スペースコロニーの夜は奇妙だ。
円筒の内側に広がる世界。目を動かすと大地がせりあがるように壁となって天井となり、また壁になって足元に戻ってくる。その壁にも天井にも、道路に沿った街灯や繁華街のネオンサインにビルボード、そして住宅街の明かりといった人の光が連なって輝き、虹のかけらがこぼれているようだ。暗いことは暗いが、喩えるなら舞台の夜のセットの只中に立っているようなものだ。空がない。
本当の空は、外に広がっている。宇宙という暗く厳しく広大な空だ。
ところがサイド3の密閉型コロニーとなると、空を見る窓がない。夜空を見たければ、このズーム・シティーでは『星の見える丘公園』が唯一のスポットだ。
モーターサイクルにもたれて星の空を眺め、思いを馳せると、体は地上にあるのに、心は空を飛び始める。かつて、空を縦横に駆けていたときと同じように。
と、ふいにその空が、地球で過ごした最後の日々の夜空に変わった。
あの夜も、通りに虹のかけらがあふれていた。
光のシャワー降り注ぐオーシャン・ブールヴァード。どの顔も輝いて見えた。賑やかなグレイト・ロスアンジェルスの土曜の夜が始まろうとしていた。
しかし、俺はまるで、よそ者のようだ。
強くそう感じた。自分の目に映る、見慣れたはずの光景がすべて幻のように。何故なのだろう。
その答も見えないまま、ひたすらモーターサイクルを走らせていた。特に目的も意味も無い。目指す場所すら無い。じっとしていたくなかった。それだけだ。
スロットルを開けてただ前に意識を集中し、できるだけ何も考えまいとしているのに、やがてどうでもいいことばかりが次々と頭に浮かんでくる。
そのひとつが、俺がモビルスーツ乗りだとわかると、必ず聞かれる質問だ。
「どうしてモビルスーツのパイロットになったの?」
モビルスーツはすっかり一般的なもののはずなのだが、それに乗る人間はいまだにそう一般的ではないのかもしれない。確かに普通ではない職業に違いない。まあ、それについては、
「モビルスーツが好きなんだ」
と応えたこともあれば、
「宇宙を駆け巡りたかったからさ」
と応えたこともある。答は他にいくつもあったが、俺にはそのすべてが真実だった。
しかし、そうした言葉を使っての意思疎通というやつが時々とてつもなく疎ましくなることがある。人の真実や認識というものは言葉で表しきれない。語ろうとすればするほど、真に伝えたいことは言葉に乗ることなく、はるか彼方へ埋もれて見えなくなってゆく。
ニュータイプと呼ばれるようになってからも、いくつもの局面でそれを痛感した。どんなことでも、一言間違えただけで友達だった奴も行ってしまう。ずっと、永遠に。いくら洞察力に優れ、人の思いがわかるようになったとしても、意思を表すのが言葉である限り、完全な意志の疎通というものは図れない。
スーズ。
今は、ため息しか出てこない。
しばらくはスーズが面倒を見てくれた。
スーズのやり方は、俺のようなサン・オブ・ア・ガンにはぴったりだった。けれど、もう俺のお守りはやらないだろう。
「また宇宙へ行くですって?」
「そうだよ」
スーズが確かめてきたとき、軽く応えた。
「試作機のテストパイロットになったんだ」
見ると、スーズの眉は険しくなっていた。怒っているのか、と思う前に、思いもよらない言葉を浴びせられた。
「どうして断らなかったのよ」
「どうして、って」
「アマリリア紛争がようやく収まって戻ってきたばかりじゃない。なのにどうしてまた宇宙に上がらなきゃならないの。わたしがどんな気持ちであなたを待っていたか、わからないの」
スーズは早口でまくしたてた。
「君の気持ちはもちろんわかるよ。でも、今回宇宙へ行くのは、闘うためじゃない」
「そんなこと、わかるものですか」
スーズはそう言い捨ててそっぽを向いた。
スーズは決して物分かりの悪い女性じゃない。
しかし、もう二度と会えないわけじゃないと言いかけて、ふいに理解した。と言うより、はっきり見えてしまった。スーズとも、もううまくやっていけないのだ、と。
宇宙にいた頃は、スーズこそが拠り所だった。スーズの許へ戻るために生き抜かねばならない、と。覚醒の銃爪を引いたのは、その思いだろう。俺はとにかく生き延びるためにニュータイプになった。しかし、そうして得た力でわかったものは、かけがえのない、と信じていた女性との間に横たわっていた深い溝でしかなかった。
