機動戦士ガンダムFX 『天の光はすべて星』   作:飛天童子

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主題歌
"Seasons of change" by Sing Like Talking


第六話 天国の、扉

「スターバッカー00、撃墜。識別コード、解除」

 戦闘空域のど真ん中ではあったが、一瞬、放心してしまった。

 ディタが、落ちた。

 

 ☆

 

 七月。

 ビッグEはアロハ・ステーション――誰がつけたのか、インテルラゴス後方の環地球連合軍機動部隊展開空域はそういうコード・ネームで呼ばれた――に上がった。

 闘いはシルヴァーストーンの争奪戦へと推移した。

 シルヴァーストーンに上陸した機械化空兵隊と空間機甲師団を支援すべく、アロハ・ステーションの空母の他、要塞化の進むワイコロアからも連日モビルスーツが出撃してシルヴァーストーンを攻撃した。機械化空兵隊も空間機甲師団も幾何級数的に増強され、シルヴァーストーンの色を内側から少しずつ、しかし確実に塗り替えていった。

 連邦の顔色が変わったのは、シルヴァーストーン最大の軍事港湾ブロック『ヨコハマ』をもぎ取られたときだった。即刻、空間歩兵を差し向けるとともに強大な艦隊戦力を投入した。

 最初の闘いは艦隊戦だった。

 この闘いは足並みの揃わなかった連合軍艦隊の記録的な大敗に終わり、連邦艦隊はシルヴァーストーンに嵐のような艦砲射撃を浴びせた。その激しさにはさすがの機械化空兵たちも首をすくめて震えているしかなかったというが、連邦艦隊が引き上げた後、暗礁空域に潜んでいた輸送船団が接舷し、無事に物資を揚げた。

「連邦は画竜点睛を欠いたわけだ」

 と、ガトー少佐は不敵な笑みを浮かべた。シルヴァーアローズのパイロットはにやにやしている。ガーディーとジャンもだ。

「敵さんも、開戦当初ならこんなポカはしなかったろう」

「ワイコロアで連邦の流れは一気に下りに転じたな」

 勝ちに不思議の勝ち有り。負けに不思議の負け無し。

 先のワイコロアの闘いにこれほど当てはまる言葉はない。

 時が経てば経つほど、何故勝てたのか、という思いが強くなる。我々にとっては、到底勝てる見込みのない闘いだった。

 連邦は逆だろう。

 勝って然るべき闘いが少しずつ流れを変えて行き、大敗へと転げ落ちてゆく。

 その抗いがたい流れを運命というのは簡単だが、大きな戦も、その趨勢を決するのはたったひとつの闘いだ。それがワイコロアだった。キングス・ポイントだったのだ。

 その証に、あの闘いでNTCが失ったのは四隻の空母ばかりではなかった。

 開戦当初から戦い抜いてきた優秀なパイロットの多くを宇宙に散らせてしまい、緒戦の破竹の勢いまでも失ってしまったのだ。それは取り返しのつかない損失と言って良かった。

「NTCがマジー・ノワールで空母を撃ち漏らしたことを悔やむときが必ず訪れる」

 というディタの予言は成就したわけだ。

 と、ドアにノックの音。

 ガンルームを訪れてそんなことをする殊勝なヤツはいない。みんなの目が一斉にドアへ注がれた。

 ドアが開いて現れたのはトムだった。連日のソーティーでぐったりしていた俺たちではあったが、背筋を伸ばして敬礼した。

 ぴしりと返礼したトムの後ろから細い影が現れた。ワイコロアから戻ってすぐにグラナダへ発ったパナシェ女史だった。

「ただいま、戻ったわ」

 俺たちは女史に答えようとして、――目が女史の斜め後ろに留まった。

 そこには映動女優かと思えるほど美しい女性が立っていた。

 弾けるような美しさではなく、清楚で知的な美しさだ。黒いスーツの胸にBARのワッペンがある。女史と同じく、モビルスーツのエンジニアらしい。ガーディーはにやりとして、

「戻ってくるに当たって手ぶらってことはないと思ってたけど、たいしたみやげだなァ。期待以上だぜ」

「その言葉を聞いて、戻ってきたという実感が湧いたわ」

 女史も苦笑を浮かべる。斜め後ろの女性を前に出して紹介した。

「紹介するわ。BARのラメール・ミュンヒハウツェン。わたしの親友にして最大のライヴァルよ」

「ラメール・ミュンヒハウツェンです。よろしくお願いいたします」

 挨拶をしたラメールの前で、ガーディーの目は違う意味で真剣になった。

「BARの天才エンジニアか」

「ガーディー、知っているの」

「ああ。サリーが現れたとき、ネージュA型をわずかな期間でB型に改修してみせたんだろ。おれたちの命の大恩人ってわけだ」

 ラメールははにかむように微笑んだ。差し出されたガーディーの手を取った。

「そう考えていただけて、光栄ですわ。ベルガー大尉」

「へえ、君もおれの名を」

「ええ。パナシェから色々と教えてもらいました」

 後ろで俺たちは爆笑した。

「というわけで、おイタはダメよ。ちゃんと将来を誓った相手もいるんだから」

「いや、別におれはかまわないぞ」

 また爆笑した俺たちの脇でディタはやれやれという感じで首を振った。ラメールも苦笑いをした。

 その後、我々はファイターコマンドへ上がった。

「環地球連合各国では、開戦と同時に打ち立てられた大増産計画が結実を始めている。モビルスーツの生産数にパイロットの養成が追いつかないという、考えられない事態が起こっているほどだ」

 皆の前で、トムはそう言った。

「時間をかけて養成されたパイロットたちは続々と第一線へ向かい、GPX750Bの後継機の開発も着々と進んでいる。今回、その成果として開発されたアナハイムのコード・ネームYZFとBARのコード・ネームRCBを試験的に、我がビッグEに配備することとなった」

