東方幽棲抄 ~ 今日も今日とて、ツンデ霊夢に殴られる   作:風鈴.

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第7話 紫さん、ひとまず『15億円』ください

「あー、そうかい。だったら、いいぜ。お前は贔屓筋に世話してもらえ。私は帰るぜ」

 

 魔理沙は鼻息を荒くすると、そっぽを向いた。肩に担いでいた箒を下ろし、ちょこんと横向きに座る。

 

 とても自然な動作だ。もしかしたら、普段の魔理沙は、横乗りで飛んでいるのかもしれない。

 

「待ちなさいな、魔理沙。あなたが今いなくなってしまったら、颯が困るではありませんか」

 

「知ったこっちゃない。スキマ妖怪の言うことを聞く義理は無いぜ」

 

 紫さんの制止を振り切り、魔理沙は飛び立とうとする。

 

「――霖之助さんが愛用している、蓄音機」

 

 紫さんは、ぼそりと呟いた。

 

 地上から2メールほど浮いたところで、魔理沙の動きが止まった。どことなく、表情も硬直している。

 

 紫さんは魔理沙の様子に一瞥くれると、俺の方を振り返って、何事も無かったように爽やかな笑みを浮かべる。

 

「さあ、颯。共に行きましょう。私が魔理沙の代わりに、霊夢と合流できるまで、案内を務めます。彼女には、私に通すべき義理は無いそうです。これは、私の不徳の致すところ。申し開きの言葉もありません。残念です――ええ、とても残念です」

 

 紫さんは片頬に手を添えると、小首を傾げつつ、伏し目になる。嘆息のオマケつきだ。

 

 魔理沙は空中浮遊を続けるが、ギギギッという鈍い動きで首を回し、紫さんに顔を向ける。

 

「よ、要求はなんだ……?」

 

 魔理沙は恐々とした面持ちで紫さんに尋ねた。

 

「あら? どうしましたか、魔理沙。もう飛び去って構いませんよ。颯の案内は、私が務めます。あなたの言うように、私に通すべき義理はありません。どこへなりとも、ご自由に。……さあ、颯。行きましょうか」

 

「え、ええ……」

 

 俺は状況が呑み込めなかったが、先を行く紫さんに手招きされたので、ひとまず付いて行った。

 

「……ああ、そうそう」

 

 紫さんは何か思い出したのか、こちらに振り返る。

 

「あなたが霊夢と合流できましたら、そこでお暇させていただきますね。私は香霖堂に所用がありますから」

 

「あ、はい……分かりました。香霖堂って、確か道具屋でしたよね。買い物ですか?」

 

「ええ、その通りです。店主の霖之助さんとは、珍しい道具の取り扱いに関して、懇意にさせていただいています。義理を通す意味もかねて、定期的に訪れるのです。外の世界に比べると意外かもしれませんが、幻想郷は閉鎖的な地域。義理を重んじることは、とても大切なのです」

 

 紫さんは、妙に『義理』という単語を強調しているように感じた。

 

 何か――含みを感じる。

 

「……とは言え、重苦しいものではありません。顔を出して、歓談を尽くすことが主な目的ですね。なにぶん、私はお喋りが大好きですから。ついつい、色々なことに口を滑らせてしまいます。先ほど、あなたに素敵な告白をされて上機嫌ですから――今日はいつも以上に口が動いてしまうかもしれませんね」

 

 紫さんは滔々(とうとう)と述べると、くるりと踵を返して、先を歩こうとする。

 

「――お、おい! 待て!」

 

 不意に、背後から魔理沙の声が聞こえた。振り返ると、魔理沙は地面に降り立っている。

 

「あら、まだ何か用がありまして?」

 

 紫さんが小首を傾げながら尋ねると、魔理沙は俺のそばに歩み寄って来る。

 

「き、気が変わった。颯は、私が案内するぜ。構わないだろ?」

 

「ほう。別に構いませんが……これはまた、どういった心変わりで」

 

「……そ、それはだな」

 

 魔理沙は逡巡の態度を見せる。

 

「……颯に恩を売っておくためだ。魔法薬の実験台として協力してもらうためにな」

 

「俺が嫌だよ! そんな下心丸出しの恩情なんて要らねえ!」

 

 せめて、治験の協力者とでも言えよ!

