"Seasons of change" by Sing Like Talking
要衝シルヴァーストーンは連邦の手を離れつつあった。
ネグローニの号令の下、連邦は規模の大きな攻撃を繰り返したものの、戦力は逐次投入であったため、当初の優位を取り返すことはできなかった。
やがて、他の拠点とシルヴァーストーンを結ぶ線の維持もおぼつかなくなり、戦力の投入さえ滞るようになった。
補給線の分断にはプロイツェンの潜空艦とブライトンの小型空母が大活躍した。
連邦は無謀なことに輸送船団に護衛をつけず、シルヴァーストーンで陣取り合戦をしている連邦軍将兵は、弾薬以前に糧食の不足に喘ぐこととなった。
シルヴァーストーン周辺の空も「吸血空域」と呼ばれるほど多くの連邦軍の艦船とモビルスーツ、そして血をひたすら呑み込み続けた。
こちらの艦やモビルスーツも沈んだが、それも初めのうちのことで、連邦は比べ物にならないほど多くの屍を積み重ねた。
ところが、艦やモビルスーツが沈めば沈むほど、そして将兵が死ねば死ぬほど、連邦の戦意は昂ぶっていくようだった。
マニ・クール会戦の次の闘いは、カタルーニア会戦。また艦隊戦だった。
連邦の戦艦隊がシルヴァーストーンに艦砲射撃を浴びせようと忍び寄ってきた。
相手が戦艦だとわかると、機動部隊直衛のためにブライトンより派遣された高速戦艦クイーン・ヴィクトリアとプリンセス・マーガレットに白羽の矢が立ち、慌ただしくエッヂ・フィールドを発った。
迂回すれば即刻発見されてしまうため、かなりの無理をして暗礁空域を突破してきた連邦艦隊だったが、シルヴァーストーンの手前でやすやすと捕捉され、このとき初めて実戦投入された射撃指揮用Tレーダーのために、ミノフスキーの幕で目も耳も塞がれたまま、一方的に撃ちまくられた。
だが、連邦の艦は大破しても撤退するどころか、突撃してきたという。それも、ビームの射線を逆にたどって。それは連邦のたどる運命を表していると言って良かった。
そして秋が暮れてゆき、冬。
例の巨大モビル・アーマーはNTCの新型であることがDIS(オールド・ハイランド軍事情報局)の調査ではっきりした。
ヴァレンシアというそうだが、そんなイカした名前で呼ぶヤツはいない。せいぜいが『マンタ』で、口さがない連中になると『ヒラメ』だ。実際、そんなものだろう。
しかし、容易でない敵だということは確かだった。
投影面積は呆れるほど巨大だが、それをIフィールドでカヴァーしているため、ビーム・ライフルで撃ち抜けない。VPBRを持ち出さない限り、撃つだけ無駄ということだ。
が、そのVPBRを装備できるモビルスーツが、環地球連合軍には存在しなかった。
ベルンはアナハイムを初めとする各社を急っついたが、それが形になって現れる前に闘いが巡ってきた。
フラン・コルシャン会戦。
マニ・クールで中破したクイーン・ビーが後送された後、ナイラーナがアロハ・ステーションに上がってきて、NTC機動部隊と対峙した。
小康状態はしばらく続いたが、微妙なバランスを崩したのはクイーン・ビーだった。修理は何と一月かからずに終わり、アロハ・ステーションに復帰してきた。
それを見て取ったNTCは動いた。我々も迎え撃った。特にクイーン・ビーにとってはリターン・マッチだったはずだが、
「どこを見ても敵がいる」
というくらいの攻撃を受けて大破、後に自沈。
ここまで無傷で闘い抜いてきたビッグEもついに小破。航行は可能なるも、戦闘継続は不能という状態で、即時後送が決定。ナイラーナも帰還途上に潜空艦の攻撃を受けて被雷二、大破。
かくて、NTCの中型空母一隻を沈め、大型空母一隻を大破させながらも、我々は敗退した。ばかりか、連合軍には環地球空域で稼動可能な制式空母がなくなってしまった。それほどまでにNTCの攻撃は熾烈を極めていた。まさに捨て身だった。被弾したのに離脱せず、迷うことなくクイーン・ビーに突っ込んでいったパイロットまでいた。
「あんなバカは初めて見た」
ジャンは信じられないという口調で呟いた。
俺が信じられなかったのは、ダミアンだった。またも相見えたのだ。
それは、マニ・クール会戦の最後の局面だった。
「こちらアークエンジェル。敵大型モビルアーマー一機確認。機動部隊に接近中」
「またイヤなヤツがきやがったな」
雑音の奥にガーディーの声がした。誰かが舌を打った音も拾えた。アンサーだろう。アークエンジェルに機種特定を請う者はなかった。MTIにプロットされた大きなブリップはマンタ以外の何者でもなかった。
「タリー1」
ディタは冷静だった。前のように猛然と突っ込んでゆくということはしなかった。そう。このマンタはロートシルト大佐のものではなかった。機体番号も機体色も大佐の機体と違っていたし、まっすぐに俺を目指してきた。
――見つけたぞ、シュプリッツァー・レイ!
敵の姿を明確に捉えられるというのは、決して喜ばしいことではない。
たしかなのは、乗っているのが誰であれ、敵に変わりないということだ。ディタとアンサーに手信号を出して、
「俺が引きつける。マンタを機動部隊に突っ込ませるわけにはいかない」
「しかし」
「マンタはまともに撃ち合って勝てる相手じゃない。火力も出力も違いすぎる。となれば、マンタのできない闘いをする以外に勝ち目はない。すなわち、白兵だ」
「わたしたちがスクリュードライヴァーを提げてきているわ」
スクリュードライヴァーとは、試作の携帯型ミサイルランチャーだ。装甲貫徹力は大きく、まともに当たればマンタでもかなりの手を負うことは間違いない。
「だがマンタもじっとしているわけじゃない。こっちに目を向けさせるから、狙い撃ってくれ」
ディタもアンサーも答えなかった。了承されたと判断して、白兵戦スゥイッチを叩いた。セイバーが手の内に射出された。
「たのむぞ」
スロットルをブーストに入れて、とにかく間合いを詰めようとした。
ダミアンはそれを嫌い、中間距離を保ちつつ、猟犬を放った。
フィン・ファンネル二基をすばやく正面に展開させて防御スクリーンを張る。ビームはスクリーンの表で光の粉となって散った。その陰から狙撃して二基のファンネルを仕留めた。
が、ディタの声。
「ワン・ボギー、エンゲージ。アセンド」
上方へ緊急離脱。急激なGで視野が暗くなったが、背後から浴びせられたビームがフィン・ファンネルのスクリーンを撃ち抜いたのは見えていた。
その奥からものすごい勢いで迫ってくる敵の姿も。
同じガンダム・ヘッドの、第一バッチのサリー。
カルーアだ。
ぴたりとマンタの上方についた。まるで、マンタを守る妖精のように。
妙な喩は、頭に浮かんですぐに打ち消した。そんな可愛らしいものではなかった。
――今度こそ、落とす!