 ファイターコマンドはどよめいた。

「YZFはネージュの発展型だ。RCBも完全な次世代型モビルスーツといえる。両方とも、問題なく実戦投入できる段階の機体だ」

 パイロットは全員がトムと女史とラメールに熱い目を注いだ。誰が新型を駆ることとなるか、だ。

「YZFはガトー少佐の第三攻撃機動隊に配備する。RCBはパニス大尉の第十一戦闘機動隊に配備。両隊とも即刻機種転換訓練に入ってもらう」

 スターバッカーズの左右で大きな歓声が挙がった。ガトー少佐が手を挙げた。

「新型はハンガーに駐機してあるのでありますか」

「搬入作業は完了しているはずだ」

「では機体を確認してよろしいですか」

「無論だ。エンジニアたちから話をよく聞いて、一刻も早く馴染んでもらいたい」

「了解!」

 新型を射止めた幸運なパイロットたちが風のように消えてしまうと、ファイターコマンドにはどんよりとしたスターバッカーズの面々だけが残された。

「オレたちには何もなしか」

「今の相棒とまたしばらくおつきあいだな」

「仕方ない。明日のソーティーに備えて、早く寝とこうぜ」

 立ち去ろうとした我々の前に女史が立った。

「個人的には、こういう結果となって申し訳なく感じているわ」

「いいってことよ」

 ガーディーはさばさばした口調で答えた。右腕をパンと叩いて、

「おれたちは腕でカヴァーするのさ。心配御無用だぜ」

 女史は真剣にうなずいた。が、なぜかその胸にためらいを感じた。何かを言おうか言うまいかというためらいを。しかし女史はそのためらいを一息に振り払って、告げた。

「実は、スターバッカーズにも、GPX750CネージュSを持ってきたのよ。コンプリートは二機。パーツは六機分あるわ」

「どんな機体なんだ」

「プロイツェン最高の高機動デヴァイス『DMX』のシリーズ2000を搭載して、近接空戦性能の向上を目指したモビルスーツよ。俗称は高機動型ネージュ」

「この機体は、アイス・ドールとアンサーに乗ってもらう。極めて機動性の高い機体だ。十分フリー・バードに追随していけるだろう」

「よっしゃ、やったぜ」

 トムの通達にアンサーは喜んだ。ディタは冷静に確かめた。

「YZFのような、GPX750Bの後継ではないのね」

「後継ではないわ。残念ながら」

 女史は即答した。感情の感じられない声だった。瞳にも輝きはない。気になったが、ひとまず我々もハンガーへ降りた。

「あれよ」

 と女史が示した先には、今までとは違うパターンの航宙迷彩を施された二機の真新しいネージュが駐機されていた。

「実機はネージュBと少しも変わりないな」

 ジャンは拍子抜けしたように言った。確かに一見したところではそのとおりだ。

 ただ、機体各部に装備されたバーニアの数は尋常でなかった。RZよりも多いかもしれない。装甲も、特に腕や脚の末端にかけて肉抜きしてある箇所が目立ち、機体質量が大幅に削られているようだ。

「赤く塗り替えるのは、一度飛ばしてからね」

「ひとまず飛ばしてみるか」

 ディタにしては珍しく軽口のようなことをいい、アンサーも大変な上機嫌でコクピットへ入った。

 しかし、ラメールは沈んだ表情をしていた。そのことに気づくと、ラメールは目を俺に向けた。

「私の懸念は、大尉の今お考えになったとおりです。サリーに運動性能で勝るモビルスーツを作れという軍上層部の強烈なプッシュに押し切られた結果がネージュSなのです」

「やはり、か」

「『DMX』シリーズ2000は、無人機に搭載する予定で調整が進められてきたものなのです。それを有人機に搭載した際、基本的な機体バランスの不安定性はネージュBと比べ物になりません」

「実際、運動性はすさまじいわ」

 両機のコクピットに張りついていた女史が戻ってきた。

「サリーと比べるよりも、まずコクピットにいるパイロットの身を案じなければならないほどよ」

「巴で勝とうとするのではなく、サリーの勝てそうもないポイントを突かなければ、最終的に勝つことはできないわ」

 ラメールは低い声ではあったが、はっきりと言った。

 俺たちの前で、二機の高機動型ネージュはうつ伏せの姿勢となり、エアロックに消えた。

「君のガンダムは、まだ形にならないのか」

 ラメールがRCBの面倒を見に行った後、聞いてみると女史はうなずいた。しかし、挑む目で俺を射た。

「VFXはまだ時間が要る。でもワイコロアでデータは得られた。待っていて。あなたを驚嘆させるモビルスーツを作り上げてみせるわ」

 二機のネージュSが発艦準備を整えた。

 ファイターコマンドへ上がって様子を見ることとした。

 果たして、DMXシリーズ2000は明らかに連邦軍のズームド・エアより優れていた。しかし反応が鋭敏すぎて、考えたと同時に考えた分の倍動くという感じだ。RZのようにサイコ・フレームに直結したら、即意識不明だ。間違いない。威勢良く飛び出していったアンサーも飛んでいるうちに口数が少なくなり――アンサーが飛んでいる間ずっと口を動かし続けていることは有名だ――言葉はうめき声に変わっていったし、ディタも降りてきた後、

「このモビルスーツは、普通の人間の搭乗を前提としていないのかもしれない」

 それだけを呟いて、力なくハンガーの宙を漂っていった。

「こいつは新戦力としてカウントできるのか」

 その答がはっきりしないままに、機動部隊の出番が回ってきた。

 第二次シルヴァーストーン会戦。別名、マニ・クール会戦。

 緒戦の勢いを失ったNTC機動部隊に対して、我々は有利に戦闘を進めていった。

 索敵合戦はNTCの勝ちだった。

 が、NTスカウト・オペレイターを総動員して先に我々を見つけておきながら、NTCは詰めでしくじった。

「後方ニ空母ラシキモノ一隻ヲ伴ウ」

「らしきものとは何だ」 

 索敵機の曖昧な報告が引き起こした混乱の間に第一特務機動隊のニンジャがNTC機動部隊を発見して勝負を振り出しに戻し、

「ジェントルメン、スタート・ユア・エンジン!」

 号令一下、俺たちはガーディーが言ったところの「まるでレーシング・カーのように」勢い良く飛び出した。

 ワイコロアでNTCの空母四隻を葬ったガトー少佐率いる『シルヴァー・アローズ』は新鋭機YZFを駆っていることもあって自信に満ち溢れており、第一次攻撃で中型空母と重巡を一隻ずつ沈めてみせた。

