東方幽棲抄 ~ 今日も今日とて、ツンデ霊夢に殴られる   作:風鈴.

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第4話 お股がイタイイタイなのだ

「……のどかだな」

 

 俺は平屋の縁側に座り、澄み渡る空を見ていた。

 

 聞こえる音は、鳥のさえずり、そして――風にそよぐ木々の葉音のみ。これほど身に染み入るような静けさは、幻想郷に来る前の場所では、深夜にしか味わえないだろう。

 

 現在、博麗神社には、俺ひとりしかいない。優と霊夢、そして魔理沙は、今は人里に向かっている最中だ。

 

 霊夢の説得(という名の脅し)により、魔理沙は俺と優を人里まで運んでくれることになった。とは言え、魔理沙が飛行に使う竹箒は、2人乗りが限度なのだ。1度の飛行で、俺と優を両方とも運べない。というわけで、先に優が魔理沙に運んでもらうことになったのだ。

 

 霊夢は、優と魔理沙に共に、人里まで飛んで行った。まあ、俺と一緒に博麗神社に留まる理由もない。

 

 平屋から3人が空を飛んでいく姿を眺めていたが、生身の人間が事もなげに飛行する光景というのは、実に珍妙だった。夢を見ているのではないかと、少し正気を疑ったほどだ。

 

 魔理沙曰く、戻って来るまでに15分は掛かるそうだ。人里まで、片道10分足らずと言ったところか。もしも、徒歩で人里まで行こうと思ったら……片道でも3時間は掛かるのかもしれない。山道を下らないといけないし。

 

 それを考えると、空を飛べない俺と優は、なおさら人里の近くに居を構えた方がよいということになる。

 

「さてさて、どうなることやら……」

 

 俺は先のことに思いを致して、ひとりごちた。

 

「――――あら、何かお困りで?」

 

 前触れもなく、真後ろから声が聞こえた。後ろを振り向く間も無く、腋の下から胸の前にかけて、白のレース手袋を嵌めた細腕が回される。しまいには、自分の右肩の上に何か――人間の頭部と思わしき重みが掛かった。

 

「なっ――紫さん!?」

 

 俺は思わず驚きの声を上げてしまった。首は捻れなかったが、視線を横に向けると、俺の右肩の上に紫さんがあごを載せている姿がギリギリ見えた。

 

 今までどこに行っていたんだ、この人! つーか、何やってんの!?

 

 立ち上がって距離を取ろうにも、腋の下から胸にかけて回された腕のせいで、身動きが取れない。背後からもたれ掛かるように体重を掛けられているから、なおさらだ。

 

 今しがた気付いたが、背中に大きくて柔らかな感触を2つ感じる。過去に経験したことはないが、位置関係も考え合わせると、この感触の正体は、間違いなく紫さんの胸だ。

 

 なんだ、この謎の状況。なんで俺は、急に登場した紫さんに、背後から抱き締められてるの? なんで、背中に胸を押し付けられんの?

 

「ゆ、紫さん……何をやっているんですか?」

 

「ご覧の通りです。戯れですよ」

 

 紫さんは、愉快そうに笑いを忍ばせる。

 

「いや、戯れって……」

 

「それとも、あなたは私のことが嫌いかしら?」

 

 俺は返答に窮した。背後から抱き締められている状況は気まずいけれど、肯定したら紫さんを拒絶することになる。

 

 なんとも卑怯な言い回しを使う。

 

「……ふふふ。その沈黙は、否定と受け取りましょう。まあ、良いではありませんか。誰かに見られるわけでもなく、さりとて見られて困るわけでもなく。せっかくの機会です。女の纏う色香を楽しんでおきなさいな」

 

 いや、いきなり色香を楽しめって言われてもね……。

 

 確かに、見目麗しい女性に抱きつかれている状況は、ある意味では男の夢とも言える。

 

 香水なのか洗髪料の香りなのか分からないが、ふんわりと思考が鈍る甘い香りが鼻腔をくすぐる。体の柔らかな感触と相まって、気持ちが妙に和らいできた。

 

 女性って、なんでこんなに良い匂いを纏っているのかね? 男の体臭なんて、むさ苦しいというのに。神様、男女差別が過ぎるぜ。

 

「それに、今のうちに色香に慣れておいた方が、のちのち、大いに役立つと思いますよ?」

 

「……いったい、なんの話をしているんですか」

 

「あなたが意中の相手を口説き落とす時のための便宜を図っているのです」

 

 紫さんはそう言うと、頭を軽く振って、俺の肩の上であご先を転がした。機嫌の良さそうな態度だ。

 

 俺は話題を転じることを考えた。相手は紫さんだ。この話題を続けていたら、俺にとって どんどん不利な状況になる気がする。

 