ファンネルが牙を剥いて襲い掛かってきた。ワイコロアのときのような不安定さも弱さも感じられない。更なる強化を施されたに違いなかった。
ダミアンも攻撃態勢に入った。
自然とファンネルの撃ち合いになったが、マンタのファンネルは九基だった。いったん、ファンネルを呼び戻した。全基を一斉に差し向けると、攻めの隙を突かれる。
が、ファンネルを引き寄せる間にものべつまもなく撃たれる。
――死ねえッ、
ビームを放ちながら、巨体で押しつぶそうかという勢いでマンタが迫る。高機動回避。視野に離脱コースが示されるが、そのコースを取ることはことごとくできなかった。
――逃さない。
カルーアは巧みだった。俺の逃げ場をつぶす形で機動している。また警報が鳴った。
「フリー・バード」
ディタが呼びかけてきた。わかっていた。この機位では、囲い込まれる。とっさにダッシュして、ダミアンとの距離を詰めた。
だが、カルーアはお構いなしでビームを撃ちこんできた。ダミアンに当たったとしても、それはそれでいいと考えていた。明らかに。
それなのに、ダミアンは嬉々として押してくる。
カルーアはダミアンを助けようとしているのではない。ダミアンなど見ていない。おまえはカルーアにとって噛ませ犬以外の何でもないというのに。哀れな。
しかし、ダミアンは攻撃の手を緩めない。むしろカルーアがそばにいると、勢いを増すようだった。
死んでいいのか、こんなつまらないことで。
フィン・ファンネルをコントロールしながら、思い切ってぶつけてみた。すると、重く痛い思惟が返ってきた。
――俺は、貴様を殺すことができれば、何でもいいッ!
ファンネルが一斉にぐっと間を詰めてきた。高機動回避の間に、マンタは遠ざかる。追いすがろうとすれば、ファンネルが立ち塞がる。まずいパターンだ。
「アンサー」
ディタの声が雑音の狭間に響いた。らしからぬ大きな声だった。
「スクリュードライヴァーを預ける」
「なんだって」
「わたしはフリー・バードの援護に移る。君は飛び込まずに遠めから狙い撃て」
「おい、ちょっと待てよ、一基提げてるだけでも機動性ガタ落ちだってのに、二基も提げたら身動き取れねェって」
アンサーがあわてるのももっともだった。スクリュードライヴァーはモビルスーツの携帯兵器としては大きく、機動性は大きく損なわれる。
しかしディタはもう何も言わず、ラックから巨大なスクリュードライヴァーを外して、アンサーへ放り投げた。
「マジかよ」
スクリュードライヴァーを両肩に一基ずつ担いで大昔のガンキャノンのようになってしまったアンサーを置いて、ディタも戦場に飛び込んできた。
――紅いネージュ!
カルーアが声を挙げた。さっきまでの声とは違う、血の通った声だった。
――おまえが! おまえさえいなければ!
こちらの退路を断っていたファンネルがトビウオのように跳ねてディタに迫る。
ディタは射線を読んで回避。その回避先にカルーアがビームを撃ち込んだが、ディタは機体をわずかによじるだけで光芒を避けた。
――あまいな。
あざ笑うような声に、カルーアの怒りが目に見えるほど燃え上がった。サリーはセイバーを抜くと竜巻のような機動でディタに組み付いた。ファンネルのように敏捷な動きだったが、ディタは動ぜず、真っ向から受けた。
――いくらかはやるようになったか。
ディタは感心したように言った。セイバーを激しく噛み合わせているのが他人事のような声だった。
――しかし、短絡的な理由で戦う愚か者に後れを取るわたしではない。
――愚かだと、このわたしが!
――そうだ。
ディタの声はにべもない。
――おまえは何のためにモビルスーツを駆って戦っているのだ。
――何のために。
カルーアは、一瞬、びっくりしたように沈黙した。
――答えられないとはお粗末だな。大局が見えず、義もない証だ。そんな者に、フリー・バードが目を向けるわけはない。
――わかったようなことを、言うなッ、
――わかっているのだよ。
カルーアの激しい撃ち込みを、ディタは難なく受け止める。
しかし、楽になったとは言えなかった。ダミアンの攻撃は熾烈を極めた。
とにかく隙が無い。意識に針を撃ち込んでやりたいが、その間も無い。そして、ついに二基目のフィン・ファンネルを失った。
天に開いた穴を抜けて、ダミアンのファンネルがポジションを取りつつあった。すさまじい機動をしているはずなのに、その動きはスロウモーションではっきりと捉えられた。
緊急回避に移ろうとして、逃げ手をすでに失っていたことを知った。視野に赤い文字が走って、点滅した。
「フリー・バード、高機動デヴァイスが」
女史の叫び声が耳を打つ。ズームド・エア、アウト。オーヴァーヒートだ。RZは高機動できない。この局面では致命といってよかった。
無論、この機を逃すダミアンではなかった。
――討てる!
ナイフのような思惟とともにいやなショックが来て、無数の警報がどっと現れ、視野が真っ赤に染まった。
「アークエンジェルよりスターバッカー01! 緊急脱出を勧告します!」
「フリー・バード、脱出して! いま、すぐに!」
パルテール少尉と女史の声が耳に突き刺さった。目で確かめるまでもなかった。完全にマンタの鈎爪に捉えられた。
――フリー・バード!
ディタの意識の矢が飛んできた。その方向から紅いネージュが猛烈な速度で近づいてきた。
――待て! わたしとの戦いを放り出すのか!