 が、NTCも眠っていたわけではなかった。すかさず攻撃隊を送り込んできた。

 俺たちは臆することなく立ち向かった。ストップ・アンド・ゴー戦術の普及により、サリーの前に顔を真っ青にする環地球連合軍パイロットは確実に減っていた。もっとも、俺たちは最初からそうだったが。

「タリー・ホー! サリーだ!」

 ガーディーの声でフォーメイション・ブレイク、

「おらおらおらあーっ」

 ガーディーがトップ・スピードで編隊を蹴散らすと同時にジャンが突っ込んでセイバーを振るう。接近戦に強いジャンと距離を置いた闘いの得意なガーディーは理想の組み合わせだ。

 俺の方では、俺が引きつけた敵をディタとアンサーが叩く。俺が目立つのはRZの鮮やかな機体色のせいばかりではない。ニュータイプは、何故かニュータイプを引きつける。早速、正面から二機編隊が接近してきた。

 ところが、連中は機動に入れ損なって離脱した。NTCパイロットの技量に衰えが見え始めたのも、この辺りからだった。その間に転針、太陽を背負った。「太陽の輝きに潜む敵に気をつけろ」というのは俺のことだ。

 戦域を俯瞰すると、織るように飛んでいる。

 敵が強化人間ばかりだというのは、ある意味、楽だ。俺に気づいたパイロットは、俺にしか注意を向けなくなる。そして、ディタとアンサーに背中を刺される。

 他の空域でも迎撃は確実に行われ、もう一押しで母艦に傷を負わせることなく、NTCの攻撃隊を退けられそうだった。

 が、NTCはとんでもない隠し玉を用意していた。

「なんだ、あのでかいやつは」

 そんな声がいくつか飛び、その方に注意を向けると、巨大なものが猛速で戦域に突入してきた。

 モビルスーツの形をしていない。モビルアーマーと推して、TDBにアクセスして機種特定を試みたが、返答は、

『UNKNOWN』

 新型か。ともかくもニンジャがTARPを飛ばして情報を得るはずだが、それを待っていられない。あれは強大な敵だと、本能が叫んでいる。

 戦術コンピューターが目標データを計算。脅威の度合――極めて大。

『複数回線のサイコミュ誘導兵器、もしくは機動戦闘端末を装備している可能性大』

 複数回線のサイコミュ誘導兵器、もしくは機動戦闘端末とは、まずい。一気に距離を詰めるか、射程の外へ離脱しなければ。

 だが、遅かった。

 戦域に光の花が一気に咲き乱れた。MTIに『味方機撃墜』のサインがどっと現れ、非情のイエローで点滅した。

「こちらスターバッカー27、被弾二。高機動デヴァイス、アウト。戦闘機動不能」

 そして、ジャンまでもが。雑音の奥に、離脱しろ、というガーディーの声がした。

「スターバッカー01よりアークエンジェル。敵の詳細情報を送ってくれ」

 呼びかけてみたものの、アークエンジェルも火を点けられたような様に陥っており、確認と応答を求める声が悲鳴となって宙を飛び交った。

「ちッ、見てらんねえなァ」

 呆れたような舌打ちとともに、イタリアン・レッドのGPX750Bが右に浮上した。

「いくぜ、フリー・バード。ここいらであのうどの大木の脚を折るぞ」

 ビーム・ライフルを挙げて応えた。何としても艦隊に突入させるわけにはいかない。ガーディーと編隊を組んで迎撃に走った。

 が、奴は図体のでかさに関わらず、速かった。

「強襲型か」

 突っ込みながらガーディーがひとりごちた。そのようだったが、俺は別のことを頭で追っていた。

 あの中にいるのは、まさか。――

 そうだとすれば、絶対に討たねばならなかった。

 捕捉は簡単だった。速いが、機動はそうでもない。さらに投影面積が極端に大きい。追いついてしまえば、撃てる。そう思えた。

 が。

 俺のビーム・ライフルもガーディーのビーム・ライフルも奴を撃ち抜くことはできなかった。光芒は表面で光の粒となってはかなく散ってゆくだけだ。

「ちくしょう、Iフィールドをガチガチに張ってやがるぜ、こいつ」

「ガーディー、遠目から援護してくれ」

 この敵では、中間距離にガーディーを占位させておくのはまずい。ディタとアンサーの編隊が接近してきたのを見て、そう告げた。そして、ふたりと合流してから攻撃を試みようとしたのだが、

 あッ、――

 ディタがふいに何かに気がついたような声を挙げたかと思うと、急に速度を増して突っ込んでいった。アンサーの声も振り切って、まるで吸い寄せられるように。

 ――なぜ、あなたがここにいるのです。あなたは、あのときに亡くなられたはず。

 ディタの、いつもの様からは考えにくい、はっきりとした声。周りにいる俺やアンサーに投げかけた言葉ではなく、通信回線経由でもなかった。頭に直接響いている。

 答えたのは、やはり、俺が今回宇宙に上がって最初に聴いた声だった。

 ――気づかないでくれ、という方が無理か。

 あまりにも無造作に接近するディタに、奴はビームの一射で答えた。瞬間、ディタの息を呑む音がはっきりと聞こえた、気がした。

 ――まさか…あの事故は、あなたが仕組んだものだったの!

 ――その、まさかだとしたら。

 ――許さない。絶対に、許せない!

 ディタの、魂を絞るかのような絶叫が頭のうちにこだました。あまりに激しくて、RZのコントロールを乱すところだった。いったい何だ、と思ったが、それが銃爪だった。

 奴は一気に詰めようとするディタに対してファンネルを撃ち出した。

 が、ディタは止まらなかった。

 ――そんなものに乗って、わたしに銃口を向けるというのかっ、

 ――そのような認識では、君の飛翔も遠いと言わざるを得ないな。

 ――口の利き方には気をつけてもらおう!