まったく、ため息ばかりだ。
ニュータイプは人類の革新と認識されている。認識能力の拡大により人並みはずれた直感力と洞察力を備えた、新たなセンスを身につけた人類の新しい姿である、と。離れていても他者や状況を正確に認識し意思疎通もできる。
だからと言って、人と人との間にある溝は埋めようがない。逆に、溝の底知れなさを否応なく思い知らされる。はっきりと認識できてしまうだけ、救いが無い。そんな気がする。
とにかく、俺は戻るべき場所を失った。いや、見つけたと思い込んでいただけで、そんなものは元から無かったのだろう。
あらためてそう思い知らされたところで、ようやくスロットルを絞る気になった。モーターサイクルを路肩に寄せて停め、大きな息をついた。
とても苦い。
何故、わかりあえないのだろう。
「――誰も、あなたではないからよ。シュー」
静かな声が聞こえて、がばっと顔を上げた。
マザー・ヴォイス。
「信じあい、わかりあったつもりでも、最後には自我がぶつかりあってしまう。それは、ぎりぎりのところで誰もが持っている壁」
そこでマザー・ヴォイスは聞き慣れた声に変わった。ディタだった。
「完全にわかりあうということは、何もかもが溶け合うようにひとつになること」
そうか、――と思う。
今の気持ちを理解してくれるのは、ディタしかいないのかもしれない。
中型攻撃空母ビフィーターで初めて出会ったときの印象は、正直言って、決して良いものではなかった。
顔立ちこそ整っていたのだが、そこに表情というものが無かった。
ばかりか、いついかなるときも、極限に追い込まれた時でさえも、ひたすら無口で無表情。その様は冷静沈着をはるかに超えており、感情が死んでいるとしか思えないほどだった。さすがに俺も、この女性はモビルスーツ乗りになるまでは一体どうやって生きてきたのだろうと考えさせられたほどだ。
だが、俺のウイングマンとしてディタ以上のパイロットはいなかった。ニュータイプでこそなかったが、常に冷静沈着で、確かな技量できちっとフォローしてくれたばかりか、熾烈なドッグファイトの最中でも俺の次の動きを予測してみせた。実に素晴らしいパイロットだった。
惜しむらくは、ディタは甘く恋を語れるような女性ではなかった。非情なまでに現実的で、厳しい目で物事を見つめているディタと一緒に過ごせるのは、戦の場でしかなかった。
今はそのディタのことがやけに気にかかる。
予感かもしれない。
いや。
ひとり、かぶりを振った。
俺には「予感」などという言葉はない。すでに。
デザート・ムーンは、血の通った本物のブルーズとロックンロールを聴かせてくれる、俺の魂の故郷だ。
今夜のオープニング・ナンバーは『ブラウン・シュガー』。首根っこを鷲づかみにしてぐいぐい揺さぶるヴォーカルに、鋼の塊を叩き割るようなギター。体中の血が踊り始めそうなこのビートとグルーヴ。やっぱりストーンズは最高だ。
「やあ、フリー・バード」
カウンターにつくと、ランディが声をかけてきた。俺のブルーズとロックンロールとモーターサイクルの師匠だ。
「調子はどうだい」
「上々さ。けれど、ここにもまたしばらく来られなくなる」
それを告げたときは、すこしつらかった。
「どうして」
「また宇宙へ上がることになったんだ」
ランディは目を丸くした。
「この間戻ってきたばかりだろう」
「そうなんだけど、転属命令が下ってね」
転属先はNTC。ニュータイプとして認められた者の然るべき行き先だ。このNTCが連邦軍内で完全な独立部隊として成立してしまっているという点に連邦が、いや、普通の人々がニュータイプをどう見ているかが如実に表れている。
しかしまあ、構いはしない。どういう目で見られているかなどということは気にしても是非もない。それより問題なのは、この空腹だ。ランディにパスタとコーヒーを注文し、皿が出てくると鬼のような速さでかきこんだ。
「俺も、空へ上がろうかな」
ランディはラッキーストライクに火を点けてぽつりと言った。その言葉に驚いてしまい、いったいどうしたのかと尋ねた。ランディはためいきのように煙を吐き、呟くように話し始めた。
「最近、見るのは軍服ぱかりだし、聞く話も戦争が近いとか、そんなのばかりだし、ニュースもそうだ。息が詰まる。昔のようにはいかないな、もう」
