そして少女は夢を見る   作:しんり

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第十二話

 伯父夫婦の帰りが遅くなったこともあり何時もより遅い時間に夕食をとったのだが、従姉妹に呼び止められそして今時刻は11時を示している。

 最後に嫌悪に満ちる眼で睨み付け、彼女は背を向けて自身の部屋へと戻っていく。

 彼女が自身のことを嫌っている理由もわかってはいるがやっとのことで解放されて、さて帰ろうかとため息を吐き出す。

 

 居間を通り過ぎて玄関に向かえば、伯母に慌てたように呼び止められた。

 

「響ちゃん、最近は物騒なんだから泊まっていきなさいな」

「……いえ、すみません……伯父さんと伯母さんにはご心配をおかけしますが……」

 

 従姉妹との不和はわかっているだろうけれど、拗れに拗れていることなど伯母が知る由もない。

 だから彼女は従姉妹がどうこう、などとは決して口にすることなどなくひたすらに自身の身を案じる。

 それを嬉しくは思いながらも、響は何時ものように首を横に振る。

 しかし最近の事件と過去通り魔に遭った経験の話があるために今日は特に強く引き留められた。

 

「でも……」

「本当に、ありがとうございます。でも、明日はあちらで友人と遊ぶと話していて、できれば早くから用意したいものですから」

 

 長い攻防の末にそう言えば、伯母は押し黙りじっと顔を覗き込んでくる。

 それに安心させるようににこりと笑って見せれば、長い沈黙の末に大きなため息がこぼれ落ちた。

 

「まったく、あなたは変わらないのね。いえ、あなたもあの子もかしら……?」

 

 あの子とは従姉妹のことを指しているのだろう。ちらりと部屋があるだろう方角を一瞥し、またもやため息が零れている。

 そしてもう一度顔を合わせ、彼女は苦笑いを浮かべた。

 

「それなら、もうこれ以上引き留めてはダメね。今日くらいは、と思ったのだけど……気をつけて帰るのよ、響ちゃん。危ないと思ったらすぐ逃げること。家に近いのならあの神父さんのところに逃げ込むのよ? 家はあなた一人なのだから逆に危ないわ」

 

 真剣な顔で注意を促す伯母に「はい」と大きく頷いて聞き入れる。

 彼女は言峰とは数度しか顔を合わせていないが、伯父も崇める神は違えどもいい人だと認めているために信頼はおけるだろうと認識しているらしい。

 言峰の性格、というか趣味は悪いものの、基本的には善き神父として振る舞っているためどういった顔を知っているかというのが問題なだけだろう。

 

「それじゃあ、また来ます。お邪魔しました、伯母さん。お休みなさい」

「ええ……またいつでも帰ってきてね、響ちゃん。お休みなさい」

 

 伯母に向けてにこりと微笑み、玄関を開ける。

 玄関から一歩出て振り返り、扉を閉めるその最後まで伯母はとても悲しそうな顔で響を見送っていた。

 それに良心が痛まないでもないが、従姉妹のことを考えればこれが最善だ。

 

 くるりと伯父夫婦の家から背を向けて、夜の狭間へと足を進める。

 

 じゃり、と時折砂を踏みながら慣れた道を行く。

 今はハサンに先に帰ってもらい、家のことをお願いしているため、本当の意味で一人だ。

 心細さは特に感じてはいないが、少しだけ話し相手が欲しくなってきていた。

 

 そんなことを思いつつ、けれどハサンは呼び出すことなく冬木大橋を渡り、新都の中心に続く大きな道から家屋と屋根の低いテナントや会社などが点在する道へと入る。

 今日は月明かりが眩しいくらい、明るい夜だ。そう思いながら夜空を見上げ、思った。

 

「ん……?」

 

 そうして、視線を戻した先。

冴えた月空の下で響は銀色の少女に出会った。

 

「っ」

 

 かちりと視線が絡みあい、ばちりと何か報せるような信号が体に走る。

そうして路上に立つ少女の正体にすぐに気がつく。

 

 これはマスターが見ていることを報せる、令呪からのサインだ。

 自分がそれを感じている、ということはつまり。

 

「あれ? あなた、マスターなの?」

 