 

「ま、まあ……待つんだぜ。どうせ、颯も香霖堂には行っておきたいだろう? 道案内と運び役を務めてやるぜ。それでどうだ?」

 

「……そうは言ってもなぁ」

 

 道案内や移送だったら、紫さんにもお願い出来ることだ。スキマを使えば、一瞬で移動できるし。

 

 博麗神社にいた時は、紫さんの行方が分からなかったから、魔理沙に移送を頼む流れになっていたが……。紫さん、目の前にいるしな。

 

「いや、それだったら、紫さんにお願いするよ。訳の分からない魔法薬の実験体なんて、嫌だし。魔理沙だって、いちいち人を運んで空を飛ぶのも手間だろう?」

 

「――――チッ」

 

 お聞きになりまして?

 

 この子、舌打ちしましたよ。

 

「……分かったぜ。魔法薬の件は、取り下げる。ついでに、颯が道具を売りたい時は、私がこーりんに口添えしてやるぜ。私とこーりんは、昔からの馴染みなんだ。もともと、こーりんは、私の実家の道具屋で修行していたんだ。私が口添えすれば、きっと、高値で買い取ってもらいやすくなるぞ?」

 

 その提案は、魅力的ではある。幻想郷の暮らしで、何が必要になるか分からない。道具屋の主人に取り持ってもらえれば、道具の売り込みも含め、色々と動きやすくなる。

 

 しかし……。

 

「金銭面については、ついさっき、紫さんが駄賃を渡してくれるって言ったしな。それに、紫さんだって、こーりん――いや、霖之助さんと懇意な間柄らしいじゃないか。しかも、定期的に顔を出して、実際に道具を売り買いしている口ぶりだ。そのことを考えると、やっぱり紫さんを頼った方がいいと思うんだよな」

 

 俺は紫さんに視線を向けると、彼女は同意するように頷いた。

 

 紫さんを頼れる以上、魔理沙の提案は、どれも魅力に欠ける。

 

「くっ……。だ、だったら、仕事探しも手伝ってやるぜ。私は幻想郷に暮らしているし、人里にだって何度も来ている。協力者として適任だろう?」

 

「うーん……。そんなことを言ったら、紫さんだって幻想郷で暮らしているぞ。口ぶりから察するに――何百年単位で。魔理沙よりも、幻想郷のことを知り尽くしているんじゃないか」

 

「お前は私の何が欲しいんだよ!」

 

「なんでキレてんの!?」

 

 魔理沙は狂犬のごとく唸り声を上げる。今にも跳びかからんばかりだ。

 

「まあまあ、2人とも。その辺りで収めておきなさいな」

 

 紫さんは仲裁すべく、俺と魔理沙の間に割って入る。

 

「颯、察してあげなさい……。女が献身を申し出て、自分の方に引き留めようと、必死に努力しているのです。その気持ちを汲み取らなければ、紳士と呼べないでしょう」

 

「そうだぜ、颯。私の気持ちを汲み取って、提案を呑むんだぜ」

 

 紫さんの発言に乗っかって、魔理沙が迫る。

 

 提案を呑め……と言われてもな。どう考えても、紫さんを頼った方がいいように思える。人里まで運んでもらった恩はあるけれど、だからこそ、面倒な仕事を頼むべきではない。それこそ、義理を欠くというものだ。

 

 俺が返答に困っていると、助け舟を出してくれるのか、紫さんが口火を切る。

 

「致し方ありません。勝手ながら、私が事の詳細を明らかにしましょう。……丁度よい機会です。颯、心して聞きなさい。女心のなんたるかを教えて差し上げましょう」

 

 紫さんは、自分のあごに指先を添えると、両目を薄く閉じて――口にする。

 

「魔理沙は、あなたに恋慕しているのです。恋い慕っているのです。あなたを他の女――私に取られまいと、健気な献身を申し出て、あなたを引き留めようとしているのです」

 

 絶対に嘘だ!