ランディが愚痴をこぼすのを初めて聞いた。が、無理はない。政治に目を向けないようにしているが、時代が転がり始めようとしていることは厭でもわかる。
破綻が見えてきた経済。
ネグローニ率いる右派の突出に伴う諸紛争の武力鎮圧。それに対するサイド各国の包囲網と経済制裁。
対する連邦のあくまで強硬な姿勢。――
そんなぎすぎすした流れの中で、ランディのもっとも愛する「自由」が損なわれつつあるのは事実だ。
俺の気持ちも重くなってきたが、ランディの目に俺はあいかわらず連邦軍士官として映っていないことは慰めにはなった。
それにしても湿気った夜だ。こんなときにはやはりモスコウ・ミュールだ。あの爽やかな刺激を喉に流しこみたい。そんな思いを抑えつつコーヒーカップを口に運び、ソーサーに戻したときだった。突然、背後より静かな声がかけられた。
「シュプリッツァー・レイ大尉」
ゆっくりと振り向いて、声の主を見つめた。
「ここで君と会うこととなるのはわかっていたよ」
「さすがね」
言葉とは裏腹に、口調は無感動だ。しかしそんなことなど、ディタは気にも留めていないようだった。
「隣、よろしいかしら」
「どうぞ」
ディタは隣のストゥールに腰を据えた。しかし久しぶりに再会したのに、相変わらずと言うべきか、見事なまでの無表情だ。何の感情も現れていないし、まるで川向こうの火事を眺める目をしている。まったくもってディタらしい。らしいといえば、オーダーも実にらしかった。天然水。
「上の後始末はもうすんだのかい」
ディタは水をボトルからグラスへ注ぎながらかぶりを振った。
「わたしは紛争が解決してすぐ除隊したから」
何とも意外だった。思うところがあったのかもしれないが、ディタはとにかく何も読み取らせてはくれない。そうなのか、と言うほかはなかった。
「わたしの知っているのは、あなたの搭乗していた機体がサナリィ(海軍戦略研究所)に接収されたことだけ」
「接収だって」
「ええ。あなたが召還されて地球へ降りたその日に」
「ずいぶんと急な話だな」
「Zネクストというモビルスーツが本来持ち得ない力を発揮し続けた理由を解明するためでしょうね。けれど、サナリィは何一つとして解明できないと思うわ。あなた抜きでは」
Zネクスト。制式名称、アナハイムMSZ006N。ニュータイプ用のモビルスーツではあるのだが、言ってしまえば昔のZ系形態可変型モビルスーツにサイコミュと半ダースのファンネルを載せただけの、応急措置に近い機体だ。その割に働いてくれたのも事実だが、これから駆る機体の方が数段優れていることは間違いない。
サナリィNF250サリシュアン。
この空の上で俺を待っているモビルスーツだ。
海軍戦略研究所で完全新開発されたモビルスーツで、サイコ・フレームを採用した、超高機動型の宇宙戦専用機。そいつに乗って自由自在に宇宙を駆け巡れば、今抱いているこの奇妙な寂しさのようなものも忘れてしまえるかもしれない。が――それは、真の意味での救いではない。
口を閉ざすとスーズがすぐに戻って来ようとする。軽く頭を振って、尋ねた。
「除隊した後はどうしていたんだ」
「オールド・ハイランドへ帰ったわ」
「サイド3か」
「わたしの故郷よ」
「君の故郷は地球ではなかったのか」
と言いそうになって、言葉を飲み込んだ。ディタのことだ。答えてくれるとは思えない。まして、仮想敵国の人間が何故連邦軍にいたのかということなど、
「それでわざわざ降りてくるとは、どういった風の吹き回しかな」
「あなたと会うためよ」
ディタは素っ気無いとしか言いようのない口調で応える。あくまで冷静な瞳で。
「何故」
「手を貸してもらいたいの」
「手を貸してほしい、とは」
今度は幾分か慎重に尋ねる。すると、ディタはきっぱりとこう言った。
「わたしたちは優秀なパイロットを必要としている。協力してもらいたいの」
やはり、というべきか、話は変な向きに転がり始めた。詳しく聞こうか、と言う前に自然と周囲に注意が向いてしまう。連邦の諜報部員はどこにいるかわからない。何と言っても、ここはキャリフォルニア・ベースのお膝元だ。
「――そうね。ここは、わたしたちが話をするには不適当な場所のようだわ」
