オーバーロードは稼ぎたい   作:うにコーン

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あらすじ


ドクトル「森の賢王? はえーすっごい。
     きっとオラウータンのような頭のいいモンスターなんやろなぁ……」
アインズ「そんな強敵とギャラリーの目の前で戦ったら名声ポイント凄いハズ。
     きっとランクアップもスグなんだろうなぁ」
ハムスケ「某は賢いのでござるので! 森の支配など簡単なのでござるよ!」
ドクトル「わぁー……おしゃべりできるハムちゃんなのね、かしこいわぁー(白目)」
アインズ「巨大ハムスターと真剣勝負とか罰ゲームだろォ!?」



現在のナザリック生産物


・数十個単位の瓜科果物
・数百個単位の柑橘果物
・数千個単位のオリーブの実
・バケツ数杯の硫酸
・そこそこの量の硫黄
・そこそこの量の高シリカ火山灰
・やや少ない量の鉄スクラップ
・まぁまぁの量のスケルトンの骨
・やや少ない量の過燐酸石灰
・計測不能の量の石灰岩
・かなり多い量の生石灰
・かなり多い量の消石灰
・かなり多い量の石灰水
・そこそこの量のセメント
・無料かつ莫大なエタノール
・プロトタイプの農業機械
・MPが続く限りの塩酸


ナザリックは売りました

セメント → 王国
食用油  → 王国
果物   → 王国
鉄材   → 王国
???  → 法国


ナザリックは買いました

法国   → 生ゴム


名声高めて稼ぎたい

 麻の繊維で作った(つる)が、ぎりりとキシんだ音を立てる。 何十もの鏃が整然と並び、標的へと狙いを定め  

 

 キョン  という、弦が立てる独特な風切り音と共に矢が放たれ、鈍色(にびいろ)の鏃は標的に突き刺さった。

 

「ほーん、近射から始めるたぁー基本に忠実だねぇ」

「ほう。 随分マトが近いと思ったら……アレで正しいのか、ドク」

 

 珍しそうにアインズが観ている先では、真剣な表情を浮かべた村人が3メートル先くらいのマトに向けて矢を射っていた。

 村人が今練習しているのは、若木を削り出して作った一組の弓(ワンピース・ボウ)だ。 断面を、ルーローの三角形状  辺が丸みを帯びた三角形のこと  に削るだけで作れるので、大変安価な弓である。 本来ならば張力40ポンド(約20kg)の弓が入門用なのだが、射手見習いの村人達は今の今まで触れた事も無いような素人なので、もう少し軽い30ポンド(約15kg)程度だ。

 

 イングランドは『イチイ』の木をわざわざ輸入して、長弓(ロングボウ)を削り出し弓と矢を作ったそうだ。 だが、彼等の弓の材質は普通の木で、なるべく粘りのある木材を選んだに過ぎない。 まぁ、ソレで十分使用に耐えるのだが。

 

 全員が射ち終わった事を確認したゴブリン射手は、麦藁を束ねて作った標的『巻藁(まきわら)』に刺さった矢を一本一本確認して、村人へアドバイスをしている。

 

「実は、弓矢って意外と真っ直ぐ飛ばすのが難しーんだよ」

「そうなのか? 練習中の村人を見るに、弓の性能が低いのが原因かと思っていたが」

「うんにゃ、矢が蛇行するのは射手の射ちかたがワリぃだけさ。 確かに道具が優れていれば良い結果を出せるぜ? カーボンファイバーを使った強力なリム(バネの部分)と、アルミ合金製の軽量で堅牢なフレーム、倍率の付いた光学照準機。 人間工学の(すい)を結集した、弓の両端に滑車を取り付けた新型の弓『コンパウンド・ボウ』ならズブの素人でも70メートル先のマトに当てれる。 2〜3時間も練習すりゃーね」

 

 まぁ、その分高額(たかい)が。 と、肩を竦めて見せるクサダ。 スポーツ用に開発されたコンパウンド・ボウは熊も狩れる程強力だが、非常に高いのだ。 弓本体が20万円以上する上、安物のアルミ矢ですら1本5千円する。 カーボン製なら万単位だ。 仮に売っていたとしても、カルネ村のような寒村では、運用どころか購入すら無理なのである。

 

「だから、ああやって手作りの弓矢を練習するのは   ベストでは無いけど、ベターではあるね」

 

 村人達が2射目を射る。 やはり、矢は巻藁へ斜めに突き立っている。 弓の構造上ある程度は仕方ない事なのだが、矢が蛇行すると空気抵抗がグンと増してしまうし、狙った場所へ飛ばない原因にもなる。 まずは、正しい姿勢と射法を体で覚えねばならないのだ。

 

 練習風景を観察するに、弦から指を離す際の動きが悪いのだろう。 洋弓(アーチェリー)は和弓と違い、人差し指・中指・薬指と3本の指を弦に掛ける。 そして、矢を弦に固定するための切り欠き  和弓で言う(はず)の部分。洋弓の場合ノック  が顎に着くまで引くのだが、弦から指を離す動作にコツが要るのだ。

 

【挿絵表示】

 

