そして少女は夢を見る   作:しんり

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第十七話

 新都へ向かうバスに二人は乗り込み、駅に向かう途中にある停留場で下車する。

 そこからは歩きながら向かい、昨日の夜に訪れた教会に再び足を踏み入れる。

 しかし、セイバーは教会に入ることには忌避しているようで、門付近で待っていると言った。

 

「言峰、いるか?」

 

 礼拝堂を開けてしんと静まり返った空間に居心地悪く感じながら声をあげる。

 しかし返事は返ってくることはなく、礼拝堂は静寂に満ちる。

 

「…………」

 

 勝手に奥に行ってもいいのだろうかと迷い扉を見ながら逡巡するが、どうにも躊躇いが足を縫い付け動けずにいた。

 

 暫く扉を見つめていた士郎だったが、何やら足音が聞こえてきた気がしてハッと息を飲み込む。

 ギィィ、と軋む音を立てて開かれた扉から足音をさせていた誰かが出てくる。

 

「──ッ?」

 

 それは、神父ではなかった。

 息を飲むほど整った人とは思えないほどの美貌。染めたようには見えない派手な金色の髪。鋭く尖った赤い瞳を持つ男。

 その肉体はあの赤い弓兵や青い槍兵ほどとはいわないまでも、同様に鍛えられたものであると感じ取れた。

 

「何だ、言峰に用事か? であれば、あやつは奥にいる。入っても問題はなかろう」

「……あ、あぁ……あり、がとう……」

 

 コツコツと音を鳴らしながら歩み寄る金色の美丈夫に気圧されながら頷けば、その端正な顔つきに愉しそうな笑みが浮かぶ。

 それが何故だか恐ろしくなって、士郎の足が咄嗟に後退る。

 この男は危険だ、見るな、離れろと警鐘を鳴らすように心臓の鼓動は忙しなく、喉の水分はからからに渇く。

 

 コツン。コツン。と一歩一歩の足音がやけに耳に付きながら、震えそうな体を強張らせ、その動きを見守った。

 

 そうして、目の前まできた男はふんと鼻を鳴らし、カツと士郎の真横に足を踏み出した。

 

「貴様、女難の相が出ているぞ」

「えっ?」

 

 すれ違いざまに呟かれた言葉に士郎は何のことだと横を過ぎた男を振り返るが、彼はそのまま礼拝堂から出ていった。

 扉が閉まった後もその姿がそこにいるかのように呆然と見ていたが、 よくわからない言葉の意味を考えるよりもすることがあると自分に言い聞かせるように首を振って一歩足を動かす。

 

 未だ逸る鼓動を宥めながら、士郎は大きく深呼吸して礼拝堂の奥を目指した。

 

 

 扉をくぐり、中庭に入ったものの人の気配はない。

 奥というのはどこを指すのだろうかと迷いながら、礼拝堂の反対側を目指して足を進める。

 

 大きな二枚扉の前まできたが、その扉は鍵がかけられており、開かない。

 はぁ、と息を吐き出してどうしようかと思案しようとした矢先。

 廊下の先で微かな物音が聞こえてきた。

 

「……あっちか?」

 

 ここまで人気がないのなら、この教会にいるのはあの神父か水谷だけなのだろう。

 ……いいや、もしかしたらランサーもいるのかもしれないが。それでも、今何の視線も何も感じないということは、いないはずだ。

 

 自然と緊張し、強張る体を動かして音が聞こえた方へ足音を殺しながら歩く。

 

「いッ?!」

 

 ここか、と扉の前に立ち止まりかけたところ、勢いよく開いた扉が顔にぶつかる。

 ゴッという鈍い音をたて、すぐにじんとした痛みを訴える鼻頭と額に思わず俯いて小さく唸りをあげてしまう。

 そして、聞こえてきた扉の閉まる音と微かに笑う気配にキッと睨み付けるように顔をあげる。

 

「すまないな、そんなところに人がいるとは気づかなかった」

 

 嘘をつけ、と言いたくなるのを飲み込んで、士郎は「そうかよ」と吐き捨てるように返す。

 部屋から出てきた言峰はそんな彼の顔を見下ろして「それで」と促した。

 

「どういった用件だ。よもや昨日の今日でリタイアと言いにきたのか?」

「違う」

 

 返事などわかりきっているだろうに、底意地悪く問いかけてくる言峰に思わず眉を寄せてしまいながら首を振る。

 

