ぐんぐんと移り変わっていく景色の背後で時々破壊音が轟く。
響を抱えたランサーは真っ直ぐに教会の方角へと向かわず、バーサーカーの巨躯が僅かでも動きにくい場所をと狭い路地を中心に走っていた。
それでもその動きが鈍るのは狙った通りの、いやそれ以下のほんの僅かのみで、前を向いたままランサーは舌打ちする。
「あのでかい図体で、よくもまぁこんな道を走れるもんだな」
ぼやくような言葉に、響は小さく頷いた。
幾ら魔力ラインを形成していてもランサーのマスターは言峰だ。
彼による魔力の制限で彼の能力値は下がっているらしい。今は緊急措置として彼の集中を切らさないように気を付けつつも指先を首に触れる皮膚接触によって魔力を供給し、魔力ラインへも普段以上の魔力を流して無理矢理魔力量を増やしているため、ほんの少し能力が上昇している。
だが、それも微々たるものだ。
何より響の元に来る直前に二度の戦いを行ったランサーは決して万全とは言い難い。
詳しい事情は聞いていなくとも、宝具を使用した際の魔力消費を繋がった魔力ラインから知覚しており、言うなれば今行っている魔力供給量では普段の力より少し強いといえるかいえないか程度の効果しかない。
ランサーの宝具はそこまで多くの魔力量を消費しないとは当人が語っていたが、それでも起動にはある程度魔力を使用する。
加えて、言峰からの命令により初見であるバーサーカーに対し、全力を以てして相手取ることができない。
そのハンデは、この窮地を脱するにはいささか苦しい。
ビュンッ
「おっと!」
気合いを込めた声と共にガコッという鈍い音がする。
ひゅん、と視界の隅で赤い線が動いたので槍を振り抜いたのだろうと察する。
そして先程の音は飛来した石を叩き落とした音なのだな、と地面に跳ねすぐに見えなくなった石を見てぞっとした。
あれが当たれば確実にただではすまなかっただろう。部位欠損はごめん被りたい。
「ありゃあお前を抱えたまま相手取るのはどうやったって無理だわ。次に顔を突き合わせたら命令は無効とはいえ、なっ!」
「……アインツベルンといえば聖杯戦争の御三家らしいですしね。普通の魔術師より優れた術者を選りすぐっているのでしょう」
「ああ。敏捷が売りのランサークラスだってのになぁ」
やれやれ、というようなため息交じりの言葉に、苦笑が零れる。
そうしながらもじっと後方から追いかけてくるのを観察しサーヴァントの情報を分析してみるが、幸運以外のステータスが軒並みAランクという脅威の数値が判明した。
そして何よりバーサーカーというクラスは狂化により更にブーストがかかっていると聞いている。
ということは実質的な数値は見た目以上ということだ。
「上から来ます」
「あいよ!」
グシャ、という音と共に距離のあるその体が沈みこみ、一気に消えた。
地面に残っているのは力強い足踏みにより抉れたアスファルトだけ。
しかしそんなことなど気に止めてはいられないためすぐに視線を滑らせる。
その巨体が隠れるような場所などないため、その行方は前か上か、その二択のみだ。
そして前ではないというならば、結論はひとつで、黒い点が天に存在していた。
「もちっと飛ばすぞ! 強化頼む!」
どこを、だなんて聞き返すことはなくその脚部へと更なる強化を施す。
そして直ぐ様腕に力をこめて、来る風圧に備えて彼に回した腕に力を込める。
そんな些細な力などとるにたらないとばかりに淀むことなくランサーは加速した。
ドガァァァァァン
激しい破壊音と、飛散するアスファルトや土煙が二人の背中を追いかける。
けれどそれ自体は届くことはない。
しかし、そんなことは些末なこと。
「突進してき……っ!」
視界に飛び込むように接近してくる巨体に叫びかけた響の声は、最後まで言い終わることはなかった。
「いっ、ぅ」
ランサーが急な方向転換をし、その勢いの衝撃が殺されることなく体に伝わり舌を噛んでしまったためだ。
少し切れてしまったのか口内には血の味が滲んでいる。
それでも視線をバーサーカーへと向けると飛び込んできた勢いを殺しきれず、直線のライン上を少しいったところで着地していた。
