そして少女は夢を見る   作:しんり

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第十五話

 衛宮士郎は目を開き、見慣れた天井をぼんやりと眺める。

 その頭に浮かぶのは、先程まで見ていた夢についてだ。

 まるで剣の樹海のような光景と、それを燃やし尽くすかのような紅蓮の業火。

 浅い呼吸で生きている誰かの姿が、自分へと腕を伸ばしてきて。

 

 そこまで夢を思い出したところで、昨夜の戦闘を思い出して勢いよく跳ね起きる。

 外は明るく、大分日がのぼっている。ということは、もう昼も間近というところだ。

 半日近く眠っていたのか、と思いながらも士郎は自室を出て居間へと向かった。

 

「おはよう。勝手にあがらせてもらってるわ、衛宮君」

 

 セイバーはいるだろうか、と月光に照らされた金色の髪の少女の姿を思いながら襖を開けたところ、知った姿と声が目と耳に飛び込んできた。

 

「なっ、え……!?」

 

 座布団に落ち着き払って座っているのは遠坂凛だ。

 その落ち着き様は、逆に家主である自分の方が客なのではと思ってしまいそうなほどだ。

 なんと言ったものかと悩み、とりあえずと座った士郎は、ひとつ深呼吸をする。

 

「ええと、遠坂? お前どうして家に居るん……でしょうか?」

 

 ぎろり、と音が出そうなほどの目付きに思わず敬語になってしまいながら士郎が尋ねる。

 遠坂はじっくりと窺うような顔を見つめて、嘆息した。

 

「誰かさんが気を失ったから運ぶ手伝いをしただけよ。勿論、そのまま帰ってしまうのも吝かではなかったわけだけど、その前に情報をもらっておきたくてそのままこの家で休ませてもらったのよ」

「そ、そうか。世話をかけたみたいだな、悪い。……でも、情報って?」

 

 思わず謝ってしまった士郎だったが、すぐに困惑した様子で首を傾げる。

 それを見てまさか忘れたのではないだろうな、と胡乱な目をしつつも遠坂は仕方なさげに答える。

 

「ランサーのマスターについてよ。水谷さんって、確かあなたのクラスメイトでしょう?」

「水谷って……まぁ、確かにそう、だけど……でも、あいつがランサーのマスターって、何を根拠に……」

 

 思いがけないことを聞いたと困惑する士郎に、彼女は眉を寄せた。

 あの時の状況を鑑みれば、倒れていた彼女がランサーのマスターだという予測を立てるのは簡単だろうに。

 

「状況証拠よ。ランサーがはっきり言ったわけではないにしろ、セイバーに対して彼女に手を出すなと言ったらしいの。つまりそれって、ランサーにとっては失うと困る相手ってことだわ。バーサーカーのマスター、イリヤスフィールが次は殺す、って言ったということは、彼女が殺す対象である……つまり、サーヴァントのマスターだっていうことはわかるでしょ?」

 

 ピッと指を立てながら示された二つの理由に、士郎は小さく唸る。

 あの時、確かにイリヤスフィールと名乗った白い少女がそう言っていた気がする。

 ただ、目の前で人が……まして、何年という付き合いのある見知った存在が死にかかっていたという事実から、頭に血がのぼっていたのか、それとも直後の戦闘の後に気絶したからか会話が頭に残っていない。

 だからこそ、水谷響という少女がランサーのマスターであるという遠坂の言葉が遠く思える。

 

「……ま、別にあなたが信じようが信じまいが、私は一向に構わないけどね。でもね、衛宮君。そんなんじゃいつか足元を掬われるわよ?」

 

 厳しいようで、しかし確かに士郎のことを気にかけるような遠坂の言葉に、彼は思わず瞬きながらその顔を見つめた。

 気まずげに視線をそらした遠坂だがそれも一瞬で、「何よ」と不機嫌そうに睨み返してくる。

 なんとなくそれに安心してしまいながら、士郎は首を振った。

 

「いや……ありがとう、遠坂」

「ちょっと! 何でそこで礼の言葉が出てくるのよ」

 

 驚いた遠坂は、うんうんと何事か納得したように頷く姿を鋭い眼差しで睨み付ける。

 

「え? だってお前、そこまで俺を気にかけてくれる必要なんてほんとはないだろ。なら、その内容はともかくとして礼を言うのは当たり前のことだ」

 