「……水谷の様子、を聞きたくてきた。アイツの容態はどうなんだ、言峰」

 

 余計なご託を並べられる前にと用向きを言えば、ふむと言峰は黙りこくる。

 それにもしや相当危ういのだろうかと不安を覚えてしまうが、目の前の男に気づかれたくないと押し隠す。

 

「傷自体は完治といっても差し支えはない。ただ、相当消耗していたのか今のところ起きる気配はないな」

「そ、そうか……よかった」

 

 心底から安堵したといわん表情で息をついた彼に、言峰は目を細めて考える素振りを見せた。

 けれど士郎は安心からか張っていた緊張を緩ませ、しかしその気の緩みからか夜に見た息も絶え絶えな赤く塗れた姿と朝の夢に見た赤い炎に照らされた光景が脳裏に浮かんで慌てて首を振って吹き飛ばそうとしていて、それには気づいていない。

 

「では、彼女の顔を見ていくといい。そんなに気になっていたのなら顔を見ればもう少し安心できるだろう」

 

 だからか言峰のその言葉に、反応が遅れてしまった。

 

「えっ……そ、れは」

「彼女のことが気になるのだろう? ならばそれは晴らすべき懸念ではないのか、衛宮士郎」

 

 感情の読めない顔で見下ろされ、得も言われぬ後ろめたさを覚えて一歩だけ足が後退する。

 怖じ気づく必要も悪く思うこともないはずなのに、晴らすべき懸念という言葉にどうしてか反応をしてしまった。

 その理由を考えるよりも前にふと笑みを浮かべて見せた神父が肩を叩き、横を通り過ぎる。

 

「彼女はこの部屋に寝かせている。私は礼拝堂にいるから、用があるのならば帰り際に言うといい」

 

 「ではな」とからかうような響きを持たせた声を背に浴びせ、言峰は士郎のきた道へと消えていった。

 完全に足音が聞こえなくなり、息を吐き出した士郎は僅かに震える指を握り込んでその扉へと視線を向けた。

 

「……水谷なら、大丈夫だ……」

 

 自分に言い聞かせるような呟きを溢し、そっとドアノブを掴む。

 何故かうるさい音を立てる心臓を無視して、ゆっくりと扉を引く。

 

「…………」

 

 ドッドッと早鐘を打つ心臓とは反対に、室内は無機質な静けさに満ちていた。

 礼拝堂で感じた荘厳な静寂と反して、生きているものがいることの方が不自然なほどの痛い沈黙。

 建てられた年数を訴えるような僅かに薄汚れた印象を抱かされる白い部屋。生活のための用品を殆ど排された中にあって生きているのは、この部屋に足を踏み入れた自分と。

 

「水、谷」

 

 白いベッドに横たえられた彼女だけだ。

 

 ベッドの脇に置かれた椅子は先程まで言峰が使用していたのだろう。壁際に置かれたそれはベッドの反対に同じく置かれた机と対になるものか。

 

「……ッ」

 

 自分と彼女以外誰もいないはずの部屋を、けれど何かを警戒するようにゆっくりと進んだ士郎は、白い枕に頭を埋めるその顔を見て息を呑んだ。

 

 死んでいるのかと錯覚してしまいそうなほど青白く、しかし人形のような硬質さを感じるほどの無で彩られた顔。

 瞼は閉じられているはずなのに、そこにいつか見た虚ろな眼を見出だして咄嗟に言葉は出てこなかった。

 あまりに無を感じさせる顔にまさか、という焦りに駆られて布団を剥いで膝をつき、耳をその顔に近づけ胸の動きと呼吸の音を確認する。

 

「……はぁ……良かった……」

 

 そんな心配など杞憂で、彼女の胸は浅く上下を繰り返し、呼吸もしっかりとしていた。

 振り返れば何を焦っていたのか、と言峰の言葉を反芻しながら自分自身への呆れをため息にして追い出したところで、はたと我に返る。

 

「あ、う……っ!?」

 

 おいてけぼりになっていた心音が駆け巡るように鼓膜を叩き、一気に上り詰めた体温が冬の空気に冷やされる。

 言葉を詰まらせかちんこちんに固まった士郎の視線は、彼女の柔らかな肢体へ釘付けになっていた。

 シャツの隙間から覗く首筋と寝苦しくないようにという配慮か、少しだけ開かれたシャツの隙間から見えるレースの布地。そこまで認識したところで、慌てて視線を引き剥がし、天井を仰ぎ見る。