勿論、直ぐに立て直してランサーと響が逃げる方向へと走り出しているけれど。
「うふふ、すばしっこい鼠ね? でも、そうでなくちゃ狩りのしがいがないわ!」
その肩に乗せられた少女の愉しげな声に、バーサーカーは答えるような咆哮を上げた。
そうして気力と体力を削りながらも、もうすぐで教会に繋がる坂へと出る。
その坂道を一直線に行くか、はたまたその斜面を利用して作られた墓地の間を行くか。
ランサーのその思考は一瞬だった。
ぐっと腰を落とし、膝を曲げて足に力を溜めて強く地面を蹴りつける。
柵を飛び越えて草木を植えられた墓地の敷地に着地し、止まることはなくまた駆け出す。
数秒と違わずバーサーカーも墓地へと飛び込むが、その勢いのまま大剣を地面に叩きつけることによる衝撃波を起こした。
それはランサーたちに迫ったが寸でのところでかわしてみせ、飛び散る石礫を朱槍が弾く。
そして走りながらの攻防をかわしつつも次第に増えていく墓という障害物の間を縫うように走る。その勢いは緩まることはない。
しかしバーサーカーも決して離れることなく、どころかここにいたって距離を詰めてきてさえいた。
「ああクソッ」
小さく悪態づきながらバーサーカーへと振り返るように横へと跳躍する。
その時、胴体に薙ぐような一閃が走る。
その一閃は、振り返る際に体を捻ったことにより辛うじて腕を掠めるだけに留まった。
だがそれによって響の体を抱える力が緩む。
「ち、っくしょ……!」
力を込めようと意識したその刹那、巨体が地面に沈み込む。
ランサーの足はまだ、地面についていない。
「────!!!」
空気を震わす咆哮と共に地面を削り抉り切り上げるように大剣が振り抜かれる。
ランサーは朱槍で防ごうと右手を動かし、そして。
「ひ──」
ガゴォォォォオオオン
鬼事の中でも一番の轟音が轟く。
石剣が地面から離れたことにより舞いあげられた粉塵が辺りを立ち込め、視界の不良を呼び込んでいた。
そうなることを予想して目を閉じ、口を手で塞いでいたイリヤスフィールはけほっと指の隙間から入り込んだそれを払うように軽く咳をし、薄目を開けた。
どて、どてどて……どちゃっ
「あれ? ……やっちゃった。もう、これじゃあ失敗としか言えないわね」
土煙が晴れてももうランサーの駆ける音はしない。
バーサーカーは主の嘆息と命令によって動きを止め、沈黙した。
何故か?
何故ならそれは、彼女らが定めたゴール地点への到達を果たしたからに他ならない。
「チィッ」
よろりと暗い影が僅かな明かりを溢す教会を背に立ち上がる。
カンッと右手の朱槍を地面に打ち付けたその片腕には、寸前まで抱いていた体はない。
「ランサー? 貴様……」
「おう、セイバーか。テメェに今用はねぇ。すっこんでろ」
教会の門の端に立っていた黄色い雨合羽を着た金髪の少女が、教会の門を境に睨み合う巨駆と青い槍兵を見比べ手に持つ何かを構える。
しかしランサーは少女、いいや。サーヴァントの一、セイバーに一瞥もくれず槍を放つ構えを見せた。
「万が一こいつにその隠した武器を向けたら貴様を先に殺す」
剣呑な表情の彼の言わんとしていることは、事情を知らないセイバーにも読み取れた。
ランサーはこの巨体のサーヴァントとの交戦に
セイバーはすぐに判断を下した。
「ここは不可侵領域と聞いている。故に貴様のマスターがその領域に入っている限り、私は一切手を出せはしない」
「フン」
鼻を鳴らし、ランサーは教会の敷地から外へと歩きながら槍へと魔力を迸らせる。
そうして一歩踏み出し、魔力で満ち輝く朱槍を構えバーサーカーを見据えた。
「ふぅん? ここで宝具を使うのね……まぁ私のバーサーカーには無意味に終わるでしょうけど」
くすり、と巨体の足元でイリヤスフィールは嘲笑う。くるならきなさいと自信満々に胸を張る少女に、その宝具を避けるよう命令をする素振りは見られなかった。
何か考えがあるのか、それとも何か死に対して効力のある何かを持っているのか。