俺の無言の呟きが届いてしまったか、ディタはすっと立ち上がった。素早く勘定をすませるとランディへの挨拶もそこそこに店を出て、ディタをタンデムシートに乗せて走り始めた。しばらく海岸に沿って走ってから、海辺の駐車場に乗り入れて、砂浜を少し歩き、人気のなくなった辺りで腰を降ろした。そしてディタが口を開くのをしばし待った。しかしディタはさっきのことなど忘れ去ってしまったかのように黙ったまま、遠い目で暗い海を眺めている。このままでは詮がない。水を向けた。
「さっきの続きだけれど」
「さっきも言ったとおり」
ディタは淡々と言葉を口にする。
「あなたのように非常に優れたモビルスーツ・パイロットが必要なのよ。わたしの故郷に来ていただけないかしら」
「オールド・ハイランドへ、か」
「ええ」
「どうしてモビルスーツ乗りが必要なんだ」
「それは、今は詳しく言えないわ」
さっぱりわからない。ニュータイプだから言わなくてもわかると考えているのだろうか。あいにくと、そこまで便利にはできていない。だが、簡単に承諾できるような問題ではないことはわかった。そもそも、協力といってもいろいろな形がある。しかし、まともに聞いてもディタは応えてはくれないだろう。考えて尋ねた。
「君は、除隊した、と言ったね」
「ええ」
「君に協力するとしたら、俺も軍を辞めて、連邦からオールド・ハイランドへ移住しなければならないのか」
「それは、あなたにとって困難なことなのかしら」
するどく尋ねられて、一瞬言葉を取り落としてしまった。
ディタは俺をじっ、と見つめた。生きた目をしていた。
「わたしはあなたと出会ってから、ずっとあなたを観察してきた。そして奇妙なことに気がついた」
「奇妙なこと、とは」
「ええ。あなたは連邦のために戦ったけれど、地球至上主義者ではない。地球連邦を、ひいては地球を守らねばと考えてはいなかった。だからといって、アンチ連邦でもない。明確な主義主張が少しも見えないのよ」
やれやれ、という気分になる。
「難しいことを考えて入隊したわけじゃない。宇宙に行くためだ。それにモビルスーツ・パイロットは昔から憧れだった。それだけさ」
「けれどあなたはもう闘ってしまったわ。そして、ニュータイプとして覚醒した」
もう遅い。子供の頃の夢に引き返すことはできない。ディタはそう言っている。確かにそのとおりだ。
「どうやらあなたは自分がいかな立場に置かれているか、わかってはいないようね。今のままでは、あなたは連邦軍に散々利用された挙げ句、つぶされてしまうわ。それは確かよ」
「だから君たちに与して闘えというのか。俺の能力を最大限に活かすために」
ディタが申し出るであろうことを思わず先読みして口にしていた。が、ディタはうなずきもかぶりを振ることもせず、俺をただ見つめていた。
「ニュータイプは戦争の道具じゃないという見解には同意するわ。けれど」
何だと言うんだ、と言いかけて、口を閉じた。熱くなりつつある。らしくない。
ディタの言いたいことは解る。
「ニュータイプがいなければ、勝てない」
そういうことだ。そして、それは真実だった。が、ファンネルを自在に飛ばすことだけがニュータイプの力ではないだろう。
だからテストパイロットを引き受けたというのは当たっている。
スーズの望んだように辞退することもできた。
しかし俺の内では、ふたたび宇宙に上がることで何かが見えるかもしれないという思いが確信へと変わって行った。
それに、このまま地球に居続けることで、魂までが重力の頚木に囚われてしまうのはごめんだった。
空から降りてきて、改めて知った。重力がいかに強いものかということを。そして、宇宙を例えようもなく懐かしく感じた。それはきっと、宇宙が俺のほんとうの故郷であるからに違いない。決して、この地球ではなく。
ようやく頭が冷えた。
気がつくと、ディタの瞳はふたたび俺に向けられていた。その瞳で射られると、心の鎧がすべて剥ぎ取られるような気分にすらなる。
「誤解しているようだから断っておくわ。わたしはあなたを道具として見てはいない。決して」
ディタは、ディタにしてははっきりした声で言った。
「わたしはあなたを調べるために自分でも呆れるほどの時間をかけた。そして、あなたはわたしたちにとって必要な人間だと結論した。あなたのニュータイプとしての力だけを求めているわけではない」
