そして少女は夢を見る   作:しんり

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第八話

 ぴぴぴ、と鳴る電子音に脇に挿していた体温計を抜き取ります。

 

「風邪、引きましたね……」

 

 温度は37.4度を示しています。

 完全に風邪を引いてしまいましたね。

 幸いにして症状はちょっとした悪寒と熱だけなので、今日休めば明日には治るでしょう。

 それでも先にご飯だけは作っておこうと熱で気だるい体を引きずりながら居間へ向かう。

 

「おはようございます。響、様……? 顔が赤いですね。……それに熱いです。風邪を召されましたか?」

「うん、そうみたい」

 

 心配そうに顔を曇らせたハサンが体温を確かめるために額に当てた手を下ろして、どうしようと慌てています。

 それに苦笑して大丈夫だと言いつつ、私は台所に立ち、ハサンの朝食と自分には胃に優しく卵を加えた雑炊を作ります。

 二人で卓についてさぁ食べようか、というタイミングで勢いよく玄関が開く音がしました。

 

「響、今日の朝は何を……む?」

 

 間をおかずしてバーンとドアを開いたギルガメッシュでしたが、嫌そうな顔をするハサンとまたかと思う私を視界に収めるなり怪訝そうに眉を寄せて大股に近づいてきました。

 そして、私の顔を上に向かせてじろじろと眺め回し、ふんと鼻を鳴らされる。

 

「風邪か。おい、そこな暗殺者。貴様に我の食す物を用意する栄誉を与える」

「はい?」

 

 突然の言葉にハサンが驚いた声をするのも聞き流し、私を犬猫の子供に親がするようにつかみあげて何時かの幼い日のように腕の中に抱くと、ギルガメッシュはそのまま居間を出ようとします。

 

「あ、ハサン、王様のご飯お願い。トーストとサラダでいいから、後で私の分と一緒に部屋に持ってきて」

「は、はい」

 

 慌ててハサンに命じて、ギルガメッシュの顔をちろりと見上げます。

 風邪を引いた時期が悪いのでしょうか。普段のからかってくる様子は見られず、どこか不機嫌そうです。

 小さく「トーストか……」と呟いたそれは聞き流すことにしますが。子供じゃあるまいし、好き嫌いしないでもらいたいものです。いや、たぶん一昨日手を抜いて出したからだと思うけど。

 手抜きは嫌だなんてほんと王様は王様だよね。

 

「あれはどこにあったか……」

 

 部屋のドアを開け、ベッドに投げ入れるように雑に体を置かれて私は死に体です。今ので、ちょっと気持ち悪くなってしまいました。

 唸りつつも恨みがましくギルガメッシュを見上げると、宝物庫の中をあれでもないこれでもないと言いつつ探っているようだった。

 その様子に文句は飲み込んで、体勢を整えることにします。

 

 あぁ、そうだ。後でハサンには氷嚢を作ってもらおう。

 それと彼女には悪いけど、昼と夜もご飯を用意してもらおう。簡単な物は作れるとは思いますが、もしできずとも念話で作り方を教えれば何とかなるでしょう。

 

「これだな」

 

 金の空間に片腕を入れていたギルガメッシュが、その空間から腕を引き抜く。

 その手の中にはいつぞや見たことがある毛皮のマントを持っていました。

 ずいっと目の前に出されたそれを受け取って体にかけ、その上に毛布と掛け布団をかける。

 足を潜り込ませて位置を調整しているとベッドの横に椅子を引っ張ってきて座ったギルガメッシュはまったくと呆れたように呟いた。

 

「脆弱に過ぎるな、貴様は」

「う……すみません」

 

 謝りつつ様子を探るが、先程の不機嫌さはやや薄れているようでした。

 何故だろうかと疑問に思いつつ黙っていると、じろりと睨むように見られてしまいました。

 

「お食事をお持ちしました」

 

 キィとドアを開いたハサンに再び不機嫌な顔をしたギルガメッシュは腕を組んでハサンが食事の用意を終わらせるまで黙っているようだ。

 前にも何度か風邪を引いたことはあるがこんなことは殆どなかったのに、一体どうしたというのだろうかこの王様は。

 

