そして少女は夢を見る   作:しんり

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第十八話

 立て直せない思考のまま、少しでも彼女から遠ざかるように立ち上がり、ふらふらと部屋を出た士郎はそのままの足取りで礼拝堂へと向かった。

 

「ふむ、────?」

 

 何やら言峰が呟いたようだが、そんなことに士郎は気がつかなかった。いや、気が付く余裕がなかったと言えるだろう。

 こびりついた映像を振り払うように何度か頭を振った彼は、呻くように小さな声で問うべきことを口にした。

 

「言峰、あんたには切嗣のことで聞きたいことがある。どうして衛宮切嗣がマスターで、前回の聖杯戦争で戦ってたって事を黙っていた」

「そちらか……よかろう。だが、衛宮切嗣が前回のマスターであった事と、今回のマスターに衛宮士郎が選ばれた事は無関係だと思うが」

 

 昨夜訪れた時に何も語らなかったことを悪びれた様子もなく、むしろ愉しそうな眼で衛宮士郎を見下ろす男に、彼は睨むようにその顔を見上げた。

 無関係のはずがない。切嗣の息子として、弟子として育った己がマスターになったからには意味があるのではないかと。

 先程までの光景を振り払うように強く、強く拳を握りしめる士郎の様子に、神父は薄笑いを浮かべる。

 

「それは、本当なのか? アンタは俺に偶然マスターになったって言っただろ。そんな説明より切嗣の事を言えば、俺はアンタの思い通り戦うと決めた筈だ。それを、どうして口にしなかった」

「本来、いかに魔術師であろうと聖杯を知らぬ者に令呪は宿らぬという。遠阪や間桐の一族でなかったマスターの遺伝による継承など知らぬし、そもそもお前は切嗣の息子ではあるまい。それに、何の用意もなく何の覚悟もなかった人間がマスターに選ばれる事は稀なのだ」

「……それじゃあ、本当に切嗣の事は関係ないんだな? 俺がマスターになったのは偶然で、あの時切嗣が俺を助けたのも、ただの……」

 

 純粋な善意で、死のうとした子供を助けただけなのか。

 そう、最後まで言葉にできない士郎を眺めながら、言峰は「さてな」と否定も肯定もすることはなかった。

 

「聖杯の思惑となれば、私には計り知れん。衛宮士郎がマスターに選ばれた事は偶然と切り捨てたいところだが、少なからず因果を感じる。聖杯を求め純粋な願いに聖杯が応えたにも関わらず、その聖杯を否定し破壊した衛宮切嗣の息子に贖罪を求めているのやもしれん」

「聖杯を──破壊、した……?」

 

 目を見開き、呆然と言葉を繰り返す少年に、頷いた神父は「お前は、お前を拾う以前の切嗣を知らないのだったか」と呟く。

 そうして、密かにとっておいた好物を堪能するように唇を吊り上げ、不吉な笑みを浮かべた。

 

「いいだろう。無駄な話だが、衛宮切嗣の正体を教えてやる」

 

 そうして言峰が語ったのは、魔術師殺しであった衛宮切嗣の所業と聖杯戦争参加においてアインツベルンから迎えられた事。

 そうして、前回の聖杯戦争で客観的に知る限りの衛宮切嗣の行動を淡々と並べ立てる。

 幸か不幸か死者はいたかいないかというくらい軽微なものの、彼の男は無関係な人間も巻き込む行いをしたし、相手の弱みを利用しようともしたらしい、と。

 最後には幼い子供を手にかけようとしたようだが、幸いその子供については他に問題が起きたがために難を逃れたそうだ。

 

「──その子供は、もしかして……」

 

 士郎の脳裏に、道場で話していたセイバーの難しい顔が浮かぶ。

 それから、先程の出来事がフラッシュバックしてくらりと目の前が眩むような錯覚を覚えた。

 

「お前の想像の通り、彼女──水谷響という少女は前回の聖杯戦争においてキャスターのマスターとして参加をしていた。殆ど戦い自体には顔を出してはいなかったが……それでも、その事実は不変の真実だ」

 

 淡々とした語り口調の言峰は、目の前で言葉を失う姿を見下ろしながらも気にせず話を続けた。

 

 正直なところを言えば、神父の語る事はどこか遠い事のように思え、実感を伴わない。

 続け様に語られるアインツベルンの話では、一千年という気が遠くなるような年月を聖杯という物の完成を成就させるためだけに執心したというのだから、尚更だ。

 けれど、その一千年の歴史を向こうに回して切嗣が己の願いを張り通したのだというのなら。

 