 

 この人、場を引っかき回して、自分が楽しみたいだけだろ!

 

「いや、紫さん……」

 

 俺は頭を抱えると、呆れの意を込めた口調で続ける。

 

「それは無いですって。というか、いくら若いからって、俺のことを見くびり過ぎですって。魔理沙に、何か事情があることは分かりますよ。それに乗じて、話をややこしくしないでください」

 

「あら、そうでしょうか? 恋とは盲目、心の病。女の人生は、素敵な恋に心を浮かばせるためにあると言っても、過言ではありません。恋を成就させるためならば、己を変え、献身を尽くし、ひたすら愛を捧げるのです。……それでも、あなたは誤解と切り捨てますか?」

 

「……そうですね、切り捨てます」

 

 だって、普通に考えて、話の筋が通らないからな。俺と魔理沙は1時間ほど前に初めて会ったばかりだし、恋情を抱かれる場面なんて、まったく存在しなかった。

 

 それに、俺は紫さんの性格を知っている。この人は、言葉の端を拾って、そこからあらぬ方向へ論を展開することが好きなのだ。大好きなのだ。話し相手から機微に富んだ返事を引き出し、また言葉の端を拾って、論を飛躍させる。そうやって、会話を楽しんでいる。

 

「……そうですか。分かりました。あなたが確信を持って言い切るなら、事実はその通りなのでしょう。お恥ずかしい推論を述べてしまいました。乙女とは、恋に恋い焦がれる者。1人の乙女である私の空想、どうか許してください」

 

 紫さんは「さて」と言って柏手を打ち、場を仕切り直す。

 

「それでは、改めて、私が案内役を引き継ぐとしましょう。汲むべき事情が無ければ、(はばか)る理由もありません。そうでしょう?」

 

 紫さんは、同意を求める視線を送ってくる。

 

「まあ、そうですね」

 

 魔理沙に何か事情が――紫さんに関する負い目の事情があることは間違いない。事情が判然としないから、気を回す必要性は感じないけれど。

 

 正直なところ、誰かに便宜を図ってもらえるなら、なんだっていい。

 

「では、問題ありません。行きましょう」

 

 紫さんが歩き始めたので、つられて俺も歩き出す――が、魔理沙に腕を掴まれ、引き留められた。

 

「待て……話がある」

 

 そちらを見れば、魔理沙は奥歯を噛み締めながら、俺のことを見上げていた。赤面と渋面を織り交ぜた、なんとも形容しがたい表情だ。

 

「魔理沙、そう何度も引き留めるものではありません。颯は、これから霊夢たちと合流せねばいけません。それとも……私が颯を案内しては困る事情でもありますか?」

 

 紫さんは諌めるように言うが――声色には愉悦を感じられる。

 

 魔理沙は、なんとか喉の奥から声を絞り出そうとする。

 

「……ということにしてやる」

 

「なんと? か細くて、聞き取れませんわ」

 

 紫さんが とぼけたように尋ね返すと、魔理沙はついに感情が極まったのか、声を張り上げる。

 

「颯のことが……す、好きって……好きってことに、しておいて、やる! だから……案内役を寄越せ!」

 

 途端、場が静まり返る。真昼間の愛の告白に、通行人からの視線も集まる。

 

 紫さんは、小さく開けたスキマから扇子を取り出すと、バッと開いて口元を隠す。

 

「……だ、そうですよ。出会って早々の少女に恋情を抱かれるとは、罪な男に成長しましたね。ここまで言われてしまっては、もはや、私は引かざるを得ません」

 

 そう言う紫さんの目付きは、実に喜々としていた。開いた扇子は、口元に浮かんだ満悦の笑みを隠すためだろう。

 

「……紫、これで私は義理を通した。帳消しだ。……覚えてろ」

 

 魔理沙は、鬼気迫る顔で言った。

 

「はて、なんのことやら。ただ、まあ……あなたの真摯な態度には、感銘を受けました。そのことは、私の心に刻み、憶えておきましょう」

 