 弦を引く手を止め、そのままパッと離すと、弦が指の腹を擦りながら戻ってしまう。 すると、矢に横方向の余計な振動が伝わってしまうので、矢が蛇行してしまう原因となる。 正しい離し方は、指で首を掻き切るジェスチャーのイメージだ。 そうすると指が弦から離れるギリギリまで発射されないので、正しく矢へ推進力が伝わるようになるのだ。

 

「ふーん。 ぺロロンさんはどうやって射ってたかな……」

「ユグドラシル産武器と比べたらあかんて……っと、そろそろ時間か」

「ん? 何かあったか?」

「いんや、こっちの話。 じゃー俺、用事あっからー」

 

 何かを思い出したかのようにポンと手を打つと、クサダはぴらぴら手を振りながら去っていったのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 重苦しい音を立ていた石臼が、操手の手が止まると同時に回転を止める。 つい先ほどまで草を磨り潰していた石の隙間からは、おおよそ草が発しているとは思えないケミカル臭が漂っていた。 カルネ村の特産品の薬草を摘んですぐ磨り潰せば、ありがたい事に産地直送の新鮮な異臭がこのように楽しめる。 まるで臭いに色がついているかのような幻覚付きでだ。

 

 ンフィーレアは、酷使して熱を持った腕の筋肉を見下ろす。 異臭にはもう慣れたとは言え、やはり肉体労働はこの細腕には少々キツい。 クサダは水車や風車を使えばいいと言っていたが、カルネ村には川が無いので水車は不可能。 風車も簡単なものなら作れるだろうが、風が吹かなくなってしまうと石臼も止まってしまう。 なるべく早く磨り潰しておきたい薬草には、気まぐれな風力は少々不向きだ。

 

 手桶に汲んでおいた水で手を洗うと、額に浮かんでいた汗を手ぬぐいで拭う。 ドロリとした浅葱色(あさぎいろ)の草汁を村人から購入した壺へ流し入れ、家畜の内臓を利用した防水の革を張った木蓋を被せた。

 

「よいしょ……っと」

 

 小さな掛け声と共に壺を持ち上げたンフィーレアは、家屋の外に運んでおいた『りあかー』なる鉄製の荷車に薬草の汁や粉末などを積む。 嬉しい事に、この新型の荷車は荷台が膝くらいの高さにあるので積み下ろしが非常に便利だった。 今まで使っていた、木製の4輪馬車は腰よりも高い位置に荷台があったので、積み下ろしが非常に不便だったのだ。

 

 それに、方向転換する時は力尽くで横から押して車輪を地面に擦りながら曲がらねばならず、時間が掛かり馬も人も疲れてしまう上、故障も多かったし道路も痛む。 だが、この新型の荷車は左右の車輪が独立して回転するので、殆ど力を掛けずに曲がる事が出来る。 車輪もソコソコ大きいので、道が多少荒れていても運用可能だ。

 

 AOG合資会社と言う聞き慣れない組合が作った、たっぷりの鉄を用いて作られた『りあかー』は、平均的な幌馬車(ほろばしゃ)1台分を超える値段がした。 エ・ランテルにある店の貯蓄を全て合わせて届くかどうか……の額だったので困ってしまったが、クサダが「分割払いで良いよ」と言ってくれたので、ンフィーレアは無事、新型の荷車を手に入れることが出来たのである。

 

(『ぷろとたいぷ』とか『ろーん』とか聞き慣れない言葉を使ってたなあ。 うう、僕もしっかり頑張らないと……)

 

 陶器が割れぬよう慎重に荷台へ乗せると、雨風避けの(ほろ)を被せる。 ロープを巻き付けるようにして縛ると、納屋へと運び入れた。 これなら明日朝にはエ・ランテルへ出立出来るだろう。

 

 戻る道すがら、日当たりの良い場所で机に向かうエンリの姿が目に入る。

 

「どうしたんだいエンリ。 そんなにぐったりして」

「ふえーん、聞いてよンフィー。 クサダさんがいじめるのよぅ」

「虐めるたぁー人聞きの悪い。 村長の仕事が不安だってんだから、ひm……空いた時間を使って『さんすう』を教えてやってんだろう?」

 

 エンリの手元を覗き込むと、数字の羅列が書き込まれたノートが1冊。 見るに、どうやら掛け算までは進んでいないようだが。

 

「今までずっと勉強なんてした事なかったのよ? やっぱり、私みたいな村娘に村長だなんて無理なのよう」

「じゃあ辞めるかい? 別に強制されちゃーいねぇんだ。 代わりの他人(ひと)を探しゃーいいだけさ」

「でも……」

「別に、エンリちゃんがそうしたいってんなら、そうすりゃいい。 だが、この世は全て等価交換だ。 喪いたく無い、維持したいと願うんなら……相応の対価が必要だ。 わかるね?」

「………はい」

「この村に、その対価が支払えそうな物はあるかい? 任せられそうな人はいるかい? エンリ……エンリ・エモット。 君の望みを叶える為には、何が一番()()()なんだ?」

 

 責めるでもなく、勧めるでもないクサダの問いに、エンリはスッと目を伏せる。 そして、彼女は2呼吸程の間を置いて……言った。

 

 

 

  やります」

「よし、やろう」

 

 

 