――おまえを撃つのはいつでもできる。
追いすがるカルーアに、ディタは冷たい声を投げた。
――ひとまず、あの狂った強化人間のものとなるがいい。
――ダミアンの。
サリーはがくん、と勢いを失った。
その間にも、マンタはRZを引き寄せようとしていた。
「スターバッカー01、応答してください」
「こちらスターバッカー01、ナウ・アンコントロール」
パルテール少尉の呼びかけにも一言しか返せなかった。まだ生きているトランスエンジンを開いて、抗った。意識が沸騰していたが、奥底のほうはあくまで冷徹に、生き延びる方法を探っていた。あいにくと、あきらめがいい方ではない。絶望はまだ喉元にまで来ていない。
しかし、ダミアンは可能性のかけらも与えるつもりはないようだった。呑み込もうというのか、マンタの真ん前にRZを掲げるようにした。そして、左のクロウ・アームを前に向け、鈎爪を開いた。
金属の花の中心、メガ粒子砲の砲口が蛇の目で俺を見据えた。
――貴様を消し去ってしまえば、カルーアは俺のものだあッ!
――いやだッ、
ダミアンの歓喜の絶叫に応えたのは、また絶叫だった。カルーアだ。突然、迸るように泣き叫んでいた。それまで冷たく保たれていた意志の道が大きく揺らいで、まるで、足を踏み外したかのような。
――わたしは、おまえの匂いが嫌いだッ、
直後、予想だにできないことが起こった。目の前で。
カルーアは、目の前に飛び出してきた。まるで、俺をかばうかのように。
いや、俺をかばったのだ。かばってしまったのだ。
「大尉どのおッ」
その声は、はっきりと、聞こえた。
直後、カルーアの黒いサリーは零距離で撃ち抜かれ、一瞬で光の球と化した。
――!!
ダミアンの注意が逸れた。俺も目を見張った。
が、自失するわけにいかなかった。まだすべきことがある。
セイバーを握った右手はまだ生きている。緊急脱出レバーにかけた手を外して、スロットルをブーストに叩き込んだ。ガンダムは、マンタに激突した。
――小賢しい真似を!
ダミアンの声に答える代わりに、すかさず右腕を大きく振りかぶって、振り下ろした。光の刀がマンタのなめらかな表に突き刺さった。そして、この天のどこかでこの戦いを見つめているアンサーに呼びかけた。
「アンサー、セイバーの光を狙え」
「しかし!」
「いいから撃てっ」
ディタが実際に叫ぶのを初めて耳にした。スクリュードライヴァーのせいで停まっているに等しいアンサーに向かって、敵が何機も接近しつつあった。
「くっそぉーッ、こんなところでやられてたまるかよっ、やってやるぜっ」
アンサーの絶叫に続いて、ディタのいつもどおりの冷静な声がした。
「フリー・バード、着弾まで十秒。衝撃に備えて」
さすがにダミアンも迫り来るスクリュードライヴァーを察したか、マンタは動き始めた。
しかし遅かった。大きなショックに続いて、Gが来た。激しい衝撃は続けざまに走って、マンタの背をえぐるように破壊した。その都度、マンタは大きく身を震わせて跳ね飛んだ。命中三弾。アンサーの射撃は実に正確だった。
――なんだ、いったい、なにが。
さすがのダミアンも、こうも立て続けに叩かれては、考えるどころか、何が起こったのかさえわからなかっただろう。
その隙に紅い影が滑り込んできて、セイバーでアームを斬り飛ばした。ガンダムはようやく解き放たれたが、どこも動かない。パワープラントが完全に死んでいる。
「スターバッカー01、ベイルアウト」
ディタに曳いてもらって、十分にマンタから離れてからカプセル・カヴァーのハンドルを引いた。脱出システム、起動。トランス・エンジン、カット。コクピット・カプセルの蓋が閉じられると同時にコクピット・カヴァーが弾き飛ばされ、一瞬息の詰まるほどのGの後、宇宙の真ん中にいた。
眼下、大破したガンダムRZが流れていった。
女史の沈んだ声がした。
「フリー・バード」
「忘れるよ。元々、強引に持ち出したものだ。それに散々乗り回したから、もう売り物にはならない」
感傷に浸っていられる間はなかった。ここは死地の真っ只中だ。
が、マンタはこちらに目もくれず、片肺航行でよたよた去って行った。
スクリュードライヴァーの直撃にも耐えたことは驚きどころの話ではなかったが、ダミアンにも見極めができるようになったということなのか。何にせよ、僥倖だ。生きて帰れば、次のチャンスも得られる。カプセルから出た。
――フリー・バード。
振り返ると、紅いモビルスーツがいた。
右手を差し伸べている。
その手の上、先客がいる。
予感のようなものは、あった。実は。ダーク・グレイのバトル・スーツを見るまでもなく。
意識は、失われていない。失われていなかったが、ひどく怯えて、身を丸くして泣きじゃくっている。赤子のように。
怖い。怖い。怖い怖い怖い。
ずっと、それだけを呟いてもいる。怖いのだ。上も下も何もなく、ただ広大なこの宇宙の闇が、だ。
左胸の官名を確かめると、案の定だった。
彼女のメットをぽんと叩くと、ヴァイザーを透光にして、顔を見せた。
直後、彼女はむしゃぶりついてきた。声を出して泣き始めた。
「大尉どの大尉どの大尉どのっ」
ひどくつらい気持ちになった。――カルーア。
「重度の宇宙恐怖症に陥っているから、気をつけてね」
ドクは静かにそう告げた。
帰頭後、カルーアはビッグEの医療ブロックに運び込まれた。身体チェックの結果は、異常なし。NTCがカルーアの身体をいかに強靭に作り上げたか、だ。
しかし人間は身体だけの存在ではなく、そしてカルーアは精神に大きな怪我を負っていた。
「脳波チェックでわかったのだけど、サイコミュのドライヴ能力を完全に喪失しているわ。脳波レヴェルが稼動可能値に達していない」
その一言は、宇宙恐怖症という言葉にも増してショックだった。さっきのひどくつらい気分は、このことの予兆だったのか。
ともかく、面会の許可は降りた。いまだ戦場のままの医療ブロックに入った。
カルーアは列を成している負傷者たちから外れたところの簡易寝台の上にいた。声を掛けると眩しそうに瞼をこすり、そして目を見開いた。
「大尉どのっ」
すぐに起き上がろうとしたカルーアを制して、枕許に座った。
久しぶりに会ったカルーアは、印象がまったく違っていた。憑き物が落ちたようだ。いや、そうと言うよりも、まるで生まれ変わったようだった。以前のとげとげしさや人を見下す目がきれいに削ぎ落とされていて、鼻についた血の匂いもなかった。