 ――そうかな、

 ファンネルが舞うように紅いネージュを狙う。

 奴のオール・レンジはカルーアのようにファンネルを一基ずつ順番に使うという稚拙なものではなく、九基を同時にコントロールしていた。

 ディタはしかしそれさえも凌ぎ、セイバーの間合いまで踏み込んできたファンネルを逆に撃ち落とそうとまでしていた。妙な喩だが、コスミック・バレエを十倍速で見ているような動きで、援護さえできなかった。フィン・ファンネルは滞空させていたが、戦域へ撃ち込めない。それはガーディーやアンサーも同様で、ビーム・ライフルを構えて二人の戦域を護衛するかのように回るだけだった。

 機をうかがっているうちに、大変なことに気がついた。

 ディタは闇雲に機動しているのではなく、攻撃を先へ先へと回避していた。明らかにファンネルの機動が見えているのだ。サイコミュの糸をたどって、まるで操り人形のように。ディタは、こちら側へ来ようとしていた。はっきりとわかった。

 しかし。

 危惧が形を取りつつあった。

 ディタが要求する機動をネージュSは実現した。だが、その激しさはビルシュタインの耐Gシステムの許容値を超えていた。それはつまり、人間の体の許容度などそのずっと以前に超えているということだ。

 そして、俺の危惧はたいていすぐに現実のものとなる。

 急に、ディタの発する強い注意の矢が感じられなくなった。糸の切れたように。そしてネージュSは機動をやめた。

 同時に、敵のファンネルが得たりとばかりに襲いかかった。

 ネージュSは動かない。闇の表をすうっと滑ってゆくだけだ。やはり気を失ったか。

「ディタ」

 呼びかけたが、応答なし。

「くそッ」

 スロットルを開くとともに、フィン・ファンネルに鞭を入れて、全基を突っ込ませた。

 奴のファンネルは四基にまで減っていた。フィン・ファンネルを二手に分けて、一番と二番で本体を攻撃し、残りの四基でファンネルを止めようとした。

 ぱっ、ぱっ、ぱっ、

 射撃位置につけるのは俺のほうが早かった。光が閃いて、初めに射撃位置についた三基は一発で撃墜した。

 ――さすがだな、シュプリッツァー君。

 意識に飛び込んできたのは、余裕のある声だった。臍を噛んだ。このパイロットには、ファンネルは一基あれば十分だった。六番を振り切った最後の一基のビームが、あざ笑うようにネージュSを背中から貫いた。右トランスエンジンの表面が縦に割られて、小さな爆発が起こった。ネージュSは下へ弾かれた。

「ロートシルト大佐ッ」

 ダッシュした。ビーム・ライフルの銃爪は引きっぱなしだ。

 だが、ビームは事も無げに散ってゆく。近づいても変わらない。奥歯を噛み締めた。目の前に浮かんでいるだけの敵が討てない。これほど腹立たしいことはない。ガーディーの滅多に聞けないような声が飛んできた。

「近づきすぎだぞ、フリー・バード」

「肉薄して斬りつけるしかない。こいつは戦艦並みの防壁を備えている」

 応えたときだった。突然、大佐の注意が逸れた。

 強く熱い意識が弾丸の勢いで近づいてきた。ディタだった。

 しかし安堵はできなかった。

 ネージュSは、ふらふらしていた。ディタは機動しているつもりだろうが、片翼をもがれ、バランスが保てず、挙動が安定していない。今のディタを捉えるのは赤子の手をひねるより簡単だ。

 大佐の機体下から有線式のクロウ・アームが躍り出た。獲物を狙うガラガラヘビの動きでネージュSに襲い掛かった。先端の鈎爪が開いて、ビーム砲が禍々しい顔を覗かせた。

 まずい。

 そう感じるより早く、太いビームがネージュSの右腕と右脚をきれいに切断した。

「離脱しろ、アイス・ドール」

 ガーディーとアンサーが同時に告げた。俺も叫んでいた。

 しかしディタは応ぜず、緊急時機体固定用のワイアード・クロウを射出した。数条のワイアーはきらめきながら宙を躍って、怪物の表面に噛みついた。まさに鋼の神経の賜物だが、もうディタに手は残されていないはずだった。

「まだ、あきらめていないのか」

 アンサーはうめき、俺はセイバーを抜いて飛び出そうとしたが、鋭い声がした。

 ――来ないでッ、

 ネージュSはワイアーを巻き戻して、怪物の機首の下に吸い寄せられるようにして張りついた。

 直後、大爆発した。

 怪物は下顎を抉り取られて向こうへ大きく跳ね飛ばされたが、

「自爆だとっ」

「アイス・ドールッ」

 アンサーは絶叫したが、俺は声も出なかった。眼前の事実が信じられなかった。

 もちろん、戦闘はまだ終わっていない。俺たちは瞬間の空白から立ち上がって追撃に移ろうとしたが、大佐は戦域に戻ろうとせず、踵を返すと、素直に離脱した。それとともにNTC攻撃隊の残存機も三々五々に離脱を始めた。ひとつのラウンドが終わった。

 だが、俺は光の失せた後の闇をうつろに眺めていた。

 ディタが、落ちた。

 現実が現実のように感じられない。体に心が取り残されている。そんな感じだ。

 だが、鋭い声が意識を打った。

「顔を上げなさい、シュー」

 えっ、

「彼女は脱出しているわ」

 マザー・ヴォイスに促され、眩い光を浴びて、すうっと流れる紅いバトル・スーツが見えた、気がした。

「こちらアークエンジェル。レーニエ中尉の救難信号を確認」

 パルテール少尉の声が飛んできて、視野にキューが出た。

 ディタだ。しかも、驚くほどの近くに漂っていた。

 ベクトルを確定すると慎重にRZを寄せた。

 紅いバトル・スーツの胸のコンディション・パネルを拡大して見ると、

『ALIVE』

 胸を撫で下ろした。

 ディタが死ぬはずがない。大きな目的のために闘っているディタが。

 そう思うと、さっきまでの自分がおかしくなった。

「あの局面における、最善の戦術的判断に従っただけ」

 あのロートシルト大佐に後退を余儀なくさせるとは、さすがだとしか言いようがない。そのことも、いつものようにさらっとそう言ってのけるのだろうか。

 RZの左手を開いて深紅のバトル・スーツをすくいあげ、ビーム・ライフルのグリップを握ったままの右手を被せた。そして離脱に移ろうとしたら、唐突にズームド・エアがアウト。サイコミュ・メイン・コントロールが突然、落ちてしまった。後は着艦するだけなので問題はないが、視野の真ん中に点滅する警報を見やって頭を捻った。