 彼女の相貌に宿る決意の光は、2度と失わぬ誓いの証か。 それとも復讐の炎か。

 

 思い詰めた彼女の表情に何かを感じ取ったのか、ンフィーレアは彼女の肩に手を置き  これだけでも大進歩である  励ましの言葉を紡ぐ。

 

「不安に思う事は無いよ、エンリ。 習い始めたのは昨日の今日なんだろう? でも、もう2桁の足し算まで出来てるじゃないか」

「……ンフィーはどこまで出来るの?」

「僕は……まぁ、数桁の掛け算や割り算なら。 商品の支払いや、売り上げの計算もしなくちゃだし」

 

 ンフィーレアの素直な言葉に差を見せつけられたのか、それとも現実に打ちのめされたのか。 彼女は頬を膨らませ唇を突き出す。

 

「でも……計算が役に立つのはわかるけど、出来る人に任せてしまっては駄目なのかしら。 今までそれでやって来れたのだし……」

 

 クサダは呆れるように半目を向ける。 エンリは今まで算数の授業を黙々とこなしていたが、こんな甘ったれた事を言い出したのはンフィーレアが現れてからだ。 まぁつまり、ンフィーレアは彼女の中で『弱味を見せて良い相手』であり……要するにそう言う事なのだが、ソレはソレで悪戯心が刺激される。

 

「あー……『ある村は5人に1人が子供です。 子供は、大人の半分の量を食べます。 100人いる村の食事を作るとしたら、実際は何人分作れば良いでしょうか?』」

「えっ? えっ!?」

 

 突然の出題に混乱するエンリ。

 

「はい、ごー。 よーん。 さーん」

「待って!  ちょっと待って下さいクサダさん!」

「ぶっぶー。 ハイ時間切れ閉店ガラガラー」

「ええええ  !?」

 

 考える時間を求めるエンリの声を華麗に無視し、クサダはシャッターを下ろすジェスチャーで強制終了した。 無慈悲!

 

 そこへンフィーレアが頬を掻きながら答える。

 

「えっと、90人分ですか?」

「ピンポン ピンポーン。 少年、正解」

「ンフィー凄い!」

「いや、流石にソレは無いよエンリ……」

 

 (おど)けた調子で褒めるクサダと、目を丸くして褒めるエンリ。 それにンフィーレアは苦笑いを浮かべる。

 

「はー……村に来る度に思ってたけど、あらためてンフィーは凄いなぁって思うわ。 エ・ランテルで一番の薬師だし、さっきの問題だってパッと答えちゃうんだもの」

 

 慣れない勉強にぐったりとしたエンリは、力無くごちる。 そして額を机に付け、熱を持った頭を冷やす様に突っ伏してしまった。

 

 だが、それも一瞬の事だった。 突然跳ね起きると、満面の笑みで  

 

「そうだ! ンフィーが私と一緒に(カルネ村で)住めばいいんだわ!」

  え? うぇえ!? 僕がエンリと(同じ屋根の下で)かい!!?」

 

 などと言い出した。 これにはクサダも予想外。 ンフィーレアに至っては、魂が抜けたかの様に放心している。

 

「ンフィーも言ってたじゃない! 何でも力になってくれるって。 私1人じゃ無理でも、ンフィーと一緒ならきっと出来るわ!」

「え、あ、いや、でも、それは」

 

 ンフィーレアにとってはタナボタだろうに、何故迷う必要があるのか。 疑問に思ったクサダは、ンフィーレアの表情を観察し  

 

(ひえぇ! ままま、まさかエンリの方からだなんて! しかも、こんな軽い調子で! エンリは形式とか気に……しないよなぁ。 嬉しいけど、本当は僕の方からプロポーズしたかったな。 で、でも断ったら今の関係が壊れてしまいそうだし……)

(……とか考えてそうな表情(かお)だな)

 

 とまぁこの様に、鋭い洞察力でンフィーレアの心を、まるで本のページを捲るかのように読んだのである。

 

 しばらく逡巡していたンフィーレアだったが、やがて決意したのか小さく頷く。

 

「う、うん。 男に2言は無いって言うし、僕もエンリを手伝うよ。 これからは2人で頑張っていこう!」

「やったあ! ありがとうンフィー。 じゃあ、早いうちにンフィーの住む場所を探しておかないと!」

 

 手を叩いて喜ぶエンリだったが、彼女の口から出てきたものは少々引っかかる返答だった。 

 

「あん?」

「うん?」

「えっ?」

 

 違和感に気付いたのは、クサダが最初だった。 次にンフィーレアが朧げに察知し、様子のおかしさにエンリが疑問符を浮かべる。

 

 そこでクサダが違和感の正体に気付いて「あっ、そーいう……」と、ボソっと呟くとンフィーレアも全てを察した。

 

「えっ、まさか……」

「まぁその、なんだ。 頑張れ少年」

 

 処置無し。 と、クサダはかぶりを振った。

 

 彼が言うには、男に二言はないのだそうだ。 勘違いが発端で、なし崩し的に決まっってしまった彼の移住。 だが、それとて今までと比べると一歩前進だ。

 

 クサダとしても、強力過ぎるタレント能力を持つ彼が、監視の目を張りやすいカルネ村に移るのは願っても無い事である。 技術を餌にコネクションを確立しておけば、もしかしたら|切り札的存在に化けるかもしれないのだ。