 あまりに真っ直ぐ、一切曇りなく言い切った士郎に、今度は大きなため息がこぼれ落ちた。

 頭を押さえて緩く首を振り、処置なしと言わんばかりに彼女は呆れたように顔を手で押さえてじとりとした視線を送る。

 それから考えを払うように首を振って、気分を変えるようにお茶を飲み込む。

 

「……まぁいいわ。で、さっきの続き。水谷さんって、どういう人なの? 私、同じクラスになったことはないから、あなたの方が詳しいはずよ」

「情報ってつまり、水谷についてか……。いや、でも俺が知ってることは少ないぞ」

 

 それでも構わない、と頷かれて士郎は水谷響という同級生の姿を頭に思い描いた。

 

「水谷とはもう何年も同じクラスになってきたけど……あいつ、人と進んで関わろうとはしないんだ」

 

 思い出せば、もう随分と長い付き合いになる。

 

 十年前に起きた大火災。衛宮士郎と同じくあの地獄のような光景から生き残った少女こそが、水谷響だ。

 自分の養父である衛宮切嗣の元に身を寄せてから暫く、やっとのことで落ち着いて深山町にある学校に通いだして数ヶ月後に彼女もまた同じく学校に通うようになった。

 その時は別々のクラスだったものの、響の話を教職の人間から漏れ聞いたことで、いてもたってもいられずに隣のクラスの彼女を窺い見たのが始まりだったか。

 

 じっと椅子に座ってぼんやりと壁にかかった時計を眺める姿には、覇気がなかった。それどころか、等身大の人形がそこに置かれているだけのような無機質ささえ感じて、士郎は知らずの内に固唾を飲み込んで話しかけにいこうかと迷った。

 けれど、何を言うつもりだったのかまったく思い浮かばず、その日はただ遠く見るだけに止まった。

 明くる日も明くる日も、隣の教室を通りかかるたびにその姿を確認したが、次の授業が体育である時以外、彼女が変わるのを見ることはなかった。

 

 それから関わるようになったのは何時だっただろうか。

 ……確か、学年が変わった頃……自分と彼女が小学校の四年生となり、同じクラスになった時。

 何がきっかけなのかはわからないけれど、彼女は所謂いじめというものを受けていた。

 それは主にひとつ上の上級生……それも彼女の従姉妹によるものだった。

 教師たちに気づかれないようにと網を張られたその行為に気づけたのは、たぶんその姿を気にしていたからなのだろう。

 

 従姉妹の両親に引き取られたのだという彼女の面倒を従姉妹が見ている、ということは教師には伝わっていただろうからこそ、その後ろについて歩く彼女を不審に思うことはなかった。

 士郎も最初はそうなんだな、と軽く捉えていた。それというのも彼女の顔色が少しも変わらなかったからだ。

 

 ひと学年上の存在は、自分たちの学年からしたら少し遠慮してしまうもので、ましていつも大人しく物静かな存在だった響を引っ張り出して同級生が一人か二人混じっていても殆どを上級生で囲まれてしまえばなんとなく話しかけ難かったのだ。

 だから士郎がその事実を知ったのもたまたま通りかかったからだった。

 それを庇った士郎に、彼女は不思議そうに瞬きながら「助けてくれてありがとう?」と首を傾げた。

 何故助けたのだと問われることもなく、その時はそれで終わった。

 

 けれど彼女に対するいじめはなくなることはなく、彼女の従姉妹が卒業するまで続いた。

 士郎は視界に入ったそれを助け、庇い、守ろうとしたけれど、決してその矛先が彼に向くことはなかった。

 それに疑問を覚えないわけではなかったが、何故、と問いかけられる相手はいなかった。

 言えるのは、彼女の従姉妹は異常に彼女のことを嫌悪していること。彼女はそれをさも当然のことだと受け入れていること。

 

 彼女が、それで幸せなのだと感じていることを。

 

「……たぶん、あいつは誰がどう思っているとか、どうしているとか、あんまり気にしてないから。人に興味がない、というか……何て言うのかな。自分に対する悪意に無頓着な奴なんだ」

「ふぅん。……それ、誰かさんにそっくりね」

「? 何か言ったか?」

「……いいえ、別に何も。で? 続きはあるんでしょ?」

 