しかし、気分は晴れない。晴れないが、伝えておくべきことは伝えておかねばならない。まず状況を説明した。ビッグEに乗っているということには、カルーアはさほど驚かなかった。それよりも別のことがカルーアの頭の中で烈しく渦を巻いていた。それはつまり、こういうことだ。
「お詫びして許していただけるものとは思っていませんが、わたしの今までの愚行を心よりお詫びします」
目を伏せたカルーアに、いいよ、と応えた。愚かな行為は、それができるうちにやっておくべきだ。
「わたし、NTCから離脱します」
容体を問う前にすぱっと言われて、驚いた。予想もできない言葉だった。が、カルーアは熱っぽく言葉を重ねる。
「大尉どのをお助けしたいんです。これからは」
俺を助けるために。
つらい気分が戻ってきた。その気持ちが真摯で、いやというほどわかるだけに。
ドクはまだカルーアに何も話していないのだ。サイコミュを稼動させられない。それ以前に、宇宙恐怖症に陥っている、と。
そんな沈んだ気分の底で気がついた。
それを告げるのは、俺だ。
そうとわかってしまったときには頭を抱えたくなったが、どうにかためらいを振りほどいて、本来の穏やかな色を取り戻しているカルーアの瞳を見つめた。
「――君に伝えなければならないことがある」
☆
「もういいわ、カルーア」
マルチ・ディスプレイの真ん中で、パナシェさんは首を左右に振った。
「やはりサイコミュは稼動しない」
その言葉に、前がゆがんでくもって見えなくなった。前だけじゃなかった。何もかも、全部。
涙。
悔しいのと、悲しいのと、怒りと、色々なものがごちゃごちゃになって、胸を掻き回していた。
わたしは、ニュータイプではなくなってしまった。ニュータイプの力を失ってしまった。
大尉どのに言われたときは信じられなかった。嘘だと思った。でも、大尉どのが嘘など言われるはずがない。
でも、どうしてなの。宇宙に放り出されたとき、ひどいショックを受けたせいかもしれないと言われたけれど、そんな話、聞いたこともない。でも、サイコミュは動かない。動かすことができない。どうして。
体に力が全然入らない。骨を抜かれてしまったみたいに。メカニックとエンジニアたちにコクピットから引き出されてみると、そこには大尉どのとレーニエ中尉がいた。このひとは氷のマントをまとっているから、好きになれそうもない。
「大尉どの、わたしはもうだめなのですか」
「そうじゃない。そんなことはないよ」
大尉どのはそうおっしゃられたけれど、つらそうな顔をしておられ、レーニエ中尉はわたしを谷底へ突き落とした。
「やはりこの場は身柄を拘束し、エッヂ・フィールド帰還後、捕虜収容所へ引き渡すしかないわね」
いやだッ!
胸が絶叫した。
いやだ! いやだいやだいやだ! せっかく大尉どののそばにたどり着いたのに、そんなところに入れられてしまったら、もう大尉どのとは会えなくなってしまう。絶対に。
すると、レーニエ中尉は顔を寄せて、わたしの目を覗き込んだ。
「何か、できることは、あるの」
わたしは目をそらして俯いた。
ない。何もない。わたしは、モビルスーツに乗って闘う以外に、何もできない。
でも、ファンネルがなくたって、わたしは十分に闘える。
それを言おうとしたら、
「それなら、厨房へ詰めてもらおうかしら」
頭が真っ白になった。
しかしレーニエ中尉はにこりともしていない。
「パイロットとして働くことが無理なら、別の仕事に就いてもらうしかない。精神精査の結果、幸いにもブービートラップの疑いはないようだから、破壊工作なんて真似もしないでしょう」
「それはわかるが、どうしてコックなんだ」
「厨房は重力ブロックの真ん中でしょう。オカイ中尉はいつも人手不足を嘆いているし」
「戦闘員だけで戦はできない、か。しかし。――」
ああ、そうか。
わたし、宇宙にも出られないんだ。
上で交わされる会話を聞くともなく聞きながら、そのことにようやく気がついていた。
わたしは、何も、できないんだ。今まで当たり前のようにできていたことが。モビルスーツに乗って、闘うことさえできない。宇宙に出られないんだから。
宇宙の闇なんて、考えたくないくらい恐ろしい。あんな何もないただひたすらな闇の中で何にもつかまらないでひとりで漂って、…何にも支えがないことに耐えられない。狂ってしまいそうに、怖い。無重力でさえ、怖い。
ひどく悲しい。でも、不思議なことに、涙が出てこない。泣くこともできなくなっている。わたしがわたしであるすべてのものをもぎ取られてしまったのに。
それで呆然としたまま、何がどうなっているのかわからないまま、翌日。
レーニエ中尉に連れ出された。しばらく休んだ後だし、重力ブロックを出ないから少し安心したけれど、別の不安が膨らんでいく。
わたし、これからいったいどうなるの。
「オカイ特務中尉」
レーニエ中尉はメス・ホールに入ると、ずかずかと中を突っ切って、奥に呼びかけた。するとすかさず大きな声の返事があって、コックの服を着た人が飛び出てきた。若い、背の高い男の人。髪は栗色だけど、顔は東洋系。
「待っていましたよ」
と、明るい笑顔でわたしを見て、
「この子がうわさの新戦力ですか」
「よろしく頼む」
レーニエ中尉はその一言だけでさっさと帰っていった。取り残されたわたしはあわててしまい、敬礼をするのが精一杯だった。
「か、カルーア・ミルヒです。あのっ、わたし」
「ああ、わかってる。話は聞いたから。ま、とにかく堅苦しいのは抜きだ」
コックはにっこりして、自分の胸をぐっと親指で指して、
「おれはトクロウ・オカイ。中尉だが、ここじゃ階級なんてへのかっぱだ。気にしなくていい。おれのことも名前で呼んでくれ」
なんというのか、信じられないところへ来てしまった気がする。NTCとは、空気が違う。
呆然と突っ立っていると、トクロウさんはさっと奥に引っ込み、戻ってくると白い服を押しつけられた。
「君のコック・コートだ。ここでの制服だ」
「は、はい」
「早速、着てくれ。君は即日採用なんだ」
トクロウさんはにやっとした。言われるままにインナー・スーツを脱いで袖を通してみたけれど、ぶ、ぶかぶかだわ。
「トクロウさん、これ、大きすぎます」
「軍隊にはサイズなんてふたつしかない。大きいか、小さいか、さ」
トクロウさんはふふんと笑っただけ。小さいよりマシってコトかしら。とにかく袖まくりをする。