 紫さんは扇子を閉じると、それをスキマの中へ返す。魔理沙は気疲れしたのか、膝に手をつき、ガクッと項垂れる。どうやら、謎の攻防戦の決着がついたようだ。

 

 俺は両者の姿を見比べて、改めて紫さんを敵に回すべきではないと理解した。

 

 やっぱり、腰ぎんちゃくでいいや。

 

「案内役は魔理沙に任せることになりましたから、私は無用ですね。それでは、この辺りで」

 

 紫さんは大きなスキマを広げて、それをくぐろうとしたが――思い直したのか、こちらに振り向く。

 

「そう言えば、あなたに駄賃を渡すはずでしたね。うっかり失念していました」

 

 紫さんに言われて、まだ駄賃をもらっていないことを思い出した。先ほどの舌戦の印象が強くて、すっかり忘れていた。

 

「差し当たって、どれくらいの駄賃を渡しておけばいいですか? この後、優とも合流するでしょうから、2人分を渡しておきますけれど」

 

 改めて、紫さんが提供する金額を尋ねてくる。

 

 この先の暮らしがどうなるか不明瞭だけれど、1日分の食費と宿泊費、それと滞在期間を考慮するとなると……。

 

「そうですね……20日は滞在するとして、優に渡す分も含めて、ひとまず15万円もあれば充分かと。人里で何か働き口を見つけますから、頂いた分を使い切ることは無いと思います」

 

「……はぁ!?」

 

 項垂れていた魔理沙が急に顔を上げて、素っ頓狂な声を上げた。

 

 さっきから怒ったり叫んだり驚いたりしているけれど、血圧とか大丈夫?

 

「どうかしたか」

 

「どこのボンボンだよ、金銭感覚がイカれ過ぎだぜ!」

 

 非常識だと言わんばかりに、魔理沙は眉をしかめた。

 

 魔理沙が冗談を言っているようには見えないが……俺、そんなに高い額を言ったか?

 

「え、だって……仮に1食500円で済ませるとして、朝昼晩で1500円だろ? あと、宿泊代は……安めのビジネスホテルなら1泊3000円が相場だから、食費と宿泊費込みで、1日4500円。それが20日分だから、9万円だ」

 

 その計算だったら、優と合わせて18万円が必要になるが――数字のキリが悪いし、実際はそんなに掛からないだろうから、3万円分を引いた。

 

 個人的には、常識的かつ良心的な提案だと思う。

 

「まあ、幻想郷の物価は分からないが……妥当な額ですよね?」

 

 俺は紫さんに視線を移して、意見を求める。

 

「ええ。計算の基準としては、妥当な額ですね」

 

「ほらな。紫さんも、こう言ってるぞ」

 

 俺は後ろ盾を得て意を強くしたが、それでも魔理沙は首を振って否定してくる。

 

「いやいやいや! 2人とも、相場感覚がおかしすぎぜ! 15万円って、バカでかい屋敷を一軒まるまる買っても、まだ余るような額だぞ!」

 

 15万円で……でかい屋敷が一軒まるまる買える? しかも、まだ余るだって? 

 

 どういうことだろう。15万円ぽっちじゃ、車のカーポートを作っただけで、全額が消し飛ぶぞ。

 

「ふふ、ふふふ……」

 

 隣を見れば、紫さんが愉快そうに笑いを忍ばせていた。

 

 ……何やら、裏がありそうだな。

 

「紫さん、正直に教えてください。なんで、魔理沙は驚いているんですか?」

 

「無理もありません。外の世界と幻想郷では、1円の価値の重みに、1万倍以上の開きがありますから」

 

「……と言いますと?」

 

「幻想郷――とりわけ人里で流通している通貨は、最高額が1円なのです。1円札は……さすがに見たことは無いかもしれませんね」

 

 そう言うと、紫さんはスキマの中に手を差し入れて、見たこともない1枚の紙幣を取り出した。肖像として印刷されている男性にも、見覚えはない。

 

「1円札……。たしか、かなり前に使われていた日本の紙幣でしたよね?」

 