 

 これは決して故意ではなく呼吸を確認するために云々と言い訳のようなものをぶつぶつと呟きだした士郎は、リフレインされる映像に頭をかきむしる。

 だからこそ、眼下で動きを見せた彼女に気づかなかった。

 

「っぁ?!!」

 

 首に熱が触れ、押されるような感覚に驚く間もなく視界が白く染まる。

 そうして唇に、柔らかい感触が触れた。

 

「────」

 

 思考が停止する。

 

「────」

 

 何も考えられない中に、優しい花の香りのような匂いが鼻孔を擽る。

 

「────」

 

 何が起きているのだろうか。

 

「……ん、ぅ……」

「──っ!」

 

 僅かに感触の遠退いた唇に、あたたかい吐息が掠め、やっとのことで我に返る。

 今、自分は、寝惚けた学友と──。

 

「……だ、……ぃな……ん……、ぁ……」

「み、ずた──」

 

 ぼんやりと薄目を開く彼女は、明らかに自分を映してなどいない。

 声をかけて起こそうと咄嗟に思ったのか、その名前を呼びかけた士郎だが、それは不自然に途切れてしまう。

 

「?!」

 

 視界には閉じられた瞼と、長い睫毛。それから程よく手入れされているらしい柳眉。目にかかるほどの前髪に、白い肌が映る。

 唇には、再び柔らかい感触。口腔には開いた隙間から入り込んだ生暖かいものが、まさぐるように絡みついてきていた。

 

 予測さえしていなかった事態に、士郎の思考は今度こそ完全にショートしてしまった。

 

 目を見開いたまま硬直し、されるがままになっていたが、それも長くは続かない。

 力尽きたようにぼすっと浮かせた上半身をベッドに沈みこませ、暫くしない内にすぅすぅと寝息がたてられたからだ。

 感じていた感触から解放された士郎だが、直ぐに意識が戻った……ということはなく、数分ほど口を半開きにしたまま茫然自失していた。

 

「なっ……に、が……」

 

 唇に手を当てたかと思えばまた数分動きを止めていた士郎が、ぎこちなく瞬きを繰り返す。

 どのくらい目を見開いていたのか、乾いて瞬きの度痛みを感じる眼が先程のことが夢ではないと訴えるようで、士郎は慌てて後退りし背中を壁にぶつけた。

 

(なんっ……俺、今、水谷、と……キ、スし……──ッ!)

 

 かぁっと全身火だるまになったかのように熱く、赤く染まる。

 頭を抱えて壁を支えにずるずると蹲ってしまいながら、状況の確認を脳内で繰り返す。

 

 自分はただ、彼女の容態が心配で、教会にきた。言峰があまりに不穏な言葉を残して行くものだから、不安になって本当に息をしているのか確認をした。

 それで、それから……大変申し訳ないことに、その、下着……が見えて、とそれを思い出して呻き声がこぼれる。

 違う。確かにそうだったけど故意じゃないし、それにすぐに目を逸らした。

 目を逸らして、次に会うとき謝らねばとか考えていたところを、彼女の意識が少し戻ったのだろう。

 何かと、誰かと勘違いして、その──キス、をしてしまったのだ。

 一度にして二回行われた全く方向性の違ったその動きを思い出し、士郎の顔はこれでもかというくらい赤く染まる。

 

「っ、くそ……! 俺の馬鹿……馬鹿野郎……相手は、友人だぞ、水谷なんだぞ……」

 

 言い聞かせるように呟くが、まるで自分の首を締めるように息苦しくなる。

 確かに、彼女は本当に友人と呼んでいいのかわからなかったが、それでも庇護するべき対象だと思っていた。

 同じ地獄から生還し普通の生活を送る彼女に少しでも多くの幸せが訪れればいいと、そう考えてもいた。

 だから彼女は女性という対象ではなくて、ただ自分が守るべき、一番に義務を果たすべき相手だと思っていた。筈なのに。

 

 がらがらと何かが音を立てて崩れていくような錯覚がした。

 




本編で触れられないから補足:AUOは外に出てセイバーがいたからもしかしたら室内に戻っているかもしれない。
言峰との話までいこうと思ったけど長くなったので次回はたぶん言峰との会話になると思います。

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