その後、トクロウさんに厨房を隅々まで案内してもらい、色々と説明を受けたけど、この人、ものすごく勢いがある。しっかりしていないと、吹っ飛ばされてしまいそう。
「――それでまあ君の仕事なんだけど、最初から何もかもってわけにもいかないから、まずは洗い物と掃除からやってもらう。空いた時間は調理の基礎からじっくりと仕込むつもりだ。艦を降りても食いっぱぐれないようにね」
うなずいた。するとトクロウさんはにっこりとして、
「エッヂ・フィールドに帰ったら、ビッグEはドックに入って修理される。それから再出撃までの時間で、君をここのセカンドに仕立て上げる。頑張ってやっていこうぜ」
と、肩を力いっぱい叩く。
「よ、よろしくお願いします」
「おうっ」
トクロウさんは満面の笑みでうなずき、早速わたしは食器の始末を行い、それがすむと厨房の掃除を行った。慣れないと言うより、今までやったこともない仕事だから、医療ブロックのベッドに戻ったときには妙に疲れていた。
コック・コートを脱いでベッドに潜ると、胸が締めつけられ始めた。
ものすごく、ひとりになってしまったみたい。
わたし、どうなっちゃうんだろう。
おまえはもうひとりきりなんだ、とナイフのように突きつけられている。何を言ってもダメ。ほんとうに、ひとりきり。
この気持ちは、どういうものなんだろう。今まで、こんな気持ちになったこと、ない。わからない。わからないけど、誰かにそばにいてほしい。でも、誰でもいいわけじゃない。
毛布を頭から被った。
涙が、あふれてきた。
大尉どの。
おねがい。――
☆
エッヂ・フィールドに帰頭したビッグEは即日ドック入りした。
俺たち第七戦闘隊はローランド基地に移った。ガトー少佐の第三攻撃隊もだ。
アンサーは単身、ラッツェンバーガー基地へ向かった。トムの推薦を受けてオールド・ハイランド・コスモス・ウェポン・スクールに入学したのだ。連邦にもその名の轟く宇宙戦闘技術訓練学校『エアナイツ』だ。対モビルスーツ戦の高等戦術をあらゆる方面から学ぶエリート・パイロット養成組織で、卒業の証があの有名な白金のウイングマークだが、ディタ曰く、
「あれは、九週間の地獄よ」
「あいつ、あれ以上強くなってどうするんだ」
そう笑い飛ばしたガーディー、そしてジャンもプラチナ・ウイング持ちだ。実は、スターバッカーズで銀のウイングマークは俺ひとりだった。寂しいことに。
「あいつはカンで飛んで闘う奴だから、学科で泣く。絶対に」
というのが、栄光の卒業生三人の一致した見解だった。
「自分は推薦していただけないのでしょうか」
「君がエアナイツに行くとしたら生徒としてではなく、教官としてということになるだろうし、その方がふさわしいと私も考える」
半分は真剣に尋ねると、トムはにんまりしたものだ。後ろではみんな笑っていた。ガーディーには特に思い切りだ。ジャンにもだ。
「それ以上強くなりようがないとさ」
「だいたい、このプラチナ・ウイングっていうのは、万が一撃墜されて連邦の捕虜になったときのためにあるんですよ」
どうして、と聞くと、
「捕虜収容所の監視兵に吹っかけて、ロック・ハンマーを手に入れるんです。壁に穴を掘るためにね。でなきゃ、こんな重いものをこれ見よがしに身につけるわけないでしょう」
「そうそう。死中に活を見出すのもエリート・パイロットの心得だ。エアナイツの卒業生たる者、いかな手を用いてでも、たとえ敵のモビルスーツを分捕ってでも生還すべしってな」
「しかし、エアナイツ出が捕虜になったらきついでしょうね」
「そうだろうなあ。向こうから見りゃ、仇の中の仇だからな。連行中の不慮の事故なんて、よくある話だけど、シャレにもならねェ」
場はシンとしかけたが、ガーディーは俺の胸を手でぽんと衝いて、
「まァ、最新鋭機でも持参してくりゃ話は別だ。その点、フリー・バードは最初からよーくわかってたぜ。あのいまいましいサリーをぶら下げてきたんだからよ。連合軍の全モビルスーツ・パイロットを代表して、おれが勲章のひとつもくれてやりたいくらいだぜ」
「そんな食えないものより、我がビッグEの女性居住区画のマスター・キーでも贈ればいいじゃないですか」
ジャンが鋭く突っ込むと、ガーディーは口に指を当てて、シッ、と言った。
「それは君の大事なクミコの名にかけて秘密だと言ったろう」
ふう、と息をついたディタ以外、居合わせた面々は爆笑した。
一方、カルーアは。
ディタの手回しでオールド・ハイランド軍の籍を得たカルーアは、俺たちと同じローランド基地で地上勤務に就いていた。
といっても、デスク・ワークではない。それよりも厳しいところにいた。厨房だ。
サイコミュ駆動能力を喪失したものの、何ら問題はなかった。特に身体は、時間をかけて強化されたこともあって、強靭そのものだった。
ただ、それまでの人生において、競って他を蹴落とすことが当たり前だったため、教官であるはずのトクロウにも闘争心を燃やしていた。――
☆
アッシェ、ポッシェ、コンカッセ。
あまりにも鮮やかな手並みに、自然と目が吸い寄せられる。
この人はナチュラルなのに、わたしにできないことをやる。ナチュラルなのに。
くやしい。
けど、でも。
ニュータイプだったのに、ナチュラルになってしまったわたしの方がなおひどいんだ。これでは、道化よ。まるで。
唇をかんだ一瞬、――あッ。
指の先から赤い血が滴った。やって、しまった。
「包丁を持つ以前の姿勢に問題があるなあ」
手当てされながら、トクロウさんにそう言われた。
「もうちょっとさ、肩の力を抜けよ、カルーア」
わたしはうなずかないで、トクロウさんを睨みつけた。けど、トクロウさんは微笑んだだけ。
「おれはナチュラルだからこう言えるのかもしれないけど、ニュータイプかそうでないかなんて、どうでもいいことじゃないか。人として生きるうえで」
簡単にそう言われて、言葉を無くしてしまった。
どうでも、いい。
そんな。
「でも、でも、ニュータイプであることがわたしの存在理由でした。だから、ニュータイプでなくなったら、――」
「何でそう極端に走っちまうのかなあ」
トクロウさんは顔をしかめた。
「存在理由が見えなくなったら、また見つけりゃいいだろ。それとも、ニュータイプじゃないと生きる意味なんかないって言うのかい」
わたしはうなずいた。ナチュラルなんて、生きる価値はないと信じていた。ニュータイプによって導かれるべき羊の群れ、愚民であると。なのに、わたしがそっち側の人間になってしまうなんて。ユーゲントだって首席で卒業したわたしが。何のためにあんな苦しい思いをしたの。