「ありがとう、ハサン。後でいいから氷嚢も作ってくれないかな? 先にご飯を食べてからでいいから。どうせ私も食べないとだし」

「わかりました。……、……英雄王、あまり我が主に無理をさせないでください」

「フン」

 

 非難するような目線をギルガメッシュに送ったハサンは不安だと言わんばかりに眉を寄せつつも私を見る。

 私はひとつ安心させるように頷いて、何はともあれ食事をするように念話してレンゲを手に取ります。

 心配の色は拭えなかったもののギルガメッシュが追い払うように手を振ったのでハサンは渋々と部屋を出ていく。

 

 念話で問題があれば必ず呼んでほしいというのに返事をしながらレンゲを口に運びます。

うん、何時もの自分の料理に変わりはない。

 

「お前は何故このタイミングで風邪を引くというのか」

 

 成る程、やはり時期が悪くて不機嫌になってしまったらしい。

 確かに聖杯戦争を始めると定められた日から数えて一週間程前にこれじゃあ心配になるのも無理はないでしょう。

 それが王様、というところが少しだけ不思議で可笑しいですが。

 

「聖杯戦争の真最中に風邪を引いてないだけ、いいと思いますが」

「……それもそうだな。もしそのようなことになれば我も考えを改めねばならないところであった」

「それって私に不利な方向で?」

「さて、どうであろうか。もしかしたらそうであるかもしれぬし、そうでないかもしれぬ。全ては貴様の態度次第よ」

 

 くつくつと愉しそうに喉を鳴らすギルガメッシュに、私は苦笑してしまいます。

 私が多少なりと文句をつけつつも受け入れることを見越しているだけに、質が悪い。

 

「王様、私が寝たら言峰さんに風邪のことを伝えてくださいね。学校への連絡、お任せします、って」

「ふん、そのような些事は暗殺者に任せればよい」

 

 笑うギルガメッシュは最後の一口を飲み込んで、肘掛けにもたれるように頬杖をついて私の食事を見てきます。

 そう見られては食べにくいのですが、どうせ言っても聞いてくれないでしょうし。

 口を閉じたのを見て私も食事に徹することにして殆ど無心で手と口を動かす。

 

 食べ終わり、腕を伸ばして机の上に食器を置いてしまいます。

 頭を枕に預けてマントと掛け布団を引き上げると、熱があるからか少し前まで寝ていたはずなのに眠気が襲ってきました。

 

「そのまま眠ってしまえ」

「……ん……はい……」

 

 瞼を覆うように、額に手を置かれて目を閉じる。

 

 暫くして目を開けば、見慣れた白い空間にいた。足元は花の魔術師による手入れを何時かにされて見事に彩り豊かな花々が私の立つ場所を中心に数メートル広がっている。

 ぼんやりとそれを眺めていると、今は時間が合わず繋がりにくいソラウと夢を繋げられたので少しだけ話をしました。

 聖杯戦争が始まると知っていてまた巻き込まれないかなど心配されましたが、彼女に知られては余計な心労をかけてしまうだろうと思い何も言わないことにしました。

 彼女の子供はまだ幼いので、私に気をとられるのもよくないでしょうから。

 

 風邪を引いた状態で引き留められないと早めに夢を切ることにはなりましたが、それでも話したのは久しぶりだったので話をできて良かったと思います。

 やはり、友人が元気な姿を見せてくれるのは嬉しいことだと思えますから。

 

 だから私は、彼女を、彼女が……。

 

『 』

 

 ぞくり、と夢の中だというのに悪寒が体に走る。

 

『 ……』

 

 じわじわと近づいてくるような何かの気配があることに、私は気がついた。

 花の魔術師の気配なんかではない。

 これはもっと異質で歪で、私とは相容れないモノだ。

 

「っ、ぁ」

 

 どろり、と何かが私を侵食していた。

 機能の末端部分から気づかない内に、私の中に入り込んでいたそれは、細く鋭くしかし針の穴に通る糸のように壁に這う蔓のように私の世界に絡みついていた。

 

「いつ、こんな……」

 

 気づけなかったのは己の失態か。

 あまりに小さく細いそれが賢しかったのか。

 