いいや、それでも自分のやることは変わらないかと一瞬の思考を切り替え、魔力を込めた槍を投擲しようとしたランサーはしかし振り返って舌打ちをした。
その視線の先には、三人の人物が教会から出てきていたからだ。
「ほぅ、今宵は珍しい客人ばかりだな」
そうごちて顔に笑みを浮かべて見せたのは、この冬木教会にて神父を務め、何より聖杯戦争の監督役を預かる男。言峰綺礼である。
その後ろを歩いていた内の片方は赤いコートを身に纏う、聖杯戦争においては御三家とされる遠坂家の少女は遠坂凛。
そして、状況を認め思わず倒れる少女へと駆けた少年は衛宮士郎。
「み、水谷!? どうして、いや、何で、足が……っ?!」
倒れる少女のうつ伏せの体を仰向けにし、その正体に衛宮は動揺した。
それを一歩引いたところで立ち止まり見下ろした言峰がふむ、と僅かに頷く。
「チッ……」
向けられた視線たちに再び小さく舌打ちしたランサーはバーサーカーたちから背を向け、少し離れた場所に落ちた自分の左手を拾いあげて傷口に宛がい霊体化する。
それの治療が叶うのかは分かることはない。しかし、
そして、遠坂の視線は自然と教会の門の前に立つ銀色の少女と、その傍らの異形がごとき巨体のサーヴァントへと向く。
一方のイリヤスフィールはその視線を受けても至ってつまらないという表情でじっと倒れた遊び相手と、それに声をかける少年を見つめた。
「凛、彼女の足を取ってくれ」
緊迫し張り詰めていく空気の中、それを打破したのは言峰だった。
自然、集まる視線を受け止めながら彼は衛宮の肩を「退け」と押して片膝をつく。
「ふむ……まだ息はあるな」
鼓動の有無を確認した言峰は物言いたげな顔をした凛から、赤く濡れた細い足を受け取る。
そうして傷口と傷口を合わせ、何かを確認する神父に衛宮は思わずと言ったように問いかけた。
「治る、のか……?」
「さてな。……それよりも衛宮士郎、こちらに構ってばかりいては彼女が不服そうなのだが、いいのかね? こんなことをする者を放っておいても」
呆然と治療を施そうとする言峰を見ていた衛宮は、そこでやっと気がついたとばかりに銀色の少女へと視線を向けた。
イリヤスフィールは不機嫌な様子でいたがやっとのことで目が合い、にこりと天使のような愛らしい笑みを浮かべた。
それに僅かに毒気を抜かれ、しかし問い詰めねばといった様子で衛宮は顔を強ばらせ、その小さな天使へと歩みを寄せた。
「ば、馬鹿士郎……!」
あまりに無防備に近づく衛宮に、遠坂は手を伸ばし制止の声をかけるものの、それは少し遅かったようだ。
教会の敷地から一歩出た衛宮の背後で白い少女から伸ばされた魔力の糸が教会の門を絡めとり、高い音を立てて閉ざされる。
「もう、待たせすぎよ、お兄ちゃん。レディを待たせるだなんて、まったくなっていないわ」
「あいつを……水谷を殺そうとしたのは、お前か?」
「わかっていることを聞くだなんて無駄だと思うな。でも、その通りよ。本当はお兄ちゃんに会う前に遊び終わる予定だったけど……こうなったなら仕方ないから、ヒビキのことはまた今度殺すわ」
遠坂の声も遠く、少女の顔が冷徹な悪魔のごとき冷えた笑みに目が奪われる。
そうして彼女は、つい先程も倒れた少女に向けた様にスカートの端をつまみ上げ、
「わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。……それじゃあ、お兄ちゃん、いくよ?」
そうして少女は可愛らしくも残酷に、歌うように背後の異形へと命令をくだす。
「やっちゃえ、バーサーカー」
そうして衛宮士郎は、二度、いいや三度目のサーヴァント戦の渦中へと投げ出された。
それを守るはセイバーのサーヴァント。
バーサーカーの暴風のような攻め手に圧されるセイバーに協力するように魔術を放つは遠坂凛。更には彼女に付き従う赤い外套を纏う男が実体化し、遠距離から矢の霰を降らせる。
止まることないバーサーカーに、戦いを眺めるイリヤスフィールは冷たく終わりを宣言した。
そうして聖杯戦争始まりの夜に再び、高らかに剣戟の音が響き渡った。