『メイン・サイコミュ回線に外部より異常入力』

「女史、この、メイン・サイコミュ回線に外部より異常入力というのは何だ」

「今、こちらでもチェック中よ」

 ビッグEでRZのモニターをしている女史の声も緊迫している。

「理由はわからないけれど、サイコ・フレームにどこからか思念波が流れ込んできていて、しかもそのレヴェルがどんどん高まってゆく。RZはだいじょうぶかしら」

「思念波レヴェルはすでに警戒値に達した。PMCは保護機構を作動させて、俺へのフィードバックを全面カットした。これだけ強い他人の思念波をまともにくらったら、頭痛ではすまない」

「おかしいわ。よほど優れたニュータイプがすぐ近くにいなければ、こんなことにはならないはずよ」

 よほど優れたニュータイプ。

 ぎくりとして、RZの重ねられた両手を見た。

 光っていた。目に見える光じゃない。が、光っていた。

 まずい、と思ったときには、もう遅かった。

 制御の効いてない思念がサイコ・フレームとついに烈しく共鳴を始め、RZのコントロールを俺の手からもぎ取った。

 それだけでなく、収容を済ませたフィン・ファンネルが攻撃形態へ移行し、続々と射出された。闘いはまだ終わっていないと思っているのだ。

 狂ったように宙を跳ね回る六基のフィン・ファンネルを呆然と見つめた。

 ディタが覚醒した。ついに。

 

 マニ・クール会戦は我々の勝利に終わった。

 この闘いで被害を担当したのはクイーン・ビーだった。俺たちがあの怪物を相手している間に直撃弾一、至近弾二をくらい、戦域から離脱せざるを得なくなった。

 ビッグEは対照的に、無傷。

 ビッグEの不沈神話は確立されつつあったが、本当に運の良い艦だ。艦やモビルスーツにも、運というものがあると考えざるを得ない。そういう目で見ると、ガンダムRZは優れたモビルスーツだが、本当に俺の駆るべきモビルスーツではない。そんな気がする。

 ガトー少佐たちは第二次攻撃で大型空母一隻を大破させた。もう一隻の大型空母は早々に離脱した。そのようなわけで、勝利ではあったが、完全な勝利ではなかった。

 エッヂ・フィールドへ帰頭後、一週間の休暇が出た。とにかく眠るために宿舎に転がり込むと、消灯前に呼び出された。ディタだった。

「具合はもういいのか」

 聞くと、ディタは本当に何でもなさそうな顔でうなずいた。あの闘いの後、オールド・ハイランド本国から高速連絡艇を差し向けるとの緊急連絡が入ったが、ディタはそれを自分の意志で拒否、代わりにエッヂ・フィールドに戻るまでずっと眠っていた。精神の防護機構が作動したのだろう。

「しばらく頭が重く感じられたけど、レポートを書いているうちに治ったわ」

 さらっとそう言ってのけた。すばらしいと言うべきか、ディタらしいが、例の新兵器に関するレポートか。

「完成したのか」

「ええ。後は戦略研究所に提出するだけ」

 このレポートが元でモビルスーツ型機動戦闘端末スティンガーが開発されたのは有名な話だ。RZが外装するIシールドを考案したのも、他ならぬディタだった。

 ディタは超のつくほどの天才だった。十三歳で名門ルイ・シロン大学の理学部を卒業し、次に人文科学を修め、それでも飽き足らなかったのかプロイツェンに留学、ノルトラント工科大で博士号を積み重ね、十八歳になるや三顧の礼を以ってオールド・ハイランド軍に迎えられた。

 軍に入ってからもSAS(空軍特殊戦部隊)へ行ったりと、とにかく普通ではないが、連邦軍に「派遣」されていたことも、俺がアナハイムに導かれたときにVIP待遇でリムジーンに乗っていたことも、氷山の一角に過ぎない。何しろ、参謀総長が相談を持ち掛ける人間なのだ。ディタは。滅多なことでは行使しなかったが、中枢への発言権まで保持しており、黙っていても大将にはなれる超エリートだった。

「これ、あなたならどう考えるかしら」

 ディタはPIT(携帯情報端末)のディスプレイを示した。

 アトミック・ファンネル。

 サイコミュ・コントロールドの核ミサイルだ。NTCが緒戦で核を用いたことはすでに広く知れ渡っているが、

「目には目を、というわけか」

「敵に均等の機会を与えない」に並ぶディタのモットーだ。

「わたしの真に意図しているところから見れば、たいしたことはないわ」

 ディタはPITを内ポケットに収めて、

「明日、時間をいただけるかしら」

「かまわないが、何だい」

 まさかデイトでもないだろうと思っていると、

「会ってほしい方がいるの。わたしの母校の哲学科の教授よ」

 そのようなわけで、翌日、ルイ・シロン大学に向かった。

 途中、ディタはぽつりと言った。

「この先、そう遠くないうちに連邦は学徒動員をかけることとなるわ。シルヴァーストーンで死にすぎるから」

 舌打ちをしたい気分になった。何と馬鹿なことを。五年、十年後に核となるべき者を死出の途につかせて、何が残る。そうまでしなければならない時点でもう終わりなのだと、何故気づかないのか。

「ネグローニを筆頭に、連邦の上にいる人間は往々にして頭の中でしか戦をしていないから。それも、都合の良いように」

 まったくだ。そういう人間こそ真っ先に討たねばならないと思うが、弾の飛ばないところで首を竦めているから、どうにもできない。

 すると、ディタは言った。

「そうでもないわ」

 何を考えているのかぜひ聞きたかったが、エレカーは大学に着いてしまった。

 人文学部の入口。

 扉の脇に、まるでマディ・ウォーターズのように恰幅のいい黒人が立って、にこにこ笑っていた。

「待ちきれなくて、出て来てしまったよ」

 かすれた低い声をたどって、ディタはとんとんと階段を駆け登った。

「ひさしぶりだね。ディタ」

「教授こそお変わりないようで、安心しました」

 ふたりは抱きあったが、その様はまるで大きなテディ・ベアの腹に埋もれる少女だった。

 抱擁がすむと、教授は大きな厚い手を差し出した。

「私はレス・ポール・ギブソン。君と会えて嬉しい」

「シュプリッツァー・レイです」

 その手を強く握った。

 すると、現実が遠ざかって、対峙するふたりの影が見えた。

 ひとりは、ギブソン教授だ。もうひとりは、窓から差し込む強い光を後ろから浴びてシルエットとなっていて、わからない。

「――人類はいまや自立のときを迎えている。それを妨げるものは、断乎として跳ね除けねばならないだろう」

「はい」

「子は親離れをしなければならない。しかし、そのときに親が子離れできなければ、子は親を殺すことも辞さない」

「母なる地球は、性悪女、ですか」

「そうだ。でなければアースノイドがこうまで増長することはなかった。まったく、地球に居さえすれば、と重力に根を生やした結果がこれだ。地球を貪り尽くしておいて、どうにもならなくなると、こともあろうに独り立ちしようとしているもうひとりの子供を搾ろうとする。まだそんなところにいるとは、恥ずべきことではないか」