 

 今は、数学の知識と彼女の安全保障を餌にして時間を稼ぐ。 時が満ち()()()()()されれば、連鎖的にこの地域はナザリックの物となる。 その為の冒険者、その為の家庭教師、その為の技術指導。 正義も、体制がわも、後手に廻るのが常であり、事が起きてからでしか対応出来ない。 悪党とは、暗躍するものなのだから。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 時は過ぎ、地平線に陽が沈もうとしている。 少し汗ばむ程度あった気温も和らぎ、カラッとした涼風に代わりつつあった。

 

「んじゃ、今日の勉強はこのくれーにしとこうかな」

 

 クサダがそう言って教科書を閉じると、エンリとンフィーレアは深々と腰を折って礼を言う。

 

「僕にまで教えて頂けるなんて思いませんでした。 本当にありがとう御座いました」

「うんにゃ、1人だろーと2人だろーと、そう変わるモンじゃあねーさ」

 

 ついでだから、と。 エンリへの授業を片手間に、クサダはンフィーレアへ数学を教えた。 エンリとンフィーレアでは、範囲が全くと言っていい程違うと言うのに、だ。 そんな飄々とした態度だからこそ、クサダとの差を見せ付けられる様な気分になる。 そして、彼は一層奮起するのだ。

 

「でも、やっぱり『実践的』な事は教えてくれないんですか……?」

「まーだ言ってんのか。 3歳児に刃物持たせたら、一体どうなると思うね? 家建てるにも基礎が大事だろ? まだ基礎が出来てねぇ……今教えても、砂上に城建てるよーなもんさ」

 

 一見、門前払いにされたように聞こえる。 だが、違うとンフィーレアは気付いた。 クサダは()()教えられない、と言ったのだ。 科学とは、それだけ強力で危険な技術なのだと。 今はまだ「少年」と子供扱いされているが、月日が経ち、クサダに成長を認められれば、いずれ学べる様になるだろう。 

 

 知りたい。 学びたい。 そして、あわよくば使ってみたい。 と、好奇心と欲望がないまぜに成ったかのような感情がンフィーレアの心で渦巻く。 ああ、早くその瞬間が訪れればいいのに。

 

 新しい技術に触れる時は心が踊る。 子供が新しいオモチャを買ってもらった時のように、ンフィーレアは飽きる事も時が過ぎる事も忘れて、眠りもせず研究に没頭してしまうのだ。 それで幾度も失敗した経験があるが、こればかりは治る気配すら全く無い。 ンフィーレア自身この性格には辟易しているが、生まれ持った性分なので上手く付き合っていくしかない。

 

 貰ったノートを、落とさぬようシッカリと両手で持ち、ンフィーレアは席を立つ。 ずっと村に滞在していたいが、祖母には仕入れの名目で外出している。 明日には帰らねばならない。 早朝に村を()っても、エ・ランテルに到着するのは夕刻になるだろう。

 

 夕食などの身支度を済ませたら、ンフィーレアは早々に寝てしまう事にした。

 

 

 

 翌朝。 小鳥の(さえず)る清々しい晴れ模様は、これからの出立を祝福しているかのようであった。

 

「お早うでござる、殿! 今日も清々しい朝にござるなぁ。 もちろん、某は今日も絶好調でござるよ!」

「……知ってる」

「そうなのでござるか?」

「……うん」

「凄いでござる! 殿は何でも知ってるのでござるなぁ」

 

 アインズは、大きく嘆息を吐く。 彼のテンションが妙に低いが、これにはワケがある。 ハムスケの食費に頭を痛めていたからだ。

 

 なんと、彼女ことハムスケは、朝っぱらからバケツ2杯分もの量を軽々と平らげた。 これはナザリックの一般メイドが1日に食べる量に匹敵する量である。 こんな巨大ハムスターの維持費が、プロ並みの技量を持つメイドと同じだという現実に、アインズのSAN値とその懐事情は急転直下してしまったのだ。

 

(出費ってヤツは、金が無い時に限って嵩むんだよなぁ。 まぁ、想像していた(200kg)よりはだいぶ少なかったが)

 

 スッカスカになってしまった財布を手に、アインズは心の中でごちる。 このままでは、王都に諜報潜入したセバスや、工作活動に(いそ)しむデミウルゴスたちの活動費すら危うい。 いや、ユグドラシル金貨なら宝物庫に山とあるが、この地域で使われる貨幣が不足しているのだ。

 

 カルネ村に来る途中、偶然にも大量のモンスターを狩った  と言うより刈った  ので、ギルドに申請すれば結構な額にはなるだろう。 ンフィーレア護衛の副報酬もある。 2チームで等分する為、幾ら残るかは想像するしかない。 だが、雰囲気的にも多少は期待していいだろうと思われた。

 

「では、出発でござる!」

 

 ハムスケは尾を器用に巻きつけ、リアカーを牽引する。 荷を満載したリアカーが一度、ぎしりと軋んだ音を立てて動き出す。 滑らかに回転する車輪はしっかりと大地を掴み、その低い重心ゆえの高い安定性を遺憾無く発揮していた。

 