「その通りです。そうですね……幻想郷における1円は、あなたの世界では1万円に相当すると思っておけば、差し支えないでしょう」

 

 ……そういうことか。幻想郷の通貨観念は、明治初期の状態から、あまり変わっていないのだ。

 

 紫さんの発言に基づけば、幻想郷の1万円は、俺の感覚なら1億円となる。豪邸一軒が建つような大金だ。

 

 魔理沙が驚くのも無理はない。紫さんに『ひとまず15億円は欲しい』と言ってのけたに等しいのだから。

 

 そりゃ、バカでかい屋敷も一軒まるまる建つわな。

 

「ちなみに、1円から下は、どんな通貨が使われているんですか?」

 

「主に銅貨ですね。聞き慣れないでしょうが、単位は銭と厘です。1銭が100円相当、1厘が10円相当と思ってください」

 

 1銭が100円相当なのか。外の世界なら、100銭で1円だから、ややこしいな。

 

「1円相当の単位って無いんですか? 1厘のさらに下です」

 

「ありません。銅貨にいくつか種類があるので、価値の低い銅貨を使って、あなたの感覚の1円玉や5円玉として代用します」

 

 そういう感じなのか。

 

 いっそ、もっと分かりやすい貨幣制度を導入すればいいのに……いや、簡単に出来ることではないのだろう。絶対的な権力機関と整備された法律、さらに貨幣発行の独占権があって、ようやく実行できる大事業だ。

 

「分かりました。……とすると、俺の感覚の15万円は、15円ということですね」

 

「そうなりますね。ただし、そのまま15円を渡して持ち歩かせることには難がありますから、ひとまず6円を渡しておきましょう。優と3円ずつ分けてください」

 

 紫さんはスキマの中に手を差し入れ、追加で5枚の1円札を取り出した。ついでに、がま口の付いた小さな財布も2つ取り出す。

 

「ひとまずは、この財布にお金を入れて持ち歩くといいでしょう。自前の財布があるのでしたら、そちらを使ってください」

 

 紫さんから、3枚の1円札と財布を手渡された。

 

 俺は手に持った財布を見下ろし――紫さんの手元を見る。紫さんは慣れた手つきでがま口を開くと、その中に折りたたんだ1円札を入れた。

 

 ――ああやって留め金をズラすと、口が開くのか。

 

 俺は がま口を開き、手元の財布に1円札を仕舞い込んだ。がま口の財布を使ったことがないから、開け方が分からなかったのだ。

 

「こちらは、優に渡してください」

 

「分かりました」

 

 紫さんから、優の分の財布も受け取る。

 

「残りの9円は、私の方で預かっておきましょう。箪笥や壺に入れて貯金するよりも、安全ですからね」

 

 ……そうか。幻想郷には、銀行めいた機関は無いのか。

 

 箪笥貯金は外の世界でも耳にする言葉だが、壺に貯金するとは、なんとも時代性を感じさせる。

 

「また駄賃が必要になりましたら、私に言ってください」

 

「分かりました。色々とありがとうございます」

 

 何から何まで、ありがたい限りだ。

 

「なに、例には及びません。あなたの便宜を図ることは、私の務めであり、喜びですから」

 

 紫さんは、そう言い残して――スキマの中へ消えていった。

 

 その場が静かになり、商店通りの方から聞こえる生活音が際立つようになる。

 

 ……さて、紫さんから預かった財布、優に渡しにいかないとな。霊夢ともども、商店通りにいるといいのだけれど。

 

「なあ、颯」

 

 横合いから、魔理沙の声が掛かった。

 

「……なんでしょう」

 

「さっき、私が言ったこと……忘れろ。紫の思惑に従うようで気に食わないが……案内は続けてやるから」

 

 魔理沙はそう言うと、こちらを顧みることなく、商店通りに向かって歩き出した。

 

 俺は魔理沙の哀愁ただよう後ろ姿を見つめて……思う。

 

 紫さんに関して、信義に背いてはいけない。

 

 信義に背いたが最後、魔理沙のように――もてあそばれる。

 


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