なるほど。俺、というひとりの人間を求めているわけか。さっきよりはいくらか興味が湧いて、こちらから尋ねてみた。
「オールド・ハイランドの目指すところは何かな」
「理想にすぎないと言われても是非もないけれど、わたしたちの理念は、人類はすべて天に生まれて、天に暮らすべきだということ。究極の目的はスペースノイドの完全な自立」
ディタは少し沈黙した後に応えた。たしかに理想だが、この地球を離れて宇宙に出てこそ人に革新はもたらされる、という考え方については大いに賛同できる。が、
「オールド・ハイランドは一国家として立派に自立しているだろう。自立どころか地球連邦と対等以上に渡り合っている」
「そうだけれど、政治経済社会という各面についてではなく、精神や意識についてもよ。そしてもうひとつは――今は伏せておくわ」
ディタが言ったのはそれだけだったが、それで十分だった。
遠くないうちに、オールド・ハイランドは動き出す。間違いない。
これは大変なことだ。
天の大国オールド・ハイランドがモビルスーツ乗りを必要とする理由など、ただのひとつしかない。道理で詳しく触れられないわけだ。
ディタはそれから俺の待遇について極めて簡潔に述べた。それによると階級は大尉のまま。編隊長資格も有効。他の条件も悪くないどころか、すばらしい好条件だった。
「――話は以上よ。回答を聞きたいわ」
ディタは口を閉じるとさっきと同じように俺を凝視した。冷徹な眼差しは、速やかな返事を求めていた。だが俺はうなずくことも断ることもできないという、妙なことになっていた。
ディタの言っていることは正しい。それはとうに理解できていた。
ニュータイプの手によってしか真価を発揮できないモビルスーツを完全新開発するとは、連邦のやっていることは矛盾しているとしか言いようがない。が、見方を変えてしまえば、サリシュアンはニュータイプの道具としての価値を認めたうえで、とことんまで食いつぶすためのもの、と見ることもできる。
しかし俺は、何でも己の目でそうと確かめなければ納得できない。これは様々な物事を透察できるようになった今も変わらない。しかと見極めてからでなければ、動くことはできない。
その一方ではたしかなためらいもあった。このままディタに従う方が安全なのではないか、と。辞意を表すと、ディタは何らかの強い行動に出るかもしれない。
「どうやら、すこし時間が要るようね」
ディタはぽつりと言った。さすがというべきか、ディタには俺の葛藤などお見通しだったようだ。
「あなたのなかで意思が統一されていない状態では、後々支障をきたす」
「すまない」
ディタは、素っ気無い顔でうなずいただけだった。そう落胆した様子もなく、かえって拍子抜けした。
「けれど、これだけは覚えておいて。連邦の見方はずっと変わっていない。地球人にとって、宇宙移民は従属すべきもので、ニュータイプはその中でも悪しき突然変異なのよ」
「心得ておくよ」
軍に利用された挙げ句、つぶされる、か。ディタが言うだけにかえって重く感じられた。
それからしばらく俺たちは黙ったまま砂の上に座っていた。
「あなたは本当に変わっているわ」
海の方を眺めながらディタは独り言のように言った。
「ニュータイプだから、か」
「違うわ。もっと本質的な意味で。さっきも言ったけれど、あなたには主義主張が無い。しかも、護るべきものも護るべき人もない。なのに、闘うことができた。不思議だわ」
「目の前に敵が現れた。だからさ」
ぶっきらぼうに答えてしまった。守りたいものはあった。そのために戦って、終わってみたら守るべきものが消え去ってしまった。波に飲まれる砂の城の気分だったが、あくまで無表情だったディタの瞳にはかすかな笑みが浮かんだ。
「単純ね」
「何でも単純な方がいい。考えても始まらないこともある。この世界には」
「そうね。そうかもしれないわね」
そう呟いたときのディタの横顔はすこし寂しそうだった。別れの時が来たことを知った。
「どこまで送って行けばいい」
「迎えはあるから、結構よ」
ディタは声と同じくらい静かに立ち上がった。その時になってようやく気がついた。ディタはひとりではなかった。それもしかし、当然だろう。連邦軍の懐へ飛び込んできて堂々と連邦軍士官に声をかけるなどという真似は度胸だけでできるものじゃない。