「そのための地球聖地化計画だということは、認識しています」

 地球聖地化計画。

 何だ、それは。

「人は今まで甘えすぎていた。今度は、人はまず覚悟しなければならない。前へ行くしかないと。そのために、帰るべき場所を自ら手放すのだ」

「ご高説、ごもっともです。が、私は現在圧されているニュータイプの保護が先決だと信じているのです」

 沈黙。

「君はニュータイプがマイノリティだと考えているようだが、あと一歩で目覚める人間は山のようにいる。それで今、何故そのような手を採らねばならないのか、――わかるが、悔しいよ」

「わかってください。私は、私のやり方で新たな時代を迎える準備を整えておきたいのです」

「わかるが、危険な賭けでもあるぞ」

「わかっています。が、理解はしているのに納得できぬ、パーソナリティが認識を超えられぬ者は、次の時代に取り残されます。ばかりか、時計の針を逆に回そうとさえするでしょう。それは先に言われたように、断乎として跳ね除けねばなりません」

 静寂。

「君と別れるのは、つらい。ほんとうに、残念だよ」

「申し訳ありません」

 交わされた手と手が離れてゆく。

 が、俺の手はまだ教授の厚い手のうちにあった。

 今の光景が何だったのか知りたかったが、教授は、わかっているような目で、手を放すと、俺たちについておいでと言って建物の中へ歩き始めた。

 教授の部屋は本の倉庫だった。本当の紙の本だ。その本のグランド・キャニオンの奥にこじんまりとしたスペースがあって、かなりくたびれた木の丸テーブルを四脚の椅子が囲んでいた。

「座ってくれたまえ」

 勧められた椅子につくと、秘書と思しききれいな女性が本の山を縫うようにして歩いてきて、茶を出してくれた。早速味わいたかったが、おそらくまだ俺の温度ではない。

「宇宙で生きるに当たって、人は己をしっかりと見直さなければならないというのが私の持論だ」

 簡単な自己紹介をすませると、いきなりそう切り出されて、かなり面食らった。講義のつもりなのだろうか。だとすれば、俺はかなり出来の悪い生徒だ。

「人類は自立しようとしている。君はその息吹を感じないかね」

 教授は歌うように言った。

 自立の息吹、か。宇宙を思い浮かべてみたが、あの闇の中では死に行く人々の思惟に対して鈍であろうとして、ドアは閉じがちだった。

「人類は、自立しようとしているのですか」

 聞き返すと教授はうなずいたが、自立とはいったい何からだ。

 そう考えた瞬間、教授は応えた。

「母なる地球からだよ」

 はっとして教授を見つめた。

 教授は微笑んでいた。

 ディタが俺をここに連れてきたわけがわかった。この方は、指標となるニュータイプだ。

 教授は俺の驚きをわかっているのだろうが、構わずに言を続けた。

「そのためには、個を超えた、人類の種としての普遍意識の獲得が必要だ。それができなければ、人類は苛烈な宇宙に負けて滅び去る。だが、それは個の総和として現れるものではない。個々の意識はそれ自体で自立を目指すのではなく、相互補完すべきものだ。この考え方は個を超えての対話と協同を実現せしめる」

 淀みなく流れる教授の言葉は、わかる。が、頭の中で結びつかない。

「だが、個の超越。何によってそれは成し得るか。君はどう考えるかね」

 教授は俺を指したが、当然、応えられなかった。

 すると教授は子供のような笑みを浮かべて、言った。

「認識域の拡大と共有によって、だよ」

 そのとき、頬を軽く張られた気がした。教授は最初からニュータイプの話をしていたのだ。

「認識域が拡大し、さらにそれを共有できれば、個は他の個を己と同じく認識し、理解できる。そして、すべての個が同時に人類の普遍意識に到達することさえ可能となるはずだ」

 うなずきながらも、心の別の方で唖然としていた。ニュータイプのことを自分なりにわかっていたつもりで、肝心の、覚醒のもたらす認識域の拡大と共有が何のためのものか、まるでわかっていなかった。そもそも、今の今まで考えもしていなかった。が、それは人をその方へと向かわせるものなのか。

 そう考えると、教授はまた応えてくれた。

「宇宙という新たな世界、及び、人類の意味を根底から変えることができれば、人という種を新たな次元へと導くことも可能だ。そして、人類はようやく意識の統一をなせる段階に到達したと、私は認識している」

 それが、ニュータイプとしての覚醒に連なる人の革新の意味、か。

「そうだ」

 教授は力強くうなずいた。

「個の、個のための意志や業。すなわち、個を維持しようとするものが邪魔をして個を超えられず、人類は今までずっと種として進むべき革新の道を見出せずにいた。個体維持本能と種族維持本能の闘争と私は呼んでいるが、その状態に入ってしまったことは人類にとって大きな不幸だった」

 教授は宇宙の彼方を見るような目をした。俺もそれを聞いたときには苦しくなった。人類のたどってきた道は、言葉の意味どおりの悲惨だった。そのことが直にわかった。まるで、そのさなかにいるかのように。

 いや、人はまだ、脱しきっていない。

 教授はうなずいて俺を見た。

「国家間の対立、殺戮、搾取、不平等、貧困と悲惨。――振り返ってみるまでもなく、人類の歴史はその繰り返しだった。だが、それは歴史が繰り返すのではなく、人間が堂々巡りから抜け出せていないということだ。その悪しき循環を終結させうるものが、全人類の意識の総合だ」