涙がこぼれた。
わたしは何もかもなくしてしまった。もう、いやだ。いなくなってしまいたい。
「なあ、カルーア」
トクロウさんの声にも、顔を上げられなくなっていた。
「ニュータイプだから価値があるなんて、正しくないぜ。同じ人間じゃないか」
違う。わたしは違う。同じじゃない。ナチュラルなんかじゃない。
でも、そうやって泣き叫べば叫ぶほど、今のおまえはそうじゃなくなってしまったんだ、と誰かがささやく。嘲笑っている。わたしを。
「君がニュータイプの力をなくしてしまったのは、そこんとこよっく考えろってことなんじゃないの」
えっ。
「考えろって、何をですか」
「うーん。言うのは難しいな」
トクロウさんは頭を掻いた。
「なんて言うか、ニュータイプじゃない、素の自分は何か。何を信じて、何のために生きるのかってことさ。ニュータイプってことをとりあえず抜きにして」
ニュータイプじゃないわたしは何か。何を信じて、何のために生きるのか。
頭の中が白くなった。
そんなこと、考えたことがない。ニュータイプということを抜きにして、と言われても、ニュータイプであるということがわたしの拠り所だったから、そこを外すと何もかもが成り立たない。
でも、涙は止まった。
「悪い。いきなりこんなこと言ってもダメだよな」
トクロウさんは困ったように笑い、わたしの肩にぽんと手を置いた。
「ま、君はいまここにいる。それは間違いない」
あ、それがわたしの今の拠り所なんだ。
トクロウさん、いいひとだな。
優しいし、頼りになるし、一緒にいるとほっとする。
ああ、わかった。
大尉どのに似ているんだ。
最初に感じた空気の違いが少しずつわかってきた。どこか、やわらかい。これはユーゲントにもNTCにもなかった。この温かさも。
「さあ、涙を拭いたらもう一度だ。いくぜ」
うなずいて立ち上がり、コロニーの空を仰いだ。
あの天の向こう、大尉どの、どうしてるかしら。
会いたい。――
☆
「一旦植えつけられた能力が完全に消え失せてしまうことなど、有り得るのでしょうか」
尋ねると、ギブソン教授はふむ、と考え込み、
「宇宙に放り出されてリセットされたと考えるべきかな」
やはり、そういうことなのか。
「人為など、ささやかなものだ」
それにはうなずける。ドクも言っていたが、カルーアは、植えつけられたものに対して、元に戻ろうとする力が働いてしまったのではないかと。宇宙に放り出されたことが銃爪となって。
「植えつけられた力が失われて、サイコミュをドライヴできなくなったことは、その子にとって幸福なことだよ、シュー。元々が無理な、存在すべきではない力だ」
同感だった。少し、気分が良くなった。
カルーアの話の後、前回の話に感銘を受けたことを伝えた。
「そうか。私と会って、感ずるところがあったか」
教授は嬉しそうな顔をした。だが、その顔は、俺が問いを掛けたとき、がらりと崩れた。
「君は、少しばかり、普通ではない」
それを口にしたとき、教授はひどく苦しんでいた。だが、その苦しみはもはや教授ひとりのものではなく、俺のものでもあった。
「率直に言おう」
教授は慎重な口ぶりでそう前置きして、俺の目を正面から見据えた。決意、よりは躊躇いの方が強く現れていた。が、教授は言葉を飲み込みはしなかった。
「君は、連邦のNT研で伝説のニュータイプ、アムロ・レイとララァ・スンのDNAを用いて生み出された人間なのだ」
ショックを受けたのは、教授の机の上のモニターに並んで現れた二つの顔を見たときだった。
ララァ・スンという女性は東洋系で、目鼻立ちのはっきりしたその顔は、マザー・ヴォイスに対するイメージそのままだった。実際、俺と肌の色や髪の色、瞳の色までが同じで、鼻と唇の形も同じだった。澄んだ美しい瞳が強く印象に残った。
その隣のアムロ・レイという男性も東洋系だが、肌の色はいくらか白く、翳りのある表情をしていた。何かを見据えているような、それでいて沈んだ目の色が印象的だった。髪は茶色だが俺と同じようなくせ毛で、顔立ちも全体的に俺とかなり似通っていた。
無論、これだけでは理由にならないが、わかっていた。わかってしまっていた。このふたりが、俺の父母だと。
勘――ではない。ノイズに惑わされることなく、一撃で真実を見通す目。それがニュータイプだ。そのレヴェルがSであることを呪いたくなるのは、こんなときだ。
「君に対してこういうことを告げるのも何だが、このふたりは、公式記録では最初のSクラス・ニュータイプだ。ふたりとも一年戦争のトップ・エースだった」
百年前の闘いのエース。
しかし父はともかく、母は何故闘ったんだ。こんな、聡明そうなひとが。どう見ても、闘うひとじゃない。
すると、鋭い叫び声が意識を刺し貫いた。
「ララァなら、なぜ闘うッ」
「シャアを、傷つけるから」
「何っ」
「あなたを倒さねば、シャアが死ぬ!」
呆然とした。
これが、父と母の交わした言葉なのか。まるで敵同士のような。それよりも、シャアというのは、誰だ。
「スペースノイドの自主独立と、それに伴う人の革新というジオン・ダイクンの思想をもっともラディカルな形で受け継ぎ、実現させようとした男だ。本名はキャスバル・レム・ダイクン」
教授はすかさず応えてくれたが、ダイクンとは、ディタの祖先か。
「そのとおりだ。アムロ・レイもララァ・スンも彼に出会うことで覚醒を促されたと思われるが、逆に彼はふたりとの出会いで飛躍することができなくなった」
わかった。ディタの言った「真のニュータイプ足り得なかった」祖先だ。
続きを待ったが、教授は話を変えてしまった。
「君の存在は当初からオールド・ハイランド軍事情報部にも知られており、生まれると同時に連邦との争奪戦に巻き込まれた」
教授の声はうつろに響いた。まるで、俺ではない、別の人間の話を聞いている気がした。
「争奪戦はDISの勝利だった。しかしDISのエージェントは君を連れて地球を脱出する前に息絶えてしまい、放り出される形となった君はグレイト・ロスアンジェルスのとある教会に拾われた」
そうして俺はシスター・マリィに出会い、あの逃げ場も出口もないサウス・デルタで天を仰いでもがくこととなった。――
「完全に埋もれてしまって、NTCにもDISにも関わることなくすんだことは、君にとって幸いだった」