 エンリやネム、その他多数の村人に見送られ、一行はカルネ村を後にする。 名残惜しそうにするンフィーレアに気付かないフリをしながら、舗装されていない道を行く。

 

 壺が割れてしまうため走る事は出来ないが、彼女の膂力なら休憩を挟む事無く街に着けるだろう。 実際、何のトラブルも無くエ・ランテルへ到着した。 ハムスケの姿に恐れをなしたのか、ゴブリンなどの亜人種も、ウルフなどの獣も近付こうとすらして来なかったのだ。

 

 その事をペテル達が褒めると、ハムスケが自慢げに鼻を鳴らしたので、クサダはチョップを振り下ろしておいた。

 

 さて、無事城門前に到着した一行。 ふと疑問に思い、エ・ランテルでは魔獣の扱いがどうなっているのか門兵に聞くと「組合に登録すれば問題ない」と返ってきた。

 

 クサダは驚く。 人語を解するとは言えど所詮は獣。 問題が無かろうハズもない。 日本で例えれば、街中でトラやライオンを放し飼いにする様な物なのに、セキュリティや事故防止の点はどうなっているのだろうか?

 

 いや、どうにもなって無いのだろう。 ルールや規制と言うモノはいつも()()()()()()()制定されるものだ。 つまり、今までずっとこのルールで事故は起こっていなかった事になる。 猛獣使い(ビーストテイマー)などの職業がある所からして、その辺りのリスクは意外な程低いのだ。 にわかには信じ難いが。

 

「では、街へ到着したので依頼は完了ですね。 モモンさん、漆黒の剣の皆さん、急な頼みでしたのに引き受けて頂いた事、本当に感謝しています。 ありがとうございました」

「いえ、いえ。 大した事はしていませんよ」

「バレアレさんのお陰で村にも滞在出来ましたし、お互い様ですよ」

「野宿せずに済んだのである!」

 

 無理を言ったのはンフィーレアの方である。 だのに、逆に我々も助かったと礼を言われてしまう。 斯くも気持ちの良い彼等に、ンフィーレアは破顔した。

 

「では、規定報酬と追加報酬の件ですが……追加の分が今持ち合わせて無いので、一旦店舗の方まで取りに来て頂いても宜しいでしょうか? 皆さんお疲れでしょうし、よく冷えた果実水でも御出ししますよ」

「しかし、モモン氏は組合に行かねば成らぬのであるが!」

「ああ、魔獣の登録がありましたね」

「じゃー俺が行きゃあいいな。 ついでだ、荷下ろしも済ませちまおう」

 

 アインズは知っている。 クサダは果実水に釣られただけだと。

 

「では、私は魔獣の登録をして来ますので、これで」

「はい、モモンさん。 貴方とご一緒出来て幸運でした……チームのリーダーとしても、個人としてもお礼を言わせて下さい」

「いえいえ、私の方としても色々と勉強になりました。 漆黒の剣の皆さんも、機会があったらまた御一緒しましょう」

 

 ペテルと固い握手を交わす。 それは、ガントレット越しでも体温が伝わってくるような、強い想いの籠ったものだった。

 

 彼等と別れ、別行動することとなったアインズは、気付かれぬよう小さく拳を握り締め歓喜に震える。 初めての冒険者、初の依頼達成であったが、想像以上に上手く行った。 後は、冒険者チームの彼らや、エ・ランテルで最も有名な少年がモモンの名を広めてくれるに違いない。

 

 悪くない。 悪くない走り出しだ。 こうして地道に名を売り名声を高めて行けば、冒険者の最高峰  アダマンタイトも遠くないだろう。

 

(フフフ…… 十二分に名声を高めたら「実は冒険者モモンはAOG合資会社の関係者でした」と公表すれば、ギルドと会社のイメージアップに使えるな……)

 

 そう。 アインズは、あたかも大企業が有名スポーツ選手を広告塔に雇うかのように、アダマンタイト冒険者の地位を客寄せパンダにするつもりだったのだ。 アインズ・ウール・ゴウンの名が世界中に響き渡れば、もしかしたら嘗ての仲間が向こうから訪ねてくるかもしれないし、同時に拠点の維持費も稼げる。 アインズが考えに考え抜いたこの策は、息抜きと実利を兼ねた一石二鳥の完璧な作戦である!

 

 

 

 一方その頃。

 

 バレアレ薬品店に到着したクサダ達は、搬入口を兼ねた裏口のドアを潜る。 廊下を進んだ先には、気温と湿度を一定に保つ狙いで地下に設けられた薄暗い倉庫があった。 そこには奇妙な見た目の草や鉱物が雑多に押し込まれ  彼曰く、これで整頓されているとの事  ており、ちょっとした展覧会のようだった。

 

 それにしても、異世界とは本当に常識外れである。 薬草と鉱物  つまり、生薬を原料として怪我をたちまち直してしまう薬品を作るのだから。 しかも、ソレが飲み薬だと言うのが驚きだ。 実世界(リアル)での感覚を持つプレイヤーからしてみれば、怪我をしたのだから傷に直接塗るのが当たり前だと思うのだが。

 