 相手にもそれが伝わっている、ということだ。

 振り返った少女は闇夜に不釣り合いなほど幼く、その姿は月の光に照らされ白くぽっかりと浮き上がっていた。

 

「君は……君も、聖杯戦争のマスターですね?」

 

 少女の純粋な無垢な愛らしい顔に騙されてはならない。

 だってこれは聖杯戦争で、聖杯戦争とはつまり、人と人が争うということなのだから。

 

「ええそうよ。あなた、あまり強そうには見えないけど……そうね。私、今退屈してたから、準備運動の相手にしてあげる」

 

 少女はきょとりとした愛らしい顔で頷いて、その顔を嗜虐の色に染めた。

 そうしてにこり、と愛らしく幼さの滲む笑顔を浮かべてスカートの端を摘まんで膝を軽く折った。

 赤い瞳と銀色の髪が妖しくまるでカーテンコールを照らすような電灯の光に照らされ、その身に纏う紫の衣装は品があり礼をして見せるその姿は、少女といえどもまさに淑女というに相応しい美しさを孕んでいた。

 

「ひとまず礼儀として名乗ってあげる。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。アインツベルンって、あなたには分かるのかしら?」

 

 馬鹿にした様子などなく、彼女は首を傾げる。

 それに固唾を飲み込んで、答えようと口を開く。

 

「ああ、いえ、何も言わなくていいわ。だってお姉ちゃんは、準備運動ついでに死んじゃうんだから」

 

 にこりとした笑みには悪意など欠片もなく、ただ事実のみを口にする。

 そうして響のことなど気にかけず、少女はそれを呼ぶ。

 

「来なさい、バーサーカー。大事な食事の前の運動よ」

 

 それはまさに絶望だ、という直感が走り抜ける。

 

 自分や、まして少女よりも大きな巨駆を持つバーサーカーと呼ばれたそのサーヴァントの威容も威圧も、自身のサーヴァントであるハサンでは相手にもならない。

 諸ともその巌のような腕がもつ大きな岩とも剣ともつかぬそれに両断されるのが関の山だろう。

 ならばどうする。どうやって。

 

「それじゃあお姉ちゃん──」

「少し待って、くれない? 提案したいのだけど」

 

 淡い希望などあるわけではない。

 だけれどその痛みによって死にたいとも思えない。

 

 故に響は一か八かイリヤスフィールに提案という名の待ったをかける。

 そして少女は、予想外だったのか目を丸くして言葉を止めた。

 

「……いいわよ、言ってみなさい」

 

 どうせ何があってもどこをどうとっても非力そのもののような女に何か出来るわけがない。

 そう踏んだイリヤはフッと笑って先を促す。

 

「その食事までに、鬼ごっこをしない? 運動になるかならないかはわからないけれど。私もあっさりと死ぬのはごめんだもの」

「ふぅん? 自信があるの?」

「さぁ、どうだろう」

 

 試すような視線に試すような口振りで返して見せる。

 すると彼女は数秒目を伏せ、それから「いいわよ」と挑発するような眼差しを向けて応じてみせた。

 

「すぐに追いかけたらつまらないわね。二十秒だけ待ってあげるわ、……。ねぇ、あなたの名前を聞いてあげる。どうせすぐ殺して忘れちゃうけど、面白いことを言ってくれたから一回くらい呼んであげるわ」

「それはありがたいね。私は水谷響。君に馴染みがあるように言うなら、響・水谷という順の方が分かりやすかったかな?」

 

 少しの延命にホッとしつつ、内心の焦りなどおくびに出さず微笑む。

 それにイリヤはぴくりと眉を動かしたものの、特に何かを言うつもりはないらしい。

 

「そう。それじゃあ今度こそ始めるわよ。ヒビキ、精々無意味に無価値に無様に逃げ惑って私を楽しませてね? あなたはお兄ちゃんを殺す前の余興(前菜)なんだから」

 

 イリヤスフィールは無邪気に笑う。

 その笑顔は天使か悪魔か。

 いや、自分にとっては死の宣告なのだろう。

 

 膝をついたバーサーカーがその片腕にイリヤスフィールを抱えて乗せるのを尻目に、響は走り出す。

 魔術回路を起動させ、足へ強化を施して体にかかる重力を軽減させる。

 肉体にかかる負荷も順に強化していくが、こんな小手先の技でどうにかできる相手と思っているわけでは決してない。

 路地の間を潜り抜け細い道を走りながら、響は迷っていた。

 

 ハサンをここで呼ぶのかどうか。

 呼ばなければ死ぬと分かっていて、それでも何故か迷いが捨てきれなかった。

 かといって死にたいわけでもない。

 だけど、どうやってこの場面を切り抜ける?