「ところで、今までどこに行っていたんですか?」

 

「所用を済ませていた、とでも言っておきましょうか。私には私なりの仕事があるのです」

 

「はぁ……。あ、そうそう。霊夢、怒ってましたよ。こんな話は聞いてなかった、あとでガツンと言ってやるって」

 

「ええ、すでに存じています。所用を済ませていたといっても、放置していたわけではありません。様子は見聞きしていました。なに、想定の範囲内です」

 

 霊夢が察していた通り、やはりスキマを使って様子を覗き見していたのか。

 

 霊夢の反応を想定した上で、俺と優を霊夢に任せたとは……なんと言うか、性格が悪い。

 

「……あ、そうだ。紫さん、幻想郷での住む場所とか暮らしとか、どうすればいいんですか? これから霊夢と優と……あと魔理沙って魔法使いと一緒に、ひとまず人里に行ってみるつもりなんですけど」

 

「それについては、心配する必要はありません。幻想郷は、私にとっての箱庭です。よほどのことが無い限りは、私にとって不都合は起きません。その場の流れに従っていれば、最適な場所に落ち着きます」

 

 紫さんの口ぶりから察するに、無策というわけではないようだ。すでに策を打っていて、成り行きを見守っているだけなのかもしれない。

 

 そうは言っても、不慣れな土地に来たばかりの俺にとって、当座の暮らしが不明瞭であることは、なんとも落ち着かないのだけれど。

 

「大丈夫です。私を信じてください。事を明らかにしないということは、明らかにしない方が都合がいいからです。私の想定通りに進めば、あなたにとって最も都合のいい環境に落ち着きます。それは、私にとっても最善の結果なのです」

 

 紫さんの強い確信を感じられた。

 

 そこまで言い切れるのなら――きちんとした考えがあるのだろう。理由があるのだろう。

 

「分かりました。紫さんの配慮、信じます。ひとまず、人里に行ってみます」

 

「感謝します。信には義で報いますわ」

 

「……ところで、紫さん」

 

「なんでしょう」

 

「いつまで、その……後ろから抱きついているつもりなんですか? この状態、話しづらいのですが」

 

「戯れと言ったではありませんか。母親が我が子に頬擦りするようなものです」

 

 紫さんの言い回しには、何やら引っ掛かるもの感じた。

 

「う~ん……。俺、そんなに紫さんに可愛がられるようなことをした憶え、無いんですけどね」

 

「あなたは、私の旧友の子。そして、数年間を見守ってきた者です。私にとっては、我が子のようなものです」

 

 そう言われると、背中から抱き締められる愛情表現は、納得できそうではあるけれど……。

 

 紫さんからしてみれば、俺は馴染みの相手だろう。けれど、俺からしてみれば、紫さんは つい最近になって知った相手だ。たとえるなら、近所に住んでいるお姉さんみたいなものだ。

 

 なんだかんだ、颯さん、ずっとドギマギしているんですぜ?

 

「それに、もうすぐ魔理沙の迎えが来るのでしょう? それまで、どうか楽しませてくださらない?」

 

「……まあ、それなら」

 

 あと5分もすれば、魔理沙は戻って来るだろう。それまでの間だったら、すげなく突き放す理由も無い。

 

「ありがとうございます。……ところで、霊夢はどうでしたか?」

 

「霊夢? えっと……具体的には」

 

「どんな風に思いましたか」

 

 どんな風に――か。これまた抽象的な質問だ。

 

「そうですね……。なんと言うか、こう……ヤクザっぽいですね。実力主義というか、実利主義というか」

 

 いかんせん、魔理沙とのやり取りの印象が強すぎる。

 

「ふふふ、そうかもしれませんね。ああ見えて、情が深い子なのですよ。信義に反ずるような小心者ではありません」

 

「愛情が深いと言うか……器が広いと?」

 

 それは分かる。俺と優の住む場所が見つからなければ、神社に居候してもいいと言っていた。霊夢の生活事情は知らないが、頼りがいというか、人間としての豪胆さを感じる。

 

「そういうことです。どうか、あの子の奥底ある物を感じ取ってあげてください」

 

「……なぜ、そんな話を」

 

「さて、なぜでしょう。あなたが紳士なら、婦女子である私のために、機知を働かせてくださいませんか?」

 

 そう言われてしまうと、自分から深く追求することが野暮になってしまう。

 

 女の人って、ずるいなぁ……。いや、紫さんが ずる賢いだけなのか。

 

 紫さんとの会話は、どうも知性を求められる節がある。優との会話とは、また違った知性だ。紫さんの場合は、なんと言うか、霧を掴み取ろうとするような感覚だ。

 

「……ふふ、分かりませんか?」

 

「降参ですね」

 