 この辺りの謎は、医学書を携えたデミウルゴスが()()()()を繰り返しているらしいので、(いず)れ明らかになるだろう。 クサダは1を10に増やす事は出来ても、0から1を発見することは苦手なので、好奇心旺盛なNPC達の献身はとても有難い。 最下級ポーション程度なら副料理長が  魔力の受け渡しが必要だが  1日2千本程生産出来るので問題は無いし、治癒魔法で消費するのはMPのみ。 あとは時間の問題だ。

 

 そんな事を考えながら作業を進め、そしてスグ終わる。 5人掛かりなのだ。 大して時間も掛かろうハズもない。

 

「みなさん、お疲れ様でした! 僕は金庫を開けてきますので、果実水でも飲みながら応接室で寛いでいてください」

「おーソイツは良いねぇー」

 

 レンジャーであるルクルットには、一抱えある壺にミッチリ詰まった薬草は少々重かったようだ。 彼の額には玉のような汗が浮いており、その汗を腕で拭いつつ嬉しそうに言った。 他のメンバー達も、これから払われる報酬の輝きと仕事終わりの一杯に期待を膨らませ、にこやかに頷き同意する。 と言っても、ただの果実水なのでノンアルコールだが。

 

 ンフィーレアに案内され行き着いた先は、落ち着いた雰囲気の机と椅子が並べられた、こじんまりとした部屋だった。 いや、よく見ると元々は広い部屋だったのが分かる。 背の高い薬品棚が壁を覆うように一面並べられているので、狭くなってしまっているのだ。

 

「此処が応接室です。 並べきれなかった薬品棚がコッチにまで置かれてて、少々狭いですけど  

 

 室内に入ろうとしたンフィーレア。 しかし、突然動きが止まる。 クサダが少年の肩を掴んで制止したのだ。

 

「え? ど、どうかしましたか?」

「…………」

 

 驚いた表情を浮かべて振り向く少年を無視し、鋭く室内の一点を睨みつけるクサダ。 そして、わざとらしく嘆息を一つ吐くと、言った。

 

「やれやれ。 休む暇すらねーとはな……出て来い」

 

 低く発せられたクサダの声。 ソレは、やがて睨まれる事に耐えられなくなったかのように、薬品棚のスライドが独りでに動き  

 

「フン……赤服に金の鎖たぁー随分イタイファッションした爺だぜ」

 

 右手に螺子くれた杖を装備した禿頭(とくとう)の、如何にも魔法詠唱者然とした男が一人  姿を現した。

 

 男は忌々(いまいま)しそうにクサダを睨むと、舌打ち交じりに口を開く。

 

「貴様……儂が此処に隠れていると、何故分かった」

「ああ~~? テメー頭脳がマヌケか? 薬品棚の中身を外に出して  

 

 

 

 

 

「片付けてねーぜ!」

 

 クサダが指した先には、様々な瓶や実験器具などが机の上に所狭しと広げられていた。 しかし、禿頭の男は顔を(しか)める。

 

「……いや、片付けた」

 

 あん? と言うと同時、遮蔽物越しに知覚していた生命反応が小刻みに動く。 そして、クスクスと漏れ出すような笑い声。

 

 子供のような笑い声を挙げなから姿を現したのは、まだ年若い女だった。 口の端はつり上がり、漏れ出る声を抑えようと口を手で抑えている。 楽しそうに笑う女は、しかし悪戯が成功した子供のようにではなく、そこには隠そうともしない狂気があった。

 

「クレマンティーヌ……貴様、邪魔立てする気か。 此処へ隠れて奇襲しろと言ったのは貴様だぞ」

「プププ、そんな怒んないでよぉーカジっちゃん。 待ってる間、ぜーんぜん遊べなかったからさぁーストレス溜まっちゃって。 ちょっとしたイタズラじゃなーい」

 

 舌をチロリと出した女は、ごめんねと言いながら自身の頭を拳で軽く小突く。 だがそれも、男の神経を逆撫でする為に行われたジェスチャーであり、事実男の表情は怒りに染まる。

 

 しかし、兎にも角にもタイミングが悪い。 セバスやデミウルゴスから上がってくる情報から、ある程度は治安が良いと聞いていたので、すっかり油断していた。 完全に不意を突かれた格好になってしまったのだ。

 

 と言うのも、つい忘れがちになってしまうが、ここは魔法などと言う隠し持てる凶器が世に蔓延している世界である。 ハッキリ言って、道具も何も用意せず使える魔法なんてあったら銃社会も真っ青な世紀末に変わり果てても可笑しくない。 いや、ならない方がおかしい。 と言うのに、公共の場で乱射が起きただの、無差別殺戮を目的にしたテロが起きるでも無く、むしろ凶器を用いた強盗殺人が起きるのは数える程だと言う。 億単位で人間がいたリアルでは分母からして違うので、単純に比べるのは間違っているだろうが「そういう世界なのかな」と勘違いするのも、然程変ではないハズだ。

 

「えへへー。 それにしてもすっごいタイミング悪いよねー。 やっとお邪魔虫がどっか行ったと思ったら、急に居なくなっちゃうんだもん」

「……あ、あの、失礼ですがどちら様でしょうか?」

「え! お知り合いでは無かったのですか!?」

 

 つまり、今は対ユグドラシルプレイヤー用の対策しかしていない。

 