 

「ねぇ、どうしてサーヴァントを呼ばないの? 呼ばないと死んじゃうよ? ……バーサーカー」

 

 鈴を転がすような少女の声が狭い路地に反響する。

 そして背後で、大きく何かを振りかぶる気配を感じた。

 

ガッゴオッ

 

「っぁ?!」

 

 何かを砕くような音に、振り返ることなんて出来ない。

 ただ、直感のままに真横に飛んで、それを回避する。

 ごろり、と無様にも地面に転がってしまいながら、どうにか腕に強化を回して更に足に力を込め完全に倒れてしまうのを回避し、ちらりとそれを見る。

 

「っやば?!」

 

 先程まで走っていたラインは地面がまるで大地が引き裂かれたような有り様だった。

 それに気をとられたのが命運か、更に後方のバーサーカーが立つだろう位置を見たときにはすでに遅かった。

 バーサーカーの黒い巨体などなく、忽然とその姿を消していた。

 

 ……いいや、そんなことはない。そんなはずはない。

 だってあの少女が、敵を見逃す意味などないのだから。

 

「ぁ」

 

 何も考えず探すために上を見たその眼は捉える。

 空に跳躍し、大きく振りかぶられた大きな岩の大剣。それは、全てを壊してしまいそうな猛々しい風を纏っているようで。

 死ぬかも、と思うには遅すぎた。

 

「────」

 

 ならば苦しみなく死ねることを願うしか自分には出来ない。

 そう、瞼を閉じる。

 自分をよく慕ってくれたハサンに申し訳ないな、それに王様はどう言うのだろうか、と考えて。

 けれど、諦めかけた耳に体に、想像とは違った衝撃が走った。

 

「っ、な……ぇ?」

 

 思わず目を見開いた響は、すぐにその正体を知る。

 その名を呼ぼうとした次の瞬間、ドゴォォンと大きな衝撃と土煙が飛びかい、視界を塞いだ。

 それらどちらの武器によるものか、すぐさまその粉塵はゴァッと吹きすさんだ風によってその煙は晴れる。

 

「やっと呼び出したのね? そうじゃなくちゃつまらないわ。ふふふ」

 

 戦闘に場違いなまでの明るく楽しげな声がイリヤスフィールから零れる。

 そうして響は、すぐそばにある彼を呼んだ。

 

「ランサー……ありがとうございます」

 

 緊張でからからに渇いた喉から絞り出した言葉に、青い槍兵は「おおよ」と軽い調子で答えてみせる。

 あまりにそれが普段通りのもので、響は一命をとりとめた安堵から僅かに体の力を抜く。

 しかし、警戒は勿論忘れはしない。ランサーとてそれは変わりなく、バーサーカーを窺っていた。

 

「どうしてここに?」

「お前さんを探してた。よく生きていたな」

「たまたまです」

「逃げる先は」

「教会に」

 

 短く互いの状況をやりとりし、目的を確認する。

 響は不安定に抱えられた体を邪魔にならないよう位置を気にしながら首に腕を回し、更に体の重力を軽くする。

 そしてランサーに供給する魔力を無理矢理増やしつつ強化を施してみせる。

 急激な魔力の消費にずきずきとしだした頭を抱えてしまいたかったが、そんな真似はせずにイリヤスフィールとバーサーカーの様子を確認する。

 

「やっちゃえ、バーサーカー。ヒビキもそいつも、ぐちゃぐちゃにしてやりなさい!」

 

 少女の顔が愉しげに歪む。

 そして、ランサーの腕に力が籠ったと感じた瞬間には既に景色は変わっていた。

 


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