教授のその言葉は真実だと思えた。
が、闘うためだけに創られた人間だったというのか。俺は。それも、百年も前の遺伝子を組み合わせられて。まるで悪霊じゃないか。
先天的なニュータイプを人工で生み出そうという馬鹿げた計画が過去にあったことは知っている。それが一度や二度ではないことも。
目的など、考えるまでもない。
だが、幸運なことに、それらの計画はことごとく失敗したと信じていた。
そうではなかった。
成功していたのだ。
その証が、他でもない。この俺だ。
そうとわかったとき、胸の底から込み上げてくる笑いの中にすべてを埋めてしまいたい衝動に駆られた。
ダミアンやカルーアや、NTCの強化人間たちのことなど言えない。当の俺がそうだったのだ。闘いの道具として運命づけられた、呪われし存在。生まれる前よりそうと決められていたのだから、強化人間たちより格段にひどい。シスター・マリィの言っていた、拾われたとき額に書かれていたというSの文字は「サタン」のイニシャルだったのかもしれない。
「私がどんな思いであなたを待っていたか、わからないの?」
スーズはそう言った裏でわかっていたのかもしれない。女性特有のカンで。
「結局、あなたは闘いたがっているのよ」
「それを止めることは、誰にもできないんだわ」
と。
「わたしは少なくともあなたの向こうに回るつもりはないわ。あなたのようなニュータイプほど恐ろしいものはないと思うから」
ディタもグレイト・ロスアンジェルスに降りてきたとき、そう言った。見えていたのだろう。俺が、ほんとうはどういう存在であるのかを。そして何もかも。
「あなたには主義主張が無い。しかも、護るべきものも護るべき人もいない。なのに、闘うことができた。何故?」
ディタの問いは、言い換えればこうなる。
「あなたはどうして闘えるの。闘うべき理由も何も持っていないというのに」
今思い起こしてみれば、あまりにもディタらしくない質問だ。
「目の前に敵が現れたから」
何を言っていたのだろう、俺は。違う。そうではなかった。最初からそのためだけに創り出された存在だったから、だ。理由もなく闘えて、当たり前だった。
そう考えて、閃くものがあった。
ディタは、本当に俺の闘うべき理由を知りたかったんだ。そのためだけに創り出されたから、というのではなく、別の、俺だけの持つはっきりした理由を。
あのときのことを思い浮かべ、ディタがあそこであっさりと背を向けたのはそういうことだったのかと噛み締めた。
この大戦は人の飛躍するための闘いとなると、ディタは早くからわかっていたに違いない。
そして、俺のために危険を承知でわざわざ地球に降りてきた。
が、あのときの俺には何も見えていなかった。それで、これではともに戦場へ行けないと判断して、手を引いた。
さすがにディタだ。見極めと判断の速さは素晴らしい。
しかし、少しも笑えない。それどころじゃない。
「俺は、仕組まれた子供だったのか」
「それがどうしたというの」
呟くと、即座に応えが返ってきた。マザー・ヴォイス。まるで隣にいるみたいに。
目を閉じると、その姿が先のララァ・スンのそれときれいに重なって、微笑んだ。
このひとは、間違いなく俺の母だ。
その確信は慰めになった。人の思惟ははるかな時も空も超えてゆく。
しかし、仕組まれて生まれ出た人間であることに対して、それがどうしたと言える気分ではなかった。
気がついてみると、ダウンタウンの公園のベンチで頭を抱えていた。何時の間にルイ・シロン大学からここまで来ていたのだろう。それに、もう夜だ。
が、そんな、外の世界のことなどどうでも関係なかった。天地が引っくり返された気分だった。岩だと思ってかじりついていたものが、実は砂であったかのような。ためいきさえ、出てこない。
「目を閉じてはいけないわ。シュー」
マザー・ララァの聡明な声が鈴のように涼やかに響いた。
「あなたの道に意味を与えなさい。自分がきちんと歩いていけるように」
俺の道に意味を与える。
何だそれは。どういうことだ。
「この世界は気の持ちようでどうとでもなるわ。見る向きを変えれば、地獄だって天国になるのよ」
地獄、という言葉から思い出されるのはやはりグレイト・ロスアンジェルスのサウス・デルタ。俺の故郷だ。いや、今となっては故郷と信じていた場所に過ぎない。
あそこは地獄だった。
しかし、天国でもあった。
シスター・マリィの微笑み。ランディのスライド・ギターの音色。ドライヴするロックンロール。甘く、苦く、そして深いブルーズ。サンセット・ビーチに沈んでゆく夕陽。土曜の夜のハイウェイ。改造したモーター・サイクル。紫のブールヴァード。それらすべては、かけがえのないものだ。今、初めてそう思えた。
「あなたには夢がないの? 求めているものがないの? 目指すものがないの? 意志がないの?」
そんなことはない。そんなことは。
俺にだって、もとめているものがある。理想として持っているものがあるんだ。わけもなく闘っているわけじゃない。決して。
「そう。人は、変わってゆくのよ」
マザー・ララァの穏やかな笑みの向こうに、過去の俺がいた。
かつて――何ひとつとして確かなものを持っていなかった俺は、意味のある人生と何者かである自分を切実に求めた。グレイト・ロスアンジェルスのタフな日々の底で、自分は何者かになるべき人間だと思い、最終的には何らかの意味のある人生になっていくと思っていた。モビルスーツと宇宙を目指したのも、そのためだ。アンサーと同じだ。闘いの中にのみ、答を見出そうとしていた。闘いたがっていたのは、嘘じゃない。悲しいことに。
そして、今。
俺は何者であるかわかり、人生にも意味があった。
ただ、それは究極の逆説だった。
もちろん、そんな意味などほしくない。闘うことだけが俺の生の意味ならば、いっそのこと、意味などなくていい。そうじゃないか。
自分にそう問いかけた瞬間、何かが一気に胸を突き抜けて、夜闇の色が変わった。
確かに俺の生まれは仕組まれたものだった。
しかし、その後に連なる、今日のここまでの道。
それには決して意味があると言い切れないが、誰が仕組んだものでもない、俺の自分の足で歩んできた道だ。
だから、俺は否定しない。
俺の生は、それがたとえ無意味であったとしても、俺にとって紛れもない栄光の日々だ。
俺は俺なりの『グローリィ・デイズ』を生きればいい。
それは、ずっと目の前にあったんだ。これからも、そうだ。