 今、クサダが装備している手持ちは主砲クラス  第八位階魔法<爆風>(ショック・ブラスト)短杖(ワンド)などしか所持していなかった。 この攻撃魔法は<連鎖する龍雷>(チェイン・ドラゴン・ライトニング)の様に貫通力があるワケでは無いが、透明な榴弾の様に命中した場所を中心に衝撃波が広がる使い勝手の良い魔法だ。

 

「こうして話すのは初めてだよねー。 んふふ。 私はねぇ、キミを攫いに来たんだー」

「なっ!」

「キミ、どんなマジックアイテムでも使えるんでしょー? <不死の軍勢>(アンデス・アーミー)ってゆーアンデッドを大量召喚する魔法を使って欲しくってさー。 お姉さんの道具になってよ」

 

 しかし、クレマンティーヌと言うこの女……恐らくLVが40も無いだろう。 生命探知のパッシブスキル程度に引っ掛かるのが良い証拠だ。 タンカー職でも無い限り、ここまでLV差がある相手に8位階魔法など撃ったら()()()()に決まっている。

 

 他に打てる手と言えば、異形種のステータスに物を言わせたゴリ圧しくらいか。 触れて掴めさえ出来れば、動死体(ゾンビ)の伸びやすい筋力(STR)によって、雑巾の様に手足を螺子り折り、引き千切るくらいは余裕だろうが……観客(ペテル達)の目の前で人間の解体ショーを繰り広げるのは、いくらなんでもマズ過ぎる。 活け造りを人間で作りたがるのは、どちらかと言うとナザリックの者達の方だ。

 

 それに、100LV異形種の手に掛かれば、木造建築などガラス細工同然。 短杖だろうと素手であろうと、建築物にも深刻な被害が出るだろう。 賠償などしたくないし、出来れば穏便にお帰り願いたい。 そして、後日改めてナザリックへ()()()された彼女が、親切丁寧な()()()()()を受けてキモチ良く情報を垂れ流して頂ければハッピーなのだが……

 

「第7位階魔法……普通の人じゃムリだけど、叡者の額冠ならそれも可能。 召喚(サモン)されたアンデッドを全部支配するのは無理だけど、誘導するくらいなら可能! 完ッ璧なけーかくだよねぇぇえ!」

「成程よぉ~~確かに完璧な作戦だなぁ。 不可能ッつー点に眼を瞑ればだがよぉ~~」

 

 軽い、ジャブ程度の挑発。 全盛期が過ぎて久しく、PVPに興じるユーザーも稀となったユグドラシルとて、こんな安い挑発に乗る奴など居ないハズだ。

 

「ああ……? 本気で言ってんのかテメェ……何あんた魔法詠唱者? 近付かれただけで何も出来ない無能のクセに、この状況で生きて帰れると本気で思ってんの?」

「随分饒舌だなぁクレマンティーヌ。 不安の表れかな?」

「バッカみたい。 ……魔法詠唱者なんてスッと行ってドスッ! これで終わりよー何時もねー」

 

 確定だ。 この件にプレイヤーは噛んでいない。 プレイヤーが関与しているには作戦が杜撰(ずさん)過ぎである。

 

 女が懐から鎧通し(スティレット)を取り出す。

 

(短剣職……盗賊・アサシン系か? 忍者  は60LVからだから無いとして……いや、訓練を受けた普通の戦闘員の可能性もあるな)

 

重戦士(タンカー)よりかはマシだが、よりにもよって軽装職とは面倒な事になった。 生け捕りは……瞬発(DEX)に差があり過ぎて無理。 情報収集を前提とした策は全て通りそうもなく、どう見ても八方塞がりだ。

 

 とは言え、100LVが傍に就いていながらヒヨッコ子どもを見す見す殺されるだなんて不名誉極まる。 それに、彼ら『漆黒の剣』はアインズのお気に入りであるし、(さら)うと公言していたンフィーレア少年は既にナザリックに内定済みである。 絶対に手放せない。 ユリ1人でも居ればこの程度、顔面ブローの1発で捕縛も容易だったろうに……全く、帯に短し(タスキ)に長しとはこの事だ。 次から丁度良い具合の装備を用意しなければならない。

 

 そうこうしていると、クレマンティーヌとか言う女に動きがあった。 床に擦りそうなくらいに長い外套を巧みに用いて、気取られぬよう隠しながら体重を移動させている。 タメを作るような姿勢……身軽さを生かして肉薄攻撃する腹積もりか。 考えている時間は無い。

 

(仕方ない、殺そう)

 

 情報は惜しいが、運が無かったと諦める他無い。 可能性は低いだろうが、蘇生に応答するかもしれない……それも希望的観測でしか無いが。

 

 空間阻害を考慮し、あえて腰のホルスターに挿しておいた短杖に、そっと触れる。 コレを撃てば室内が大惨事になるだろうが『死ぬと自爆する仕掛けが施されていた』と強弁しつつ、証拠隠滅も兼ねて修復し有耶無耶にする他無い。

 

 しかし、クレマンティーヌと言うこの女。 どうやら場数を踏んだ経験はそれなりにある様で、此処で最も脅威なのがクサダだと勘付いたようだ。 視線で目標がバレないようにしているが、だがそれだけである。 鋭く観察すれば、意識がクサダへと向いているのがバレバレであった。

