東方幽棲抄 ~ 今日も今日とて、ツンデ霊夢に殴られる 作:風鈴.
「れ……霊夢のように? え、いったい何の話ですか?」
「おや、何も心当たりがないのですか?」
咄嗟に白を切った俺を見て、紫さんは意外そうに眉根を寄せた。
「ええ、特には。俺の語りと霊夢に、何か関係があるのですか?」
俺は表情を変えずにとぼけてみせるも、内心では焦燥感を覚えていた。
先ほどの紫さんの鎌掛け……。嫌な予感がする。
もしや、見られていたのだろうか。アレを。
「あなたに心当たりが無いのであれば、その通りなのでしょう。なに、言葉の綾のようなものです。お気になさらずに」
ところでーーと、紫さんは言葉を継ぐ。
「あなたのそばに居合わせた優から事情を聞いたところ、どうやら霊夢に喧嘩を売った果てに、腹部を殴られて気を失ったそうではありませんか。あなたは他人に喧嘩を売るような性分ではない人と心得ていましたが、一体全体、どのような成り行きで?」
「えっと、その……。事の発端は、俺が優をからかおうとしたことでして。ただまあ、自分に言われていると勘違いした霊夢が怒り出してしまいまして」
「なるほど、霊夢の聞き間違いが原因というわけですか。どんな話を聞き間違えたのでしょうか」
紫さんは、興味深そうに話を深堀りしてくる。
「あー……なんというか、年頃の子供同士によくあるような、からかいですよ。恋愛ネタでいうところの『お前、あの子のことが好きなんだろう』みたいな感じの」
「あら、青春ですね。惚れた腫れたの話は、いつの世も、話の種として人気ですから」
「まあ、そんな感じですよ。自分がからかわれていると勘違いした霊夢が、怒り出したってだけの話です」
なんだかんだ、嘘はついていない。おおむね、事実だ。
「それは災難でしたね。あの子は良くも悪くも感情に素直ですから、つい手が出てしまったのでしょう。どうか許してあげてくださいな」
「ええ、その点は……。少なからず、俺にも非はあったでしょうし。お互い様ってやつですよ」
「大切な心がけです。お互いに歩みを譲ることこそ、仲を深める良き解決策ですから。歩み寄ることだけが、仲を深める方法ではありません」
「そうですね。適切な距離を取ることが大切なんでしょうね」
「その通りです。たとえ意中の相手を口説き落とそうとする時であっても、あまりにも歩み寄りすぎることは、得策と言えません。適度な距離を保ちつつ、かつ逃げ場を狭めていく……その塩梅が重要と言えましょう。緊張と安息の振り幅こそ、人の心を魅了しますから」
……おや? 何か話をすり変えられたような。
と言うか、この人、やっぱりアレを覗き見ていたのではなかろうか。
俺は紫さんの心中を読み取ろうと表情を見つめたーーが、その表情からは愉悦の笑みすら感じられない。
「どうしましたか? 何か私に思うところでも?」
「……いや、なんでもないです」
「そうですか。男性に意味深長に見つめられたので、わずかばかりの期待を感じてしまいましたのに」
紫さんは、伏し目がちに視線を横に流した。さも残念と言わんばかりの態度だ。
『わずかばかりの期待』とやらに言及したら、きっと俺の負けなのだろう。絶対に罠だ。
このままだと紫さんに会話の主導権を握られっぱなしなので、いったん話題を転じた方が良さそうだ。
「ま、まあ……霊夢の話は脇に置いておきまして。優はどうしたんですか? 口ぶりから察するに、俺が倒れた後に、優と会いましたよね」
「優なら、途中から追いついてきた魔理沙と一緒に、寺子屋に向かいました。あなたが動けなくなりましたから、別行動することに決めたようですね」
優は先に寺子屋へ行ったのか。気絶した俺を運んで回るわけにもいかないし、当然と言えば当然か。
「そうか、優は寺子屋に……。じゃあ、俺もこれから寺子屋にーーって、あれ? 俺って、どれくらい寝ていましたか?」
「そうですね……。この屋敷に運び込んでから、30分は過ぎているでしょうか」
30分。稗田家から寺子屋まで遠くないようであったが、まだ追いつけるだろうか。
「しかしながらーー」
紫さんは指先を振る、開かれたスキマを覗き見る。
「どうやら、優と魔理沙は、すでに寺子屋での用件を済ませたようですね。今はどこかに向かって、箒に乗って移動していますね」
「え、そうなんですか?」
「ご覧なさい」
紫さんに促されてスキマを覗き見ると、魔理沙が箒に優を乗せて、どこかに飛んでいく後ろ姿が見えた。2人の周囲には、霊夢の姿は見られない。別行動だろうか。
「本当だ……。2人とも、どこに向かっているんですかね」
「方角からして、魔法の森のようですね。用があるとすれば、魔理沙の家か、あるいは香霖堂でしょう」
香霖堂。たしか、魔理沙が口にしていた道具屋の名前だ。
「さて、霊夢は……すでに博麗神社に戻っていますね」
紫さんが別のスキマを開くと、その先に博麗神社の平屋にいる霊夢の姿が見えた。卓袱台に突っ伏している。身動ぎしているので、寝ているわけではないようだ。
「なにやら、霊夢はお疲れのようですね。きっと、何かがあったのでしょう」
紫さんはそう言うと、俺の方に視線を向けた。「何か知らないか?」という意図を感じる。
「んー……なんでしょうね。きっと、俺と優の人里案内に疲れたんでしょうね」
「そういうものでしょうか?」
「そういうものなのでは?」
「では、そういうことにしておきましょう」
紫さんは何やら含みのある言い回しを使ったが、それ以上の言及は無かった。スキマを閉じて、尋ねてくる。
「……さて、それでは、これからどうしますか?」
「どうする、と言いますと」
「あなたの今後の行動についてです。優と魔理沙に合流するか、博麗神社に戻るか。はたまた、別の予定があるのか」
「あー……そうですね」
当初は寺子屋に行くつもりであったが、すでに優が訪問ずみのようなので、今さら自分が出向く必要はない。
寺子屋の事情について優に話を聞きたいところではある……が、今は魔理沙と一緒に空中を移動中だ。間が悪い。
完全に手持ち無沙汰なので、博麗神社に戻るというのも1つの手ではあるけれど。
あんなことをやった後だから、なるべく霊夢と顔を合わせたくないしなぁ……。気まずすぎて、居たたまれない。
ここは、しばらく時間を潰した後に、優と魔理沙に合流する選択が妥当だろう。
「もう少しだけ、ここにいてもいいですか?」
「構いませんよ。あなたが望むのであれば、ご自由に。……ところで、その発言の意味するところは、もっと私と一緒の時を過ごしたいということでしょうか? 少しばかり、心が浮き立ってしまうのですが」
「……紫さん、恋愛脳って言葉、知っていますか?」
「乙女とは、恋多きもの。殿方から愛を傾けられることには、至上の喜びを抱くものです。致し方のないこと」
会話が噛み合っているようで、微妙に噛み合っていない。
紫さんは色めいたことを口にしながらも、表情に動揺の類は見られない。
完全に言葉で遊んでいるだけだ。
「まあ……そういうことにしておきましょう。紫さんに尋ねたいこと、いくつかありましたし」
「なんなりと。あなたの気が済むように、語りつくそうではありませんか。せっかくの機会ですから、茶と菓子も添えて」