 全人類の意識の総合。それはどういうものなのだろう。

 その答は、ここにあった。

 個でありながら全体、すなわち「人類」という種そのものとなること。

「そうだ」

 教授はしっかりとうなずいた。

「そして、それはあまりにか弱き人類が冷たい宇宙に出て初めて到達できるステージだ。地球の温かな腕に抱かれていては決してたどり着けない過酷なステージだと思うが、今、ニュータイプと呼ばれる人間たちが『ニュータイプ』と呼ばれなくなったとき、それは実現されているであろう」

 人は、その方へ進んでゆくということなのか。

「うむ。これは進化と呼ばれる流れのひとつの局面でもある。従って、すぐに成し得るものではない。当然ながら我々は、私も、君も、人の変わりゆく様を直に目にすることはできない。が、芽は出ている。今はそれをわかっている者がその芽に水を撒き、栄養を与えていかなければならない。――先駆者は、常に礎だよ」

 これは、ディタに向けて告げられた。諭すように。

 ディタがうなずいたところで、ブレイク。俺たちは茶を口に運んだ。少しも冷めていない。かなりの時間が流れ去った気がしていたのは、錯覚か。

「さて、ここからは先の話と関連しているが、別の話をしよう」

 ティー・ブレイクが終わると、教授はふたたび口を開いた。が、今度の話は先と違って、俺よりもディタに向けられていた。

「先に具体的に述べたが、人はその歴史において、あまりにも長い闘いのなかにいた。言い換えれば、あまりにも多大な犠牲のなかに。そこでは目覚めも状況のもたらす偶然――その多くは戦争のもたらす極限状態だが、それに依るしかなかった」

 ディタはうなずいた。

「無論、それを良しとしない者もいた。偶然など待てず、己の目で人の革新を見たいという欲もあったのだろう。その思いに突き動かされていたのが君の祖先たちだよ。ディタ・レーニエ・ダイクン」

 そのときの驚きは、驚きという言葉では表せないほど大きかった。ダイクンとは、ディタはかのジオンを興した人間の末裔なのか。だから、ヘルメットにもバトル・スーツにも、そしてモビルスーツにまでジオンの紋を刻んでいるのか。

 教授のディタへの穏やかな問いかけは続く。それはディタへのレッスンだった。

「かの時代の不幸は、人の革新の認識自体が曖昧で、それを正確に捉えることのできていた者があまりにも少なかったということに尽きる。時機尚早というのは酷だが、おそらく革新の萌芽となった誰も彼もが個を超えられなかったのではないかな」

「ええ。おそらく」

 ディタはうなずいたが、それは当たっていた。

 光の花咲き乱れる闇の表に流れる、導きの声。

「人は、変わってゆくわ」

 わたしを救い上げてくださったあなたには、この身と心を。

 そして、わたしのただひとりのあなたには、この魂を。

 なのに。

「なぜララァを巻き込んだのだ。ララァは、闘いをするひとではなかったッ」

「ララァを殺したおまえに言えたことかッ」

 なぜ。なぜそうなってしまうの。

 行き着く先は限りなく深き悲嘆。救われぬ魂たちはいまも重力に囚われ、高みを見上げるのみ。――

「俺も個を超えられるのでしょうか」

 急に湧いた悲痛な思惟にぐっと突き上げられて咳き込むように尋ねると、教授は穏やかに微笑んだ。ランディのように。

「考え違いをしてはいけない。大尉。君は己の意志で個を超えるのではない。何時の間にか、知らぬうちにそうなっているはずだ」

「知らないうちに」

 人は、人同士の闘いより解放されるということなのか。

 俺が黙り込むとディタが口を開いた。

「NTCについて、いかがお考えです」

「NTCか」

 教授は小さなため息を吐いた。

「彼等と我々は見ている方向がまるで正反対だ。ニュータイプの組織でさえ、重力に引かれている。極めて惜しいことだが」

「しかし、わかっている者もいるかもしれません」

「無論、いるだろう。が、目を閉じてしまっている」

 教授は苦しげに表情を歪めた。悔やんでいた。何かを、深く。

「ネグローニの言う、我々は選ばれた人間だから地球圏に君臨するという考え方は実に心地よいものだ。が、それだけの認識しか持てない者に革新など望むべくもない。重力に引かれて井戸の底に転げ落ちるのが関の山だ」

 たしかに、そのとおりだ。目は下でなく上へ向けるべきだ。

 その後はまるで別の話をした。といっても難しいことではなく、頭を柔らかくする技、すなわちジョークとユーモアの話と、その発想についてだ。教授が趣味で考えているというこれらの話は、俺には非常におもしろく、また、ためになった。ディタも物事の見方と発想にまつわる辺りは真剣に聞いていたが、話がユーモアとジョークになると、一歩退いていた。ディタはその辺りを誤解している気がする。兵や下士官のしきりに飛ばすダーティーなジョークばかりがジョークというわけではない。ユーモアやジョークとは、もっと豊かなものだ。

「今日は実に有意義な一日だった。礼を言うよ。次は、別の話をしよう」

 夕刻、学部の玄関で教授は俺たちの肩を抱いてそう言った。

 次か。

 ふと思うと、教授は応えてくれた。

「心配するな。君は死なんよ、大尉。ディタ、君もな」

 俺たちはうなずき、それぞれ教授と手を交わして、大学を辞した。

 途端に頭の、ものを考える箇所がフル回転を始めていた。

 教授の話は簡単ではなかった。それどころか、ひどく難しかった。が、不思議にすんなりと頭に入ってきて、理解が俺のものとなっていた。まるで、初めて宇宙に上がったときのように。

 あのとき――体だけでなく、心や魂までが軽くなったように感じられた。

 青き地球を見るとまさに魂を揺さ振られ、次第に安堵に包まれていくうちに、突然、深い洞察が一瞬で切り開かれた。自分の頭の後ろまで見通せるような感じがした。何かを考えると、即座に応えがあった。それは問いがあって、それに応えがあるというのではなく、すべては同時で、一瞬だった。まさに閃くような、疑問なしの完全な理解。真のコミュニケイションとはこういうものだと確信した。それが俺の覚醒の第一歩で、銃爪だった。それはモビルスーツのコクピットでとっさの判断を下さねばならないとき、すなわち戦闘行動下では特に顕著になった。秘めていたものが、そういう局面で磨かれていったのかもしれない。