「今宵はあなたと会えて嬉しかった」
ディタは俺を見上げて言ったが、その口調も顔もおよそ「嬉しい」という言葉からかけ離れていた。しかし苦笑いを浮かべることはできなかった。ディタは当たり前のことを告げる口調でこう言った。
「また天で会いましょう」
「天で?」
「あなたは上がるのでしょう。天へ」
ディタはまたも当然、というような口調で言った。とっさに何かを言うこともできずにいると、ディタは静かに、しかしはっきりと言った。
「幸か不幸か、またすぐにモビルスーツの季が訪れる。それでなくてもあなたは地球の腕に囚われてじっとしていられる人ではない」
ディタは、知っている。
ディタは俺が新型の公試に携わることを知っている。オールド・ハイランドはそこまで調べ上げているということらしい。
そのオールド・ハイランドがこれからどのような行動を起こそうとしているのか。
あえて尋ねてみることとした。
「君はどうするつもりなんだ。これから」
ディタはすぐに応えなかった。目に力を込めて見つめた。すると、ディタはつと目をそらした。
「わたしは、少なくともあなたの向こうに回るつもりはないわ。あなたのようなニュータイプほど恐ろしいものはないと思うから」
ずいぶんな言われ方だ。しかしディタはかすかにさえ笑っていない。考えるまでもなく、ディタが冗談など、間違えても言うはずがなかった。
そのとき、突然理解した。
ディタとは、違う場所でまた会うこととなる。それも、そう遠くないうちに。
それが意味するところは、ひとつしかありえない。
ということは、やはりそういうことなのだ。
「参ったな」
胸のうちでそう呟いていた。宇宙へ行くのは闘うためじゃない、などと言っておきながら、それがもう嘘になりつつある。しかし、ディタと会うべきではなかったとは思わない。今夜会わなかったとしても、遅かれ早かれ、という問題でしかない。もしかしたら、これが運命というやつなのかもしれない。
そんなことを考えて、また胸のうちで苦笑した。
こういうことを言っても、ディタはまともに取り合ってくれないだろう。
「忠告、感謝するよ」
右手を差し出した。するとディタは珍しいことに、はっきりと驚きを顔に表した。俺を見て、目をそらし、おずおずと手を伸ばして手を握った。
「あなたも、お元気で。フリー・バード」
うなずくと、ディタは手を放してかすかに頭を下げ、背を向けてゆっくりと歩き始めた。
去りゆくディタの後ろ姿が闇に溶けるまで見送ってひとりになると、急に力が抜けてしまった。やはり、無意識で身構えていたんだろう。
ディタは俺を無理矢理引きずって行こうとはしなかった。そうすることができたはずなのに――というより、そのつもりで来たはずなのに。何故なのだろう。
やめておこう。考えても始まらない。ともかくディタは確信を抱いている。俺とはふたたび宇宙で会える、と。
さて、今夜はどうする。スーズの許へ帰ろうか。
いや、だめだ。もう俺はスーズのために在ることができない。ここは戻ろうとすべきではない。あんな形で別れてしまうのは決して後味が良いものじゃないが、仕方のないことだと思うしかないのだろう。
モーターサイクルの許へ戻り、モーターを立ち上げた。
走り始めると、闇の表に色々な顔が浮かんでは消えた。
近い顔もあれば、遠い顔もあった。
色々な人がそばに来ては去ってゆく。
ずっと続く奴もいれば、すぐに去ってしまう奴もいる。
人生は出会いと別れの連続だ。
そして、またお別れの時が来てしまったのかもしれない。
しかし今の俺には失うものなど何一つとしてない。何も恐れることはない。宇宙へ上がるべきだ。一刻も早く。地球に居続けてはいけない。
そう。街を出るのは、いつだってまたうまくやろうとするチャンスなんだ。
赤信号の交差点、満天の星空を仰ぐ。
帰るべき場所はこの空の上にある。
人が完全にわかりあうなど幻想にすぎないのかもしれない。しかし、信じている。帰るべき場所は必ず見つかると。だから。
信号が青に変わる。ギアを蹴ってスロットルを開ける。
ウイングミラーに目を投げて、挨拶をした。
今まで世話になったけれど、お別れだよ、ハリウッド。
君とも、またいつか、会える日まで。
MOBILE SUIT GUNDAM FX
Prologue “Say goodbye to Hollywood”