 

 女が予備動作の省略もかくやと、最初からトップスピードの勢いで一歩踏み切り、迫る。 クサダとクレマンティーヌの2人の間には机があるが、ソレを飛び越えての軌道だ。 だが、それはそうとして好都合。 ヒヨッ子達が加害範囲外に出た瞬間、対空砲の如く迎撃する。

 

「死ィ  

 

 狙いは……額か。 頭は確かに急所だが、首を捻れば避けられるし、元々マトが小さく狙いにくい。 頭蓋骨で最もブ厚い場所でもある。 そんな場所を、行動阻害も行わずにイキナリ狙うと言うことは、つまりザコだと舐められている……か、自信タップリなのかの何方(どちら)かだ。 聞かれてもいない作戦をペラペラ喋る所から、高確率で後者だろう。

 

  ね!」

 

 クレマンティーヌが流れるような動作で突進すると同時  忍ばせておいた<爆風>(ショック・ブラスト)短杖(ワンド)を素早く抜き放つ。 たった数歩の距離でも、近付かねば殴れぬ不便な相手に遅れなど取りはしない。 ゲーム時代に何百何千と繰り返した、手慣れた動作で目標へ向け発  

 

 

 

 

 

 どん  と。 側面から衝撃があった。 肩だ。 不意を突かれ、視界が揺れ姿勢が崩れる。 見ると、恐怖と覚悟が混ざり合ったような、何処か諦観にも似た表情のルクルットがクサダの肩を突き飛ばしていた。

 

  は? おい、何してんだ……)

 

 何故。 何故、邪魔をした。 いや、理由など分かり切っている。 理由など無いのが理由なのだろう。 危ない……そう思った時にはもう、身体が動いていた。 要するに、それだけだ。 ああそうさ、そう言えばお前は究極のお人好しだったなクソッタレ。

 

 バランスを崩したクサダを追うように、しかしクレマンティーヌではなく緑色の水槍が襲う。 禿頭の魔法詠唱者が<酸の槍>(アシッド・ジャベリン)を放ったのだ。 回避する事も叶わずクサダへ命中した水槍は無数の水飛沫と姿を変え、ジュブジュブと音を立てながら木の床を焦がす。

 

 脅威度が下がったと見たか、瞬時に目標を変えたクレマンティーヌは、クサダから最も近い  つまりルクルットへ右手を突き出す。 スティレットが、抵抗らしい抵抗も無くルクルットの側頭部へ突き刺さった。 冷たい刃が引き抜かれると数滴の血が宙に舞い、彼は糸の切れた傀儡(くぐつ)のように倒れたのだった。

 




・弓術、について。

 鋭い牙も鋭利な爪も持たず、強靭な毛皮に鎧われてすらいない、ハゲ猿こと人間。 そんな生物が何故、弱肉強食である(今でもですが)太古の自然環境を前にして生きていけたのか? ソレは、人間だけが持っていたチート能力  『投射』が使えたからです。
 古代から人間は石を投げ、槍を投げ、矢を討ち、銃を撃ってきました。 遠くから一方的に攻撃する、それだけの能力で人間は何十、何百もの種を絶滅まで追いやってきたのです。

 さて、弓とは弾性  力を加えられた物体が元の状態に戻ろうとする復元力を利用し、飛翔体(つまり矢)に運動エネルギーを伝え投射する仕組みです。 え? 言われるまでもない? いやいや、コレが中々奥深いのです。
 通常、弓は引けば引くほど重くなります。 つまり、荷重=変形と言う単純な式で成り立っています。 この特性があるからこそ、バネ秤で物の重さが計測出来るのです。

 弓が弾体を押し出す総エネルギー量の表し方に『ドローフォース曲線』と言うモノがあります。 これは、引いた距離ごとに掛かる復元力を線グラフにしたもので、描かれた表の面積が弓に蓄えられたエネルギーです。

 一方、コンパウンドボウは引き始めは重く、引き終わると軽いという、バネの性質をひっくり返したような弾性特性を持ちます。 これは、変心滑車(軸が中心に無い滑車のこと)を2重に取り付け、テコの原理で引く事によって実現しています。
 
 なお、アゴの辺りで引き切りである洋弓と比べ、耳の辺りまで引く和弓は引き尺が長い分有利ですが、代わりに熟練に長時間の修練が必要となりました。 和弓は世にも珍しい上下非対称、かつ自らの身長を大きく超える大きさと、ガラパゴス的進化を遂げました。 弓を作る為の良い素材が手に入らず弾性が弱い弓しか作れなかった為と言われていますが、遠くまで飛ばしたかっただけだと思います。
 ただし、弓の性能は蓄えられるエネルギーの量だけで決まるモノではありません。 如何に強い弓でも大きすぎれば運用に問題がありますし、そもそも的に当たらなければ矢の無駄です。
 当たった時の貫通力は和弓が頭1つ抜きん出ていますが、取り回し・軽さ・威力・修練に必要な時間を総合的に鑑みると、トルコの複合弓(コンポジット・ボウ)が(現代弓を除いて)最強となるようです。

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