「結構。今も、そしてこれからも、そのままでいいでしょう」

 

 なんだそりゃ。結局は、分からなくてもいいってことか。

 

 うーん……手玉に取られている気がする。いや、紫さんに言葉の駆け引きで勝てる気は全くしないのだけれど。

 

「さて……名残惜しくはありますが、私はお暇するとしましょう。あなたの温かみは、充分に味わえましたし」

 

「何か用事があるんですか?」

 

「まだ抱き締められていたいですか?」

 

 肯定も否定もしづらい質問だなぁ……。話しづらくて不便であるが、心地好いことも確かだ。体験したことは無かったが、誰かに抱き締められるというのは、これほど安心感をもたらされるものなのか。

 

 俺が返事に悩んでいる様を感じ取って、紫さんはクスクスと笑う。

 

「必要があれば、またいずれ、どこかの機会にでも。……あなたの待ち人がやって来ましたよ」

 

 待ち人と言われて、魔理沙のことを連想した。鳥居の方の空を見遣ると、空中に黒い点がポツンと見えた。

 

 もしや、あれが魔理沙か。人里から戻って来たんだな。

 

「では、人里を楽しんでいらっしゃい」

 

 紫さんの声が聞こえ終わると同時、俺の腋の下から、するりと紫さんの腕が抜き取られた。背中に掛かっていた重みと感触も消える。

 

 俺が後ろを振り返ると、そこには紫さんの片影すら無かった。スキマを使って瞬間移動したのだろう。

 

 それから程無くして、魔理沙が庭に降り立った。

 

「よう、待たせたな!」

 

 魔理沙は着地すると、竹箒から降りずに、あごをしゃくって自分の後ろを示した。『乗れ』ってことだろう。

 

「手間をかけさせて、すまないな。頼む」

 

「気にすんな。霊夢の貸しにしておいてやるぜ」

 

 そう言ってもらえる、こちらとしてもありがたい。

 

 優がそうしていたように、俺も竹箒にまたがった。

 

「肩でも腰でもいいから、しっかりつかんでおくんだぜ。空中で落ちたら、拾うのが面倒だからな」

 

 何気に怖い発言だ。

 

 俺はどっちを掴むべきか少し悩んだが、魔理沙の両肩を掴むことにした。安定性を優先するなら腰に手を回した方が良いのだけれど、ここは紳士の機知を働かせよう。

 

「よし、いくぞ」

 

 魔理沙の掛け声と同時、体がフワッと持ち上がった。

 

 気味の悪い浮遊感を覚えると同時――股に強い圧迫が掛かる!

 

 当たり前だ。いきなり、股下に全体重が掛かったのだ。しかも、乗っているのは、細くて堅い竹箒の柄。

 

 あれ……あれれ? 箒で空を飛ぶって、色々な意味でキツクない? 特に男性。

 

 ……ど、どうしよう。今からでもいいから、居間から座布団を持ってきて、箒の柄に挟もうかな。このままだと、人里に着くころには、颯さんの股間がイタイイタイになっちゃうんだけど。

 

 そんなことを考えている間に、どんどんと高度が上がっていく。もはや、地面から10メートル以上も離れている。

 

 安全器具なしに高度飛行することも危険だが、颯さんの股間に掛かる圧力も危険信号の域だ。

 

 やっべ、いってぇ……! 

 

 魔理沙、いつもこんな方法で移動していて、股下を痛めないのかよ。何か痛みを和らげるコツでもあるのか?

 

 魔理沙の体勢を観察すると、前のめりの状態で、箒の柄を両手で掴んでいることが分かった。

 

 なるほど。両手に体重をかけることで、股下に掛かる体重を分散させているんだな。

 

 ここは魔理沙にならって、俺も両手で箒の柄を――

 

「おい、肩から手を離すな! 落ちても知らないぞ!」

 

「あ、はい、すみません」

 

 俺はすぐさま、魔理沙の両肩に手を戻した。

 

 くっ……! 体重を分散したいのに! 魔理沙の肩だと、位置が高くて体重分散が出来ないのに!

 

「じゃあ、出発するぞ」

 

 魔理沙が声を上げると、箒が前方に加速した。ぐんぐんと速度は上がっていき、体感で時速40キロメートルまで上がる。

 

「どうだ、颯! 箒に乗って空気を切る感じは!」

 

「あ、ああ……楽しいっすね……」

 

 俺は渋い声で返事した。

 

 仕方ない。俺の意識は、股間の痛みに奪われっぱなしなのだ。

 

 空気を切る感じだとか、空から見た幻想郷の展望とか、そんなことに気を回せる余裕はない。

 

 

 

 

 人里に辿り着くまでの約10分間、俺は股間の痛みと激闘を繰り広げたのであった――――

 

 

 

 


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