 思わずといった呟きが零れたが、考えをまとめていて聞き取れなかった士郎が聞き返す。

 それを呆れたような目のまま首を振った遠坂は、話の続きを促した。

 少し納得がいかないという顔をしつつも、士郎はわかったと頷いてもう一度彼女の顔を脳裏に浮かべる。

 

 そんな人への関心が薄い彼女と親しくなったのも、一重に士郎が気にかけて話しかけていたからだ。

 最初こそ言葉少なで控えめに笑うだけだったが、年を経るにつれて彼女本来のものらしい、気軽な物言いへと変化していった。

 

 彼女らしい、と言い切るにはまだ自分とは距離があるけれど、それでも彼女が軽々と冗談を口にする姿は自分と、それから中学の頃に友人になった間桐慎二の前でくらいしかみられない。

 人に関心が薄いとはいっても、クラスの中でも浮いた存在だというわけでもなく、彼女は話しかけられれば話すし、話しかけられなければゆっくりと本を読んでいたり図書室にいたりと……学校生活に普通に溶け込んでいる。

 友人、というには少し距離があって、かといってただの同級生だ、というには距離が少し近い。

 

「……ランサーは宝具を使って相手が生きてたら退くように言われたらしい。水谷がそういう指示を出した、っていうのが信じられないんだ」

「それは何を根拠に言ってるの?」

「水谷は、他人の意思を尊重するやつなんだ。ランサーは戦うのを楽しんでいるみたいだったし、きっとそのまま戦いを続けてもいいとさえ思っていた……と思う。これは憶測だけどな。……だから、水谷がその戦いたいって意思を尊重しないっていうのが信じられない。勿論、あいつ自身は良識があるし、根っこがいい奴だから戦いを推奨してると思いたくもないけどさ……」

 

 それでも、彼女ならばきっとランサーの戦いが楽しいというのを否定するとは思えない。

 人の言うことを素直に受け入れるあいつだからこそ、例え良識があってもそうするだろうと、士郎には確信があった。

 たとえそれがただの想像だとしても、士郎はそうだと信じている。

 

「でも、水谷がマスターじゃないって証拠もない。俺としてはあいつがマスターだったとしても、好んで戦おうとしてないんじゃないかって思う……思いたい。あいつが簡単に人を殺すとは思えないから」

「……そう。わかったわ。ありがとう衛宮君。情報料はセイバーに渡してあるから」

 

 きっぱりと言い切った士郎に、冷ややかな表情でひとつ頷いた遠坂は立ち上がり、障子へと手をかける。

 

「それじゃあね。今度会ったら敵同士だから、その時は覚悟しなさい」

 

 セイバーに? ときょとんとする士郎に、彼女は答えはせず、けれどふと顔だけ振り返って冷たく突き放すような口調でそう言って去っていった。

 

 何なんだ、と口の中で疑問を転がした士郎は、それがひどく馬鹿馬鹿しいことだと我に返る。

 そうだ。遠坂はセイバーの攻撃を止めて助けた、という借りを返すだけだと言峰のところまで案内してくれたのだ。

 だから自分をここまで助けてくれたのはその延長で、どころか彼女がそこまでする義理はなかった。

 情報料だ、って言ったところで自身がたいした情報を持っているわけがないともわかっていただろう。

 

「……遠坂って、いい奴なんだな」

 

 何となく思ったことを呟いて、士郎は頷いた。

 

 そうして昨夜のことを順繰りに思い返していき、最後に倒れ伏す彼女の姿を脳裏に浮かべる。

 昨日は取り乱したが、水谷のあの怪我はそう簡単に治るとは思えない。ということはたぶん、あの教会にいるんだ、とは思う。

 あんな怪我だし、頭から血が出ていたってことは脳震盪が起きている可能性もある。

 ……あの神父だって仮にも聖職者だ。余程の畜生でもない限り、そのまま放り出したりなんてしないだろう。

 病院に送り届けているという可能性もある。……ただ、何にしても安静は絶対だ。

 だからきっと今も教会にいるものと考える。

 

「水谷、大丈夫かな……教会に行って様子を見るのもありかもしれない。……っと、そうだ! セイバー!」

 

 そこまで考えてやっと己をマスターと呼んだ金髪の少女へと思考が行き着く。

 そうして自分も立ち上がり、閉められた障子を開けて居間を出る。

 

 衛宮士郎は漠然とした小さな違和感を気のせいだと切り捨てて、後ろ手でぴしゃりと居間の障子を閉めた。

 


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