心の底から突き上げてくるように強くそう思えたとき、目の前が光で一杯になった。まるで、初めて宇宙に上がった日のように。こんな簡単なことに、何故今まで気がつかなかったのだろう。
視野に光が満ち満ちていたのは現実だった。夜はとうに去って、朝が訪れていた。にわかの雨が過ぎ去った後でもないのに、景色がきらめいて見えた。
そして、ひどい空腹に気づいた。
朝早い人々の行き交い始める中、ホット・ドッグのワゴンを待って立ち上がり、二本のホット・ドッグをものすごい速さでかじりながら、ふと思った。
俺がここで足を止めても、時代は構わず、確かに突き進んでゆく。
だからこそ、決めた。
この身に負わされた宿命と訣別した後には、裸の俺が立っているだろう。
ありのままの俺は救いようがないかもしれない。
が、それでも構わない。
俺は俺でやっていく。俺が、俺であるために。
だから、手を振る。
「闘いは終わった。さよならさ」
俺は、闘いのためだけに生み出された。
大いに結構。
だからと言って、闘うために生きる必要はない。生きるために闘うことはあっても。
その証に、俺は俺の力を、宇宙に暮らす人々を守るためにも闘いを無くすためにも使える。
NT研の狂った技術者たちは致命のミスを犯した。それは、俺に自由な意志を与えてしまったことだ。
「あなたは、とても頭のいいひと。だけど、とても不器用なひと」
ディタ。
待っている。
ふとそう思えて、かぶりを振った。そのはずはなかった。何故なら、右手の樹の陰から細い影が俺の前に勢いよく飛び込んできた。
「ここにいたのね」
草樹の眠りさえ妨げまいとするかのように静かだが、はっきりした声だった。
「探してしまったわ。帰ってこないものだから」
ディタはそういって俺の隣に座ったきり、黙り込んでしまった。
ディタが俺に対して何を言うべきか考え込んでいるという図は不思議だったが、ディタはディタなりに気遣ってくれているのだろう。
が、もうだいじょうぶだ。
俺は、いける。
「――Watch it!」
頭のジュークのスゥイッチが入って『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』が勢い良く流れ始めた。
「おれは嵐の真っ只中で生まれた
土砂降りの雨に打たれて産声を挙げたのさ」
そんなことはどうでもいい。どうということはない。
要は、自分の状況をどう受け容れるかだ。そういうことだ。
もちろん、俺はやっと見つけた栄光の日々から降りるつもりはない。
「それじゃ、行きましょう」
ディタはうなずいて立ち上がり、手を差し伸べてくる。その手を取って立ち上がり、最後のコーヒーを喉に流し込んで、歩き始める。
生まれがどうであろうと、俺はたしかにここにいるし、俺にできるすべての事が「闘い」ではない。
当然だ。俺は、自分の行き先を自分で決められる。
だから、ふたたび帰ろう。俺のリアルな世界へ。
☆
何のために生きるのか。
ひとりになると、そればかりを考えている自分に気づく。
何のために生きるのか、ということは、生きていて何を信じ、望み、願うのか、ということ。
そう考えると、今のわたしの望みは、ひとつしかない。
大尉どのをお助けしたい。
その願いと、今やっていることがどうも結びついていない気がして仕方がない。実のところは。
トクロウさんのおかげでいくらかはまともなものを作れるようになってきたし、料理を作ること自体もかなり好きになってきた。
けど、それは大尉どのをお助けすることになっているんだろうか。やはりモビルスーツで闘えるようになれなければ、大尉どのをお助けしていると言えないのでは。
「助けているさ。食べなければ、死んでしまうだろう。シルヴァーストーンの奥に閉じ込められて身動きの取れなくなった連邦の歩兵のように」
えっ。
思わず身を起こしてしまったけど、周りの二段ベッドではみんな眠っている。
でも、はっきり聞こえた。幻にしては、あまりにもはっきりと。それも、男の人の声。誰。
すると、また同じ声がした。
「食べることだって、戦士の大事な仕事さ。自分のしていることの意味はすぐにはわからないものだけれど、こうして見出すものじゃないのかな。決して求めるばかりではなくさ」
断言されたわけじゃないけど、急にわかった。わかってしまった気がした。
何のために生きるのかなんて、そういう聞き方をしてはいけなかったんだ。自分のすることに意味を求めるんじゃなくて、逆にどんどん意味を与えていけばいいのよ。
それはただの思い込みかもしれないし、失敗もあるかもしれない。
けれど、そうしていればいつかたどり着ける気がする。何をしても、大尉どのの助けになるやり方があるはず。必ず。
何より、思い込みの強さでは負けないわ。
☆
翌週の頭、アンサーを除くビッグEのモビルスーツ・パイロット全員に第二十二戦闘機動隊への転属命令が下された。転属といっても、一時的にグラナダへ出向せよ、とのことだった。
この「一時的に」というのが引っかかったが、何と機種転換訓練だった。
エッヂ・フィールドを離れる直前にそうと聞かされて、みんなの目の色が一気に変わった。前々から噂は色々飛び交っていたが、ついにサリーを打ち負かせるモビルスーツが完成したのかと、それでなくても血の気の多いジャンは沸騰しまくっていた。
高速連絡艇は一日で月に着いた。
グラナダは闇の真ん中で穏やかな顔をしていた。
懐かしい場所だったが、その思いのうちで目を閉じていられる時間はないようだった。女史が待ち構えていた。
「フリー・バード、あなたにぜひ見てほしいものがあるの。来てちょうだい。ディタも」
挨拶もそこそこに、俺とディタは女史に引きずられるようにしてハンガー・ブロックに入り、スペシャル・ゲイトを続けて三つパスした奥。
「これよ」
女史の示す先に、一機のモビルスーツが静かに佇んでいた。
カラーリングは全身フラット・ホワイト。胸部は濃紺。排気口は黄色。そしてコクピット・カヴァーは真紅。
「この機体は」
「アナハイム・カワサキZFX900」
女史は歌うように言った。
「愛称はイルミナティのはずだったのだけど、開発コードの方がすっかり知れ渡ってしまったわ。ロール・アウト前からね」
「そのコードとは」
尋ねると、女史はほんとうに嬉しそうな笑みを見せた。
「ガンダムFXよ」
MOBILE SUIT GUNDAM FX
Episode 7 “Glory days”