『……け……え』

 

 すぐに私を切り離してそれとこの意識を隔離するように接続先の設定を余白部分に押し込める。

 白い空間で操作をし、余白部分に押し込めたそれをキューブ状に圧縮して更にその上にもう一層重ねてそれを観察します。

 

 ……どうやらもうそれ以上は動けないようですね。うねうねとキューブの中を出口を探して蠢く様子に知らず詰めていた息を吐き出します。

 風邪を引いて一気に抵抗力が下がってしまったのでしょう。キャスターの宝具対応が終わらないこともあって、それが力を増してやっとのことで気づくだなんて。

 それの情報を探ってみるもののそれも端末みたいな物のようで、繋がりを切ったため詳細は分からなかった。

 

「いや、でも……まさか、ね? まだ始まってさえいないのだから、そんな訳ないでしょう」

 

 何となく思い浮かんだ考えに首を振ってその雑念を払い飛ばして、セキュリティのチェックを入れます。

 キャスターの宝具を食い止める手は止められませんが、アレに蝕まれるのも御免です。

 ……あぁ、もしかしたらそちらに掛かりきりになっていたから風邪とかへの免疫力が少し下がっていたのかもしれませんね。

 流石にそれは困るので対処する幅を少し広くして、下がっていた免疫力の修正をする。……とりあえずこれでもう大丈夫でしょう。

 アレに汚染された末端部もキューブのひとつ外側の層に入れて、一息つきます。

 

「……ん、重い……?」

 

 意識を覚醒させて閉じていた目を開き、体にかかる重みに手を動かして確認します。

 首を締めるかのように腕。足と足の間に足。横を見れば金色。

 

「……重たい」

 

 状況を確認できたことでもう一度呟きます。

 動いた拍子にとさ、と額に置かれていた氷嚢がずれて枕に落ちてしまいました。

 それを片手で直してぼんやりと天井を見上げていると「おい」と小さく呼ばれて顔を横に倒します。

 私の顔を数秒見たかと思えば、赤く鋭い眼差しをゆっくりと細め唇を笑みに歪めたギルガメッシュがくっと喉を震わせて嗤う。

 

「大分回復したようだな?」

「……まぁ、はい」

 

 曖昧に頷くと首にかかる負荷が増えました。息が詰まって苦しいです。

 

「お、さま……重い……」

 

 ぺしぺしと腕を叩くと少しだけ呆れた顔で力を緩め、半ば髪を引っ張るように頭を撫でられます。

 あまりなことに痛いと涙の滲む目で睨むと頬をつねられる。

 

「にゃにすりゅ、っで、ひゅ、かっ!」

「くくく……よい顔だ。その調子でもっと囀ずるがいい」

「うっ、うぅぅ……」

 

 これ以上何かを言っても無駄なのは分かっているので唸るだけに留めて唇を引き結ぶ。

 

「フン、まぁよい。まだ熱は引いてはおらぬようだし、今暫く眠れ」

 

 パッと指を離したギルガメッシュがまたもやずり落ちた氷嚢を私の米神に押し付けてきました。

 先程まで寝ていたのにまだ寝ろと言われては少し困ってしまいます。

 

「……誰かのせいで眠気飛びました」

「ほぅ? 疲れたならばよく眠れるな?」

「遠慮します。……から大人しく寝ることにしますよ」

 

 ちょっと言えばすぐ意地の悪いことをしようとするのだから、困った王様だ。

 短くため息をついてギルガメッシュから顔をそらして天井へと向ける。

 氷嚢の位置だけ調整して目を閉じるとギルガメッシュの腕が動くのを感じます。

 その腕は私のお腹の上に落ち着いて、同時に肩にチクチクとした小さな痛みがしました。これは髪が刺さっている感触です。痛い。

 たぶんそのまま私を抱えて寝るつもりなのでしょう。

 

 少しだけ暑くて鬱陶しくはありますが、人肌を感じながら目を閉じているとなかったはずの眠気が膨らんできました。多少の痛みが霞むくらいには。

 本当に、不思議なこと、だと思います。でも、とても……温かいのです。

 


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