 衛宮士郎は切嗣の息子として、自分の信じる道を行かなければと拳を握りしめた。

 

 

 もしも治療の必要があってどうしようもないなら見返りは必要だが手を貸してやろうと言う言峰に、「死んでもお前の世話になるもんか」と士郎は体ごと目をそらす。

 歩き出そうと浮かせた足を、けれどどうしたことか進めることなく戻して顔だけ振り返って神父を見る。

 

「……水谷には、どんな見返りを求めるんだ?」

「ふむ? ……それ相応の対価を求めるつもりではあるが、お前には関係のない話だろう。それとも、彼女──水谷響という少女にお前は懸想でもしていたか」

 

 その何て事ない世間話のような気軽さを持った言葉にぽかんと口が開き、鳩が豆鉄砲を食ったような顔が浮かぶ。

 全く理解できないとばかりのその様子に、言峰は肩を竦めてくつりとひとつ喉を鳴らして笑う。

 

「どうやら、要らぬ世話とやらだったようだな。なにぶん、私には理解の及ばぬ事柄故な、興味本位だったのだが……違うのならば気にするな。なに、対価を取るのに命を脅かす真似などはしないから安心するがいい」

「────」

「そら、帰るのではなかったのか? 私もお前にずっとかかずらっているほど暇な訳ではないのだが。……それとも、見送りが必要だったか?」

 

 からかうような笑みを浮かべた言峰に、士郎はやっとの事で瞬いてはっと息を吐き出す。

 

「……必要ない」

「そうか。それは何よりだ」

 

 唇を引き結んだ士郎は言峰を睨むように見上げ、それからふんと顔を背けて歩き出す。

 しかしその脳内では先程までの言葉が反芻されていて、ぐるぐるごちゃごちゃと思考が掻き乱されて混乱を極めていた。

 そこへ彼女の姿までもが浮かんできていて、ふらふらとした足取りも自覚なく、彼は礼拝堂の扉に手をかけた。

 

 扉の向こうに消えてゆく少年の背中を神父は、唇に弧を描き目を細めながら最後まで見ていた。

 

 

「……シロウ? 顔色が悪いですが、あの神父に何かされましたか?」

 

 礼拝堂を出たことに気がついたセイバーが駆け寄ってきて、その顔色に眉を寄せ真剣な眼差しで士郎を見つめた。

 

「それならどうして私を呼ばなかったのです。危険が迫った時は呼んでほしいと言ったではないですか」

 

 答えられずにいると、彼女はずいと迫ってきて体に異状はないかなどと矢継ぎ早に問いかけてくるものだから、士郎はふと頬を緩めてしまう。

 それに気がついたセイバーがキッと眦を吊り上げて「シロウ!」と怒るように腰に手を当てたのも相まって、渦巻いて混沌としていた思考がすとんと落ち着く。

 

「悪い、セイバー。別段異状はないから安心してくれ。……その、ちょっと混乱していただけだ」

「混乱?」

「あ、ああ……」

 

 ずずいと更に訝しげな眼差しが近づいて、思わず一歩後退しながら士郎は困った顔を浮かべた。

 言うのは憚られる……しかし、真面目に心配をしてくれていると思われるセイバーに誤魔化すというのも気が引ける。

 

「……セイバーは……前回の戦いで、水谷に……あ。水谷も、前回マスターだったらしいんだが……とにかく、見たことがあるんだろ?」

「──やはり、あの時の少女でしたか……。ええ。直接の会話を交わした事はありませんが、彼女の顔と名は覚えがあります」

 

 思うところがあるのか、複雑な顔で頷いたセイバーはそれでと士郎に話の続きを促した。

 

「あ、いや……水谷はまだ意識が戻ってなくて話はできてないんだけど……。その、セイバー。前回のあいつは、どんなだったんだ?」

「敵のマスターを相手に話をしようなどと悠長な……と言いたいところですが……」

 

 前のめり気味な体勢から一歩離れてふむと腕を組んだセイバーは、己がマスターの顔を見た。

 彼の顔にはどことなく困惑のようなものがある。

 ヒビキという少女に関して何かあったのか、彼の神父に何かよからぬ事を言われたのか。

 その表情から内容を読み取る事などできないが、それでも確信を持って何かはあったと言える。

 

