからず知っていると言うその言葉に、間桐は大きく目を見開く。

 まさか、そこまで情報を得ているとは想像だにしていなかった。

 アサシンというサーヴァントだからこそ、情報戦には長けているってわけか?

 

「へぇ……ついでだし、その知ってる情報ってのを教えてくれよ」

「あ、うん。いいよ……って言いたいとこだけど、お昼休憩も時間なくなってきたし、また改めてでもいいかな? 具体的には今日の放課後はちょっと無理だから、明日にでも」

 

 これは幸先がいいとばかりにずいっと顔を寄せて頼んできた間桐だが、時計を見た響はごめんねと両手を合わせる。

 間桐としては緊張感を持ったつもりだったのだが、これにはやや白けてしまう。

 なんというべきか、こういう緊張感の薄いところがらしくはある。

 だが、協力関係を結んだとはいえ、すわ情報戦をするつもりかと少しばかり疑ってしまった自分の緊張を返せ。

 

 そんな喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、同じく時計を見た間桐は確かにギリギリだなと頷く。

 昼以降サボってもいいが、結構真面目な水谷を説得するのはよっぽどがない限り大変だ。

 今日のところは諦めて、また明日にするとしよう。

 僕は柔軟な対応ができるからね、と誰にアピールするわけでもなく心の中で呟いて、彼は「ならこの続きはまた明日にするとしようか」とニヤリと笑う。

 

 それに安心したように頷きを返し、響はまだ三分の一ほど残る白米を箸で取り上げた。

 ただ思い出したようにひとつ。

 

「何かあっても、学校の結界はできるだけ使わない方がいいよ」

 

 そうなったらどうするのか想像もつかないから、と。

 不安を抱かせるような忠告を、柔らかな微笑みを向けながら友人へと贈った。

 


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