 ただ、戦場に渦巻く様々の思惟の圧に慣れ、特に断末魔の思惟に引きずられて呑み込まれないための自主トレは必要だった。そういうものに鋭敏になって、いちいち応えていたのでは情緒が不安定になって、命が幾つあっても足りない。何より、周りはすべて宇宙だった。

「もし、よかったら、どこかへ寄って行かない」

 エレカーのシートについたとき、ディタがそう提案した。ディタにしては珍しいことを言うと思ったが、別に構わない。街角のカフェに立ち寄った。

 女の子のウェイターにアールグレイを頼む。ディタはミルク・ロワイアルを注文した。

 久々に対面したアールグレイは香りといい味といい、素晴らしかった。こういうところで本物を口にすると、ビッグEでのあれは何なのかと思わざるを得ない。

 茶をじっくりと楽しんでいるうちに、教授の言葉が色々と浮かび上がってきた。それに突き動かされて、ディタに、君の祖先はいったい何をしたのかと聞いてみた。例のごとく静かにカップを傾けていたディタは目も上げずにさらりと、

「ジオン共和国を興したわ」

「いや、そうではなく、――」

 一体どう聞けば良いのかと考えると、ディタは、ああ、と低く呟いて、

「時計の針を強引に進めようとしたのよ」

 どういうことだ。

「つまり、スペースノイドにとって完全に閉塞した時代が我慢できなくなって、地球にへばりついている古い人間たちを粛正し、時代を一気にニュータイプのものにしようと画策した」

 ディタはさらっと言うが、穏やかなことではない気がする。

「かなり無理があるように思えるが、そんなことを、いったい、どうやって」

「地球に小惑星を落下させることで」

 やはり穏やかではなかった。が、俺の知っている歴史にそんなページはない。いつのことかと聞くと、一年戦争が終結して十三年後のことだと言われた。

 UC0093。

 その時点にあったのは、フィフス・ルナのチベットへの落下事故だけではなかったか。

「それは、事故じゃないわ」

 と、ディタは言った。はっきりと。

「そのとき、宇宙で闘いがあったの。第二次ネオ・ジオン紛争というのよ」

「第二次ネオ・ジオン紛争」

 それは、いったいどうなったんだ。

 尋ねようとしたとき、意識に広がった宇宙に声が鳴った。ふたつの、聞き覚えのある、あの声が。

「たかが石っころひとつ、ガンダムで押し出してやる」

「正気か」

「貴様ほど急ぎすぎてもいなければ、人類に絶望もしちゃいないッ」

 これはいったい誰と誰なのだろう。

 そう思う間もなく、宇宙にかかった虹の向こうへふたりの声は遠ざかっていき、

「――彼は、敗れ去ったわ。あなたと違って、真のニュータイプたり得なかったから」

 ディタはぽつりと言った。

「彼の理想はジオン・ズム・ダイクンの意志でもあり、スペースノイドの悲願でもあった。けれど、彼自身は、改革を叫びながら、要領悪く一事に固執し続けた」

 ディタはそこで、ふう、と息をついた。そうかと思うと、ぱっ、と顔を上げた。

「ニュータイプの時代を実現するためと言いながら、世界を手に入れて思うがままにしたかっただけかもね。そんな気も、するわ。おそらく、彼は自分の生きていた世界に意味を見出せず、時代を蔑んでいたから。でも、それは結局自分自身を蔑むことと同じ。ある意味、自殺願望に近いものを持っていたのかもしれない」

 真のニュータイプたり得なかったとは、そういうことか。

「ダイクン家の人間は、誰も彼もロマンティスト。わたしの父も、そうだったわ」

 ディタがそういうことを言うのは初めて聞いたが、――君もだ。ディタ。

 すると、ディタの声が即座に返ってきて、意識に鋭く撃ち込まれた。

「わたしは、あなたにだけは踏み外してもらいたくない」

 わかっている、と応えた。

「だから俺をギブソン教授に引き合わせたんだろう」

 ディタはこくっとうなずいた。

「目が覚めなければ、こういうことはできなかった、と思う」

 それは、たしかだ。

「わたしは今まで、自分の為すべきことがわかっていたつもりだった。けれど、今は自分の進む道が以前に増してクリアーに見える」

 ディタらしい。急激に覚醒しても、冷静に己を把握して、決して踏み外さない。

 しかし。

 ふっと息をついた。

 すべてのニュータイプがこうして道を見ることができるわけではなかった。急な覚醒にとまどい、拡大した認識と能力についていけず、破滅に近い目を見た者が多くいたことは知っている。実際に破滅してしまった者も多くいるだろう。それが、教授の言った、個としての人間の限界なのかもしれない。

 なかなか滅入る考えだ。やめよう。

 そう思って、少し冷めた茶を口に運び、話を変える。

「そう言えば、教授は、何か懐かしいものでも見るような目で俺を見ていたな」

「次の機会に聞いてみたら」

 ディタは即座にそう言った。それで確信した。

 ディタは俺も知らない俺のことを知っている。

 今度はそのことが妙に引っかかり始めたが、それにも増してさっきから気になっているのが、クリアーになったはずのディタの認識のうちにぽつんと浮かんでいるしみのようなものだ。それは、覚醒にともなう流れに逆らうようにしてディタの奥底へまっすぐ沈んでいこうとしていた。

 善くない、と直感して意識を凝らしてみると、それはまったく別のものになって意識に浮かび上がった。

 目の前に閃く「緊急事態」の赤い文字、

 真っ赤に染まった視野、

 耳を打つ警報、

 そして、絶叫。

「スターバッカー01、ガンダムRZ、撃墜ッ」

 次は、俺が落ちる。

 そうなるとわかったが、平静な心を保っていた。何故なら、

「あなたは死なないわ。シュー」

 マザー・ヴォイスが、そう告げてくれた。

 マザー・ヴォイスだけではなかった。

「心配するな。君は死なんよ、大尉」

 別れ際の教授の言葉。そして、

「わたしが、あなたをたすけるから」

 そう言ったディタの背後に、大きく広がる翼が見えた。

 

 

 MOBILE SUIT GUNDAM FX

 Episode 6 “Knockin’ on Heaven’s door”

 


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