 問いかけるべきか、と悩みけれどいやと首を振る。

 この様子では自分で理解していなさそうだと直感が告げている。

 ならば問いかけるだけ無駄だろう。

 

「……彼女について私も知り得ている事は少ないのですが……ここから離れながら話しましょうか、シロウ」

「ああ……頼む」

 

 このまま教会の前で話し込む事ではないだろうと頷いた士郎は、くるりと背を向けたセイバーの横に並ぶ。

 彼女はそれを認め、いつでも襲撃されてもいいように周囲の気配に注意を怠る事なく目を光らせつつ、少し重たく感じる口を開く。

 

「彼女は前回、キャスターのマスターというのは、言いましたね。初めて彼女の存在が知れたのは、私を含め他の二騎のサーヴァントが集まった場でした。……正確に言うならとある一騎が私たちの拠点に乗り込んできて酒を持ち寄ってきて、それに誘われていた一騎が彼女を連れてきたのですが」

 

 は、とぽかんと口を開く士郎に、セイバーは苦々しく当時の事を思い返しつつもマスターの反応に無理はないと頷く。

 幼い子供を酒宴に連れて来るなど普通ならばあり得ない。

 まさか童子趣味なのかと神経を疑いもしたものだ。……いや、あの時の疑いは晴れていないが。

 

 それはともかく。

 

「彼女と彼はそれなりに親しかった……のでしょうね。さほど嫌悪した様子も怖がった様子もなく、笑い声がうるさいと訴えて抗議していました。その手首に宿る令呪がよく見えて、やっと彼女がマスターと知れたわけです。彼女と共にキャスターが連れられていたのは気配でわかっていましたが、なんというか……貧弱そうな気配だったので……一応見逃していたのですが。いえ、実際彼自身戦闘能力のない子供のような姿でしたけど」

 

 ぱちくりと瞬く士郎に、セイバーは神妙な顔を浮かべる。

 セイバーの直感的にキャスターの気配は少女を連れてきた男と比べて到底敵になどならないと判断していた。

 実際霊体化を解いたキャスターは戦闘に向いているとは到底言えない体つきで、もし戦闘することになれば少女の事も含めどうにも仕掛けるのは躊躇われていただろう。……無論、仕掛けられればそれ相応に相手取っていただろうが。

 

「ヒビキという名だけ、そこで知れたというわけです。その後顔を見たのは一度きりで、私には彼女がどうなったのか知る事はありませんでしたが……その一度で、彼女の力量の一部は多少なれどわかったつもりです。シロウ、彼女はあなたよりも力のある魔術師だ。リンと比べてどうかはわからないですが、シロウに暗示をかけるくらいならば造作もないでしょうね」

 

 セイバーが目撃した響の魔術。

 それは川と現世の眼を隔てる結界ではあったが、それでも規模と内部で行われた戦闘で破れなかった事を思えばその力量は推し測れる。

 流れた時間を考えれば当時よりも更に力がついている事だろう。

 マスターがその事を理解して、近づかなければいいのだが……。

 

「そう、なのか……」

 

 深く沈みこむ声音に、セイバーは眉を寄せる。

 この様子では、些か不安に過ぎるな、と。

 

「シロウ。彼女は敵のマスターだ。あなたがどう思おうと勝手だが、彼女とも戦わねばならないことは胸に刻んでおいてほしい」

 

 それに、彼女は覚えているかわからないが、もしかしたら過去のその邂逅で己が真名を彼女は知っている可能性がある。

 

 低く呟くような声でそう言った彼女に、士郎はドキリとした心臓を押さえつけた。

 うつむきかけた顔をあげて彼女の顔を見れば、過去を想起してか苦々しさの濃い険しい顔で士郎を見ていた。

 

 これ以上近づかない方がいいと言っているのが何となくわかって、けれど咄嗟に言葉は出てこない。

 

「……努力、する」

 

 絞り出した返答は、ひどく曖昧なものだ。

 それでもセイバーは肯定と受け取ったのか、それでいいとでも言うように頷く。

 

 そうして二人は今後どのように動くかについて話ながら帰路を歩いた。

 夜になってから町を見回るということに決めたものの、しかし彼にはすっかりと失念している事があった。

 なんだったかな、と家についてもついぞ思い出さなかった士郎に襲いかかるははたして怒声か冷たい沈黙か。

 

 教会での出来事を反芻しては頭を振りかぶる士郎は、後になって悔いた。

 思い出しておけば、あんなにも居心地の悪い夕食にならなかっただろうにと。

 


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